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ダイアン・コイル「主流派経済学カリキュラムの総点検を」

Diane Coyle “The mainstream economics curriculum needs an overhaul” (VOX, 4 May 2014)

今日の学部生は明日の政策決定者であり、学部の経済学カリキュラムには途方もない影響力がある。世界金融危機の前後における多大な政策の失敗は、したがってそれに再考を促している。本稿では、カリキュラムの改革の必要性についてある程度のコンセンサスは存在するものの、それがこの教科の基盤となる礎石を排除することを意味するのかどうかについては何ら合意がないことを論じる。しかしながら、この先5年ないし10年の学部コースはその性質をがらりと変えていることはほぼ間違いないだろう。


金融危機の遅れてやってきた影響のひとつは、経済学の教え方を変えようとする広範囲かつ一見増大しつつある欲求だ。チリとイギリスの声高なグループをはじめとして、このところ多くの国の学生たちが改革の要求を強めてきている。その最近の一例がマンチェスター大学の崩壊後の経済学結社による報告書だ(Post-Crash Economics Society 2014)。

ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのウェンディ―・カーリン教授は、新しいオープンソースの経済学入門コースの構築を行う国際研究者グループを率いている(新経済思想研究所による出資)。このコースは従来のそれと比べて次の点で異なる。

  • 動学、不安定性、制度、環境問題を強調し、
  • 新しい結果と実証的な証拠を統合する。

カリキュラム改革の問題は、最近の王立経済学会会議の特別セッションの議題ともなった。

論点のいくつかは、「経済学の使用とは何か」と題した2012年のVoxEU上の議論の寄稿者らによって俎上に挙げられた(Coyle 2012も参照のこと)。この議論では、経済学者に対する信頼性が危機に瀕しているという広く浸透した信念が述べられた。世界金融危機が提起した課題について、必修経済学コースが答えられない場合、経済学全体が深刻な信頼性の喪失を被ることになるだろう。

共通する改革テーマ

そうした議論の初期段階における共通テーマは、学生には次のようなことが必要であるというものだった。

  • 経済史と思想史により多く触れる
  • データの実践的扱い経験をより多くもつ
  • コミュニケーション技術をもっとよく学ぶ
  • 経済学研究における新たな発展についてある程度触れる

全体としてその主眼は、学部コースの標準となってしまっている経済学への狭量で還元的なアプローチを弱めようというものだった。こうした必要性については、研究者だけでなく経済学部卒業生の採用者も賛成していたのだ。

イギリスにおいては、あるワーキンググループがこうした指針を指針声明の中に盛り込んだ。その声明の結論では、学部コースはより多元的なものになるべきであり、次のことを盛り込むべきだとされている。

  • 既存のコース、特にマクロ経済学と結びつけることのできるある程度の経済史
  • 他の学問のアプローチの紹介
  • 行動経済学、制度派経済学、金融危機後の金融経済学の発展など、政策への応用性を秘めた学術経済学研究の最先端を場合によっては「かじる」こと
  • 経済学における手法上の議論についてある程度の認識
  • あらゆる理論的枠組みを証拠と突き合わせ、あらゆる断定に対してそれがいかなる情報源によるものであっても健全な猜疑心を持つよう促すこと

実際面でこれら一般原則はどんな意味を持つのか

これを比較的最小限度に抑えて解釈したとしても、多くの学部経済学プログラムに多大な量の変更がなされることとなる。多くの大学では、必須カリキュラムは紋切り型の流れになっている。これには次の二つの要素が相互に作用してる。(1)知識の専門的積み重ねに焦点を当てた学術研究、すなわち専門家である同僚を完全に対象とした貢献へのインセンティブ、(2)大学の財務上の圧力から来る、教育に係る負担と学生数の増大がそれだ。

学部生を教えている経済学者たちが多大な関心を抱いているものの、こうした様々な障害を乗り越えるために変化にはいくらかの時間がかかることとなる。

変化についての最大公約数的な合意は、おそらく次のようなものになるのだろう。

  • 経済史の要素を必須科目に再導入する
  • 研究の最先端の話題のいくつかを学部教育へと組み込む
  • 学際的な関心を促す
  • 学生がデータの扱いや上手なコミュニケーションといった重要な技術の教育を受けることを確実にする。

多くの経済学者は、研究の興味深い分野や「現実世界」の例を反映するようにカリキュラムを更新することの望ましさを断言している(例えばSeabright 2013を参照)。

問題が経済学の性質それ自身や、過去6年間がこの分野の主流に疑いを投げかけた度合いについてとなると不一致が増えてくる。先般イングランド銀行のチーフエコノミストに任命されたアンドリュー・ハルダンは「経済学の礎石のいくつかを見直す時期に来ている」(Post-Crash Economics Society 2014: 4.) と述べているし、改革を叫ぶ学生グループは何が必須コースや必須科目とされるべきかについて、過激な再解釈に間違いなく同意することだろう。

彼らの考えと主流派のそれには重なるところもある。例えば、上で引用したイギリスのワーキング・グループも経済学の多元化を強化することを推奨している。「異なるアプローチへの敵対は、世界を理解するための新しくより優れた方法を発見することを純粋に望む、生き生きとして自己批判作用のある学問とは対極に位置するものだ。」

しかしその後にはこう続く。「とはいうものの、学生を不必要に混乱させたり、あらゆる学派が平等な立ち位置にある、あるいは「なんでもあり」なんだという印象を学生に持たせるようにするべきではない。a)知的発展と分析技術の構築のための一貫した「主力」の枠組みを提供することと、b)不確実性や経済学の知見の限界、しっかりとした代替的見解とアプローチの存在に関して偏見のない形で紹介すること、この両者のバランスを取るべきである。」

カルフォルニア州立大学ロサンゼルス校のロジャー・ファーマーが最近のブログ記事で同じようなことを指摘している。「学生に対する僕のアドバイスはこんな感じだ。(中略)主流派にあるこうした考えを吸収する時間をとりなさい。超一流の主流派経済学者たちは、学部時代に権威に対して疑問を唱えた過激な学生たちだった。僕たちの経済学的知見を先に進ませる、意味のある変化をもたらしたいと思っているのであれば、絶対に取り組まなければならないのはそうした経済学者たちについてなんだよ。」

批判側の欠点

しかしながら呼びかけを行っている学生たちが、「新古典派的主流」について誤った広義の解釈を行っているとともに「多元主義」のを狭く解釈していることは明らかだ。例えば、崩壊後の経済学結社の最近の報告書は、自分たちの経済学部(報告書は不公正な形で「単一文化」と記述している)で受講可能なコースの範囲の認識を誤っているほか、報告書それ自身、経済学以外の社会科学やビジネススクールでたまたま教えられているコースの持つ経済学部生にとっての価値を退けており、狭量な精神のものとなっている。

報告書はまた、多元主義を異端派経済学の特定の見解と同一視するという過ちを犯しており、(異端のそれを含む)様々な代替的見方によって経済学的な問題を分析しようとする新進の意思を持っていない。

オックスフォード大学のサイモン・レンルイスは学生団体の衝動に共感を示しつつも、彼らの結論を「根本的に間違っている」として述べている。

「学問としての経済学は、それが客観的かつ政治的に中立な学問であり、したがって価値判断を行う際にもその要素を薄めようとすることに懸命になり過ぎてきたのは確かだと思う。もっと悪いことに、パレート最適の重要性のような価値観を強く伴う考えを価値中立的なもののように記述するといった、明らかに馬鹿げたことが行われることもあった。(中略)それでも、イデオロギーや政治から独立した、人間の振る舞いについての科学を構築することは可能なはずだという考えは高潔なものであり、部分的には達成されていることでもある。経済学は社会や政治の力と共に、それらと相互に作用しつつ機能するものであることを認識するという意味において、僕らにはより政治色のある経済が必要(そしてそれを得つつある)のかもしれないが、より党派色のある経済学が必要だとは思わない。」(Wren-Lewis 2014.)

実際、ここ20年程度で経済学の領域における「人間の振る舞いについての科学」は、応用ミクロ経済学に膨大な飛躍をもたらした。より多くのデータ、計量経済技術の進展、ランダム化制御試験や現地試験などの新たな手法、とりわけ心理学との学際的な研究、経済史の復活、都市経済学、これら全てが科学的進歩へと貢献した(これについての概説はCoyle 2007を参照)。この進歩は確実に「主流」であり、祝福されるべきことであって、これらをもっと教えるように学生たちは運動すべきだ。

終わりに

経済学におけるかなり最近の研究にこうした進展があるからこそ、最後に次のことを付け加えなければならない。実体的なカリキュラム改革が必要であるという普遍的な合意が、経済学研究者の間にあるということは決してない。それは彼ら研究者の見解、アンドリュー・ハルダンのそれとは対照的なものを反映しているからで、それはすなわち経済学の礎石はしっかりとしたままだということだ。

したがってこの議論には依然としてある程度の余地が残っており、それはこの学問の国際的性質を鑑みればなおさらだ。しかしながら学部の経済学コースがその性質を、この先5年ないし10年で大きく変えないという可能性は低い。

参考文献

●Coyle, Diane (2007), The Soulful Science, Princeton University Press.
●Coyle, Diane (2013), “Teaching Economics After the Crisis: Report from the Steering Group”, Royal Economic Society Newsletter, 161, April.
●Coyle, Diane (ed.) (2012b), What’s the Use of Economics? Teaching the Dismal Science after the Crisis, London Publishing Partnership, September.
●Farmer, Roger (2014), “Teaching Economics”, My Economic Window, 23 April.
●Post-Crash Economics Society (2014), “Economics, Education and Unlearning: Economics Education at the University of Manchester”, April.
●Seabright, Paul (2013), “Microeconomics for All”, Project Syndicate, 5 December.
●Wren-Lewis, Simon (2014), “When economics students rebel”, Mainly Macro, 24 April.


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