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ニック・ロウ 「アロー、シェリング、そしてFed」

●Nick Rowe, “Arrow, Schelling, and the Fed“(Worthwhile Canadian Initiative, September 1, 2010)


Fedは金融緩和に乗り出すことを望んでいるのだろうか? もしFedが金融緩和を望んでいるとすれば、なぜFedは実際に金融緩和に乗り出さないのだろうか?

以上の疑問に対しては2通りの回答(少なくとも、2つの単純な回答)が考えられる。

  1. Fedは金融緩和を望んでいない。
  2. Fedは金融緩和を望んではいるが、これ以上の金融緩和を実現できるとは考えていない。

以下、本エントリーではこれら2通りの回答とは別の回答-第3の回答-について考察してみようと思う(本エントリーはスコット・サムナー(Scott Sumner)の誘いに乗って書かれたものである;やや誇張気味であることは理解しているが、サムナーの立場は1番目の回答に近いだろうと思う)。

ケネス・アロー(Kenneth Arrow)は個々人の選好を集計することはできない(あるいは必ずしもできない)(訳注1)と述べたことで有名である。Fedの意思決定は、ある単独の個人によって下されているわけではない。この点、Fedとカナダ銀行-カナダ銀行の総裁は金融政策の最終的責任を負っている-とでは状況が異なっている。つまりは、Fedが何を「望んでいる」 かについて語ること(訳注2)はナンセンスであるかもしれないのである。

かつてトマス・シェリング(Thomas Schelling)はゼロという数字はマジックナンバーであると述べた。彼はまた、コーディネーション・ゲーム(coordination games)においてはマジックナンバーが重要な役割を果たすとも述べた。シェリングの議論によれば、コーディネーション・ゲームの均衡においては、各プレイヤーはマジックナンバー、つまりは「フォーカルポイント(焦点)」(”focal point”)を選択することになると考えられる。

FOMC(連邦公開市場委員会)で実施される投票の選択対象がFF金利の設定水準のみであれば、アローが提起した問題に頭を悩ます必要はないだろう。FOMCで投票に参加するメンバーは、一次元の選択空間上において単峰型の選好(single-peaked preference)を有することになるだろう。Fed内部のタカ派のメンバーはより高めのFF金利を望むだろうし、一方でハト派のメンバーはより低めのFF金利を望むことだろう。この場合、投票の結果として中位投票者(median voter)の選好に沿うFF金利の水準が選ばれることになると考えられる(集団の決定が中位投票者による決定と一致する現象は、CD Howe Instituteの金融政策評議会がカナダ中銀に対して望ましいオーバーナイト金利の設定水準を提案する際にも見られる現象である)。

政策選択のための投票の問題が一次元の選択空間上における選択の問題から離れるや、そう易々と投票メンバーの選好が単峰型であると想定することはできなくなるだろう。以下の3つの政策オプション-{何もしない/ 非伝統的な金融政策<タイプ1>を実施する/ 非伝統的な金融政策<タイプ2>を実施する}-からある1つの政策オプションを選ぶケースにおいては、3つの政策オプションに対する個々の投票メンバーの選好順序は個人ごとにいかようなものでもあり得るだろう。投票が単純多数決(訳注3)で行われる場合、FOMCの参加メンバー個々人の選好を集計した社会的選好は推移性(transitivity)を満たさないかもしれない。その場合、単純多数決投票の結果は、アジェンダ(議題)が設定される順序(訳注4)に依存することになるだろう。

Fedのアジェンダはどのように設定されているのだろうか? (ここで私は、ロバーツ・ルール(Roberts Rule)の意味で「アジェンダ」という言葉を使っており、気味の悪い陰謀論の意味で使っているわけではない点に留意してほしい)。

どうなんだろう? 正直いってよく知らない(Dunno)。私の個人的な体験に基づけば、大学での会議―あまりにも頻繁に開かれる会議―では、アジェンダは「公式の」手続きに則って設定されるのではなく、何らかのコーディネーション・ゲームを通じて設定される傾向にある。

ゼロという数字はコーディネーション・ゲーム一般におけるマジックナンバーである。また現状(status quo)も同様にマジカルな力(神秘的な力)を持っている(現状というのは「ゼロ」の別の言い方である。というのも、現状というのは変化ゼロ(ゼロの変化)を意味しているからである)。ゼロの(=現状維持の)非伝統的な金融政策<パート1>、ゼロの(=現状維持の)非伝統的な金融政策<パート2>、ゼロの(=現状維持の)FF金利(具体的な金利の水準は0.00%でも0.25%でも何でもいい)・・・。

大半の委員会(あるいは会議)はコンセンサスに達することを望むものであり、それがために委員会(会議)は(特にアジェンダを設定する文脈において)コーディネーション・ゲームの性格を有するようになる。そのような中で委員会が(マジカルナンバーである)ゼロから離れることは困難である。(ゼロから離れるためには)ゼロ以外の数字がフォーカルポイントとして突出するようにならなければならず、新たにフォーカルポイントが選び出されてはじめて各プレイヤーはその新たなフォーカルポイントに基づいて協調することが可能となるのである。

ゼロを望んでいるのが投票メンバーの少数派に過ぎない場合でも、必ずしもゼロから離れるために投票メンバーが結託することができるわけではない。数の上ではハト派がタカ派を上回っていたとしても、ゼロからの離脱を求めてハト派が協調し、多数派からなる結託形成に向けて新たなアジェンダを設定しようと試みても、そのことを可能とするようなマジカルな政策オプションは存在しないのである。何しろ「非伝統的な」金融政策はあまりにも数多くの異なる種類の政策オプションから成っているのである。これまでの歴史上ずっと政策手段として採用されてきたという事情もあって、FF金利だけが唯一マジカルな力を備えた(フォーカルポイントとなり得る)政策オプションなのである(このことは、「金融政策とはFF金利を操作することである」(”monetary policy IS the FFR” )とのアイデアを打ち壊し、このアイデアが我々の思考に及ぼしている束縛を解くべきさらなる理由を提供している)。

私はシェリングの議論については理解しているつもりである。アローの議論が理解できているかどうかというとちょっと自信はないが。また、Fedの内情については正直言って何も知らない状態だ。いずれにせよ、これら3つの話題を同時にまとめて関連づけながら論じるというのは難しいことである。確かに困難な作業ではあるものの、私よりもこれらの話題に通じている誰かが本エントリーに目をとめ、さらに議論を発展させてくれることを祈って、ここにこうして素描を試みた次第である。しかし、自分自身としてはこの素描は幾分か筋の通った議論であるのではないかと感じているところである。


【訳注】
(訳注1)選択肢が少なくとも3つ以上ある場合、個々人の選好を集計して社会的な選好を導き出す意志決定ルールのうち、ある合理的な諸条件をすべて満たすような意志決定ルールは存在しない
(訳注2)あたかも「Fed」が単一の意志を持った存在であるかのように考え、一体「Fed」の望みは何なのかと問うこと
(訳注3)任意に2つの選択肢(政策オプション)のペアを選び、個々のメンバーに2つの選択肢のうちから自分にとってより望ましい選択肢に投票してもらう。2つの選択肢のうちでより多くの投票数を得た選択肢がもう一方の選択肢に勝利。
(訳注4)3つの政策オプションのうちどのペアから順番に投票にかけられるか


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