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ノア・スミス「同質性にいざなうセイレーンの歌」(#5)

[Noah Smith, “The siren song of homogeneity,” Noahpinion, April 30, 2017]

〔数回にわけて掲載しています.前回はこちら

同質性はどれくらい人種の問題なんだろう?

だが,ここでひとひねりが加わる.それが次の論点につながる.日本人はみんな同じ人種なんだろうか? もしかしたらちがうかも.日本は2つの集団が混合して形成された.縄文人(異例なほど人口密度の高かった狩猟採集民)と弥生人(稲作民)の2つだ.この両者が遺伝的に交わっていることは,いまでも遺伝データにごくはっきりと見てとれる.そして,おそらくはこの結果として,日本人の特徴はかなり幅広い多様性が見てとれる.たとえば,この2人は日本人なんだけど――

japanese person 1

japanese person 2

この2人は同じ人種なんだろうか? 厳密には,同じだ.アメリカではどちらも「アジア人」だし,アジアでは2人とも「日本人」にくくられる.アメリカ文化でも日本文化でも,この男性2人にいかなる民族的なちがいを認めない.なるほど2人とも黒髪だし,肌の色調もそんなにちがわない.それでも,2人の身体的な外見はずいぶんちがう――日本に暮らす多くの人たちも,同様にずいぶんちがう.すると,ぼくらが考える人種の定義はちょっとばかり,なんというか…融通が利いてるのではないかと疑問が浮かぶ.

同質性が選択の問題だとしたら?

左翼系の界隈では,よくこんな話がされている――「人種は社会的構築物だ」 これって,いったいどういう意味にとれるだろう? 当然,身体的なちがいは現実だ.それに,こうした身体的なちがいがクラスタをなしているだろうというのも自明だ.なぜなら,人類史の大半にわたって――それにいまだって――いろんな地域にまたがって混交していた集団はごく限定されていたからだ.クラスター化アルゴリズムは,いろんな特徴のクラスタを選び出し,そして,お望みならそのクラスタを指して「人種」と呼んでいい.

でも,クラスター化アルゴリズムで選び出されるものと,みんなが「人種」と認識しているものは,同じなんだろうか? もちろん,ときには同じ場合もある.だけど,いつでも同じってわけじゃない.さっき見てもらった2枚の写真からわかるように,日本みたいにとてつもなく同質だと思われている場所ですら遺伝的なちがいは存在している一方で「そのちがいは別々の民族を表すものだ」と文化や社会が認識していないだけという場合がある.

もうひとつ重要な例が中国の「漢民族」だ.遺伝子に着目すると,漢民族は実のところかなり多様だ.「トルコ人」も同様.ぐぐってみると,トルコ人役者2人のこんな画像が見つかった:

turkish person 2

turkish person 1

わーお.この2人と見比べれば,さっきの日本人男性2人は双子みたいに見える.当然,この2人のご先祖をさかのぼっていけば大きく異なる地理的な場所にたどりつくけれど,それでもどういうわけか2人ともトルコ人ということになっている.イギリス人に赤毛の人たちや黒髪の人たちがいるのと同じように,また,日本人にも「ソース顔」と「しょうゆ顔」の人たちがいるのと同じように,トルコ人にも褐色の肌をした人たちもいれば明るい色の肌をした人たちもいる.現実世界では,外見のちがいはかならずしも人種のちがいに直結しない.

でも,いちばん面白い例は「白人」かもしれない.アメリカで「白人」と呼ばれる人種は,どうやらヨーロッパにはいないらしい.ちなみにヨーロッパでは民族性の定義には言語が考慮されている.もしかすると宗教も定義に関わっているかもしれない.肌の色のちがいは認識されているけれど,ヨーロッパの民族定義はたいていもっと細やかだ.だけど,アメリカではいっしょくたに「白人」になる.

それどころか,時がたつにつれて,「白人」に数えられる人はずいぶん変わっていくらしい.1751年に,ベンジャミン・フランクリンはヨーロッパ北部からの移民に反対してこんな論拠を持ち出していた――スウェーデン人,フランス人,ロシア人,ドイツ人は「白人」ではないというんだ:

これに関連して,ひとつ言い添えよう:世界人口に純粋な白人が占める割合は非常に小さい.アフリカ人はみな黒人か黄褐色人だ.アジア人は主に黄褐色色人からなる.アメリカは(開拓民をのぞいて)みな黄褐色色人だ.そしてヨーロッパでは,スペイン人,イタリア人,フランス人,ロシア人,スウェーデン人は総じてアメリカで言う浅黒肌に当たる.ドイツ人も同様であり,サクソン人だけが,イギリス人とあわせてこの地上に住む白人の主体をなしていると思われる.

2世紀半で,ずいぶんな様変わりですなぁ.それに,白人らしさの定義が拡張されたのは,なにも遠い過去の出来事にかぎらないらしい.20世紀にアメリカに移民してきたイタリア人・ユダヤ人・ポーランド人といった集団は,当初,「白人」だと考えられていなかった(法制度は別として).彼らは「白人系民族」(white ethnics) とされていた.いまやイタリア人が白人かどうか疑問視する人なんていないし,はじめからいままでずっと白かったのは事実だ.アシュケナージ系ユダヤ人が白人かどうかを問題にする人たちは,Twitter でぎゃんぎゃん騒いでるナチくらいしかいない(彼らにはアメリカ住まいもいるかもしれないし,そうでない人もいるかもしれない).

実際,これと同じことがすでにヒスパニック系でも起きつつあるかもしれない.白人を自認・自称するヒスパニック系はますます増えてきている.

「黒人」「アジア人」もまた同様の事例にあたる.アメリカでは,「黒人」はみんなひとつの大きな人種にくくられると想定されているし,「アジア人」も同様だ.でも,アフリカのフツ族とツチ族に向かってこう言ってみるといい――「きみらはどちらも,民族的に同質な同じ人たちだよね」.あるいは,韓国でバーに入っていって,カウンターにいる男たちにこう言ってやるといい――「きみらは日本人と同じ人種だよね」(忠告:すぐ逃げ出せる心構えをしておくこと).アメリカ人は存在すら認識されない民族的なちがいが,アメリカ以外の地域では大量虐殺の論拠になったりする.

「白人」も同じだ.ヒトラーのソビエト侵攻計画には,スラブ系住民の民族虐殺も含まれていた.その規模たるや,ホロコーストもただの予行演習にすぎなかったのがはっきりわかるくらいだ:

generalplan ost

さて,ここにあるのはまさに #whitegenocide(ハッシュタグ「白人ジェノサイド」)だ.ドイツは戦争に負けたけれど,民族虐殺計画は大いに進められて,2000万人をこえるロシア人が虐殺された.

さて,青い目をしたトルコ人たちは,じぶんのことを黒髪のトルコ人たちと同じ人種だと考えている.肌の青白いアメリカ人も浅黒いアメリカ人も,ともにじぶんのことを「白人」だと思っている.そこにドイツ人がやってきて,終末戦争を宣告する.同じ服装と髪型だったらじぶんたちと見分けをつけることもままならない集団を根絶しようとしだしたらどうだろう.

(なんとなく思い出した話:ドイツにいたときのこと,ドイツ人女性がぼくの方にやってきて,いきなり早口でドイツ語をしゃべりだしたことがある.こちらがアメリカ人だと知ると,彼女はびっくりしていた.「だって,すごくドイツ人っぽかったし!」)

まあ,こういう風に人種が社会的に定義されるって話をまるごと受け入れない人もいるだろう.「だって,突拍子もないたわごとじゃないか」って思うかもしれない.「遺伝的なちがいは実在する,おしまい.それでいいじゃないか.」 なるほどなるほど,でも,そうだとしても人種間結婚の力は認めざるをえない.

人種間の結婚は,おそらくここアメリカでの白人人種をうみだすのに必須の要因だったはずだ.近年の全米科学アカデミーの報告書「アメリカ社会への移民の統合」から引用しよう:

歴史を見れば,人種的民族的な少数派とアメリカ生まれの白人との婚姻は,前者が〔アメリカ社会に〕統合されているという最終的な証明であり「同化」のきざしだと考えられている(Gordon, 1964; Alba and Nee, 2003).人種・民族・宗教が異なる者どうしの婚姻率が高いとき(e.g., アイルランド系アメリカ人とアイルランド以外のヨーロッパ系アメリカ人の婚姻や,プロテスタントとカソリックの婚姻),集団のちがいは総じて衰微する.20世紀終盤までに最後の大量移民の波の子孫たちに起きたのがまさにそうだった(Alba and Nee, 2003).人種間・民族間・宗教観の婚姻は,民族的なるつぼをかきまわし,〔肌の〕色の区別をぼやかせる.

とてつもない数の人々がアイルランド・ドイツ・イギリスの先祖をもっているとき,この3つの民族範疇を社会で別々にしておくのはとてもむずかしい.同じことは,第二次世界大戦後にイタリア人とユダヤ人にも起きた.1960年代前半に,イタリア系アメリカ人の民族外婚姻率は40パーセントを超えていた.ユダヤ人の場合はもう少し時間がかかったものの,やがては同じ道筋をたどった――ユダヤ系の民族外婚姻率は,いまや58パーセントにのぼる.ユダヤ正教以外のユダヤ人だと71パーセントだ.

(疑問を抱いた人にお教えしよう.アメリカ生まれのヒスパニック系とアジア系アメリカ人のだいたい33パーセントが非ヒスパニック系白人と結婚している.)

人種は根本において生物学的なものだと信じようと,いや社会学的なものだと信じようと,人種間の結婚は人種間の境界線を消していく.民族的な同質性が固定されたものではなく人々のなすことしだいで変化していくという最終的な証明がこれだ.

#6 に続く


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