タイラー・コーエン「2016年のノーベル経済学賞受賞者オリバー・ハートとベングト・ホルムストロム(1/2)」

●Tyler Cowen “Oliver Hart, Nobel Laureate” (Marginal Revolution, October 10, 2016)

(訳者注:本記事はハートについての紹介となります。共同受賞者であるホルムストロムについてはこちらをご参照ください。)


ハートの一番有名な論文は、1986年のグロスマンとの共著「所有権の費用と便益(The Costs and Benefits of Ownership.)」だ。これは同じくノーベル経済学賞を受賞したロナルド・コースとオリバー・ウィリアムソンの業績の拡張にあたる(一つの分野にノーベル賞多いなあ…)。

そもそもなぜある主体は別の主体の資産の残余コントロール権を買うのだろうか。ここに工場と石炭採掘会社が一社ずつあるとしよう。石炭は特定の取り扱い方をすれば工場での使用により適した形で用いることができるとしよう。工場が石炭採掘会社を買収すれば石炭の取り扱いについてのインセンティブは変わることになる、これがこのモデルの鍵となる知見だ。これはコースの定理の非常に重要な修正であると考えることができる。誰が資産を所有するかが重要なんだ。なぜなら、採掘会社が石炭を所有する場合、採掘会社は資産(石炭)の価値を事前に最大化するようなインセンティブを持つが、工場が石炭鉱山を所有する場合のインセンティブはこれとは異なるからだ [1] … Continue reading 。この論文の一部は、「ある資産の完全な所有権を持つ場合、その資産の価値の向上による利益について多くの配分を保有する」という交渉の定理によってなされている。すなわち、所有権は価値を最大化する能力が最も高い主体に移転することとなる。

これは、事後的に契約が可能であれば所有権の主体は問題とならないという事を示したコースの定理の抜本的な改善となっている。所有権の主体が問題とならないためには、ゲームの初期段階において価値向上のための投資が事前に契約可能であるというありえそうにない仮定も必要であることをこの論文は示した。

この論文を完全に理解するのは難しい。論文では所有権、支配、残余請求に関するあらゆる類の仮定が組み込まれており、それらの動きは一様じゃない。その後ハートは(その他の研究者と共同で)こうした仮定を取り除き、このプロセスについてより透明性の高いモデルを作り上げた。この論文は合併、垂直的統合のほか、企業所有権、契約、支配に関するその他の問題に関する出発点の一つ、というより「これこそが」出発点だというべきだろう。ベングト・ホルムストロムをはじめとする多くの人々がこの論文についての優れた評価を行っている。

グロスマンはどうなったかと読者諸兄は疑問に思うだろう。彼は情報に関する重要な論文を書いているし、ハートの主要な業績はグロスマンとの共著だから、僕としては彼の共同受賞も考えられたと思う。グロスマンの輝かしい側面としては、彼がヘッジファンドの運営によって数百億ドルも稼いでいるということが言える。

ハートは真の紳士できれいなイギリス英語を話す。同業者からもとても尊敬されている。彼のWikipediaのページはここ、彼のホームページはここ。彼は今ハーバートにいるけど、キャリアの中ではMITにも所属していた。彼の経歴はこちら。Google Scholarはここ。スウェーデン中銀による受賞者の説明文はこちら。動画による説明はここ

彼の論文で2番目によく知られているのは、1990年のジョン・ムーアとの共著「所有権と企業の性質(Property Rights and the Nature of the Firm)」だ。この論文の内容も所有権と権利の配分に関するモデルとたとえ話だが、前述のグロスマンとの共著論文にいくつか捻りを加えたものとなっている。鍵となる点は、重要でないエージェントには価値創造を阻害できる権力を与えないというものだ。論文では、金持ち、船長、コックの共同による船旅事業に関するストーリーが語られる [2]訳注:コーエンによる原文では、それぞれtycoon, boat owner, … Continue reading 。金持ちと船長は必要不可欠なため、二人のうちどちらかが船を所有するべきであり、船旅から得られる利益のほとんどを二人で分け合い、コックには彼の限界生産物に等しいだけ支払う。こうして価値創造が続く。他方、コックが船を所有する場合、彼は事業を阻害できる権力を持ち、利益は3者で分割しあうことになる。これは交渉問題の難化、取引費用の上昇を引き起こすほか、最も大きな投資を賄うだけの利益が得られない可能性が出てくることから、事業価値を減少させることがありうる。多くの価値を創造する主体が資産を所有すべき、というのがここでの中心的な主張だ。この論文は契約、所有権や、どのような類の事業の仕組みが特殊な資産への投資を引き起こすのかについて考えるためのもう一つ重要な文献であり、これもコースとウィリアムソンの業績のフォローアップとなっている。

ご存じない読者のために言っておくと、オリバー・ハートは基本的に彼の主要な研究分野における理論家だ。

グロスマンとハートによるもう一つの有名な論文は「企業買収の競売、フリーライダー問題、企業の理論(Takeover Bids, the Free Rider Problem, and the Theory of the Corporation.)」だ。アレックス [3]訳注:Marginal Revolutionを共同運営するアレックス・タバロック一番面白い論文の一つはこの論文の拡張だから、これについて彼が詳細を書いてくれるんじゃないだろうか。簡単に言えば、このモデルはなぜ多くの価値最大化的買収が実現しないのか、あるいはなぜ都市の1区画を買収して改修するのが難しいかを説明するのに役立つものだ。ある企業が現在一株当たり80ドルの価値があるとしよう。そしてある企業買収家はこの企業を一株100ドルにする良い案を持っており、株主であるあなたに一株90ドルでの買取りを提案する。あなたは株を売るだろうか。その答えは、他の株主がどうするかについてのあなたの考え次第だ。あなたは株を売らず、企業買収にただ乗りしようとするかもしれない。もしほかの株主が売るのであれば、あなたは90ドルの代わりに100ドルの価値の株を得ることになる。あるいは、あなたはなんだかんだで株を90ドルで売るが、ほかの人は誰も売らず等々。難しい問題だけれど、これは様々な種類の買収に関する制限について理解するために非常に重要なことだ。僕のセキュリティデバイスのせいでこの論文にリンクを張れないけれど、論文タイトルでググってほしい [4]訳注:ここで言及されている論文はここから読める。

ハートの1983年のグロスマンとの共著はプランシパル・エージェント問題をモデル化する高度に厳密な手法で、当時のブレークスルーとなった。この論文はEconometricaに掲載されたもので、多くの人々にとっては読むのがとても難しい。当時、経済学者はプランシパル・エージェント問題を参加制約の考えを用いてモデル化していた。つまり、それまでは、エージェントが取引に応じても損はしないという条件(参加制約)を満たしつつ、エージェントから努力を引き出すためには契約をどういじればいいかというかたちで問題設定がなされていたのだ。しかし、これでは自然に導かれる手近な単一の解がない場合には誤った結果がもたらされうることがマーリーズによって指摘された。グロスマンとハートはこれを数学的に凸計画問題として概念化し直した。理論家たちはこの論文を愛しており、この論文は発表された当時には多大な影響を及ぼした。

ハートとムーアによる不完備契約と再交渉に関する論文はここから読める。この論文は2年前にジャン・ティロールに与えられたノーベル賞と繋がっている。A)各主体が適切な関係特殊投資を行い、B)全期間を通じて再交渉される必要のないという2点を満たす契約を作るにはどうすればよいだろうか。ここでもまた、ハートの業績は企業活動の範囲内での価値最大化とそうした価値最大化においてありうる障害という考えにこだわりを置いている。

ところで、ハートはシュライファーとヴィシュニーとの共著で、なぜ民間部門が刑務所を所有・運営することは許可されるべきでないのかという論文も書いている。費用を削減するというインセンティブは強すぎるんだ!その一方で、彼らによれば、様々な点において質をケチるという民間部門と同じ利益インセンティブを政府は持たないため、政府による刑務所の所有のほうが最大化される価値が大きくなる。この論文は刑務所の民間所有に関する昨今の議論に対して大きな影響を与えていて、少なくとも連邦レベルにおいて民間所有は撤廃された。同じように大統領専用機であるエアフォースワンについても、設計製作は民間部門が行うことが望ましいけれど、これを民間が所有することが望ましいとはおそらく思わないだろう。この論文はその理由を理解するための枠組みを作り上げるのに貢献したものだ。

株主の合意に関するハートの1979年論文は、市場が不完全であり、かつ一部の企業の株が世の中の不都合な状態から身を守るための二次的な「保険」としての用途をなしている場合において、企業が利益最大化を行うことを株主全員が望むかという重要な理論的問題を提起している。例えば、小麦市場に全く保険がないとしよう。その場合、小麦生産企業の株が保険用途に用いられ、保険用途としては企業の価値は単純な利益最大化を行う企業のとは異なる形で小麦価格と連動することが望まれるということがありえる。この論文の結論では、企業の利益最大化は私たちが考えていたほどには単純ないし自明なものではないというものだ。

さて、今回ノーベル賞を受賞した二人の共著としては、「企業領域の理論(A Theory of Firm Scope)」がある。彼ら二人による契約理論の長文共同サーベイはこちら

おめでとうオリバー・ハート!

References

References
1 訳注:原論文によれば、「企業1(=コーエンの例で言う工場)による企業2(=コーエンの例で言う石炭採掘会社)の支配が企業2のマネージメントの生産性の低下以上に企業1のマネージメントの生産性を向上させる場合、企業1は企業2を買収する」
2 訳注:コーエンによる原文では、それぞれtycoon, boat owner, chefの共同事業となっているが、原論文の例話は船長とコックが重要な顧客に対してサービスを提供するというもの。
3 訳注:Marginal Revolutionを共同運営するアレックス・タバロック
4 訳注:ここで言及されている論文はここから読める。
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