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ビル・ミッチェル「貨幣乗数、及びその他の神話」(2009年4月21日)

Bill Mitchell, “Money multiplier and other myths“, Bill Mitchell – billy blog, April 21, 2009.

 

最近ニュースになっている量的緩和のような政策は、銀行システムの運用法や、非政府セクターと政府セクターの関係についての誤った思い込みに基づいている。主流派経済学の核の部分の1つであり、学生に対して早い教育段階で打ち込まれ、しばしば永久に学生にとって不利益に働く代物として、貨幣乗数(money multiplier)というコンセプトがある。それは、学生の記憶に永久にしつこく生き残り続ける(ないしそう見える)ので、極めて有害なコンセプトだ。また、貨幣乗数は、不換紙幣(fiat currency)&変動為替の現代金融経済における銀行の運用法の描写として、全く不正確である。それがなぜなのかを解説していこう!

 

教科書的には、貨幣乗数mはマネタリーベース(MB)(準備預金と発行通貨(currency at issue)の合計)の変化をマネーサプライ(M)の変化へと波及させるということになっている。学生たちは、彼らの学習レベルに合わせた様々な複雑さの代数学の計算をさせられてmを導出する。(学生たちは、典型的な経済学学位の過程で、このように無意味に何度も虐げられる) mは、最も簡単な形では、法定準備率の逆数で表現される。だから、もし中央銀行が民間銀行に対し、預金総額の10%を準備預金として保持しなければならないと指示したら、そのときの法定準備率は0.10であり、mは1/0.1=10となる。人々が銀行預金を一部現金で持とうとした場合は、求められる公式はもう少し複雑になる。しかし、そうした複雑化は話の大筋には影響しない。

マネーサプライを決定する公式はM=m×MBとなる。したがって、もし銀行が新たに1ドルの準備預金を得たら、マネーサプライは(乗数倍されて)増加して、10ドルに増えることになる。(法定準備率が0.10の場合) 貨幣乗数がどのように働くと主張されているかについては、以下に説明した。(預金総額の10%を準備預金として持つように銀行が要求された場合)

・ある人が銀行に100ドルを預ける。

・貨幣(money)を創造するために、銀行はそのうちの90ドルを顧客に貸し出す。

・その貨幣は支出され、受け取り手が自身の銀行にその90ドルを預金する。

・その銀行は、90ドルのうち0.9倍の81ドルを貸し出す。(法定準備率0.10を維持するため)

・融資がゼロになるほど小さくなるまで続く…

以下の表とグラフは、その一連のパターンが意味するところを示したものだ。説明不要だろう。このケースでは、私は20期だけを示した。実際、この例は、連続的な融資を示すグラフで見られる通り、94回の反復を説明できる。このとき、部分準備預金はどんどん小さくなり、最終的にはゼロになる。

貨幣乗数の概念は見ての通り極めてシンプルだ。しかし、シンプルであると同時に根本的に間違っているのである! 一連の説明は、銀行がまず最初に預金を得て、それを資金として貸出を行うということを含意している。一方、プルーデンシャル規制は少量の預金準備を要求する。こうして、部分法定準備制度のおかげで信用創造プロセスを膨張させることが出来るというわけだ。

ところが、そうした説明は現実世界とは似ても似つかない。それはスタイリッシュな教科書的なモデルだが、実際の運用とは程遠いのである。銀行の実際の運用法は、資金を貸して儲けを生むことができ、信用力のある顧客の獲得を追求するというものである。何が信用力を決めるかは景気循環に左右され、好景気においては、銀行はマーケットシェアを追求するので、貸出基準はより緩くなる。

こうした貸出は、銀行の準備預金保有額からは独立に行われる。中央銀行による商業銀行準備の要求により、商業銀行は要求された準備を適切な会計期間に確保するよう資金を調達しようとするだろう。商業銀行は、銀行間市場でお互いに資金を借りることが出来るが、システム全体で準備預金が不足していれば、そうした”水平”取引では要求された準備預金を追加調達できない。このようなケースでは、銀行は保有する債券を中央銀行に売ったり、”割引窓口”(discount window)と呼ばれる機構を通じて資金を借入したりする。この財源の利用には基本的にはペナルティがある。

個別の銀行のレベルでは、もちろん”準備預金の価格(訳注:準備預金の借入金利)”は信用部門の資金貸出の判断に影響力を持つだろう。しかし、準備預金保有額それ自体は無関係である。貸出による収益と、割引窓口を通じて中央銀行から資金借入する際の金利の差が十分に大きければ、銀行は融資を行うだろう。

したがって、「銀行がバランスシートを拡大するためには超過準備の引き上げを通じて準備預金を”調達”することががまず必要である」という考えは不適当だ。銀行のバランスシート拡大能力は、保有する準備預金の量にも、法定準備率にも制約されてはいない。銀行は、融資によって自身のバランスシートを拡張する。融資は銀行預金を創造し、その銀行預金は事後的に準備預金に裏付けられる。銀行の新しい負債(訳注:銀行預金のこと)を創造する融資(信用)の拡張プロセスは、銀行の準備預金保有とは何の関係もない。

主流の見方では、バランスシート拡大は、準備預金の不足をもたらし、割引窓口を通じて中央銀行から資金を借り入れた際の”ペナルティ”によって貸出期待収益に影響を及ぼすだろうとされている。しかし、割引窓口のペナルティは、そもそも銀行の融資への影響力に対して何の妨げにもならないだろう。

公開市場操作について考えてみよう。公開市場操作は、教科書的には、中央銀行によるマネーサプライの増加あるいは減少だとされている。したがって、中央銀行がマネーサプライを増やしたいと思うとき、中央銀行は市場の債券を購入し、銀行システムに準備預金を追加すると考えられている。その次に銀行は、無駄な預金を遊ばせておきたくないので、それらの準備預金を貸出に回し、オーバーナイト市場の競争の結果、オーバーナイト金利は低下する。当然のことながら、もし中央銀行がオーバーナイト金利を一定値に維持しようとするなら、超過準備を除去しなくてはならず、そのためにオーバーナイト金利に釣り合う有利資産を銀行へ売り出さなくてはならない。つまり、公開市場操作で債券を売りに出さなくてはならないのである。債権売却によってマネーサプライを減らそうとした場合は、この逆のことが起こる。債券売却は現金システムから準備預金を除去し、それによって銀行の一部で法定準備の不足が生じるだろう。準備預金の全体での不足に対する唯一の対処法は中央銀行の介入なので、マネーサプライを減らそうという目論見は失敗に終わる。(訳注:もしあるオーバーナイト金利を保とうとするなら、準備預金不足によるオーバーナイト金利上昇を買いオペによって相殺しなければならないという話)

明らかなことだが、中央銀行は、金融政策設定を通じて金利を操作することは出来ても、システム内の貨幣量をコントロールすることはできないのである。貨幣乗数は、現実を説明するにあたって瑕疵のある概念だ。マネタリーベースがマネーサプライを決定するのではない。実際は、その逆が真実だ。準備預金は、いかなるときであっても、銀行が準備預金量とは独立に行った融資によって決定するのである。

したがって、現在の政策論議に照らし合わせつつこのことを考える際は、コメンテーターの話は話半分に聞かなくてはならない! 例えば、「信用収縮は銀行の貸与資金不足で生じたのであり、量的緩和は”印刷した紙幣”を銀行に渡すことで銀行を貸出可能にする」といった言説はナンセンスである。銀行は、信用力のある顧客が訪れたとき、銀行の望む条件でいつでも貸し出しを行えるだろう。

 

内生的貨幣とウィクセリアンの神話(Wicksellian myths

金融システムの運用法について間違った説明をしている集団は、主流派経済学者だけではない。進歩的と言われる経済学者の中にすら、そうした間違った説明をする人々は大勢いる。彼らは、我々が”商品貨幣”(本質的に価値のある実物)ではなく不換紙幣(無価値なもので作られた明細書)を用いているということは分かっているが、通貨(currency)がどのようにその価値を得るかという仕組みや、非政府セクターの相互取引における紙幣の役割をまだ誤解している。信用サイクルについてのいわゆる循環モデル(あるいはウィクセリアンモデル)は、政府セクターの包摂に失敗しており、瑕疵のあるアプローチの典型例である。要するに、これらのモデルは貨幣乗数神話を否認してはいるが、また別の神話を置き換えてしまっている。――金融システムにおいて政府が果たしている重要な役割を理解することなく、資本主義を理解することが出来る、という神話だ。

そのモデルによれば、経済は家計(生産要素を供給し、消費を行う)、企業(生産を行う)、そして銀行(生産の前段階で、生産資金を企業に融資する)で構成される。そして彼らの分析する”生産の回路”(circuits of production)では、企業が銀行から借入して、生産のために労働者を雇い、給料を払う。労働者は自身の賃金を消費に用い、それによって企業は銀行に返済を行う。そのとき”信用貨幣”は消滅する(そして資産と負債が対応して相殺される)。”回路”の最終地点において、家計貯蓄は、企業が家計に”債券”を売りつけて貯蓄を吸収する場合を除けば、常に未返済の銀行融資を反映することになる。

したがって、ウィクセリアンの見方では、”貨幣”は大まかに言って経済主体の信用の需要に応じて銀行が創造するものになる。信用による回転資金の調達が、民間セクターの経済活動の成長に応じて拡張可能なのは明らかだ。その成長率は、自己資本の準備比率と、内部留保のうちレバレッジ融資に利用可能な割合に対して比例的な関係を持つ。まさしくこの理由から、民間セクターは政府が財政的保守主義を通じて作る不景気をいくらか吸収することができるということになる。しかし、ここが現代金融理解の肝なのだが、全体の金融純資産は、償却されるか、不十分な量しか作られないので、民間の貯蓄需要を満たせず、この成長は維持不可能になってしまうだろう。金融純資産の減少に並行して、民間の債務レベルは上昇しているだろう。(訳注:財政黒字が生成されるときは、その背景に民間債務膨張があるだろう、という意味) さて、本題に戻ろう!

こうした分析で無視されてしまう”見て見ぬふりされている問題”(elephant in the room)が「通貨単位(currency unit)の謎」である。こうした相互作用的な回路において、どうして政府が法的に認可した単位が利用されるのだろう? なぜ人はその支払単位を受容するのだろう? もし分析から政府セクターを排除してしまうと、こうした基礎的な疑問にも答えることが出来なくなる。政府を排除した既述のモデルは、銀行の準備預金における財政の重要な影響について明らかに何も論ずることができないのではないだろうか?

MMT論者は、信用創造プロセスを”ハイパワードマネーのレバレッジ”(訳注:レバレッジとは)と考える。なぜすべてのこうした非政府主体の”レバレッジ活動”(借入、返済etc)が実行可能なのかを理解する唯一の方法は、政府が第一にこなす役割を考えることである。それはマクロ経済学理論の中心部分だ。銀行は明らかにマネーサプライを内生的に拡張している。それは、中央銀行のコントロール能力の埒外にある。しかしこの活動はすべて、政府と非政府セクターの間の相互取引から作られるハイパワードマネー(HPM)のレバレッジングなのである。

HPM、あるいはマネタリーベースは、政府が発行した通貨(紙幣+硬貨)と銀行の準備預金(中央銀行の負債)の合計である。HPMは統治政府の借用証書である。それはあなたが10オーストラリアドルを払ったときに、10オーストラリアドルを払い戻してくれることを約束しているのである!(訳注:HPMがいかにして政府の借用証書なのかについての、より詳しい説明はこちらを推奨→MMP BLOG #8: TAXES DRIVE MONEY) すべての政府支出は同じプロセスを持つ――商業銀行が中央銀行に開設している準備預金口座に、HPMが記帳されるのだ(借用証書が創造される) 。この事実は”紙幣を刷れ”という要求がどれだけ無知なものかということの理由にもなる。逆のことは税が払われるときに起こる――HPMのうちの準備預金が引き落とされ、資産がシステムから除去されるのだ(借用証書は破壊される)。このことを覚えておいてほしい。

HPMは垂直取引と呼ばれる取引を通じて経済に導入される。Deficit spending 101 Part 1邦訳)、Deficit spending 101 Part 2邦訳)、 Deficit spending 101 Part 3邦訳)に詳細と解説用の図があるので参照願いたい。

つまり、HPMは政府支出を通じてシステム内に入り、租税を通じてシステム外へ出ていく。政府が財政赤字支出を行うときに、金融純資産(HPM)が銀行システムの中に導入されるのである。そのため、財政政策は、HPMの供給に直接的な影響を与える。中央銀行もまた、商業銀行との資産売買と通じてHPMを創造・除去している。そうした資産売買は、中央銀行の望む金利ターゲットに整合的な準備預金額を確保するという形で行われている。政府・中央銀行は、為替介入や金(gold)売買といった他の手段でもHPMの創造・破壊を行っている。

会計的な意味では、非政府セクターが保有する富は、垂直取引の累積合計を反映しているということがわかる。政府が財政赤字を発生させたとき、非政府セクターに富が(オーストラリアドルで)積み上がる。逆も然りで、財政黒字は、これまでの財政赤字によって蓄積してきた民間セクターの富を”縮小”させることになる。

政府と非政府部門との間の取引を理解すると、非政府部門における信用創造プロセスを考察できるようになる。重要なポイントは、非政府部門レベルにおけるすべての取引はバランスする――”全体では±0になる”ということだ。創造された全ての資産(訳注:金融資産)には、対応する負債がある(ドル建て資産には、対応するドル建て負債がある)。 このため、信用拡大は常に全体では±0なのである! これまでのブログ記事で私は、そうした信用創造プロセスを”水平”レベルの分析と呼び、政府と非政府セクターとの間の関係を示す垂直取引から区別してきた。

垂直取引は、経済に通貨(currency)を導入し、水平取引はこの垂直取引成分を”レバレッジ”している。民間投資企業(銀行を含む)は、負債(訳注:銀行なら銀行預金)の創造を通じていわゆる資産ポジションを取り、利益を得ようとする。その負債は、HPM(我々にとってはオーストラリアドル)で定義される計算単位によって表記される。そのため、銀行にとってこうした活動(いわゆる信用創造)は、垂直取引によって創造されたHPMのレバレッジングだ。なぜなら、銀行が負債(訳注:銀行預金のこと)を発行するとき、それは必要に応じて容易にHPMへ交換可能でなくてはならないからだ。

銀行がオーストラリアドル建て貸出債権を作る際、同時に同額のオーストラリアドル建ての銀行預金が創造される。つまり、銀行は、資産(借入者の借用証書)を購入し、銀行預金(銀行負債)を創造するのである。借入者にとっては、借用証書が負債であり、銀行預金は資産(貨幣)である。銀行の信用創造は、借入者がHPMを需要して(銀行預金を引き出して)支払いを行うだろうという予想の下で行われる。支払いは、銀行間での準備預金の移動を生じさせる。これらの銀行の負債(銀行預金)は、非政府セクターの中では”貨幣”となる。しかし全体では何も生み出されてはいない。

垂直取引だけが、対応する負債なしに資産(訳注:金融資産)を創造/破壊する。我が友人であり、時折共著者となるRandy Wray(ランダル・レイ)は、このように説明している。

信用貨幣(つまり銀行預金)は、発行者(銀行)の借用証書であり、資産として保有されている貸出債権との相殺になる。逆に貸出債権は借入者にとっては借用証書であり、預金者から見れば信用貨幣は資産として保有される。(訳注:当然、預金者から見ても、負債としての貸出債権、資産としての信用貨幣は相殺になる) この観点からは、貨幣は(金貨のような)実物ではないし、’不換紙幣’(負債と対応しない資産)でもない

それにしても、政府によって選択された計算単位に最上位の価値を与えているのは何なのだろう。なぜすべての銀行、顧客はそれを需要するのだろうか? 国家貨幣(state money)(我々の場合はオーストラリアドル)が需要されるのは、租税負債を償却するのに使える唯一の手段として政府が認めているからだ、というのが答えである。租税負債は、政府の借用証書(例えばオーストラリアドル)の持ち込みのみによって支払い可能なのである。その上、我々がその支払い手段を獲得する唯一の方法は、政府に対する財・サービスの供給であり、それを見返りに政府は支出を行う。政府支出が、我々に税金を払うための資金を提供するのである! ほとんどの人々が思っている構造とは全く逆なのだ。

このプロセスは、政府がどのようにして、自身の社会経済政策上の役割を遂行するだけの十分な量の民間資源を確保しているかを説明するものだ。こうしたプロセスによって、労働力や他の資源を調達し、公的なインフラやサービスを提供しているのである。我々は、そうした政府支出に対して、オーストラリアドルの獲得のために、熱心に財・サービスを供給する。

したがって、多くの先進的なモデルの中心にある民間信用創造活動は、重要なポイントを見逃している。そのポイントとは、信用創造活動がHPMのレバレッジングである、ということである。そして、HPMは、政府に対する租税負債を償却するための唯一の手段であるという理由だけで、民間負債の償却(貸出債権の返済)にあたって受容されるのである。

 

参照

Graziani, A. (1990) ‘The Theory of the Monetary Circuit’, Economies et Societes.

Mosler, W.B. and Forstater, M. (2002) A General Analytical Framework for the Analysis of Currencies and Other Commodities.


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