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サミュエル・ボウルズ「マルクスと現代ミクロ経済学」

Samuel Bowles “Marx and modern microeconomicsVOX.EU, April 21, 2018

マルクスは経済学としては全くの失敗だったことに疑問をはさむ経済学者はほとんどおらず,これは大抵のところ彼の労働価値説に基づいた評価による。しかし本稿では,企業における資本と労働の権力関係に関するマルクスの描写が現代資本主義の理解と改善にとって不可欠な洞察であったことを論じる。実のところ,そうした洞察は労働市場や信用市場に関する標準的なプランシパル・エージェントモデルに組み込まれているのである。


来月1 は経済学者カール・マルクスの生誕 200周年記念となるが,過去を振り返れば,経済学者たちはマルクスに対して大した賞賛を与えてはこなかった。ジョン・メイナード・ケインズは資本論を「時代遅れの経済学教科書で,科学的に誤っているだけでなく,現代の世界に対する関係も適用も欠いている」(Keynes 1925)と評している。ポール・サミュエルソンによる評価も,「純粋な経済理論の観点からすれば,カール・マルクスは取るに足らないポスト・リカード主義者として見ることができる」というものであり,特にサミュエルソンがリカードについて「もっとも過大評価されている経済学者」(Samuelson 1962)としているだけに,ケインズと同様に厳しいものだった。

これらの評価は大抵のところ,マルクスの労働価値説は価格決定と分配の一般均衡モデルに対する先行的な,しかし非整合的で時代遅れな取り組みであるという現在の―そして私から見れば正しい―理解に基づいている。しかし,マルクスの業績にはもう一つ別の側面があり,それはここ数十年の理論的前進によって強く立証されている。すなわち,権力の行使は,理想化された完全に競争的な国家においてさえ,資本主義経済の機能にとって不可欠な側面であるという考えである。

自由主義社会における支配

マルクスは,労働者の搾取が利潤の必要条件であることを証明するのに労働価値説を用いた(Yoshihara 2017)。「搾取」という規範的な用語は,資本財の所有者であるところの金持ちが行動を指示し,従業員の選択を制限する支配システムから利潤が生まれるという主張によって正当化される(Vrousalis 2013)。この意味における支配は,資本家階層のために機能する独裁国家により,もしくは財市場における競争が制限されることによって可能となった市場権力の行使を通じて維持することができた。

しかしマルクスは更に困難な課題について研究することを選んだ。すなわち,自由主義国家によって運営される民間の完全に競争的な経済において,どのように資本による労働の支配が行われうるか,というものだ。これに対する彼の回答は,現代の雇用主・従業員関係に関する現代のプランシパル・エージェント的描写に著しく類似したものに基づいている。これは発揮される労働努力の量に関する,法的強制力のある契約によって解決することのできる利害対立に起因している。

マルクスは,雇用主は労働市場で労働者の時間を買うのであり,労働者による労働を買うのではないということを強調した。生産過程に対する従業員の努力の供給は,契約によってではなく,「誤用によらずしては(中略)いかなる類の交換とも全く呼ぶことのできない」「盗用」によってむしろ確保されるのである。

労働市場のこうした特有の側面を強調するため,マルクス(Marx 1867)は次のように指摘している。

賃金(略)の上昇は,(略)労働(ここでは努力の意)価格のいかなる変化も伴わないことがあり,労働価格の下落を伴うことすらある

労働者にとっての重要な帰結は,「自身がどれだけの支払いを受けているかに関わらず,」「支配と搾取」及び「卑劣極まりない憎むべき専制政体」なのである(ibid)。

自由な資本主義経済における支配に関するマルクスの説明の最後のステップは,蓄積の過程及び失業者からなる常設「予備軍」(ibid)を支える技術変化で,これが雇用主の労働規律戦略の基盤を提供する。生産手段の私的所有権は,企業の資産の使用から他者を排除する権利となり,したがって企業の所有者たちは,労働者に対して契約によっては確保することのできなかった努力を供給するよう誘導する強力な脅しを持っていることになる。懸命に働け,さもなくば「予備軍」に入れ,というわけだ。

生産のポリティクス

マルクスは,労働契約がなぜ不完全であるかについて説明しなかった。彼はそれが議論の余地のない経験的観測であると考え,それを自身の経済理論の出発点として使用した。この点マルクスは,強力な自然選択理論をそれを引き起こしたメカニズムに対する理解なしに展開したチャールズ・ダーウィンと似ている。遺伝は後にグレゴール・メンデルによって説明されることになる。

メンデルがダーウィンの実証を行ったのと同様,労働の不完全契約に関するより完全な理解は20世紀になって発展したが,マルクスの結論を覆すことはなかった。マルクスと同じように,ロナルド・コース(Ronald Coase 1937)も企業の契約関係においては権限の役割が中心的なものとなると強調した。

企業に雇用されるために生産要素が結ぶ契約の性質に着目する(略)。その生産要素は(略)一定の報酬によって企業家の指示に従うことに同意する。

実のところ,コースは企業をその政治的構造によって定義した。

ある労働者がY部門からX部門への移る場合,彼は価格の変化によって移動したのではなく,そうするよう命じられたからである(略)企業の際立つ特徴は価格メカニズムの抑圧なのである(ibid)。

ハーバート・サイモンは,企業に関する初のコーシアン・モデルを提示した(Simon 1951)。彼は雇用契約について,従業員が自身の労務に関する支配権を雇用主に対して賃金と引き換えに移転する取引として描いた。サイモンは,契約期間中に要求される労務について不確実性が避けざるを得ないことから,この協定おける雇用主側の優位を強調した。つまり,実行される行動を契約で完全に規定して合意するのには大きな費用を伴うのだ。サイモン自身は,自分がマルクスの経済理論の根幹である労働の不完全契約を正確にモデル化していることに気づいていなかった。

コースやサイモンは,なぜ支配権が権力を生むかについて直接的な説明はしなかった。経験的な事実として,企業内の一部の構成員は相手が従うことを期待しつつ日常的に命令を下し,ほかの構成員はそうした命令に従うことを強いられるという意味で,企業は政治制度に似ている。労働者がすべきことを決定する権利が管理職にはあるという場合,管理職には正当な権限があるということを意味するだけに過ぎず,確実に従わせるための権力があることをいみするわけではない。自由な社会では管理職が下せる罰の種類が限られており,従業員には辞める事由があることを踏まえれば,なぜ命令がたいていの場合順守されるという疑問が生まれる。

こうしたことから,アーメン・アルキアンとハロルド・デムセッツは雇用契約とほかの契約に何ら違いはないとし,企業がミニ「指令経済」であるというコース的な考えに異論を唱えた。

企業には(略)命令を下す権力や権威はなく,懲罰的処分行うこともできず,任意の2名の間の通常の市場契約と何ら些細な違いもない(略)。しからばスーパーの経営者とその従業員との関係と,スーパーの経営者とその顧客との関係に違いなどあるだろうか (Alchian and Demsetz 1972)。

オリバー・ハート(Oliver Hart (1989))は次のように答えた。

スーパーの経営者よりも従業員が雇用主の求めるものにより敏感に反応することが多いのは,雇用主が(略)従業員から彼が作業を行っている資産を剥奪し,その資産で作業を行う別の従業員を雇うことができるのに対し,顧客がスーパーの経営者から剥奪できるのは,その顧客が小規模である限りその顧客自身だけでしかないからであり,スーパーの経営者にとってほかの顧客を見つけるのはあまり難しくないだろう。

権力の行使

こうした説明には,競争的な経済の均衡において雇用主が従業員に対して権力―何らかのしっかり定義された意味での―を行使することができるという証明が必要になる。しかし,各主体が自身の意志に基づいて取引に関与するとともに,取引を行わないという自由も有する競争的な経済において,権力が行使されるというのは不可解なことだ。

以下の権力の行使の十分条件は,マルクス(Marx’s (1867))による職場における「専制」の描写の主要な特徴を捉えている。

BがAに対する権力を有するためには,BがAに対して懲罰を強いる,ないしは懲罰を強いると脅すことで,Bの利益を増進させるようAの行動に影響を与えられる一方で,AはBに対してそうした力を欠いていれば十分である。 (Bowles and Gintis 1992)

この定義は,雇用主とスーパーの経営者との違いに関するアルキアンとデムセッツに対するハートの返答を明確化している。資本財に対するアクセスを剥奪するという従業員に対する懲罰は深刻(専門的な言い方をすれば一次的)であるのに対し,顧客が離れるというスーパーの経営者に対する懲罰は無視できるレベルもしくはゼロ(二次的)だ。スーパーの経営者は(競争均衡においては)限界費用と外生的に与えられる価格を等しくする水準の売り上げを選択することによって利潤を最大化しているのであり,不満を持つ顧客がドアから出て行っても懲罰を強いることにはならない。売り上げのわずかな変動は利潤に対して二次的な効果を有するに過ぎないのだ。しかし,雇用者と従業員の関係ではそうはいかない。労働努力を契約によって強制できない市場における競争均衡は,非自発的失業という特徴を持つからだ(Bowles 1985, Gintis and Ishikawa 1987, Shapiro and Stiglitz 1985)。労働者の立場を終わらせる雇用主の脅しは,したがって労働者に一次的な費用を強いることになる。これが雇用主による権力の行使の根幹だ。

したがって,なぜ労働者に対する雇用主の権力が利潤を生み出すために必要なのか,それがどのように均衡失業によって維持されうるのかという2点を示すには,労働契約の不完全な性質が不可欠となる。マルクスは前者を理解していたが,後者を理解していなかったため,予備軍が長期においてどのように維持されるかについて動的な(そして完全には説得的でない)説明を用いたのだ。

マクロ経済学者か現代ミクロの先駆けか

マルクスは,プランシパル・エージェント関係という用語は当然ながら用いなかったものの,その研究のパイオニアだった。プランシパル・エージェントモデルは,例えば雇用主と従業員の間や貸し手と借り手の間における取引の標準的な記述など,資本主義経済やその他の経済における階級(こうした用語を経済学者は使わないが)間の関係を研究するためのミクロ経済的な基礎を形作っている。こうしたモデルは,賃金設定と生産性の循環パターンや,信用市場で借り手が直面する量的制約といった現在における日常的な経済問題の分析に不可欠となっている。この2つの問題は大きなミクロ経済的な重要性を持っているが,それと同時にマクロ経済学の重要な基礎でもある。

マルクスは現代ミクロ経済学を先取りした先駆者であり,現代ミクロ経済学は彼の重要なアイデアの一部の限界を明らかにすることで恩を返してきた。そうしたもののうちの一つとして,取引の一般システムの表明としての労働価値説(Morishima 1973, 1974)や,彼の「利潤率の傾向的低下理論」(Bowles 1981, Okishio 1961)が挙げられる。森嶋通夫(Michio Morishima (1974) )は,マルクスは彼の時代における未解決の理論問題を解決しなかったが,後世において数学的に解決される問題を予見したと指摘している。

現代公共経済学,機構設計,公共選択理論も,私有財産制と市場のない経済ガバナンスが実現可能な経済ガバナンス・システムとなりうるという,マルクス自身に由来するわけではないものの現代のマルクス主義者にとっては一般的な考えについて異論を唱える形で取り組んできている。

政治的問題と経済的問題

1972年,アバ・ラーナーは新古典派的パラダイムの限界の一つを明晰に特定した。ある契約は「政治的問題を経済的な問題に変換する。ある経済的な取引は解決された政治的問題である(略)。経済学は解決された政治的問題をその領域とすることで,社会科学の女王という称号を得てきたのである。」(Lerner 1972)

これを特徴とするかバグとするかは読者諸兄の見方によるだろう。この女王様の領域はあまり窮屈にはなっていないようだ。それは,労働契約の不完全な性質や,あるいは雇用主による労働者に対する権力の行使といった未解決の「政治的問題」が幻想であるとみなす理由を新古典派パラダイムが与えたからだ。ジョセフ・シュンペーターは「支持を出す労働者と指示を受ける労働者を区別するものは一見非常に基礎的であるように見える」と書いた。しかし,実際のところそうした違いは「何ら重要な経済的な区分をもたらさない(略)前者の行動は後者のそれと同じルールに従っている(略)そしてこのような規則性を確立することが(略)経済理論の基盤となる使命なのである。」と主張したのである(Schumpeter 1934)。

なぜシュンペーターがこの点をそれほどまで特別に重要となると考えたのだろうか。それはマルクスの言う職場における専制が真であれば,経済民主化に反対する自由主義的主張―民主化するものなど何もない」が偽となるからだ。

編集注:本稿は,吉原直毅編集の経済セミナー特別号に日本語で掲載される予定の,同名のより広範な論考に基づいている。

参考文献
●Alchian, A A and H Demsetz (1972), “Production, Information Costs, and Economic Organization”, American Economic Review 62(5): 777-95.
●Bowles, S (1981), “Technical Change and the Profit Rate: A Simple Proof of the Okishio Theorem”, Cambridge Journal of Economics 5(2): 183–186.
●Bowles, S (1985), “The Production Process in a Competitive Economy: Walrasian, Neo- Hobbesian, and Marxian Models”, American Economic Review 75(1): 16-36.
●Bowles, S and H Gintis (1992), “Power and Wealth in a Competitive Capitalist Economy”, Philosophy and Public Affairs 21(4): 324-53.
●Coase, R H (1937), “The Nature of the Firm”, Economica 4: 386-405.
●Gintis, H and T Ishikawa (1987), “Wages, Work Discipline, and Unemployment”, Journal of Japanese and International Economies 1: 195-228.
●Hart, O (1989), “An Economist’s Perspective on the Theory of the Firm”, Columbia Law Review 89(7): 1757-74.
●Keynes, J M (1925), “Soviet Russia.” Nation and Athenaeum, 17, 19 and 24 October.
●Lerner, A (1972), “The Economics and Politics of Consumer Sovereignty”, American Economic Review 62(2): 258-66.
●Mark, K (1867), Capital, Critique of Political Economy, Verlag von Otto Meisner.
●Marx, K (1939), Grundrisse: Foundations of the Critique of Political Economy, Marx-Engels Institute.
●Morishima, M (1973), Marx’s Economics: A Dual Theory of Value and Growth, Cambridge University Press.
●Morishima, M (1974), “Marx in Light of Modern Economic Theory”, Econometrica 4: 611-32.
●Okishio, N (1961), “Technical Changes and the Rate of Profit”, Kobe University Economic Review 7: 85-99.
●Samuelson, P (1962), “Economists and the History of Ideas”, American Economic Review 51(1): 1-18.
●Schumpeter, J (1934), The Theory of Economic Development: An Inquiry into Profits, Capital, Credit, Interest and the Business Cycle, Oxford University Press.
●Shapiro, C and J Stiglitz (1985), “Equilibrium Unemployment as a Worker Disciplining Device: A Reply”, American Economic Review 75(4): 892-93.
●Simon, H (1951), “A Formal Theory of the Employment Relation”, Econometrica 19(3): 293-305.
●Vrousalis, N (2013), “Exploitation, Vulnerability, and Social Domination”, Philosophy and Public Affairs 41: 131-57.
●Yoshihara, N (2017), “A Progress Report on Marxian Economic Theory and on Controversies in Exploitation Theory since Okishio, 1963”, Journal of Economic Surveys, forthcoming.

  1. 訳注;2018年5月5日 []

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