フランシス・ウーリー「リベラルアーツを専攻した学生は後悔してる?」

[Frances Woolley, “Do students choosing liberal arts degrees regret it?” Worthwhile Canadian Initiatives, April 5, 2018]

学生たちがじぶんの受けた教育経験についてどれくらい満足しているか計測するには,卒業生にこう質問してみる手がある.「もしもう一度選べるとしたら,また同じ専攻を選びますか?」

カナダの「全国卒業生調査」(NGS) は,これと同様の質問を1982年からずっと訊ねつづけている.このポストで説明しているように,データには限界がいくつもある.ただ,それでもこうしてすぐに利用できるデータから,わずかながらわかることもある:こうして質問された卒業生の大半は同じ専攻分野をふたたび選ぶものの,「もう一度これを選ぶ」と学生が答えやすい専攻とそうでもない分野のちがいはある.

一枚目のスナップショットは1982年のものだ.当時,卒業から2年後の元学生たちに「________ をやりとげて卒業した後の経験を踏まえて答えてください.〔もしも入学前の時点にもどったとしたら〕同じ教育プログラムをもう一度選びますか,別のプログラムを選びますか,それとも,進学しないのを選びますか?」 NGS の公開利用マイクロファイルを使って私が計算してみたところ,同じ専攻をいちばん多く選んだのは,ビジネス・工学・保健衛生(医療含む)を専門にしていた卒業生だった.「他の社会科学」や「生物科学」の卒業生たちはとりわけ同じプログラムを選びにくかった.人文学の卒業生たちもいくらか後悔していたものの,社会科学の卒業生たちほど多くはなかった.[おおっと,グラフの縦軸を間違えておりましたわ]

1982年卒業生たちは,大恐慌いらい最悪の労働市場へと船出した人たちだった.そのため,彼らの経験は典型例ではないかもしれない.残念ながら,1982年以降,NGS の公開利用マイクロファイルには専攻分野の情報が含まれていない.さいわい,カナダの雇用・社会開発省が2013年の NGS から統計表を抜粋してカナダの公開データポータル(ここ)で公開してくれている.

2013年に,卒業から3年経った元学生たちが「もう一度選べるとしたら,また同じ専攻・専門分野を選びますか?」と質問されて,こういう回答結果になっている:

30年たっても,満足度のパターンは顕著に一貫している――社会科学・心理学・生物学を専門にした卒業生たちは,同じ進学の選択をいちばんしにくい人たちだった.人文学の卒業生たちを見ると,71.3% は同じ分野をまた選ぶと言っている.この数字は,学士・第一専門職学位の持ち主たち全員の平均 (73.9%) をいくぶん下回っている.ビジネス・経営の卒業生たちはじぶんが受けた教育にかなり典型的な満足度を抱いている(74.4% がもう一度同じ専門を選ぶと回答).だが,進学の選択に本当に満足しているのは保健・教育・工学・コンピュータサイエンスの卒業生たちだ.たとえば,工学分野の卒業生たちの 85.0% が同じ分野をまた選択すると答えている.

ビジネススクール・医療専門職・工学の卒業生たちが進学上の選択に満足している理由としてひとつ考えられるのは,こうしたプログラムの卒業生たちは典型的に比較的高い収入を得ている(たとえば Ross Finnie のこれや,Marc Frenette & Frank のこれ,さらにオンタリオ大学協会のこれを参照).2005年の NGS データを見ると,卒業生の収入と,同じ専門をもう一度選ぶと答える頻度には強い相関がある.

上記のグラフには対照群が含まれていない.2005年データをさらに分析してみると,所得で統制すると性別・自宅で話す言語・親の教育水準といった変数は卒業生が同じプログラムをまた選ぶ確率になんら統計的に有意な効果を及ぼしていないのがわかった(ただ,別のポストで議論するけれども,別の年の NGS データを使っていたら性別はものを言っていたかもしれない).

収入と雇用の見通しは,エンジニアやコンピュータ科学者が同じ研究分野をまた選ぶと答える理由を説明できる.ただ,どうして人文学の卒業生の方が,たとえば社会科学や行動科学の卒業生たち,さらには物理学・生命科学の卒業生たちよりも同じ研究分野をまた選ぶと答えがちなように見受けられるのだろう? [註記:「~なように見受けられる」と書いているのは,2013年データの統計表しか手元になくて,ここでの差異が統計的に有意なのかどうかを確かめるいろんなテストを手作業でできていないため.]

もしかすると,哲学や歴史を学ぶのは,他のいろんなかたちの特権的地位と関連した特権的地位なのかもしれない――それで,卒業後に雇用以上で成功しているのかもしれない.たとえば,ママやパパが卒業後の仕事さがしに力添えしてくれるのなら,人文学の学位に投資してもそれほどリスクは高くない.この仮説を検証するごく粗雑な方法としては,2011年の全国世帯調査がある.この調査からは,移民の地位・明白な少数者の地位・家庭の言語・最終学歴での専門分野についての情報が得られる.25歳から34歳までの学士号の持ち主だけに着目してみると,専門分野と家庭背景には強い関係がある.

(留意点がひとつ.この統計表からは,たとえば法科大学院に進学した卒業生は除外されている).人文学の卒業生たちは,たとえば物理学や生命科学の卒業生たちに比べて労働市場でいくぶん守られている.民族や言語技能のおかげだ.ただ,全国世帯調査で観察できる種々の特徴に関しては,人文学の卒業生と社会科学の卒業生とには総じて有意でない小さな差異しか見つからない.)

あるいはこういう場合も考えうる。歴史や哲学などの人文学プログラムは、社会科学プログラムよりも執筆技能や批判的思考の技能をたしかにうまく教えていて、2種類のプログラムのあいだの満足度はこれで説明されるのかもしれない。

この分析から提起される問いは他にもある。それは、誰が悪者か、という問いだ:社会科学の卒業生の3分の1以上がじぶんの専門分野に不満を抱いていて、もしも選び直せるとしたら別の分野を選ぶと物理学や生命科学の卒業生のあの3分の1が答えるのは、いったい誰の落ち度なのだろう? ひょっとすると、教授たちが責められるべきなのかもしれない:別の教材を教えるなり、同じ教材でもちがう教え方をしてみるなりできるだろう。あるいはもしかすると、大学が責められるべきなのかもしれない――世間知らずの17歳〜18歳に価値の低い卒業証書を売りつけたり、いたるところの医大で医学進学課程タイプの教育を教えたりしている大学に非があるのかもしれない。あるいはもしかすると、たとえばビジネススクールの選別的な学生受け入れ慣例に非があるのかもしれない。うちの大学のビジネススクールがもっと開かれた受け入れ方針をとっていたら、経済学専攻は――そしておそらくはあわれな経済学専攻は――きっといまより少なかっただろう。あるいはあるいは、これはひとえに全国卒業生調査の統計に生じた人工物なのかもしれない。この調査の回答率は50%を下回っている。実家に引きこもっている不平屋を実態以上にたくさん標本に含めてしまっているのかもしれない。

私にはわからない。みなさんの考えはどうだろう?

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