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クルーグマン「再び,経済学では古きは新しい」

Paul Krugman, “In Economics, Old Is New Again”, December 12, 2013.


再び,経済学では古きは新しい

by ポール・クルーグマン

The New York Times Syndicate

/The New York Times Syndicate

『ワシントン・ポスト』のマイク・コンツァルが,経済学の教授法についてすごくいいところを突いていた.ポール・サミュエルソンが1948年にとってたやり方に戻るべきなんじゃないか,と彼は言う.1948年とは,サミュエルソンが有名な教科書の第1版を執筆した年だ――まずはマクロ経済学を,そのあとでミクロ経済学を,という順番で解説は進む.コンツァル氏の説明によると,こうすることで学生は現実についてよりよい視座が得られるんだそうだ.結局のところ教えられる事項は同じであっても,順番によってちがってくるというわけだ.

1つ付け足しておきたい.サミュエルソンがこういう順序をとってる動機は,当時と同じく今日でもちゃんと成立する.サミュエルソンが執筆してた頃は,大恐慌の記憶がまだまだ生々しかった.学生たちは,いったいあんなことがどうやって起きえたのか知りたがっていた.あんなことが起きたばかりで,「市場の完全性」なんて話をいったいどうやって学生たちに真に受けてもらえたんだろう? 彼は,まず金融政策・財政政策を使って完全雇用を確実にできるってことを教えることで,それをやってのけた.

大不況といまいちな景気回復がはじまってかれこれ6年になるいま,この話は新しく映る.ただ,コンツァル氏の解決法にはいくらか深刻な問題点がある――サミュエルソン氏が1948年にやったことのなかには,いまとなってはもう模倣できないことがある.

サミュエルソン氏が経済学にもちこんだのは,実は革新の2段階たたみかけだった――ケインジアン・マクロ経済学プラス数理モデルへの新たな指向の2つをいっしょにもちこんだんだ.当時,この両者は手に手を取って進んでいたし,相互に強め合う関係だった:ケインジアン・マクロ経済学は見るからに成功していて,そしてそれはモデル指向であり,制度学派をいっきょに制圧してしまった.今日,いろんな方程式のモヤモヤを通して世界を見ることにいちばん強くコミットしてる経済学者たちは,同時に,近年の危機を理解できるマクロ経済学のいかなる種類に対しても心底から敵対心を抱いている傾向がある.

それに,当時,ケインズは新しくて革新的だった.今日,ケインジアン・マクロ経済学は間違ってるという信念のもとに,何世代にもわたる経済学者たちが育成されてきている――実はケインジアン・マクロ経済学の中身は知らないんだけど,とにかくそんな風に教えられているんだ.

最後に,ミクロ経済学を正当化するには,政府の政策によってだいたい完全雇用が保証されるという主張をしないといけないんだとして,じゃあ,今日の世界でそんなことを信じる気にさせてくれるどんなことがあるっての?

というわけで,ぼくらがやるべきことについてコンツァル氏は正しい.でも,実現はしそうにない.

© The New York Times News Service


経済学の問題は経済学者どもだ

――っていう話は,大部分が,サイモン・レン=ルイスが最近,主流経済学を擁護するオンラインの文書で主張してることだけどね.ぼくもおおよそ賛成だ.

危機についてであれ,その危機へのおそまつな対応についてであれ,教科書経済学を責めるのは,ひどく不公正だ.たとえば,金融規制緩和への熱狂は,べつに標準的な経済分析の産物じゃなかった――それどころか,銀行危機の典型的なモデルをガン無視していた.モデルからは,自己成就的な銀行取り付け騒ぎの防止を政府が保証する重要な役割と,そうした保証がうみだすモラルハザードを規制で制御する必要の両方が提案される.たしかに,伝統的なセーフガードを回避したシャドウバンキングの興隆を追跡した経済学者はほとんどいなかった――でも,それは警戒する姿勢の問題であって,ダメ理論の問題じゃあない.

あまりに多くの経済学者が住宅バブルを認識できなかった失敗については,効率的市場理論の方がもっと非難に値するかもしれない.でも,教科書経済学ではいつだってこの理論は基準として提示していたので,べつに啓示的な真理として提示していたわけじゃない.

危機対応について言うと,教科書マクロ経済学が「やるべき」と語ってることの真逆を政策担当者たちがあくまでやろうとしたのは,目を見張る.金利がゼロのときに支出削減したり,金利を上げるどんな口実にも飛びついたり――こういうのは,オーソドックスな経済学を応用した政策とはちがう.それどころか,入門的な経済学の真逆をやることを正当化する新モデルが広まるのを目の当たりにして,びっくりしたね.

もちろん,政治的に任用された人たちが無知のせいか頑固だからかとにかく経済学の知見を無視したってことでは,問題はつきない:多くの高名な経済学者たちも,ちゃんと標準的なマクロ経済学が機能してるっていうのに,政治的な傾向から,これに背を向けたがることが多すぎた.

そうしてみると,経済学っていう専門分野の構造になにか間違ったモノがあるらしい.いまとちがった経済学が必要っていうよりは,いまとちがった経済学者どもが必要なんじゃないかって思えるね.

© The New York Times News Service


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