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アレックス・タバロック 「イグジットとボイスの補完的な関係;教育を一つの例として」

●Alex Tabarrok, “The tragedy of Jonathan Kozol”(Marginal Revolution, September 6, 2005)


ジョナサン・コゾル(Jonathan Kozol)は苦境に置かれた子供の問題やアメリカの教育の惨状について雄弁かつ情熱的に取り組むことに自らの人生の多くを捧げてきた人物である。彼のその情熱と思いやりの深さに対しては称賛の拍手を送ってしかるべきである。しかしながら、コゾルの悲劇とでも呼ぶべき状況に度々出くわすことがある。彼のその雄弁さが教育の質の向上に貢献するであろう改革――私立学校の増加や学校選択制――への攻撃に向けられる様を目にすることがしばしばあるのだ。そうとあっては(時に誤った標的に向けられる)彼の善意をやすやすと見過ごすわけにはいかないだろう。

つい最近のインタビューで彼は次のように答えている。

私立学校の設立を許容すれば、すべての子供が平等な教育を享受できるようにするために心血を注ぐことも厭わない親――特に、高い教育を受けており政治的にも力のある親――が公教育制度(public school system)の中から失われてしまう(退出してしまう)1 恐れがあります。

コゾルのこの見解は次のように言い換えることもできるだろう。

ベルリンの壁の向こう側に渡ることを許容すれば、すべての東ドイツ人が平等な生活を享受できるようにするために心血を注ぐことも厭わない人物――特に、高い教育を受けており政治的にも力のある人物――が東ドイツの中から失われてしまう(退出してしまう)恐れがあります。

教育サービスの質の面で問題のある公立学校に親を閉じ込めることは共産主義国である東ドイツに人々を閉じ込めるようなものである。高い教育を受けていようがいまいが政治的に力があろうがなかろうがコゾルが語るようなかたちで人間を何らかの社会目標を推進するためのツールとして利用するなんてことはあってはならないだろう。

このような批判とは別に次のような問題もある。コゾルの見解は果たして妥当だろうか? ということである2 。コゾルはハーシュマン(Albert O. Hirschman)の偉大な書である『Exit, Voice and Loyalty』(邦訳『離脱・発言・忠誠-企業・組織・国家における衰退への反応』)に依拠して持論を展開しているわけだが、この書はそう簡単に割り切れる本ではなく多様な含意を引き出すことができる(あるいは多様な解釈を許す)本である。そうであるにもかかわらず、この書を読んだと語る多くの人々と同様にコゾルもまたこの点を理解してはいないようである。

(コゾルが語るように)イグジット(退出)とボイス(抗議)が代替的な関係にある3 ようなケースを見出すことができるのは確かであり、イグジットという手段を遮ることでボイスの行使が促される可能性があることは否定はしない。しかし、大抵のケースにおいてはイグジットとボイスは補完的な関係にあるのだ。例えば、レストランで料理が運ばれてくるのが遅くて店側に抗議した場合と車両管理局(department of motor vehicles;DMV)での手続きが遅くて抗議した場合とではどちらの方があなたの抗議が聞き入れられる可能性が高いだろうか?4

そうなのだ。イグジットの脅しこそがボイスの効果を高める5 ことになるのだ6

さらには、イグジットという手段を封じたからといって必ずしもボイスが積極的に利用されるとは限らない。イグジットに訴えることができない状況で運悪く自分の子供を最も劣悪な教育環境の学校に通わせざるを得ない羽目になった親はイグジットにもボイスにも頼ることができない。その姿はまるでハリケーン・カトリーナに襲われたニューオーリンズの人々のようなものだ。そこから逃れる術も援助の手を差し伸べるように強制するだけの政治力も持ち合わせていないあのニューオーリンズの人々のようなものなのだ。

最後に実際のデータに触れておこう。仮にコゾルの見解が正しければ、イグジットに容易に訴えることができる地域の公立学校ほどその教育サービスの質は低いということになるだろう。しかし、これまでに実施された膨大な研究が明らかにしているところでは、実際のデータはその反対の結果を支持している。選択肢が多い――選択可能な学校(私立学校やチャーター・スクールあるいは複数の公立学校)の数が多い――地域の公立学校ほどその教育サービスの質は高いという結果になっているのである。イグジットという手段の存在(ならびにイグジットの脅し)こそが教育関係者に聞く耳を持たせるようになるのだ。

さて、コゾルは聞く耳を持ってくれるだろうか? 残念ながらどうやらそうはいかないようである。というのも、教育バウチャーに対する彼の批判は経済学的な根拠に基づいてなされているのではなく審美的な理由に基づいているからだ。彼は次のように語っている

(教育バウチャーは人間の利己的な動機に訴えかけるものです。)それゆえ、教育バウチャーは人間に備わる最も低俗な本能を最も美しい本能よりも高い地位に引き上げることになるのです。

アダム・スミスの言葉7 でも引用して応答すべきだろうか?

  1. 訳注;親が自分の子供を私立学校に通わせるようになるということ []
  2. 訳注;コゾルが語るように、私立学校という選択肢が増えると教育の質の改善に向けて取り組む(抗議を行う)親が公教育制度の中から退出し、親からの抗議の声が少なくなってしまうと果たして言えるのかどうか、ということ。 []
  3. 訳注;イグジットという手段が利用可能であるためにボイスという手段が利用されない(あるいはボイスの効果が小さくなる)ということ。ここでの文脈では、公立学校に不満を抱く親は教育の質の改善に向けて学校に掛け合う(ボイスに訴える)よりは子供を私立学校に転校させる(イグジットを選ぶ)ということ。 []
  4. 訳注;おそらくその答えはレストラン。というのは、政府機関であるDMVと比べるとレストランの方が選択肢(競合するレストランの数)がたくさんあり、そのためお客の不満に耳を貸さないようだと他のレストランにお客が逃げてしまう可能性が高いからである。言い換えれば、イグジットの脅し(お客が他のレストランにとられてしまうかもしれないという脅し)があるおかげでボイス(抗議)が聞き入れられやすくなっているということになる。 []
  5. 訳注;あるいはボイスが聞き入れられる可能性を高める []
  6. 訳注;つまりは、イグジットとボイスは補完的な関係にあるということ。ここでの文脈では、私立学校という選択肢があることで公立学校に子供を通わせている親のボイス(抗議)が一層聞き入れられやすくなるということ。その理由は親のボイスを聞き入れずに無視していたら子供を私立学校に転校させられてしまう恐れ(イグジットという手段に訴えられてしまう恐れ)があるため。  []
  7. 訳注;「我々が食事をとれるのも、肉屋や酒屋やパン屋の博愛心によるのではなくて、自分自身の利益に対する彼らの関心によるのである。」 []

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