タイラー・コーエン「成長の終焉論文ver.2.0」

Tyler Cowen “Robert Gordon’s sequel paper on the great stagnation“(Marginal Revolution, February 18, 2014)
(訳者補足;本エントリは、先に投稿したジョン・コクランによる論文紹介の1番目の論文に対するコーエンによるレビューなので、論文自体の要旨はそちらを参照。)


NBERに投稿した新論文で、ロバート・ゴードンは批判への応答や、アメリカの経済成長が鈍化してこの先長期間に渡って標準以下になることは決定づけられているという彼の主張の核心の概要を述べている。この既によく知られた議論を要約してもしょうがないから、いきなり本題に入ろう [1]訳注;この議論の概要について知りたい方は、外部サイトの拙訳で大変恐縮だがここここを参照

1.この論文には大きく賛成するところがある。少なくとも特にこの話題に関するこれまでの主流派の意見と比べた場合にはね。僕が気に入っている個所は、19世紀から始まる早い段階の進歩の波が、それよりも後の時代のより弱い技術革命の一部と比べてどれほど多くの面を持っていたかという議論のところだ。とはいっても、この論文はいくつかの重要なところで、筋の通った立論の基準を満たすには達していない。

2.一番大きな疑問は、アメリカがこの先の例えば40年間で、どれだけ多くのイノベーションを外国から得ることができるかという点だ。ゴードンはこれをきちんとは議論していない。論文のそれ以外の箇所では、多くの悲観的な要素(それらは根拠のある心配とは付け加えてもいい)を単に羅列した上で、この状況を上向かせるような他のものは何も考えられないと宣言している。たぶんそうしたことは自分の「p [2]訳注;確率、Probability 」を動かすに違いないだろうけど、ある人が自身で想像に失敗するということが、不可能性についての非常に確固とした結論を意味すべきではないよ [3]訳注;ゴードン自身が想像できないからって、そうしたことがあり得ないという結論にもっていくのはおかしいという意

3.26ページには次のような重要な一節がある。曰く「将来における全体経済生産性成長が1.3%という私の見通しには、過去40年間は1972年以前の80年間よりも実現可能な生産性成長についてより関連性の高いベンチマークであったことを示唆する展望以上のことは必要ない。」それはそうだけど、それについて過去120年間あるいは過去120000年間を見たらどうなるだろうね。全体としてのパターンは、ずっと停滞がある中で最終的に進歩の急成長が起きるというものだ。これは将来にそれに続く進歩の急成長があるということを何ら証明するものではないけれど、これまでのところ歴史は長期的な技術悲観論者の側には立っていない。短期の技術悲観論者の側には、少なくとも多少の間はあるかもしれない。2003年のゴードンはもっと賢明に書いていた。「しかし、過去におけるどの数十年間が予測に際して適切であるのか確かめるのは可能であるのだろうか(略)」

4.ゴードンは自動運転車とその潜在的な力に関する文献についてあまり多くは知っていないし、その上さらには彼が技術進歩についての問題全体について単なる苛立ちをもって取り組んでいるような印象を読者が持ってしまうほどにまで論理を飛躍させてしまっている。「この類の将来での進歩は最後の部分に落とし込んだ。というのもそれがもたらす便益は(車の発明と比べれば)非常に小さいからだ(以下略)」

5.生物科学における進展は二つの短いパラグラフで片づけられてしまっている。確かに、この点については僕自身もある程度悲観的な見方をしている。これらの進展は過剰なものを約束してしまったと思うし、依然としてみんなが思う以上に時間がかかるかもしれないとも思っている。それでも、ゴードンは何ら根拠を示していない。この短い部分の最初の一文がそれを完全に表している。「遺伝子関連の薬品における将来の進展は、すでに失望的なものであることが証明された。」これは過去と将来の時制を単に間違っている。

6.ゴードンは、ソフトウェア、自動化、ロボット技術とそれらの関連技術において既になされている進展をひどく過小評価している

7.成長鈍化という考えの現代への適用を最初に行った人たち、つまりマイケル・マンデルとピーター・ティエルの名前にゴードンは依然として触れていない。彼の論文の最初の一文は次の通りだ。「アメリカの経済成長に関する論争は、2012年の晩夏に発表された私の論文がその火付け役となった。」僕としては、おそらくは少しばかり不機嫌な感じを込めつつ、現在の議論は2011年1月に出版され広範囲で参照及びコメントされた、自著「大停滞」によって始まったと付け加えたいところだ。(そして余談にはなるけれど、この本はマンデルとティエルを引用するとともに彼らに献本もした。)もし当時僕がゴードンに対してより攻撃的な形で触れてなかったとすれば、それは僕が彼の2003年のエッセイ「Exploding Productivity Growth(爆発的な生産性成長)」を強く意識しすぎていたからだ。このエッセイの内容についてこれ以上説明する必要はないけれど、読みたい人はリンクを辿ってほしい。

ゴードンには、彼がこの10年間で考えをどのように変えたのか、そしてそれはなぜなのか、さらにはそれがもう少しばかり不可知論に歩を譲ることが妥当となった状況においては [4]訳注;将来における技術変化がより予想のつかないものとなった場合には 何を意味することになるのかについて、もうちょっと深く考えてもらいたいところだ。

追記:ケヴィン・ドラムに同意。マット・イグレシアスのコメントにもね。

References

References
1 訳注;この議論の概要について知りたい方は、外部サイトの拙訳で大変恐縮だがここここを参照
2 訳注;確率、Probability
3 訳注;ゴードン自身が想像できないからって、そうしたことがあり得ないという結論にもっていくのはおかしいという意
4 訳注;将来における技術変化がより予想のつかないものとなった場合には
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