ジョン・コクラン「マクロ経済論議」

John Cochrane “Macro debates” (The Grumpy Economist, July 2, 2014)

(訳者補足:この記事に対しては、デヴィッド・グラスナーノア・スミスニック・ロウなどが反応している。後二者については別途時間が許せば訳す予定)


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以下はウォール・ストリート・ジャーナルに掲載された私の論説だ。下敷きとなっているのはニュー・ケインジアンの流動性の罠という論文なので、ニュー・ケインジアンモデルに関する主張についてもっと知りたい人はそちらを見てほしい。

ウォール・ストリート・ジャーナルはグラフをいらないと言ったのだが、グラフは要点をうまく説明してくれると思う。

というわけで以下が本文となる(いくつか削除した部分を戻したのと、タイポの修正を行った)。

一人当たりの産出量は、2008年の不況の際にトレンドよりも約10パーセント・ポイント下がった。それ以降の成長は1.5%を下回っており、トレンドとの格差はさらに広がっている。累計損失は幾兆ドルにのぼり、経済成長も損なわれている。さらに最新のGDP速報も、第一四半期はマイナス成長という再び失望させられるものとなっている。

経済成長の鈍化は、他のどの経済問題をも凌ぐ。力強い経済成長なしでは私たちの子供や孫は、私たちが私たちの親や祖父母と比較した場合に享受している健康や生活水準における大きな上昇を見ることはないだろう。医療、退職金、債務に対する私たちの政府の支払い能力には既に疑問符が付されているが、経済成長がなしではそれは消え去ることになる。経済成長なしでは多くの不幸が改善されない。経済成長なしではアメリカ軍の強さと私たちの海外に対する影響力は薄れてしまうに違いない。

ありとあらゆる有力な経済学者は鈍い経済成長を嘆いている。スタンフォード大学のロバート・ホールは、2007年以降の年を「アメリカにとって大恐慌以来では類のない規模のマクロ経済的災厄」と呼称している。私たちの現在の状況を述べるに当たり、ハーバード大学のラリー・サマーズ(オバマ大統領のアドバイザーの一人)やプリンストン大学のポール・クルーグマンは、ホール氏やスタンフォード大学のエド・ラジアとジョン・テイラー(この二人はジョージ・W・ブッシュ政権に参加した)、あるいはアリゾナ州立大学のエド・プレスコットと大きく似通っている。

マクロ経済学者の違いが先鋭化するのは、不況後の景気の低迷の原因とそれを治す可能性があるのはどの政策かということについてだ。それは大まかに言えば、景気の低迷は金融刺激や財政刺激によって解決できる「需要」不足なのか、あるいは刺激策では解決できない歯車の中の砂粒のような構造的なものなのかということだ。

「需要」側は当初、ニューケインジアンのマクロ経済学モデルを引合いに出していた。この見解によれば、経済には大きくマイナスの実質(つまりインフレ率をひいた)金利が必要になる。しかしインフレはたった2%であり、連邦準備制度は金利をゼロよりも下に引き下げることはできない。したがって現在のマイナス2%という実質金利は高すぎるものであって、人々を過剰貯蓄と過少支出へと促してしまう。

ニューケインジアン・モデルはまた、魅力的なまでの魔法のような政策予測を生み出した。政府調達は、たとえ課税によって賄われようと、そしてたとえ完全に無駄な物であろうとGDPを押し上げるのだ。ラリー・サマーズやバークレー校のブラッド・デロングは、政府支出がそれ自身を賄うに足るだけの税収を作りだすに十分なほど財政乗数を大きく設定している。ポール・クルーグマンは、「割れ窓の誤謬も誤謬でなくなる」なぜなら窓を張り直すことは「支出を刺激して雇用を引き上げることができる」と述べている。

(クルーグマンの引用部分は文量の関係で一部削除されたが、楽しげなものであるとともにモデルがどのように作用するかについて正確に述べているので以下にその全部を載せる。「経済学の通常の原理の多くは有効ではなくなり、」したがって世界は「めっちゃくちゃになっている。」「倹約は投資の減少をもたらす。賃金の切り下げは雇用を減少させ、(中略)「割れ窓の誤謬も誤謬でなくなる」なぜなら窓を張り直すことは「支出を刺激して雇用を引き上げることができる」)

しかしニューケインジアンモデルを厳密に見てみると、この診断と政策予測は脆弱なものに映る。どのように人々が振る舞うかについての基本的な前提次第で、このモデルによるGDP、雇用、インフレの予測を生み出す方法はたくさんある。財政乗数を規格外に大きなものにし、割れ窓の誤謬を甦らせるものもあれば、小さな財政乗数と費用のかかる割れ窓という標準的な政策予測を生み出すものもある。そして低インフレが続く現在の低迷を「需要」不足とするものは一つもない。(詳細はニューケインジアンの流動性の罠を参照。)

こうした問題は認識されており、ブラウン大学のガウティ・エガートソンやネイル・メフロトラをはじめとした研究者たちは今やこれらを解決するためにモデルをいじくるのに懸命になっている。良いことだ。将来において誰かが取り掛かる可能性のあるモデルは、数兆ドルの公的支出を行うようなものにはなりそうにない。

こうした問題に対する政策当局者らによる反応はそれとは異なり完全な撤退であり、それはニューケインジアンのモデル作りにおける見事な厳密性からだけでなく、経済学を科学的にするという試みからの全くの撤退だ。

デロング、サマーズ両氏や、ジョン・ホプキンス大学のローレンス・ボールはそうした思いをしっかりと捉えており、最近の論文において「適切な新思考は大部分古い思考、すなわち1930年代から1960年代にかけての従来型のケインジアンの考え方だ。」と記している。これはつまり、1960年代にケインジアン的な思考が定量化され、コンピューターに入力されてデータと照合されるようになる以前、そして1970年代にその照合に失敗し、他の経済学者たちが新しくより整合的なモデル(時間、人々、ミクロ経済学 [1]訳注;おそらく意図的なものと思われるが、原文でコクランはミmicroeconomicsではなく単にeconomicsと書いている。 をマクロ経済学に組み込んだモデル)を築き上げるよりも前ということだ。ポール・クルーグマンも彼らと同様に、「世界を方程式の霧を通じて見ている経済学者の世代」を激しく罵っている。

まあ彼らが正しいという可能性もある。社会科学が50年の間道を誤るということはありえる。私が思うにケインズ経済学はまさにそれをやった。しかし仮に経済学が哲学や文学のように短命のものならば(つまり否定された考えに立ち戻るのであれば。これは物理学では行われないことだ。)、科学的助言という装いをまとって数兆ドルもの公的支出を要求することなどできない。

気候変動に関する政策立案もまた数兆ドルの支出を欲しており、あるいは文学がそうであるかもしれないように、不完全で異論のある科学研究を引用している。彼らが1975年以降に発表された気象学の研究を否定し気象モデルを「方程式の霧」と嘆いたとしたら、そして彼らが1930年代のダストボール [2] … Continue reading から生まれたとある教祖による難解な著作、しかもその著作を彼らが解釈するところへと立ち戻ろうと言ったとしたら、それがどれほど説得力のないものになるか想像してみるといい。これがすなわち財政刺激を求める現在の議論だ。

別の見方では、「需要」不足が問題となっているのではもはやない。金融業界の観察者は今や「利益追求」と「資産バブル」を心配している。住宅価格は上昇している。インフレは安定している。連邦準備制度もあきらかに同意見だ。彼らはさらなる刺激ではなく資産買い入れ額の減少と出口について話しているのだから。極端なケインジアンですら5年間の低迷によって物理的及び人的資本が劣化するままになっていると記しており、これは「需要」によってすぐに覆せるものではない。にもかかわらず私たちは低速のギアにはまってしまっている。失業率は平常にもどりつつあるが、多くの人は仕事を探してすらいない。

それでは一体問題はどこにあるのだろうか。ジョン・テイラー、スタンフォード大学のニック・ブルーム、シカゴ・ブース大学のスティーブ・デーヴィスは、勘に頼った政策によってもたらされた不確実性のせいだと考えている。大統領の次の一筆や司法当局による魔女狩りによって全ての努力が水の泡にされてしまう可能性があるのであれば、誰が雇用や貸出、投資をしたいなどとおもうだろうか。エド・プレスコットは、歪みの大きな税や差し出がましい規制を強調している。シカゴ大学のカーシー・マリガンは、社会保障政策による意図せざるディスインセンティブを解析している。そしてその他色々。これらの問題が不況を引き起こした訳ではない。だがこれらは今や悪化しており、回復を妨げ成長を遅くしている。

こうした考え方は、唯一の原因は需要であって簡単な魔法の弾丸のような政策によって解決できるというものよりも大分セクシーさに欠ける。直す必要があると私たち全員が同意する事、すなわち税法、縁故主義的な規制を行う州、反競争的で反イノベーションな保護政策の寄せ集め、教育、移民、社会保障政策のディスインセンティブ等々を直すのには大きな労力が必要となる。政策用語を使えば、「刺激策」ではなく「構造改革」が必要となるのだ。

ただそれでも、政府はそれを忘れてしまったようではあるが鈍い成長は喫緊の課題であり、それは被らざるを得ないものではなく自傷行為によるものなのだとどちらの側もが強調していることは喜ばしい。

References

References
1 訳注;おそらく意図的なものと思われるが、原文でコクランはミmicroeconomicsではなく単にeconomicsと書いている。
2 訳注;1930年代にアメリカで度々発生し被害地域に壊滅的な影響を与えた大規模な砂嵐。当然ながらここでは「ダストボール=大恐慌」、「教祖=ケインズ」、「難解な著作=一般理論をはじめとするケインズの著作」になぞらえている。
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