サミュエル・ボウルス『道徳情操と利害感情:経済的誘引は社会目的へと導くのか、壊すのか』(2016年5月26日)

Samuel Bowles, “Moral sentiments and material interests: When economic incentives crowd in social preferences,” 26 May 2016, VoxEu.

 

社会的な目標を達成するための経済的誘引――例えば公共財への寄付に対する経済的な助成――、それによってかえって高潔さや道徳に基づく動機が押し出されてしまう。こういった事例は多く見られる。この押し出し効果は「クラウド・アウト」と呼ばれる。では逆に、文明人としての美徳を促すように政策を作る、つまり「クラウド・イン」させることは可能なのだろうか。この記事では古代アテネを例に取り、近代の制度設計と公共政策に役立つ方策を探る。

 

リチャード・ティトマス(Richard Titmuss)の名著「The Gift Relationship: From Human Blood to Social Policy 」(Titmuss 1971)の要点を挙げると、高度な社会目標を達成するために経済的誘引を用いることは逆効果になりかねない、となる。彼によれば、罰金、補助金といった誘引は人に「取引感覚」を植え付け、それまでの行動規範となっていた文化的市民としての高潔さを損なうことになりかねない。

ケネス・アロー(Kenneth Arrow)とロバート・ソロー(Robert Solow)の両者が論評を寄せていることからも、この本がいかに関心を持たれていたかがうかがえる(Solow 1971, Arrow 1972)。とは言え、アローからすればそれは「実際には経験則」に過ぎず、納得できるものではなかった。しかし現在では誘引の有効性の研究はティトマスからはるかに進んでいる。

よく引き合いに出される例として、ハイファの保育所の話がある(Gneezy and Rustichini 2000)。そこでは子供の引き取りに遅れた親に罰金を課したところ、親の遅刻は倍になった。12週間後に罰金は廃止されたが、増えた遅刻は元には戻らなかった。

これは通常、「押し出し効果/クラウド・アウト」によって説明される。かつては子供の引取りに遅れ保育所に迷惑をかけるのは後ろめたい行為だった。それが罰金によって、お金で買うことのできることとなってしまったのだ。

経済的誘引政策に否定的な人にとっては、これはその象徴的な出来事となっている。しかもこれは例外ではない。過去20年間の経済学研究で研究所内及び実地において見られた、経済的誘引が押し出し効果を引き起こした例は40以上を数える(Bowles 2016, Bowles and Polania-Reyes 2012)。これをふまえるなら、経済的誘引への反対は十分理にかなっている。

押し出し効果を示す別の事例を挙げよう。ノルウェイでは入院期間に基準を設け、それを超えた場合、病院の経営者に課金をした。その結果は意図に反し、入院期間が延びることとなった。一方でイングランドでは別の方法による成功例がある。金銭的な誘引を使う代わりに病院経営者のプライドに訴えかけ、入院期間を大幅に減らすことに成功した(Holmas et al. 2010, Besley et al. 2009)。

ここで立ち返って考えてみたい。多くの場面で押し出し効果が見られるからといって、誘引策をそのまますべて否定するのは適当なのだろうか。それともまだそこには余地があるのだろうか。その答を探るべく、アリストテレス期のギリシャの例を挙げよう。そこには経済学、特に制度設計に関して学べることがある。それは押し出し効果とは反対に、社会規範への「押入れ効果/クラウド・イン」を可能とする施策だ。

紀元前325年、アテネの市民集会はギリシャのはるか西、アドリア海に植民地と海軍基地を設けるという壮大な事業の承認を行った(Christ 1990, Ober 2008)。この事業には膨大な数の人員と289隻の船を要したが、当時は国家に属する人員も船もなく、入植者、舟の漕ぎ手、航海士、兵士、さらにはこの航海に適した船を民間から調達せねばならなかった(騎兵隊を組織するため、馬を乗せられる船もまた必要とされた)。船の指揮官と支度人はアテネの富裕層から選任され、そして彼らは期日までにピレウス港に航海に適した船を用意せねばならなかった。

責務が不当に重いと感じた市民は対応請求をすることができた。他の、同様に裕福な市民を選び、その責務を代わりに引き受けてもらうか、私有財産を交換するかだ。責務の代行人として選んだ市民がそのどちらも拒んだときには、市民により選ばれた審査官が財産の大きさに基づき、負うべき責務の判断をした。

市民集会は「(ピレウス港に)最初に船を到着させた者には500ドラクマ、二番目の者には300ドラクマ、三番目の者には200ドラクマの冠をもって」その功績を褒め称え、また「評議会の布告人は…ダンゲリア(祭)において…冠を得た者の競争への情熱を市民に明示することを目的とし…その名を公示する」とした。当時の熟練職人の日給が1ドラクマ程度だったことを考えれば、その褒賞は相当のものだった。たとえ全責務にかかる費用はそれとは比べ物にならないほど莫大なものだったとしても。

褒賞による誘引の目的が誤解されないため、法令にはアドリア海海軍基地から得られる便益が記されていた。エトルリア海賊からの防衛に加え、「市民は未来の何時においても穀物の通商と輸送を得ることができるであろう」と。

そして、その名誉と褒賞に心を動かされない人に向けて警告が用意されていた。「法令の規定に従わぬものに対しては、執政に携わる者か独立した個人であるかにかかわらず、一万ドラクマの罰金を課す。」その代金は神聖なるアテナの下へ収容された。

アリストテレスが死んだのはアドリア海派遣の開始から三年後のことだ。彼はこう、書き記した。「議員は市民の信条に訴えかけるすべを知っている。…それこそが我々を成功へと導く」。これはアテネの市民集会が心に留めていたことを如実に示している。誘引と制約は市民としての品格を育成するために使い、決して道徳の欠如を埋め合わせるものとはしなかった。

要点をまとめる

  • 褒賞は名誉を称えるもの。収賄のように人を操作し誘導するためのものではない。
  • 市民集会は次のことを明示した。誘引は公的な目的の達成のため使われるものであり、特定の個人の利得のためではない。
  • 責務に対する異議申し立ての権利は計画に市民を参加させ、誘引から来る不公平を緩和する効果を持つ。

 

さて、アテネ市民がタイムマシンに乗ってハイファまでやって来たなら、問題にどう提言するだろう。ドアには張り紙が貼られている。

「保育所は子供の引き取りに遅れて来る親への対応として科料の導入に踏み切りました。(この決定にはイスラエル民間保育所管理局の許可も得ています。)来週の日曜日より、16:10以降に子供を迎えに来た親にはその都度10シェケル(この時点で約$3)を課すことといたします。」

それがアテネ市民の共感を得ることはないだろう。

アテネ流のやり方はこうだ。

「保護者評議会は時間通りにお子さんを迎えに来てくださる保護者の方々に感謝の意を表することといたしました。定刻までに来られる方々のおかげで、お子さんの不安を減少させ、職員が自分の家族の元へと遅れることなく戻ることを可能としております。一年間、一度も遅れることなく迎えに来られた保護者の方々には500シェケルの賞をもって、親と職員の懇親会において表彰することといたします。なお、この500シェケルは年間最優秀教師への褒賞として寄付することも可能です。」

付け加えるに、

「残念ながら、10分以上遅れられた方へは1000シェケルの科料を課すことといたします。科料の支払いもまた、懇親会で発表いたします。なお、科料は年間最優秀教師への褒賞へと充てさせていただきます。」

このアテネ流のやり方で押し出し効果を逆転させられるのだろうか。そう思われる。ここで更なる実例を見てみよう。

アイルランドで2002年から導入されたレジ袋税はハイファの保育所での罰金に似ている。両施策とも、その費用を少しだけ上げることによって行動を踏み止まらせようとしている(Rosenthal 2008)。しかしその結果は全く違った。制度の開始から二週間のうちにレジ袋の使用は94%も減ることとなった。この税の導入は前例とは違い、道義心を奮い起こさせたようだ。毛皮を身に着けることと同様、レジ袋の使用は社会道徳に反する、その考えを浸透させえた。

アイルランドとハイファ、その異なる結果から何を学ぶことができるだろう。ハイファの罰金とは違い、アイルランドのレジ袋税ではその道義的な目的をはっきりとさせた。導入の前に公衆参加型の審議を重ね、十分な広報活動をもってレジ袋の廃棄が環境を破壊する要因であることを認知させた。ハイファの罰金は「お金さえ支払えば遅れてもかまわない」と受け取られたのに対し、アイルランドで発したメッセージは「エメラルド島をごみから守れ」だった。

ジェレミー・ベンサムは『道徳及び立法の諸原理序説』(1789)において、懲罰は「道徳的教示」でなければならない、とした。レジ袋税は道徳的教示だったが、遅刻への罰金は違った。同様に、助成金や成果給付を使った誘引政策も賞金よりは賄賂となってしまう危険性を孕んでいる。それを防ぐためにはアテネ市民を範としなければならない。

利害感情と道徳情操、その両者は人の行動を左右する。そして個人的な利害と道徳感覚、それらは互いに補い合う(クラウド・イン)ことも、反発し合う(クラウド・アウト)こともある。ベンサムもアテネ市民もそのことをよく理解していた。

 

References

Arrow, K. J. (1972), “Gifts and Exchanges”, Philosophy and Public Affairs 1(4): 343-62.

Besley, T., G. Bevan and K. Burchardi (2009), “Accountability and Incentives: The Impacts of Different Regimes on Hospital Waiting Times in England and Wales“, LSE.

Bowles, S. (2016), The Moral Economy: Why Good Incentives Are No Substitute for Good Citizens, New Haven: Yale University Press.

Bowles, S. and S. Polania-Reyes (2012), “Economic Incentives and Social Preferences:  Substitutes or Complements?”, Journal of Economic Literature 50(2): 368-425.

Christ, M. (1990), “Liturgy Avoidance and Antidosis in Classical Athens“, Transactions of the American Philosophical Association 10: 147-69.

Gneezy, U. and A. Rustichini (2000), “Pay Enough or Don’t Pay at All”, Quarterly Journal of Economics 115(2): 791-810.

Holmas, T. H., E. Kjerstad, H. Luras and O. R. Straume (2010), “Does Monetary Punishment Crowd out Pro-Social Motivation? A Natural Experiment on Hospital Length of Stay”, Journal of Economic Behavior & Organization (in press).

Ober, J. (2008), Democracy and Knowledge: Innovation and Learning in Classical Athens, Princeton: Princeton University Press.

Rosenthal, E. (2008), “Motivated by a Tax, Irish Spurn Plastic Bags,” New York Times, 2 February.

Solow, R. (1971), “Blood and Thunder”, Yale Law Journal 80(8): 1696-711.

Titmuss, R. M. (1971), The Gift Relationship: From Human Blood to Social Policy, New York: Pantheon Books

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