クルーグマン「銀行制度を再考するきっかけ」

“A Push to Rethink How Banks Work,” Krugman & Co., May 9, 2014. [“Is A Banking Ban The Answer?” The Conscience of a Liberal, April 26, 2014.]


銀行制度を再考するきっかけ

by ポール・クルーグマン

TUNIN/The New York Times Syndicate
TUNIN/The New York Times Syndicate

金融改革の論争が実に面白いことになってる.自分の立ち位置にも確信がもてない.でも,語る意味があるのは間違いない.

経済学者 Atif Mian と Amir Sufi がブログで,100パーセント準備金銀行経営を義務化するかその強力なインセンティブをつくりだすべきという提案に,注意をうながしている.この提案をしたのは,『フィナンシャル・タイムズ』コラムニストのマーティン・ウルフと,さらに驚くべきことに,シカゴ大学教授のジョン・コクランだ (pdf).同じくらい驚きなのが――少なくともぼくにとっては驚きなんだけど――コクラン氏の方が,どうやらこの提案の難しいところをよく承知しているように見えるところだ.

2人に共通している基本着想はこんなことだ.ぼくらが知ってる銀行は――もとめられれば(たいてい)〔預金の引き出しを〕支払うと約束しつつ,その潜在的な預金引き出し額のほんの一部にしか満たない流動性資産を保有する金融機関は――その性質からして,取り付け騒動という自己成就的な信頼喪失のおそれがつねに潜んでいる.そこで,マーティンとコクランがそれぞれ提案しているのは,そうした金融機関をなくそうとしてみたらどうだねってことだ.それでもなお,「銀行」と呼ばれるものは残るだろうけれど,そうした「銀行」がやるのは,政府が発行した流動性資産の管理にすぎない.

ぼくの誤読じゃなければ,ウルフ氏は,問題全体をせばめて,特定の短期借り入れの話にしている:銀行預金の話だ.2008年危機の性質を考えると,これは奇妙にも狭い了見に思える.2008年危機には,銀行預金の取り付けなんてほとんどまったく関わっていなかった.関わっていたのは,シャドウバンキング,それもとくにレポだった――レポっていうのは,根本的な意味において預金銀行の機能を満たしていると同時に,それと同じ種類のリスクもつくりだす翌日物貸付のことだ.コクラン氏はこの点をおさえていて,どんな形態であれ「取り付け騒ぎになりやすい短期借り入れ」には「ピグー税」を課すべきだと述べている――経済学の教科書だと,「〔企業の〕環境汚染に対して必要だよ」と解説されてる,あのピグー税だ.

さて,ぼくが思うことを3点ほど.

第一に,ウルフ氏が取りこぼしている問題は大きい.100パーセント準備金の要件を預金金融機関に課しただけでおしまいにしたら,シャドウバンキングに逃げ込む金融を増やすことにしかならない.そうなれば,金融システムはいっそうリスクを抱えることになる.

第二に,コクラン氏の提案では,金融に政府が大きく介入する必要がある.この介入に比べれば,リベラルが提案してる取引税なんて小さな話に見えるくらいだ.コクランの主張によると,危険な短期の民間借り入れなしでも経済は回せるそうだ――キミがセブンイレブンのデビットカードを使うたびに投資信託マネージャーがキミの株式ポートフォリオからほんのちょっぴり売りに出すように仕組みを整えるのはかんたんにできると,コクランは主張してるわけだ.それってほんとかな?

第三に,いくぶん本筋からずれた話を:事態がおかしくなった筋書きは,銀行業の問題につきると考えていいんだろうか? この点は,前に述べたことがあるけれど,金融の緊迫を示すどんな指標をみても,2008年に大きなピークを迎えて,そのあとすぐに下がっている(もちろん,政府による救済と保証で達成したわけだよ)〔グラフ〕.でも,そうやってすぐに金融市場が正常化したからって,実体経済ですぐに回復が生じることはなかった.その反対に,アメリカ経済はいまだに低迷しているし,多くの先進国はいまデフレに陥る崖っぷちにある.あれから5年も経っているっていうのに.

この話からは,たしかに銀行取り付け騒ぎで事態が危機を迎えたかもしれないけれど,問題はそれより深いところにあるという確かな手応えがえられる.とくに,過大なレバレッジとそれがもたらす家計のバランスシート問題というより広い問題こそが鍵なんだという見解を,ぼくは強く支持してる(土台になっているのは,Mian 氏と Sufi 氏の研究だ).100パーセント準備金にしてもレポ税にしても,この種のレバレッジに対処するものじゃあない.

小さな脚註をひとつつけておこう:コクラン氏はこんな主張をしたことがある――ケインジアンの処方を本気で信じている人たちは,銀行の健全性について気にすべきじゃない,なぜなら銀行危機がもたらす効果は刺激策でいつでも相殺できるんだから,って.これが正しくない理由は複数ある――たとえば,ぼくみたいな連中なら,こう主張するかもしれない:「政府債務の危険性は誇張されてるけれど,それでも平時にぽんぽんと大規模な赤字支出に手を染めるのはやめておくべきだ.」

ともあれ,もちろん,主眼は次の点にある――刺激策ができることと,刺激策がやることは,いつでも同じとはかぎらない.過去5年間にわかったのは,政府の政策で需要を後押しすべきという主張が圧倒的に正しい状況であっても,経済学のプロと政策担当者の多数派は,その真逆をやるべきという理由を見つけ出してくるってことだ.これは,可能ならそうした状況に陥るのを避ける予防的な政策を支持するよね.

© The New York Times News Service


【バックストーリー】ここではクルーグマンのコラムが書かれた背景をショーン・トレイナー記者が説明する

お金を管理する新手法

by ショーン・トレイナー

先日,「完全準備金銀行」別名「100パーセント準備金銀行」の着想に,大勢の政治的に左右さまざまな評論家たちが支持を寄せた.

今日,大半の国では,一定割合の準備金制度を用いている.つまり,顧客がお金を引き出したいと望んだときのために,銀行は預金総額のうちほんの一部だけを準備金にしておけばいいということだ.

また,この制度だと,銀行はお金を創出する力ももつことになる.よくある誤解に,「銀行は預金として受け取ったお金だけを貸し出せる」というのがある.だが,現代の銀行業では,銀行は信用というかたちでお金をつくりだせるんだ.

経済学者たちは,何十年もこの制度に懸念を表明し続けてきた.大恐慌のあと,伝説的なアメリカの経済学者アーヴィング・フィッシャーは完全準備金銀行を強く主張するようになった.「一定割合だけを準備金にする制度では,何千もの市中銀行が,貸し付けや投資を増減させることで世間に流通する交換媒体〔お金〕の量を増減させる力をもつことになる.」 解決策として,フィッシャー氏は,銀行が預金の総額を準備金にするよう義務づけることを提案した.

そうした制度のもとでは,連邦準備制度のような非政治的組織によって政府がお金の供給量を制御するようになる.支持者たちの主張によると,この制度の方が国は景気循環をもっと効果的に制御できるようになる一方で,銀行の取り付け騒動の可能性を減らし,公的債務・民間債務を劇的に減らせるのだという.この制度でも銀行は存在するが,大部分は仲介者になる.おそらくは,預金の保管や電子決済に月々の少額利用料をとることになるだろう.お金を貸し付けられるのは,利子がつくものの損失の恐れもある特別な投資口座をその原資にしている場合にかぎられることになる.

『フィナンシャル・タイムズ』のマーティン・ウルフが,先日,この制度変更を支持する論を張った.「ぼくらの金融制度がこうも不安定なのは,経済と市場経済の心臓部をめぐるお金をほぼすべて金融制度がつくりだすことを国が許し,しかも,その機能の遂行を保証するのを国が強いられたからだ」と彼は4月24日に書いている.「これは,ぼくらの市場経済の心臓部に空いた巨大な穴だ.これをふさぐには,国の機能であるべきお金の供給を,民間部門の機能である金融の供給から分離すればいい.」

© The New York Times News Service

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