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サイモン・レン=ルイス「医者としての経済学者」(2017年4月6日)

Simon Wren-Lewis, “Economists as Medics” (Mainly Macro, 6 April 2017)

先日、経済学はいろんな点で医学に似ているという私の長年の見解についてツイッターで絡まれた。もちろん経済学は正確には医学のようではない。ダニエル・ハウスマン曰く、経済学は不正確な遊離科学だ。しかしほとんどの医者が何に時間を費やしているか考えてみてほしい。彼らは高度に不確かな環境で問題解決の仕事をしていて、限られたヒントみで先に進まなくてはならない。彼らは一部の問題に対する解決策を持っているが、そうした解決策が信頼できる度合いはさまざまである。

もしダニ・ロドリック著「Economics Rules」を読んだなら(まだなら読むべきだし、私からこの本を借りていったひとは返却するように!)経済学者が大量の異なったモデルを扱っているし、多くの経済学者は問われている問題にどのモデルが最も適切かを探し当てることに時間を費やしているということがわかるだろう。医者は基礎科学として生物学を使って仕事をするが、それが適切かどうかヒストリカルな相関にも頼る。前世紀半ばの肺癌の増加という問題を今解くとしたらどうやるかを考えてみるといいだろう。

経済学の基礎科学はミクロ経済学理論で、現在は行動経済学によって向上している。経済学者が使っているモデルのほとんどはこの理論から来ている。しかしロドリックが強調するように、問われている問題にどのモデルが適切か知るのがコツである。それには、経済学者も医者のようにデータが必要だ。今の論文は理論的結果を構築するよりもデータを精査することのほうが多いと多くの人は認めるだろう。経済学者は経済学の研究で医学の専門用語を最近使うようになった、例えば処置効果などだ。医学も経済学も比較対象試験を実施する(経済学においては主に開発経済学でだ)。

時にはふたつの分野が交差することがある(もちろん医療経済学では経済学と医学が常に関連しあっている)。近年でもっとも大きな実証的に得られた知見ひとつは、アメリカの白人の死亡率を扱ったケースとディートンの研究だろう。彼らが2015年に研究した主要なデータはこれだ。

死亡率はほとんどの地域で着実に減少している。しかし2000年以降のアメリカの白人にはあてはまらない。アメリカだけに注目してみると、大学教育を受けていない白人が主に問題のようだ(グラフの出典はこちら)。

 

こと人種や階級が関わってくると米国では何でも問題視されがちだが、この研究もそうなってしまった。しかし、このデータは現実のものだとノア・スミスの素晴らしい分析は示している。

ケースとディートンは新たな研究をして、なぜこのようなことが起こっているのか謎解こうとした。そしてこれを「絶望死」の証拠として説明している。自殺、薬物中毒およびアルコール中毒に起因する死亡率は各年齢層で着実に増えている。その良いデータはここだ。著者たちが「絶望」という言葉で表しているものは、アメリカ白人労働者層の経済状況と地位の低下である。

著者たちによるとこの絶望死を加速させた一要因は、短期的な鎮痛剤として用いられるが長期的には悪い結果をもたらすオピオイド薬物の過剰処方である。過去20年間におけるアメリカの薬物の取扱い方針は、一部のひとびとに以下のように言わしめた。
アメリカ史上、最悪の薬物流行である。毎年アメリカは老若男女すべての国民を一ヶ月間オピオイド薬物漬けにできるくらいの量を処方している。
そしてこう続く。
自らの実証主義を誇りとする医学がこのような間違いを起こすとは、とても信じられない。

もちろん個々の医者が間違いを起こすことはよくあるが、医学界全体として重大な問題を起こすこともある。これはもちろん個人や巨大組織(医薬品会社)からの圧力にもよる。これもまた経済学と似ている。

次のグラフを見てみよう。アラン・テイラー著の「The Great Leveraging」(NBER WP 18290)からのものだ。

青線は高収入国が金融危機に直面した割合を各年で表したものだ。危機は第二次世界大戦までは局地的なものだった。その後20年以上の間、金融危機なんて過去のものであるかのように思われた。1980年代に入って危機は戻ってくるが、高収入国にはあまり大きなインパクトはなかった。そこに日本の失われた10年が起き、それが如何に日本特有の問題かという論文が随分たくさん書かれた。2000年代は静かだったので「大平穏期(the Great Moderation)」と呼ぶ者までいた、世界的な金融危機が訪れるまでは。

このグラフを見て、自らの実証主義を誇りとする経済学が、今度はことが違うなんて考えるような間違いを起こしたなんてとても信じられない。しかし経済学は医学と同じように、小さな間違いも大きな間違いも起こす。私がここで指摘したいのは、これら間違いに対して専門分野外からの反応の性質の違いである。誰も医学が我々を失望させたとか、我々は生の声を見つける必要があるなんて言わない。誰も主流派医学が危機にあるとか、我々は別の選択を見てみる必要があるなんてことも言わない

誰もそう言わないのは、それがあまりにもばかばかしいからだ。オピオイド薬物の流行については何かがとても悪い方向へ行ってしまっていてそれを正す必要がある、経済学も金融危機も同じことだ。それならなぜ学術的経済学のことになるとそう過剰反応するのだろうか。ひとつの理由は、医者はひとがどれくらい生きるかなんて普通は聞かれないし、例え聞かれたとしてもその予想がほぼ毎日のようにメディアで報道されるなんてことはないからだ。ほとんどの経済学者は医者と同等にその類の無条件の予想正直に行うが、ことが悪い方向へ行くとショックを見せたり驚いたりするのがメディアにとっては都合がいい。他の理由としては、普通のひとびとにとって医者とは彼ら自身や彼らの家族、友人にいつも良いことをしてくれるのを目にすことができるが、経済学者の仕事は彼らにとってそれほど直接的にかかわりがあるようには感じられないから。直感的に医者は経済学者より優れていると思われているということも考えられる、いったいどのようにそれを測ることができるのか私にはわからないが。このふたつの要素は、医療が業界内でおおむね監視されている(医者が医療行為を行うことを禁止することができる)のに対し、経済学がそうされていないのは何故かの説明にもなっているだろう。

もうひとつの大きな違いは、政治だ。経済学者は右派左派双方にあまり良くないニュースを届けることがあるので、どちらの政治勢力もそんな悪いニュースを持ってくるような経済学を時折批難するのは都合がよい。右派がブレグジットの話題でこれを散々やったのを我々はよく見た。右派よりも左派に多いが、主流派経済学はイデオロギーで崩壊したと批難する非主流派経済学者もいる。なぜ多くの左派が主流派経済学を攻撃することを選ぶのか、主流派経済学を使って右派を攻撃するという手段を選ばないのか、私にはわからないが。私がわかることは、彼らがそれをもう40年以上やっているということだ。私が覚えている限りでは、私がケンブリッジにいた1970年代初頭には既に主流派経済学には致命的な欠陥があると多くの経済学者が言っていたことだ。これはサッチャーやレーガンよりも前ということになる。

だが、こうした違いで経済学と医学の類似性を見失ってはならない。経済学も医学もひとを扱う。ひとの心と身体は個人であろうと社会であろうととても複雑だ。ある部分では我々の介入が成功するようなかなり詳細な数量的理解の発展があった(私見ではここは他の社会科学分野よりも経済学は成功している)。他の部分では、ほとんどの場合は成功するが時々失敗する仕事をしている。そして、正直に言えば、いったい何が起こっているのかさっぱりわからない重要な部分もたくさんある。我々経済学者は間違いを起こす。それで大勢のひとびとに多大な負担をかけることも時折起こる。しかし我々はその間違いからも学んでいくのだ。

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