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アレックス・タバロック「集団的行動がイノベーションを殺す」

[Alex Tabarrokon, “Collective Action Kills Innovation,” Marginal Revolution, January 4, 2018]

オレゴンで新しい法案が通った。田舎のガソリンスタンドにセルフ給油を許す法案だ(一部の田園部では夕方6時から翌朝6時までしか許されていないのだ) みんなも耳にしたことがあるだろうけど、こういう風に馬鹿げた規制を中途半端に緩和したことで、オレゴン人のあいだに困惑と懸念が生じている。

「あたしはね、給油の仕方なんて知りもしないし、生まれた時からオレゴン住みの62歳ですよ(…)ごめんこうむりますよ。ガソリンのにおいまみれになるなんていやよ」とある女性は書いている。

「ダメだよ。車を運転してるのが障害のある人とか高齢者とか幼児連れの人らだったら助けがいるでしょ。まして、短期滞在の証明書をもって車から出てうろうろしてたら気が休まらないでしょうよ。なんともひどいアイディアね」とまた別の女性。

「生まれてこの方ずっとこの州で暮らしてきたけどね、自分でガソリンを給油するなんてまっぴらごめんだよ。(…)こういうのは資格のあるひとだけがやるべきでしょ。こっちは文字通りポンプ脇に車をとめて、あとはだれかが給油してくれるあいだずっと待ってるだけよ。」

ご当地以外のアメリカ人は――なんとも思わず毎日のように自分でガソリンを入れているひとたちは――オレゴンの面倒ごとに一笑していることだろう。とはいえ、物笑いにしようとこのネタをとりあげてるわけではない。セルフ給油できる州のうち、免許なく散髪屋を開業できるのは1州しかないからだ。「散髪の免許ときたか!アホかいな」――アラバマの人たちが他のアメリカ人全員のことを笑い者にしててくれればさいわい。あるいは、マニキュアリストの免許なんてどうだろう? 今度はコネティカットが笑う番だ。マニキュアをやってもらいながらよその州をひとまとめに笑い者にしてやろう。処方箋もなしにコンタクトレンズのお買い物? そういう人たちにはブリティッシュコロンビアをコケにする権利がある。

専門業者でもないのに給油する件にオレゴンの人々がもらす不平――「資格のある人だけがこういうサービスに携わるべきでしょうよ」「危険だわ」「雇用はどうなるんだ」――こういう不平は、他のどこの州でもおなじみの言葉だ。ちがうのは、不平のタネになるサービスだけだ。ひとたびセルフ給油に慣れてしまえば、なんてこともなく思うようになる。だけど、人々を脅かして「セルフ給油なんてとんでもない」に投票するよう仕向けるのは簡単だったろうという点を考えると、そもそもセルフ給油が行われるようになったことが意外だ。なんといっても、訓練を受けた給油係をよしとする根拠の方が、床屋を免許制にする根拠よりもはるかに強い。もしかすると、昔はいまよりリスク回避性向や不満が弱かったのかもしれない。今日のぼくらがフーバーダムを再びつくれるとは、ぼくは思わない。

知識をつけるよりもビビらせる方が簡単だし、利得をもとめる欲よりもよりも損失を避けたがる恐れの方が強い。そのため、集団の意思決定はデフォルトで安定に偏る。

Uber や Airbnb をはじめとする数々のイノベーションが存在するのも、ひとえに、起業家たちが誰かに許可を求めなくてすんだからに他ならない。もしもこういうアイディアを投票にかけていたら、きっと打ち負かされていただろう。「誰でも客を拾って街中をあっちこっち走れるようにするだと? 知らない人についてっちゃいけないってママに言われただろ?」「どこの家でもホテルにできるようにするって? うちの近所はかんべんしてくれよな!」 ひとたびイノベーションがこの世に生まれれば大衆はその便益を目の当たりにするけれど、もとになるアイディアを投票にかけると彼らにそういう便益は見えない。想像するより実物を見せてしまう方がずっと強力だ。

ところが、個々人が行動できる範囲はますます狭まり、集団的行動の範囲はますます広がっている。だから、オレゴン州の一件やセルフ給油の自由に対する彼らの恐れをぼくは一笑に付してしまえない。誰だってみんな、なんらかのかたちでオレゴン人なんだ。


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