「アドルフへの道:社会資本はかくのごとくドイツ最初の民主主義を打倒せり」 By Hans-Joachim Voth, Nico Voigtländer, Shanker Satyanath

Hans-Joachim Voth, Nico Voigtländer, Shanker Satyanath “Bowling for Adolf: How social capital helped to destroy Germany’s first democracy“(5 August 2013) from VOX

ワイマール共和国の崩壊は、残忍なナチス体制に権力の座をもたらし、世界の歴史の転換点となった。本稿では、社会資本に対する大部分の考えとは対照的に、良く結びついた社会が負の結果をもたらしうるということを主張する。イデオロギーとは無関係に、戦間期のドイツにおける高密度の社会ネットワークは、ナチスが急速かつ広範囲にその言葉を伝播させることに貢献した。パットナムが主張するところの民主主義に対する社会資本の恩恵は再検証される必要がある。


昨今のエジプトやチュニジアでの出来事が示す通り、持続的な民主主義を打ち立てるのは困難な仕事である。しばしば逆境にあってさえ存続するどころかますます発展する民主主義がある一方で、重圧に負けて崩壊してしまう民主主義があるのはなぜだろうか。これに対しての昨今の有力な回答の一つは「社会資本」、つまり市民がお互い対等に交流することの出来る組織の高密度なネットワークを重要視している(Putnam 1995)。この考えの系統は大分前に遡る。1830年代にアレクシス・ドゥ・トクヴィルがアメリカを訪れた際、彼は市民のクラブや市民団体に対する協力への熱意に圧倒された。彼は次のように言った。「アメリカ人は些細な事業であるからといって集まらないということはほとんどない…地球上でもっとも民主的な国…は彼らの共通した欲求を共に追求する術を完成させたのだ」

社会資本は多くの望ましい結果と関連している。

  • 市民団体が多い町ではより多くの信頼とより多くの献血がある。
  • 投票率が高く、金融市場もよりうまく機能する。 (Guiso, Sapienza, and Zingales 2008)

社会資本が「負の側面」を持つということを示す研究も進んでいる。

  • クークラックスクラン、麻薬取引業者、マフィアは協力を確保するために社会的な結びつきに頼っている。
  • また、最近の重要な研究においては、市民団体はガバナンスの質の低下をもたらし、既存の政治家の基盤強化に繋がることが示されている。

我々はヨーロッパの戦間期の経験からのいくつかの教訓に目を向ける。今日におけるアラブの春の期間と同様、1918年以降多くの国で新たな民主主義が権威主義的体制に取って代わったが、存続しなかったものは多い。我々は民主主義崩壊の典型例、ワイマール期のドイツに着目する。特に、我々は社会資本が過激主義者、反民主主義運動、すなわちナチスの隆盛に与えた効果を分析する。ワイマール期のドイツにおいて市民社会が例外的に活発であったことは、かねてより多くの研究者によって指摘されてきた(Berman 1997)。にもかかわらず、当該国における初の民主主義は崩壊した。これは社会資本が政治制度を弱体化させたということを必ずしも証明するものではなく、ワイマール共和国はクラブや市民団体がなければもっと早く崩壊していた可能性は十分にある。

ナチスが最も伸張した場所

選挙を始めとして、ナチスの隆盛は、幾千もの地域「小集団」からなる厳しく統制された組織に決定的に依っていた。半分以上のドイツの都市では、これらの小集団がナチスの国政選挙での成功を下支えした(Brustein 1998)。ナチスはまず草の根的に伸張し、その後選挙結果がそれに続いた。例えば、1928年にナチス、国家社会主義ドイツ労働者党は既に約1,400の地域支部に100,000人の党員を抱えており(Anheier 2003)、国内の最大政党の一つとなっていた。ちょうど同じ時期、ナチスが国政選挙で獲得した票はたったの2.6%だった。

社会資本とワイマール共和国の崩壊との間の連関を分析するにあたり、我々は戦間期のドイツの100以上の町における市民団体活動についてのデータを新たに集め、それをナチスへの加入率に関する既存の情報と組み合わせた。我々はさらに、1920年代のドイツにおける政党加入と市民団体の密度との連関の特徴を明確化するために、19世紀における市民団体についての情報を使用した。この期間(訳注;1920年代)の全体を通して、社会資本が高い町や都市ほど、高いナチスへの加入率を示した(図1)。市民団体密度が高い町や都市の上位三分の一は、下位三分の一と比べて約二倍の加入率となる。これは、人々が集中的に繰り返しお互い対等に交流するところにおいては、ナチ・イデオロギーという「ウィルス」がずっと速く人々の間に広がったことを意味する。

図1.ナチス加入と市民団体密度

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市民団体は次の二つの理由からナチスに貢献した可能性がある。

  • 第一に、それら市民団体はフランスに対する復讐を渇望する軍国主義者の宝庫であり、彼らはナチスの言葉に非常に感染しやすかったということがありえる。

この場合、政党加入に対する社会資本の効果は、単にナチスに対して好意的な文化と態度を持つ場所が、褐色シャツ隊(訳注;ナチ突撃隊)プログラムへより急速に賛成したということを示すだけとなる。

  • 第二に、ある二つの地点でイデオロギー的な選好が等しい場合においても、市民資本のより大きい町ないし都市においては、同じ市民団体に所属する仲間がフューラーの言葉の信頼性を高め、ナチスがより良い籤を引かせてくれるだろうとドイツ国民に信じさせたという可能性が十分にある。

事例証拠は、第二の経路が大きなものであったことを強く示している。自叙伝についての調査から、党員との交流が運動への参加を決意させたことが分かっている。

あるメンバーは次のように回想している。「…同年代のとある仲間と仲を深め、頻繁に話をした。彼は物静かで寡黙な人物で、私は彼を深く尊敬していた。彼が国家社会主義党の地域リーダーの一人であると知った時、党を犯罪集団のように見ていた私の考えは完全に変わった」(Abel 1938)

マールブルク大学都市においては、Rudy Koshar (1987)が詳細に分析したところによると、党員の参加している市民団体は幅広く、チェスクラブからハイキング団体にまで及び、退役軍人団体の軍国主義といった枠内を大きくはみ出していた。また、ナチス党員の間では市民団体に加入している個人の割合が高かった。これは、市民団体加入者自身の党への加入率がより高かったということであり、我々の仮定する連関の強さを示している。

我々の統計的な分析では、国家社会主義的イデオロギーの訴求に影響を与えたことが分かっているカトリック政党の強さや、ブルーカラー雇用の相対的重要性といった要因の調整を行った。これらの要因を取り除いた場合においても、社会資本とナチス加入率との間の顕著に有意なプラスの相関が認められた(図2)。

図2.市民団体密度とナチス加入率間のクロスセクション相関
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戦争経験者と鳩のブリーダー

より体系的な解釈を行うために、我々は市民団体加入を二つのタイプに分けた。すなわち、軍関係団体(主に退役軍人クラブ)とその他の市民団体(兎のブリーダー、歌手、体操選手、切手収集家等々)である。市民団体密度と政党加入の間の連関を分析したところ、我々は二つのタイプの市民団体双方でほぼ同一の結果を得たのであり、ナチスの隆盛にとって鳩のブリーダーとハイキングクラブは1871年の普仏戦争経験者の団体と全く同じ大きさの効果であった。

当然ながら、第三の要因が市民団体加入と政党加入率を同時に上昇させたということは十分にありえる。例えば、失業はワイマール共和国への不満の火を煽り、それと同時に人々に他の活動に精を出す時間をたっぷりと与えた。我々の回帰分析においては、大恐慌の期間におけるピークに達した失業の調整を行ったが、結果に違いは認められなかった。我々は都市ごとのクラブへの加入に対する選好を捉えた19世紀の市民団体加入に関するデータも用いたが、大部分において結果は変わらなかった。これは、因果関係の矢印が市民団体からナチス加入へと走っており、考慮外の変数が同時に両者を上昇させたのではないということを示唆する。

社会資本と民主主義の持続

ワイマール共和国の崩壊は世界の歴史の転換点であった。これによって恐ろしく残忍な体制が権力を握ることになった。ナチスの政府への参加は、選挙での多大な成功がなければあり得ないことであっただろう。ドイツのありとあらゆる隅にまで入り込んだ強力な政党組織によって、選挙での勝利の道が敷かれたのである。本論文において我々は、確立された民主的秩序へ成功裏に挑戦するのを可能とする十分に大規模な運動となる点にまで、ナチス党員が増えることをもたらしたものが何であるかを分析した。

我々は戦間期のドイツにおける高密度の社会ネットワークが最終的にはナチスの隆盛に貢献したことを発見した。市民団体のイデオロギー的な焦点に関わらず、(訳注;ナチスへの)加入は社会資本が豊富なところでより急速に進展した。歌を歌ったり、兎の繁殖について議論する合間に相互対等に交流することは、過激主義政党への誘惑に対するドイツ人の耐性を強化せず、市民団体密度が高いところではずっと多くの市民が運動に参加するために、そうした交流はナチスの言葉のより急速な伝播を可能とした。これらの発見は、民主主義に対する社会資本の恩恵というパットナム(とトクヴィル)の主張は検証の必要があり、少なくとも一つの歴史上重要な事例においては、市民団体の活発さが開かれた社会を墓場へと送るのに一役買ったということを示唆している。


参考文献

Abel, T F (1938), “Why Hitler Came into Power: An Answer Based on the Original Life Stories of Six Hundred of His Followers”, Prentice-Hall.

Acemoglu D, T Reed, and J A Robinson (2013), “Chiefs: Elite Control of Civil Society and Economic Development in Sierra Leone”, Working Paper 18691, National Bureau of Economic Research.

Anheier, H K (2003), “Movement Development and Organizational Networks: The Role of ‘Single Members’ in the German Nazi Party, 1925-1930”, in Mario Diani and Doug McAdam (eds.) Social Movements and Networks: Relational Approaches to Collective Action, 49–78, Oxford, UK, Oxford University Press.

Berman, S (1997), “Civil Society and the Collapse of the Weimar Republic”, World Politics 49(3), 401–429.

Brustein, W (1998), “The Logic of Evil: The Social Origins of the Nazi Party, 1925-1933”, Yale University Press.

Field, J (2003), Social Capital, Routledge.

Guiso L, P Sapienza, and L Zingales (2008), “Long Term Persistence”, NBER Working Paper 14278, National Bureau of Economic Research.

Koshar, R (1987), “From Stammtisch to Party: Nazi Joiners and the Contradictions of Grass Roots Fascism in Weimar Germany”, The Journal of Modern History 59(1), March, 2–24.

Putnam, Robert D (1995), “Bowling Alone: America’s Declining Social Capital”, Journal of Democracy 6(1), 65–78.

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