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タイラー・コーエン 「スポーツの試合を録画して後で見ると物足りなさを感じるのはなぜ?」(2011年6月12日)

●Tyler Cowen, “Why is recorded, non-live sports so boring to watch?”(Marginal Revolution, June 12, 2011)


スポーツの試合を録画して後で見ると(スポーツの試合をテレビでリアルタイムで見る場合よりも)物足りなさを感じてしまうのはなぜなのだろうか? チャック・クロスターマン(Chuck Klosterman)がこちらの記事でその理由をいくつか列挙しているが、クロスターマンとしては以下に引用する(ベイズ的な推定に立脚する)説明が一押しのようだ。

2. 「(録画してあってこれから見るつもりの)この試合はもう既に終わっている。にもかかわらず、この試合に関する情報は私の耳に一切入ってきていない。とすれば、おそらくこの試合は何の変哲もない平凡な試合だったのだろう」

あまりも当たり前すぎてほとんど何も言っていないように聞こえるかもしれないが、私としては一番肝心なポイントを突いているように思える説明だ。「『ライブ』(生(なま))とは何か?」という究極の問題の背後にあるものとも関わってくる説明でもある。

・・・(中略)・・・スポーツの試合であれ何であれ、何かしらのイベントをリアルタイムで目撃する場合にはどんなことでも起き得る。もしかしたら誰かが命を落としてしまうかもしれないし、これまで一度も起きたことのない出来事が短い間に二度も繰り返されるかもしれない。これからの3秒の間に何が起こるかを前もって予測できる人は誰一人としていない。しかしながら、その3秒の間にびっくりするような物珍しい出来事が起きたとしたら、それから3分後くらいにはきっと私の耳にもその出来事に関する情報が届くことだろう。こちらから聞くまでもなくおそらくは何かの拍子に誰かからその出来事について漏れ聞くに違いないのだ。凡百のニュースであれば遮断することは可能だが、「大ニュース」から我が身を遠ざけておくことは不可能だ。「洞窟」に篭るだけでは不十分だ。というのも、外界から完全に遮断された洞窟(のような場所)なんてもうどこにもないからだ。今やどの洞窟にもWi-Fiが備え付けられているのだ。

みなさんはスポーツの試合をテレビでリアルタイムで見る時には一体何を楽しみにしているだろうか? 「ブラックスワン」(予想外の出来事)に遭遇するのを期待してたりするだろうか? クロスターマンの当該記事では上に引用した箇所だけではなく全編を通して興味深い議論が展開されている。情報を寄せてくれた匿名氏(本ブログの熱心な読者の一人)には感謝だ。


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