アレックス・タバロック 「ギリシャ問題の背後にある真の対立図式 ~『ギリシャ国民 vs. ドイツ国民』ではなく『ギリシャ国民 vs. ギリシャ政府』?~」

●Alex Tabarrok, “The Battle for Greece”(Marginal Revolution, July 2, 2015)


ギリシャ問題をめぐる議論は「ギリシャ国民 vs.ドイツ国民」(「財政拡大 vs. 財政緊縮」)といった対立図式に沿って展開される傾向にある。しかしながら、そのような対立図式では現実をうまく説明できない面があるのではないだろうか。今度の日曜日(7月5日)の国民投票で「イエス」(財政緊縮策の受け入れに賛成)が多数となるかどうかはわからないものの、かなりの数のギリシャ国民が「イエス」に投票する可能性があると見込まれているわけだが、「ギリシャ国民 vs.ドイツ国民」(「財政拡大 vs. 財政緊縮」)といった対立図式ではこの事実をうまく説明できないのだ。

一体何がどうなっているのかを理解するためにはナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)のロビン・ヤング(Robin Young)がアテネでレストランを経営しているニコラオス・ヴォグリス (Nikolalos Voglis)氏を相手に行ったこちらの優れたインタビューに耳を傾けてみるべきだろう。このインタビューではまず危機の現状が話題になっている。誰も手元に現金を持っておらず、お金を借り入れることもできない。そのためヴォグリス氏のレストランは開店休業状態が続いている。そしてヤングはヴォグリス氏にこう尋ねる。「今度の日曜日に国民投票が実施される予定になっていますが、『イエス』と『ノー』のどちらに投票するおつもりですか?」 この質問に対するヴォグリス氏の返答は「もちろん『イエス』です」(“Definitely, Yes”)。この答えに驚いたヤングはその意味するところをより明確にしてもう一度聞き直す。「さらなる財政緊縮が求められる可能性があっても『イエス』に投票するおつもりなのですか?」 ヴォグリス氏の答えは「ええ、そのつもりです」。

「ギリシャ国民 vs.ドイツ国民」(「財政拡大 vs. 財政緊縮」)という対立図式に縛られているためなのかヤングにはこの答えがどうもよく飲み込めない。そこでよく耳にする議論を持ち出してヴォグリス氏に反論を試みる。「経済学者のポール・クルーグマンもこう言っています。ギリシャの行動に問題があるわけではない。IMFとEUがギリシャにあまりに厳しすぎる条件を突き付けているのが問題なのだ。ギリシャ政府は既に歳出を大幅にカットしている、と」。ヴォグリス氏も切り返す。

私たちは正しい道を進んではいるのですが、残念ながらまだ道半ばなのです。ギリシャはヨーロッパの中でも最も巨大な政府部門を抱える国です。民間部門で働く一人ひとりは経済を支えるために可能な限りたくさん支出しています。ギリシャが西洋世界の真の一員となるために残されている唯一の道は・・・政府部門の改革を果たすことにあるのです。

・・・政府部門こそがギリシャが抱える主要な問題なのです。それ以外は何の問題もありません。この国の起業家たちは競争心に満ち溢れています。彼らは自由にさせておけばいい。政府部門というモンスターこそが問題なのです。正しい道を歩み続けなければいけません。最後までやり通さなければいけません。政府部門の改革こそが主要な争点なのです。

多くのギリシャ国民は大きく膨れ上がった政府部門に嫌気が差している。汚職や非効率、ムダに彩られた政府部門に愛想を尽かしている。つまりは、「ギリシャ国民 vs.ドイツ国民」(「財政拡大 vs. 財政緊縮」)」ではなく「ギリシャ国民 vs. ギリシャ政府」こそが真の対立図式なのかもしれないのだ。「ドイツ国民」は「ギリシャ国民」を決定的な瞬間(kairotic moment)に連れ出すための乗り物の役割を果たしていたに過ぎない可能性があるのだ。共産主義に別れを告げた後のポーランド国民がそうだったように、ギリシャ国民も正常(normalcy)への回帰を希求しているのかもしれない。日曜日の国民投票で仮に「イエス」が多数を占めた場合、それは現政権(チプラス政権)に対する「ノー」を意味するだけにとどまらない。現在の国家機構のあり方それ自体に対するギリシャ国民の異議申し立てを意味してもいるのだ。

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  1. 賛成は多数は希望的観測に過ぎなかった。
    投票結果は圧倒的に、反対の圧勝。(世論調査では何時の時点でも反対派が一貫してリードしてたのだからあたりまえだ。オバマ再選の時と同じ)

    したがってアレックス・タバロック の説は完全に間違っていた。
    ギリシャ問題の背後にある真の対立図式 は、文字通り『ギリシャ国民 vs. ドイツ国民』だったわけだ。

  2. 論点は投票の是非ではない。真に考えるべき図式は何かだ
    誰が好き好んで希望的観測をブログに載せようか。一定の認知度を得た経済学者であるタバロックなら尚更だ。貴方の意見みたいな1段階論理を求めてるほど彼は馬鹿ではない。むしろ彼が言いたいのは(ギリシャ国民含め)我々がこの問題の是非を考える際、通して見るべき対立構図は「ドイツ国民 vs ギリシャ国民」では無く「ギリシャ国民 vs ギリシャ政府」だということである。ギリシャ国民の大多数はその本質を見誤っている事をタバロックはエピソードを引き合いにしながら指摘しているのだ(店主の意見を見よ)。
    それを分からずして彼の予測外れをただあげつらうのは、事実と規範(彼の主張)の区別をわきまえてない単なる初歩的ミスである。

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