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サイモン・レン=ルイス「政府負債は将来世代の負担か?もしくは最後の世代のパラドックス」(2011年12月30日)

Is government debt a burden for future generations? or the paradox of the last generation.mainly macro, December 30, 2011)
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クルーグマンが「負債は(ほぼ)我々が自分自身に負うカネだ」と題された良いエントリーを書いている。その論点は、学生がマクロ経済学がミクロ経済学とどう異なるか理解するのを助けるために私もしょっちゅう使っているものだ。政府は負債の金利を支払うために増税しなければならないので、政府負債は納税者の「負担」であるように見える。しかし当の納税者が貸し手であるならば金利を受け取るわけで収支は全く悪化しない。さて、この考え方はもっと拡張することができるだろう。政府が(必要と思われているより)余分に借り越す分について、それが将来世代の負担になると考えるのは確かに筋が通る。

議論に踏み込む前に二つのファクター、非常に重要だがここでは無視するファクターについて述べておくべきだろう。第一に、増税はインセンティブを歪めるため、そのコストがかかると言える。第二に、政府負債は資本を創出する他の貯蓄ツールと置き換えることができるので、投資や資本蓄積を減らし、さらに産出も減らす面がある。以上のこの二点についてはもっと論じるべきことがあるが、それは別の機会に譲る。ここではトータルの収支に焦点を当てたいので上記二点は考えない。

次のような明白なパラドックスを考える。一時的な減税によっていくぶん負債が増えたとする。この減税された世代を「減税世代」と呼ぼう。また、この負債は「永続的」なものとする。決して返済されることはなく、また貸し手は金利を受け取り続ける。この債権は国内に売られるものとする。当然、減税された人の収支は改善する。ここで上に書いたように、将来世代の単純収支は悪化しない。つまり、全体としては税金は取られるが、金利で返ってくる。フリーランチを得ているように見える。減税世代は恩恵を受け、将来世代は損をしない。
(ここはミスがある。下のニック・ロウのコメントと私の返答をみよ。どういうミスなのかは別のエントリにて。ここの議論への影響はない。)

このパラドックスの原因は何だろう。では、この負債が永遠ではなく千年後に返済しなければならないものだとしてみよう。その時政府は増税して負債を返す。千年後に税金を払うこの世代はずいぶん損をする。この世代の収支は減税世代の恩恵と同じだけ悪化する。この場合パラドックスは消えている。返済しなければならない最後の世代が存在しない場合にパラドックスが現れる。

賦課方式の社会保障スキーム(未積立て)にも同パラドックスが現れる。政府が年金制度を創設するとする。働いている世代が拠出したお金を使って年金を支払われるというものだ。この制度を導入する際にちょうど引退の時期に当たった人の収支はとても良くなる。「タダで」年金を受け取れる。引退の時に受け取る年金を支払った人も基本的に損はしない(基本的に、と書くのはこの「強制貯蓄」からのリターンがどのくらいかの心配もするべきだからだが、この議論では戻ってくるということ自体が重要だ)。ここでもまたフリーランチを得ることになるが、それはこの年金制度に終わりがないということが前提だ。終わりがあるならば、最後の世代が積立を支払ったのに年金が受け取れないということになる。彼らの損失は導入の時に引退した人々が得た恩恵に相当する。

このように、必ずしも政府負債が将来世代の負担であるとは限らない。決して返済されないとしたら。ただし、これは現実的で賢明な想定ではない。私の考えでは意味を持つのは次の場合だ。長期の負債計画を持つ政府は、目標値を超えた分の負債はどこかで返済しなければならないとする。もしそうなら、いま負債増加はそれを返済する将来諸世代の負担になる(政府はゆっくり負債を目標水準に戻すので)。

緊縮でなく財政出動を推進する我々は、これによって今考えを改める必要があるのだろうか。ノー。トータルで見て、便益がコストを上回り続けているだろう? 1930年代の大恐慌を避けるためだった拡張的財政が今の税を少し高くしているからといって、やらないほうがよかったという議論を本当にしたいだろうか? そんなわけはないだろう。

(以下、コメント欄から訳者抜粋)

Nick Rowe 14 January 2012 at 21:26

サイモンへ。もし自分が誤解していなければ、少しおかしい。
標準的な世代交代モデルで、永続的な負債とすると、その金利を支払うための税を課される世代はすべて収支悪化となる。生涯消費の現在価値という意味でも、生涯効用の意味でも。直感としては、有利子の場合、全員が消費を後ろに延期する形になるとし、得られる利子の方は代表的個人にとって(一括税として)得た瞬間に課税されて相殺となる。

しかしながら、永遠にその金利が成長率を下回るならば、その負債は増税することなく永遠にロールオーバーすることができる。将来世代の負担がゼロになるのはその場合だけだ。サミュエルソン58。

一時点で捉えるとこの負担を見逃してしまう。そうではなく、各世代の生涯消費(または生涯効用)の現在価値で見る必要がある。

僭越ながら、クルーグマンはこの見逃しをしている。

君はこれについての私のエントリを読んでくれただろうか。


Mainly Macro 15 January 2012 at 11:11

ニックへ。君が正しい。超過負債は返済すべきものであるがゆえに将来世代の負担になるという論点に注力したので、クルーグマンの展開した議論には無批判になってしまった。基本的な論点を混乱させないように、ここでは他の貯蓄ツールとの比較や、動学効率性、リカードの等価定理を避けたのだが、上で書いた返済されない負債の例はご指摘の通り、少しおかしい。(悔しいが、おそらくポールに対するブラッドの言い回しに気を取られてしまったせいで、知っていたはずのことを忘れてしまった。)
とは言え、これでエントリの基本的なメッセージが変わるとは思わない。これは税の歪みやクラウディングアウトと同種の問題で、超過負債が永遠であるべきと考えるのは間違いだ。だからもしそうだったら(それが負担であろうがなかろうが)何が起こるかについての議論は、政策的な関心と言うより、学術的な関心からの議論だ。


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