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ジョン・コクラン 「三人のノーベル賞受賞講演とファイナンスのレトリック」

●John Cochrane, “Three Nobel Lectures, and the Rhetoric of Finance”(The Grumpy Economist, December 17, 2013)


本年のノーベル賞授賞式に出席できたことは、私にとって大きな喜びであり、名誉でもあった。授賞式はノーベル賞受賞講演から始まった。そしてそれは、極めて示唆に富むものであった。

シラー

私に最も大きな教訓を与えてくれたのは、ロバート・シラーの講演についての考察だったので、後ろから紹介する。あらかじめ言っておくと、シラーの講演には、当初はかなり否定的だったが、最終的には大きな教訓を学んだ。だから、シラーのファンはしばらく我慢してほしい。

私は、ボラティリティ・テストに関して経済学者の間にはコンセンサスがあると思っていた。シラー(を含む複数の学者)がボラティリティ・テストを導入したのに対し、ファーマ(を含む複数の学者)は1975年以降、あらゆる種類のリターンが長期的には予測可能であることを示した。すったもんだの末、キャンベルやシラーはもちろん、より幅広い著者の論文(私自身もいくつか論文を書いた)によって明らかになったのは、ボラティリティ・テストは、リターン予測回帰と数学的に厳密に同等であるということだった。期待リターン(真の尺度)は時間とともに大きく変動し、それによりボラティリティ・テストを完全に説明できる。

残る問題は、期待リターンの時間変動が、限界変形率や限界代替率を経由してマクロ経済量と連動しているのか、それとも、人々は確率を正しく認識しておらず、期待リターンの時間変動を知らないのか、ということだ。

複合仮説定理1というのがあって、資産評価式には、必ず確率と限界効用の両方が入力される。だから、価格だけをいくら眺めていても、この解釈の問題を解決することはできない。私たちには、モデルが必要だ。惜しい答えを出す経済モデル(習慣持続など)はあったが、これもまた却下された。行動ファイナンスの大きな課題は、不合理な期待と他のデータとを反証可能な方法で結びつける、つまり、後付けの結果論を超える、これと同じような「科学的な」モデルを作り出すことだ。

ボラティリティ・テストは、この筋書きの中でも、極めて重要なノーベル賞にふさわしい要素であった。ボラティリティ・テストは、期待リターンの時間変動と、そのリターンを理解するための未だ不完全な努力の経済的重要性を、t統計量やR2値ではできない方法によって示した。

そう。これが私がコンセンサスがあると思っていたことだ。私が驚いたのは、このコンセンサスを、シラーがどれほど完全に捨て去ったかということだ。

1時間12分のあたりで、シラーはこう切り出す。

バブルとは何でしょうか? ファーマ先生は、それを定義した人はいないと言いましたね。じゃあ私が定義しましょう。投機的なバブルとは、一時的な熱狂です。人はときに興奮します。興奮しすぎるんです。価格が上昇しだすと、みんながそれを話題にし、新聞もそれを記事にし、市場に参加する人がどんどん増えます。それがさらに価格を押し上げ、しばらく続きます。でもいつかはそれが終わり、バブルがはじけます。

これは「定義」じゃない。説明だ。理論だ。定義というのは、「バブル」を記述するデータのパターンを操作的に教えてくれるものだ。説明というのは、定義された現象を予測するための理論だ。

これはファーマの質問に何も答えていない。ファーマがシラーに聞いたのは、価格が「ファンダメンタルズ」を超えていることを、どうやって測るかということだ。「一時的な熱狂」が進行中であることを、どうやって測るかということだ。例えば、ファーマは過去のポッドキャストの中で、シラーが市場の負の期待リターンを予測する信頼性の高い方法を示すことができたなら、バブルを信じてもいい、と申し出たことがあった。

この歩み寄りの申し出すら、共通の言語で合意できるチャンスすら、シラーは露骨に拒否した。何が定義で何が説明かすらはっきりさせられないのが経済学者なら、経済学者にノーベル賞を与えるべきではない、と言った物理学者2たちは正しかったのかもしれない。私たちは、あと35年3たってもこのザマだろう。

シラーは次に、有名なボラティリティ・グラフの最新版を示し、実際の価格を、事後的な配当を一定の割引率で割り引いた値と比較した。(1:15:45)

2013年ノーベル経済学賞受賞講演シラーの部1この配当の線を、シラーは、「だれもが未来を知っていた場合の実際の市場」とか「真の値」とか呼んでいた。

(ちょっと脱線。ホントにそうか? 株価がリターンだけで決まりリスクがまったくないなら、世界は本当にうまくいくんだろうか? 「株式プレミアムの謎」4のある世界で、リスクがなかったらどうなるかを想像して欲しい。価格リスクがなくて、リスク・フリー・レートで配当を割り引くべきだとすると、現在の市場の重大な失敗は、株価配当率のボラティリティではなくて、その大きさじゃないのか? 株価配当率は今の何倍も高くなきゃいけないんじゃないか?)

効率的市場には一定のリターン予測可能性があることをあっさり認めた後で、シラーは、配当を金利および消費成長率で割り引いた値の対数グラフを示した。2013年ノーベル経済学賞受賞講演シラーの部3

この証拠に基づいて、シラーは結論付けた。私たちが「見ているのは、一時的な熱狂と流行の繰り返し」であるが、それは「理解しにくい」形で「経済に組み込まれている」。にもかかわらず、「市場のボラティリティは高すぎるし、人々はちょっと狂っていて、社会心理学的な要素がある」と結論できると。

いったいどうやったら、一つのモデル(期待リターンや冪型効用)の失敗から、あらゆるモデルの可能性を否定したり、「人々は、ちょっと狂っている」なんてことまで言ったりできるんだ?

さらに突っ込むと、複合仮説定理があるのに、どうしてまったくモデルのない意見の勝利を主張できるんだ?

さらに突っ込むと、これはもうさんざんやったことじゃん。こういう問題は全部、その後の論文が、何年も前に答えを出してる。それをシラーが知らないわけがないし、言及もしないってどういうことよ?

1時間23分あたりで、シラーはキャンベル=アマー分散分解について説明し、結論した。「株式市場の変動のうち、将来の配当に関する証拠によって説明できるのは、1/2ないし1/3にすぎません」。そしてさらにこう結論した。「したがって、市場にはほとんど、意味がないのです」。2013年ノーベル経済学賞受賞講演シラーの部4

これは本当に目から鱗だった。シラーのキャンベル=アマーのスライドには、こう書かれている。「(期待)超過リターンの変化は、(期待)配当更改5の変化の2~3倍」。彼の言葉で言えば、「市場にはほとんど、意味がないのです」。

これらを全部考え合わせると、目の玉が飛び出そうになる。シラーは、ボラティリティ・テストが期待リターンの時間変動と同等である、という20年も前の定理を基本的に否定しているのだ。私は、講義もビデオも入念に聞いた。でも、この定理を認めているところも、さっきのグラフを期待リターンの機械的な時間変動で説明できると認めているところも、見当たらない。ノーベル委員会が、長期的なリターンの予測可能性発見した学者として、ファーマの役割を無視してシラーを引き合いに出していることを考えると、なおさらびっくりする。例えば、ノーベル賞のポスターにはこう書かれている。

「ユージン・ファーマは、1960年代以降、株価の短期的な予測が極めて困難であることを証明した。…ファーマの結論が正しいとするなら、複数年にわたる予測はなおさら難しいはずではないのだろうか? ロバート・シラーが1980年代初頭に発見したところによれば、その答えはノーである。」

シラーは、確率と限界効用が常に同居するという複合仮説定理を否定しているので、どちらか一方で説明できるモデルが必要だ。またシラーは、定義を与えるという行為の本質的な意味すら否定している。

最後に、自分の考えのヒントになった心理学や社会学の概念を紹介して、シラーは講演を終えた。SHiller_6

シラーは経済学者に、心理学や社会学や他の分野のアイデアをもっと取り入れることを薦めている。「投機的バブルを理解するためには、経済学者は折衷的になる必要があると思います。…集団生物学とか…疫学とか、神経経済学とか…複雑な現象を理解するためには、あらゆる種類の専門知識を動員する必要があるのです。」

なるほど。「心理学者の話を聞く」か。いいアドバイスだ。経済学は、過去にもいくどとなく知的裁定取引の恩恵を受けてきた。でも、ノーベル賞は過去(普通ははるか昔)の成功に与えられるものであって、「これがあれば、いつか何かできるかもね」に与えられるものじゃない。

シラーは講義全体を通じて、「心理学者の話を聞く」ことが「バブル」を理解するための確かな一歩につながる、という具体例を、ただの一つも示していない。

(シラーの講演はこれだけじゃなくて、ケース6と組んで不動産価格指数を考案したときの革新的な研究の説明とか、他にもいろいろあった。不思議なことに、シラーは現在の先物価格が他の「バブル」をどのように予測しているかを示した。先物市場価格だけが「ファンダメンタルズ」を正しく予測しているっていうのか? 他の市場は違うのに? そしてシラーは、GDP先物などの他の市場も擁護し、このような市場にもバブルや一時的な熱狂はあるが、それでも役に立ちます、と言って説明を終えた。「私がやったのは、不完全な証拠を提示することでした…バブルについての結論は大幅に異なるかもしれませんが、金融市場の一般的な重要性についての結論はそれほど変わりません。」)

一息入れて、考え直してみよう。

しばらくすると、この評価は厳しすぎるし、説明としても不十分であることが私にもだんだんわかってきた。シラーは、頭がよくて気がつく人だ。定義と説明の違いを知らないとか、1970年のファーマの「効率性」や「複合仮説」の定義を読んでないとか、ボラティリティがリターンの予測可能性とまったく同じであることを理解してないとか、そんなわけはない。私は、クーン(「科学革命の構造」)やマクロスキー(「レトリカル・エコノミクス」)を思い出した。(読んでいない経済学者がいたら、今すぐ読むように。)

私は、シラーの目論見がいかに深遠かつ大胆であるかを悟った。シラーは、経済学者に「科学のフリをするのをやめろ」と言っているのだ。彼と同じように、文学的な文体を採用し、心理学からヒントを得て世界を観察し、後講釈的な散文を書くことを求めているのだ。シラーが「バブルの定義は一時的な熱狂だ」と言うとき、彼はこそこそと議論から逃げているわけじゃない。彼が言いたいのは言っている通りのことであり、他の経済学者にも自分と同じように考えたり書いたりすることを求めているのだ。バブルについて書いたり、心理学の知見を得たり、新聞を読んだりして、「ああ、今まさに『一時的な熱狂』が起こっているな」とシラーが思ったときがバブルなのであり、それがシラーにとってのバブルの定義なのだ。そして他の経済学者も、同じように考えたり書いたりするように薦めている。シラーにとってモデルとは、最終的には一己の人間の判断であって、客観的な機械のようなものではないのだ。私が「こんなの後付けの結果論だろ」などと文句を言ったら、シラーは「それが何か? 物理学のフリをするのなんてやめて、後付けの結果論を書けよ」と言うかもしれない。私が「これじゃルールもないし、『神はお怒りだ』と変わらないじゃないか」などと文句を言ったら、シラーは「違うよ。古代の神学じゃなくて心理学を読めよ。その用語で解釈を語らなければならない。それがルールだ」と言うかもしれない。シラーは、心理学的であろうが合理的であろうが、量的な予測を行うモデルを作ろうとすることを経済学者に求めていない。

シラーは、ファイナンスのやり方、語り方、書き方のすべてを根本的に変えたいと思っているのだ。新しいファイナンスのレトリックを定義したいと思っているのだ。シラーが、心理学や社会心理学を読め(つまり、物理学や経済学を読むな)と言っているのは、完全に言葉通りの意味なのだ。シラーは、反証可能なモデルを書くとか、予測をするとか、そういう罠には陥らないだろう(当たり前だ)。まるでギリシア語で話しているみたいだね。シラーのパーティーでは、みんなラテン語で話すのさ。

私は、本質的に聞く人でありまとめる人である。ボラティリティ・テストがファーマ=フレンチ回帰とどう同じであるかという論文も書いている。シラーは、聞くことにもまとめることにもまるで興味がない。シラーは、経済学の研究方法を、彼独自のやり方で、できるだけ純粋かつ単純なものとして再定義したいと思っている。

これぞ「科学革命」だ。これぞノーベル賞だ。ノーベル賞は、新しいことを始め、斬新な言語で書き、斬新な方法論で研究を行い、追従して同じ方法で研究し同じ言語で語ることを他の研究者にも納得させる、そういう人間に与えられるのだ。過去のあらゆる革命においても、成功するしないに関わらず、このような果てしない議論が行われてきた。そのような議論においては、ごく簡単な言葉(「効率性」、「定義」、「モデル」)の意味すら一致せず、会話も噛み合わない。突き抜けた事実や古典は常に、勝者によって後から書かれるものなのだ。シラーが望んでいるのは、その種の革命であり、経済学者の言うことを聞くのなんて、最後の最後でいいのだ。

なんと大胆な目論見ではないか。そしてシラーは、自分と同じように語り同じように書く人を、数多く集めてきた。私は今のところその中には入っていない。科学革命の試みが当たるのは十に一つだ。私は当たらない方に賭けている。私は今でも物理学者のように語りたいと思っているのだ。でも、シラーの目論見の大胆さや、お互いの話がすれ違って、何が定義を構成するかとか、定理とは何かとか、期待リターンと他のデータを結びつける量的に反証可能な行動モデルの欠如は問題かとか、そういう基本的な問題ですら一致しないように見える理由は、わかっているつもりだ。そしてなぜ、バブルの定義や「ファンダメンタルズ」の量的尺度を尋ねたり、歪んだ期待の数量モデルを求めて議論しようとしたりしても、埒が明かないのかってこともね。

ハンセン

このようなことを考えたとき、ラース・ハンセンの講演に対する見方も変わってきた。ハンセンは、ファーマとシラーの間にいるのではない。シラーとは正反対の極にいる。

ハンセンは、自分の現在の研究を中心に語り、ノーベル賞を受賞した研究についてはあまり語らないことを選んだ。これは、このような受賞講演ではうまい手だ。ハンセンが取り組んでいるのは「あいまいさ」だ。私たちは本当は何が正しいモデルなのかを知らないという事実をどう扱うか。そしてもっと興味深いのは、モデル内の人々が本当は何が正しいモデルなのかを知らない、というモデルをどう構築するかだ。ハンセンにとっては普通だが、これは極めて深遠なリサーチ・プログラムであって、経済学におけるリスクや情報の考え方を根本的に変える可能性がある。

あるところで、ハンセンは「ねじれた期待」7を使って記述したモデルについて説明している。そのスライドがこれだ。2013年ノーベル経済学賞受賞講演ハンセンの部1

最初の式の、\widetilde{S}は限界効用を表し、通常の定式化では消費のガンマ乗になる。Xは資産利得を表し、Qは価格になる。これは、ハンセンがEを「歪んだ」期待値8と見なそうとしていることを除けば、標準的な現在価値の定式化だ。一般的な定理に従えば、同じものを実際の期待および追加のM項に確率的割引係数を掛けたもので表現できる。それが一番下の式だ(そう。他の人はハンセンの\widetilde{S}のところでMを、QのところでPを使うよね)。これは本質的に、リスク中立的なバリュエーションのトリックであって、新しい「割引係数」Mを導入することにより、確率の「ねじれ」を表現することができる。

この式を見たら、私ならファーマとシラーの間に位置づけたくなっただろう。ファーマは、「効率性」を真の期待または合理的な期待Eに基づくものと考える。シラーは、非効率性を「一時的な熱狂」と考える。これは不合理に楽観的な期待や悲観的な期待を意味する。でもシラーは、このような不合理な期待をデータに結びつける方法を示してくれない。だから私なら、このM(ハンセンのモデルではデータと結びついている)は、シラーが見つけたと思っている不合理な歪んだ期待を、規則的かつ反証可能な方法で、系統的にモデルに取り入れたものだ、と言ったかもしれない。

でもハンセンはそうしなかった。実際、このようにハンセンは話を「合理的」な議論と「行動的」な議論の中間に位置づけている、と私が示唆したところで、ハンセン自身はもっと深いことを言っていて、合理的とか行動的とかいう議論自体を完全に葬り去りたい、というようなことを言っていた。35年もたってもたいして進歩していないのだから、ハンセンにも一理ある。

でもシラーのおかげで、ハンセンの目標もより深く理解できるようになった。ハンセンもシラー同様、ファイナンスの考え方ややり方に関する、純粋なレトリック、純粋な言語、純粋な方法論を提示しているのだ。シラーが自分の理論を、社会心理学のように、あるいは、ひょっとしたら文芸評論のように見せたかったのと同じように、ハンセンも自分の理論を物理学のように見せたかったのだ。経済学者は、モデルを形式的かつ念入りに記述する。そしてモデルをテストする。「合理的」であろうが「行動的」であろうが、いい加減に書かれたアイデアに時間を浪費したりしない。実証ファイナンスではありがちだが、「代わりの説明」に時間を浪費したりもしない。「経済的」「合理的」「心理学的」を問わずあらゆる種類のモデルに関して、実証研究が何か役に立つことを言える、なんてポーズもとらない。ハンセンの世界では、合理的か非合理的かという議論自体が、時間の無駄なのだ。モデルを見せろ。でなきゃ黙っとけ。このモデルについては、テストが教えてくれる。以上。最善の場合には、ハンセン=ジャガナサン境界のような要約統計量によって、「これが任意のモデルによって生み出される割引係数の必然的な挙動だ」とわかるが、それだけだ。

これもまた、ノーベル賞を獲る方法の一つなのだ。そして、ハンセンが集めた彼のスタイルで書くフォロワーの数を経験的に見れば、これもまた成功した言語の一つなのだ。

ファーマ

それでやっと、最初に講演したユージン・ファーマの番になる。ファーマは、効率的市場、長期的な予測可能性、および実証ファイナンスについて、率直に語った。この痩身で溌剌とした人物は、式や引用をいくつか書きとめて、1975年に長期的リターンの予測について書き始めたのがファーマであることを、世界に思い出させた。ファーマは明らかに行動ファイナンスのネタもいくつか用意していたはずだが、それを披露する時間はなかった。これについて書かれた紙のバージョンもきっと面白いだろう。

この記事のようなレトリカルな光を当てて見ても、ファーマはやっぱり華麗だ。ファーマもまた、実証ファイナンスのための言語・方法論を発明した。ファーマの言語や方法論は、一部のフォロワーを惹きつけたどころの話ではない。ファイナンス業界全体を支配してしまったのだ。あまりに全面的かつ徹底的に支配したので、そもそも彼の影響だったということを忘れてしまうほどだ。ファーマがファーマ=マクベス回帰を実行すれば、他の学者たちもファーマ=マクベス回帰を実行する。たとえGLSの方が効率的な可能性があったり、時系列の変化の方がインフォマティブな可能性があったりしてもだ。ファーマが株式を10個のポートフォリオに分類すれば、他の学者たちも株式を10個のポートフォリオに分類する。たとえ20個のポートフォリオや平滑化カーネルの方が意味のある場合でもだ。ファーマが月次リターンを使えば、他の学者も月次リターンを使う。ファーマが自分の理論を記述するのに美しい散文のパラグラフを書けば(批判ではなく、ただの比較優位だ)、他の学者たちもそうする。ファーマが「効率性」や「複合仮説」のような用語を定義すれば、他の学者たちもその定義を使う。ファーマが実証ファイナンスと実証経済学の違いを指摘すれば、おそらくそのときこそ、ファーマの言語の影響がどれほど強かったかがわかるだろう。9

  1. 訳注: 「Joint Hypothesis Theorem」の訳。ファーマの提唱した概念。 []
  2. 訳注: たぶん実際にそう言った物理学者がいたのだと思うが、訳者には特定できなかった。力不足ですいません。特定できても、訳自体はそれほど変わらないと思うが。 []
  3. 訳注: たぶんノーベル経済学賞が創立されてから2013年現在までの年数を指している。 []
  4. 訳注: 「Equity Premium Puzzle」の訳。 []
  5. 訳注: 「innovation」の訳。たぶん配当が年によって変わることを指しているのだと思うが、定訳が見当たらなかった。 []
  6. 訳注: カール・ケース(Karl E. Case)のこと。シラーと組んでS&Pケース・シラー住宅価格指数などを考案した。 []
  7. 訳注: 「twisted expectations」の訳。定訳が見当たらなかった。 []
  8. 訳注: 「distorted expectation」の訳。定訳が見当たらなかった。 []
  9. 訳注: この記事に言及したノア・スミスの記事の和訳はこちら。 []

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