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ベン・バーナンキ 「ラテンアメリカにおけるインフレの実情:新時代の到来?」

●Ben Bernanke, “Inflation in Latin America: A New Era?”(At the Stanford Institute for Economic Policy Research Economic Summit, Stanford, California, February 11, 2005)/(訳者による付記) ベン・バーナンキがまだFRBの(議長ではなく)理事を務めていた2005年2月に行ったスピーチの翻訳。ラテンアメリカ諸国がなぜ「ハイパーインフレ」に陥り、またどのようにしてそこから抜け出したのかが豊富な知識をもとにして語られており、ラテンアメリカ経済の戦後の歩みを貨幣・金融的な側面から学ぶ上で格好の資料と言えるのではないかと思われます。ハイパーインフレというのは基本的には巨額の財政赤字を賄うための手段として貨幣の新規発行に訴える(マネタイゼーションと呼ばれたりします)結果として生じるわけですが、それではなぜラテンアメリカ諸国がハイパーインフレにつながるようなマネタイゼーションに乗り出したのかという点(言うなれば、ハイパーインフレの「根本的な」原因)にまで踏み込まれており-その文脈で「アイデア」と「政治」の役割に目が向けられています-、大変刺激的な内容ともなっているように感じられます。バーナンキのスピーチの中でも個人的にお気に入りのうちの一つです。


FRBは自らの行動を通じてインフレの抑制とその安定化を成し遂げた事実を誇らしく感じていますが、それも当然のことだと言えるでしょう。今から25年前にポール・ヴォルカー(Paul Volcker)がFRBの議長に就任した際、アメリカ国民は2桁台のインフレ率と低迷する経済のパフォーマンスに耐え忍ぶ日々を送っていました。そのような状況を前にして、ヴォルカーならびにアラン・グリーンスパン(Alan Greenspan)率いるFOMC(連邦公開市場委員会)はアメリカ経済に物価の安定をもたらすべく数々の行動に打って出ました。1980年代中頃以降、アメリカでは経済成長のペースが加速するだけではなく、生産と雇用の変動が大きく縮小することになりましたが、そのような好ましい結果がもたらされたのもFRBの努力によってインフレが抑え込まれたからこそであるように思われます(Bernanke, 2004)。

FRBによるインフレ退治の記録は我々に強いインパクトを与えますが、我が国の南方に位置するラテンアメリカの国々におけるめまぐるしく変転するインフレの歩みと比べるとそのインパクトも見劣りするかもしれません。20世紀後半のラテンアメリカ経済は高率のインフレに何度も苦しめられました。それだけではなく、経済成長のペースは不規則であり、経済危機や金融危機に直面することも珍しくはありませんでした。しかしながら、1990年代の中頃以降に入ると、ラテンアメリカのほぼすべての地域でインフレが劇的なまでに低下することになりました。ラテンアメリカの大半の国々ではインフレ率が1桁台にまで低下することになったのです。

なぜそのような劇的な変化が生じることになったのでしょうか? ラテンアメリカでは今後もインフレが低い水準にとどまり続けることになるのでしょうか? それとも、ここ最近のインフレ率の低下はあくまでも一時的な小康状態にすぎないのでしょうか? これら一連の疑問は貨幣経済学や政治経済学の分野に対して大きな挑戦を投げ掛けるものだと言えます。また、これらの疑問に対する回答はアメリカも含む西半球の経済の未来にとっても重要な意味合いを持っています。というのも、仮に今後ラテンアメリカが繁栄を遂げることになれば、ラテンアメリカとの貿易や投資の拡大を通じて西半球にも多くの便益が及ぶことになると考えられるからです。本日の講演では先の一連の疑問に対して私なりに暫定的ながら回答を試みるつもりですが、これから述べさせていただく見解はあくまでも私の個人的な見解であってFRBの他の同僚の間でも共有されているわけではない点をご注意いただきたいと思います1

 

高率のインフレをもたらした根本的な原因

物価が安定している生活に慣れっこになってしまっていることもあり、ここアメリカで日々を過ごしている人々にとっては、過去数十年間にわたってラテンアメリカの多くの国々で生じたインフレの過酷さを理解することは困難であるかもしれません。ラテンアメリカで人口を最も多く抱える国々のうち9つの国のインフレ率の平均をとりますと、その値は1980年代においては年率でおよそ160%、1990年代の最初の5年間においては年率でおよそ235%もの高い水準を記録しています2。実のところ、ラテンアメリカの地では1980年代後半から1990年代初頭にかけて高率のインフレがハイパーインフレーション――学術的には、月率で50%(年率で13000%)を超える物価上昇をハイパーインフレーションと定義する習わしとなっています(Cagan, 1956)――にまで発展するケースが数多く見られました。例えば、ブラジルでは1989年から1993年までの5年間のうち4つの年でインフレ率が年率1000% を上回る状態でした。他にもアルゼンチンやボリビア、ニカラグア、ペルー といった国々もブラジルとほぼ時を同じくしてハイパーインフレーションに見舞われることになりました。この時期にラテンアメリカで生じたインフレがいかにひどいものであったかは先にあげた数字からも明らかですが、ラテンアメリカの国々が高率のインフレに苦しめられていたまさにその同じ時に世界の他の大半の地域ではインフレが低い水準に向かって下落を続けていた事実を考えると、そのひどさは一層際立つことになります。

しかしながら、1990年代中頃になると、ラテンアメリカにおけるインフレは落ち着きを見せ始めることになります。先ほどと同じ9カ国のインフレ率の平均を見ると、その値は1990年代の最初の5年間の平均では年率でおよそ235%でしたが、1995年から1999年にかけての5年間の平均では年率わずか13%にまで低下し、2000年から2004年にかけての5年間の平均では――2002年に発生した経済危機の後にアルゼンチンではインフレが急上昇したにもかかわらず――8%を下回る水準を記録するまでになりました3。およそ10年前までのラテンアメリカでは高率のインフレがしつこく続いたわけですが、その理由は何なのでしょうか? そして、ここ最近になってインフレが落ち着く傾向を見せているのはどうしてなのでしょうか? その答えは基本的には「アイデア」と「政治」に求められるのではないか、というのが私の見方です。アイデアと政治は「経済制度」と「経済政策」への影響を通じてインフレの成り行きを左右しているように思われるのです。

まずは「アイデア」の役割について語ることにしましょう。現代の経済学者の間では、極めて高率のインフレの原因となっているのは何かという点について次のようなコンセンサスが得られています。それは、事実上すべてのエピソードを通じて、財政赤字を埋め合わせるための大量の貨幣発行こそが極めて高率のインフレをもたらす原因となっている、というものです4。しかしながら、このような見方は必ずしもラテンアメリカの地において広く受け入れられたわけではありませんでした。例えば、1950年代から1960年代にかけてのことですが、ラウル・プレビッシュ(Raul Prebisch)の指揮のもとで国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会(ECLAC)は経済発展に関するいわゆる構造主義理論と呼ばれるアプローチを提唱しました。この理論では、先進国から成る「中核」と発展途上国から成る「周辺」とが明確に区別された上で、「中核」の国々にとっては適切な政策も「周辺」の貧しくて構造的に発展途上の段階に追いやられている国々にとってはふさわしくない可能性がある、と論じられました。そのような認識のもとでとりわけこの理論はラテンアメリカ諸国に対していわゆる輸入代替政策の採用を推奨することになります。国内における工業化を促すとともに、一次産品の輸出に依存する状態から一刻も早く脱却するために、各国の政府に対して国内の製造業を海外との競争から保護するよう求めたのです。その後ラテンアメリカ諸国ではこの理論が実践に移されましたが、それに伴って政府が経済に対して広範にわたって介入する結果が招かれることになりました――具体的には、企業に対する補助金の提供にはじまり、国内企業の厳重な保護や産業に対する規制の強化などが実施されました――。こうして輸入代替戦略を遂行する上で政府に大きな役割が求められただけでなく、課税ベース5の規模が小さいばかりか税を徴収する仕組みが未熟であったこともあり、ラテンアメリカ諸国では慢性的な財政赤字が発生する格好となりました――同時に、政府による保護を受けた産業では無駄や非効率的な活動が蔓延る格好となりました――。

この構造主義理論においてはインフレの動向を説明する上で貨幣的な要因がほとんど重視されない点も重要です。この理論の信奉者によると、物価の上昇は主に経済の実物サイドの要因によって決定づけられる、ということになります。具体的には、経済の発展が不均等に分布していることが原因で品不足が発生したり、労働者やその他のグループが総所得に占める自らの取り分を増やそうと働きかけたりするために、物価が上昇するのだ、と見なされるのです。このような構造主義理論の立場からすると、金融政策の当局者は賃金や物価の上昇を受け入れる以外にほとんど選択の余地はない、ということになります。構造主義理論の立場では賃金や物価の上昇の原因は貨幣的な要因以外のところにあり、それゆえこの理論においては中央銀行はインフレをコントロールする責任から解放されることになるわけです。構造主義理論の立場からするとインフレの発生は不可避6ということになるわけですが、インフレは所得分配に対して意図せざる影響をもたらすことになります。その意図せざる影響をできるだけ和らげるための手段としてこの理論の信奉者が推奨したのが賃金や契約に対するインデクセーション7の広範な導入でした。しかしながら残念なことに、賃金や契約への物価スライドの導入はインフレの加速を後押しするだけに終わりました。なぜなら、名目賃金や契約の内容が物価の変動に応じて即座に見直されるために、物価が上昇するとただちに(名目)賃金の上昇につながり、それがまた物価の上昇へと跳ね返り、その結果さらに賃金が上昇し・・・・という結果になったからです。

次に「政治」の役割について語りたいと思いますが、当時のラテンアメリカの国々の多くではポピュリズムがかなり強い影響力を持っていました。その背後には国内での所得格差の広がりに対する国民のもっともな不満がありました。しかし残念なことに、ポピュリズム政権が進めたマクロ経済政策は大抵の場合において経済を危機に追いやる結果となりました(Dornbusch and Edwards, 1991)。ポピュリズム政権は社会や経済の急激な変革を試みる過程で時に積極果敢な政府支出プログラムに乗り出しましたが、税金や借り入れ(国債の発行)を通じては必要な資金を調達することができず、最終的に中央銀行の(納得の上でのあるいは嫌々ながらの)協力のもとで新たに貨幣を発行する(刷る)ことで何とかその実現にこぎつけました。このようにして拡張的な財政・金融政策を通じて行き過ぎた刺激が経済に加えられると、大概はその後ほどなくして賃金・価格統制が導入されたり新たに補助金が拡充されたりしました。経済が過熱すると、インフレやインフレ期待が高まりを見せ、ボトルネック(生産要素の不足)や品不足が発生することになりますが、賃金・価格統制や補助金の拡充はこういった問題への対策として用いられたのです。その後は、為替レートの過大評価⇒資本逃避⇒実質値で測った税収の落ち込み⇒対外債務の急増⇒インフレの加速・・・と下方スパイラルに突入し、最終的には経済危機や政治危機に陥るというのが一般的なパターンでした。皮肉なことですが、ポピュリズム政権下でのこのような極端に振れる政策から最も大きな痛手を被ったのは貧しい人々でした。それというのも、失業や実質賃金の低下に見舞われる可能性が最も高く、インフレから自らの身を守る術を欠いているのは貧困層の人々に他ならないからです8

ラテンアメリカ諸国が抱えるマクロ経済面の問題は1980年代のいわゆる失われた10年においてその頂点に達することになりました。ラテンアメリカ諸国にとっての1970年代はオイルショックや国内におけるマクロ経済政策の不手際に翻弄された時代でしたが、そのような中で各国政府は経済成長を維持しようと試み、その結果として膨大な対外債務を抱えるに至りました。1980年代に入ると実質金利が上昇を続ける一方で世界中で経済成長のペースが鈍化することになりましたが、対外債務の利払いが困難になったことで1982年にメキシコ政府が一時的にデフォルト(債務不履行)を宣言するに至ります。このメキシコによるデフォルトをきっかけとしてラテンアメリカは債務危機の波に襲われることになり、ラテンアメリカ諸国は国際金融市場から資金を借り入れる道を実質的に閉ざされる結果となりました。経常収支の調整が強いられる中で各国の通貨は急激に減価し、また膨張を続ける財政赤字を埋め合わせるためにまたもや貨幣の新規発行という手段が選択されることになりました。その結果、ラテンアメリカにおけるインフレは一段と高い水準へと上昇する格好となったのです。

1980年代中頃に入ると、インフレの抑制を目指した「異端の」安定化プログラムが各国で取りまとめられることになりました。例えば、アルゼンチンで実施された「アウストラル・プラン」(Austral Plan)やブラジルで実施された 「クルザード・プラン」(Cruzado Plan)が有名ですが、これら「異端の」安定化プログラムでは固定為替相場制度の導入を通じて通貨価値の安定とインフレの抑制が図られました。仮に為替レートを一定の水準に固定することに成功すれば、輸入物価の安定につながることが予想されますが、固定為替相場制度の導入の背後には、輸入物価が安定すれば全般的なインフレやインフレ期待の安定化にもつながるのではないか、との政策当局者の思惑があったようです。いくつかの安定化プログラムでは同時に(賃金や契約における) 物価スライドが撤廃されたり賃金・価格統制が導入されたりもしましたが、大半のケースではインフレの根本的な原因である財政赤字の問題には手がつけられずにいました。そのため、最終的には大半の安定化プログラムは失敗に終わり、インフレのさらなる加速がもたらされる結果となりました。ただし、重要な例外としてチリを挙げることができるでしょう。チリでは1970年代の後半を通じて市場志向型の一連の改革が断行され、財政規律を取り戻すための取り組みが行われたのです。1980年代初頭に深刻な銀行危機や国際収支危機に見舞われたにもかかわらず、1980年代におけるチリのインフレ率の平均は20%を下回ったのでした。ちなみに、同じ期間におけるアルゼンチンのインフレ率の平均はおよそ350%、ブラジルのそれはおよそ265%と非常に高い水準を記録しています。

 

物価の安定がもたらされた90年代

ここに1990年の時点に立って将来の予測を試みている人物がいるとしましょう。ラテンアメリカではインフレの安定を目指した数々の試みが失敗続きに終わっていたわけですが、そのような状況を目の当たりにした彼/彼女がラテンアメリカの今後について次のように結論付けたとしても無理からぬことと言えるでしょう。ラテンアメリカの地ではインフレを低い水準に安定させることはそう容易には実現できない難業だ、と。しかしながら、既に指摘したように、1990年代のラテンアメリカではインフレの動向を巡ってそれまでと比べてずっと良好な結果がもたらされることになりました。一体全体どういった理由でこのような劇的な変化が招かれることになったのでしょうか?

人のものの見方(世界観)に生じる変化はゆっくりとしたものになりがちです。そのため、ラテンアメリカでは90年代に入って(ハイパーインフレを根っこのところで支える役割を果たしていた)アイデアや政治に根本的で不可逆的な変化が生じたのだと結論付けることはあまりに早計だと言えるでしょう。しかしながら、過去15年ほどにわたり、政治エリートだけではなく大部分の国民の間でも、失敗に終わったそれまでの経済モデルを放棄し、その代わりに新たなアプローチに基づいて経済の立て直しを図ろうという機運が高まりを見せることになりました。その新たなアプローチにおいては、財政規律の向上や自由貿易・自由市場の便益が強調されるとともに、強靭な経済制度を設えることの重要性が説かれました。このような意識の変化をもたらした要因の一つとしては、市場志向型の発展戦略を採用していた国々――特に、「東アジアのトラたち」やすぐ近くのチリ――のまごうことなき成功体験がありました。ラテンアメリカ諸国の政策当局者も市場志向型の発展戦略の成果を見過ごしはしなかったわけです。加えて、対外債務の再編を交渉し、国際金融市場から資金を調達する道を再度確保する必要もあって、経済政策の改善を求める外部からの圧力――多国籍機関やマーケットからの圧力――に応じざるを得なかった、という事情もありました。

90年代のラテンアメリカにおけるインフレの抑制は、新たな発想がもたらす好ましい効果についてのとりわけ興味深いケーススタディーであると言えます。ただし、これから触れるように、インフレの抑制という結果は絶えざる試行錯誤の果てにはじめて手にすることができたのでした。大混乱に見舞われた1980年代後半以降、インフレ――特に、極めて高率のインフレ――は経済に対して甚大なコストをもたらすという考えがラテンアメリカでもますます広く受け入れられるようになりました――また、その考えに対しては実証分析や数多くの現実の経験による支持があります(Khan and Senhadji, 2001)――。その結果、1990年代の初頭に入ると、ラテンアメリカの多くの国々において意気込みも新たにインフレの撲滅に向けた取り組みが開始されることになります。

インフレの抑制に向けてまずは固定為替相場制度に移行する、というのが各国の間で広く採用された方法でした。その背後には、為替レートを一定の水準に固定することでインフレ期待が安定し、金融政策に対して必要な規律が「輸入される」ことになるのではないか、という思惑がありました。固定為替相場制度を通じたインフレの抑制というと1980年代の「異端の」安定化プログラムのことが思い出されますが、今回の(90年代の)市場志向型の安定化プログラムでは賃金・価格統制をはじめとした規制は一般的には採用されませんでした。

この固定為替相場制度に依拠したアプローチは当初しばらくの間は良好な結果をもたらすことになりました。例えば、メキシコでは政府支出の大幅な削減を含むプログラムの一環として1987年から1991年にかけて為替レートが一定の水準に固定されましたが、その間にインフレ率は1987年の160%から1991年の20%を下回る水準にまで大幅に低下することになりました。加えて、この間に経済成長のペースは加速することになりました。1991年の後半に入ると為替バンド制の導入によって為替レートの柔軟性(伸縮性)が高められることになりましたが、1994年にペソ(メキシコの通貨)に対する投機アタックが発生し、その結果メキシコ経済は通貨(ペソ)の大幅な減価と金融危機に見舞われる格好となりました。

ブラジルでは1994年に「レアル・プラン」(Real Plan)と呼ばれる安定化プログラムが開始されました。このプログラムでは、名目賃金の物価スライドが広範にわたって廃止されるとともに、一連の構造改革が実施されました(Bogdanski, de Freitas, Goldfajn, and Tombini, 2002)。当初のうちは為替レートは自由な変動が認められていましたが、メキシコが危機に襲われた1994年後半以降になるとクローリング・バンド制が導入され、あらかじめ決められたペースで為替の切り下げが行われることになりました。ブラジルでは90年代の最初の5年間に急速なインフレが生じましたが、クローリング・バンド制の導入によりその急速なインフレは終息することになりました。ブラジルのインフレ率は1998年には2%を下回る水準にまで低下することになったのです。固定為替相場制度を通じた安定化プログラムの中でも最もラディカルな例はアルゼンチンが1991年に導入したカレンシー・ボード制です。アルゼンチンが採用したカレンシー・ボード制はハードペッグの一種であり、 アルゼンチン・ペソと米ドルとの等価での兌換(ペソとドルとの交換比率を1ペソ=1ドルに固定)が保証されることになりました。カレンシー・ボード制の助けもあってアルゼンチンはその後10年以上にわたって物価の安定を享受することになります。

後知恵になりますが、固定為替相場制度は、それに財政再建をはじめとしたその他の政策手段が相伴う場合には、高止まりするインフレを低い水準に向けて抑制する上で有効なツールとなり得るという点に今では多くの経済学者が同意することでしょう9。しかしながら、ラテンアメリカの経験から得られる主要な教訓は次のようになると思われます。それは、国境を越えた資本移動が盛んな状況において特にあてはまることですが、固定為替相場制度は金融・財政面での不安定性の問題に対する長期的な解決策とはならない、ということです。確かに固定為替相場制度に移行した当初のうちは良好な結果がもたらされました。しかしながら、固定為替相場制度を採用した事実上すべての国において為替レートを一定の水準に維持し続けることは不可能であることが次第に判明し、その結果固定為替相場制度は大きな混乱を伴いつつ放棄されるに至ったのです。1990年代から2000年代に突入する時期のラテンアメリカでは、為替レートの過大評価や金融・財政政策の双方に対する信頼性の欠如、そして対外債務が短期での借り入れに集中していたことが原因となって投機アタックや金融危機が頻発し、多くの犠牲がもたらされることになりました。既に指摘しましたが、投機アタックに晒された結果、メキシコは1994年に為替の切り下げを余儀なくされました。他にはブラジルも1999年に為替の切り下げに追いやられ、アルゼンチンは2002年にカレンシー・ボード制の廃止を決定するに至ったのでした。

為替レートを一定の水準に固定するのでは解決策にならないとすれば、その他にどのような手段があるでしょうか? エクアドルとエルサルバドルではその他の手段して公式にドル化(dollarization)が採用されることになりました。つまり、自国通貨の代わりにドルを法貨として認定することになったのです(パナマではそれ以前から長年にわたってドル化政策が実施されていました)。しかしながら、ドル化はもっと規模の大きい国々にとっては好ましい選択肢であるようには思われません。そのため、変動為替相場制への移行を余儀なくされたラテンアメリカの主要な国々は、金融政策に対するドル化以外の新たな名目的なアンカー(錨)10を見出す必要に迫られることになりました。そのような事情を抱える中、ラテンアメリカの多くの国々は先進国において徐々にその姿を表しつつあった趨勢に従う決定を下すことになりました。すなわち、インフレに対する明示的で数量的な目標(インフレ目標)の採用が相次いだのです11

その他の多くの改革についても言えることですが、ここでもまたチリはラテンアメリカにおけるパイオニア的な役割を果たすことになりました。1989年に新中央銀行法が施行された後、チリではラテンアメリカの他の国々に先駆けて1990年にインフレ目標が採用されることになったのです。比較的早い段階でインフレ目標を採用した他の国々――特に新興国の国々――と同様に、チリでもインフレ目標とあわせて為替バンド制が導入されることになりました――為替バンド制は 1999年まで維持されることになりました――。インフレ目標が導入されたばかりの1991年の目標インフレ率は15%~20%の範囲に設定されましたが、実際のインフレ率は18.7%を記録しました。その後10年の間にチリではインフレ目標値も実際のインフレ率もともに緩やかに低下する結果となりました。2001年以降、チリ中央銀行はインフレ目標値を2%~4%の範囲に設定しています。

既に指摘したように、メキシコは1994年にペソ危機に見舞われたわけですが、その危機の後にメキシコではインフレ率に目標値が設定されるとともに、マネタリーベースの伸びに主たる焦点を置く新たな金融政策のレジームが採用されることになりました。このレジームでは金融政策の目標が複数掲げられる格好となりましたが、おそらくそのことが原因となって当初のうちは実際のインフレ率が目標とする範囲に収まることはほとんどありませんでした。1999年に入ってメキシコは正式にインフレ目標体制に移行することになりますが、それ以降メキシコではインフレがさらに一層低下する結果となりました。メキシコのインフレ率は1995年につい最近のピークである52%に達した後に徐々に低下することになりましたが、99年にインフレ目標が正式に採用されて以降もその傾向は続き、最近では5%近くにまで落ち着く格好となっています。現在メキシコではインフレ率の目標値が2%~4%の範囲に設定されていますが、目下のところメキシコ中央銀行はインフレ率をその目標範囲にまで低下させることを目的に金融引き締めに取り組んでいる最中です。

ブラジルもメキシコと同様に1999年にインフレ目標を採用することになりました。1998年にロシア債務危機が発生しましたが、ブラジルもその余波を受ける格好となりクローリング・バンド制の放棄を余儀なくされました。その後ブラジルでは金融政策と財政政策が引き締められ、1999年6月にカルドソ大統領が複数年にわたるインフレ目標の採用を求める大統領令を発布するに至ったのです。この大統領令によって、インフレ率の目標値を決定する権限が国家通貨審議会(CMN)に委ねられることになり、インフレ目標の達成に向けて金融政策を運営する全面的な責務が中央銀行に課せられることになりました12。これまでのところブラジル中央銀行はその責務を忠実に果たしてきているようです。例えば、昨年(2004年)ブラジルではインフレ率が目標範囲を上回っていましたが、そのことを受けてブラジル中央銀行は数度にわたる金融引き締めに乗り出すことになりました。ブラジルのインフレ目標についてはもう一点指摘しておくべきことがあります。それは、インフレ目標を採用しているラテンアメリカの他の国々に先駆けるかたちで、国民とのコミュニケーションの改善に向けた一連の手続きがいち早く導入されたということです。例えば、ブラジルでは中央銀行によるインフレ予測が記されたインフレーション・レポートがいち早く発表されることになりました(Mishkin, 2000)。ブラジルのインフレ率は2002年に資本流出とレアルの大幅な減価によって一時的に上昇することになりましたが、そのことを除けばインフレ目標が採用されて以降のブラジルではインフレ率は6%~8%の範囲に落ち着いています。

ラテンアメリカでインフレ目標を採用している他の国としてはコロンビアやペルー、アルゼンチンを挙げることができます。コロンビアがインフレ目標を採用したのは1999年のことです。ペルーでは1994年の段階でペルー中央準備銀行が目標とするインフレ率の範囲(レンジ)を宣言していましたが、ペルーで「完全な」インフレ目標が採用されるのは2002年以降のことです。アルゼンチンは2002年に勃発した債務危機とその後のカレンシー・ボード制の崩壊からまだ完全には立ち直ってはいませんが、非公式ながらインフレ率に目標レンジを設定しています。

インフレ目標というこの新たなアプローチはラテンアメリカ諸国にとって好ましいものだと個人的には判断しています。その理由をいくつか列挙しますと、第一に、かつてラテンアメリカで強い影響を誇った構造主義理論とは正反対に、インフレ目標というアプローチにおいては中央銀行の金融政策こそがインフレの行方を決定付ける上で主要な役割を果たすと見なされることになります。セントラルバンカーが「金融政策を通じてインフレをコントロールすることはできない」 と語ることは最早できないわけです。第二に、「完全な」インフレ目標体制には高度の説明責任と透明性が備わっているわけですが、そのような特徴は今後のラテンアメリカでその進展が予想される一層の民主化と国民の経済に関する理解の深まりと極めてよくフィット(適合)するのではないかと思われます。第三に、巧みに設計されたインフレ目標体制下では国民が抱く長期的なインフレ予想が大きく安定する可能性があります。長期的なインフレ予想が安定することになれば、マクロ経済全体の安定が促されるとともに、為替レートの変動をはじめとしたショックが国内経済に及ぼす影響が幾分か和らげられることになると考えられます。そして最後に、インフレ目標の採用にあわせて為替レートの柔軟な変動が認められることになれば、「国内経済の安定」と「国境を越えた自由な資本移動」という2つの目標の間での対立が和らげられることになります。一方で、その他の制度、特にかつてのラテンアメリカ諸国で採用されていた固定為替相場制の下では、これら2つの目標は対立する傾向にあるのです。

さて、ラテンアメリカ諸国におけるインフレ目標の実態はどうなっているでしょうか? 既にいくつか指摘した事実からも推測できるでしょうが、その結果は励みになるものです。インフレ目標を採用している主要な国のここ最近のデータを挙げますと、チリのインフレ率は1~3%、コロンビアのそれは5%~8%、メキシコのそれは4%~6%、ペルーのそれは1%~4%、そして既に指摘したようにブラジルのそれは6%~8%の範囲にそれぞれ収まっています。また、今挙げた国々の中央銀行は新興国に特有の事情に合わせて政策レジームを調整しようと取り組んでいる最中です。新興国に特有の事情としては、先進国と比べて途上国ではインフレをコントロールすることが困難であるという点を挙げることができます。その理由は、途上国は先進国と比べて、為替レートの変動から大きな影響を受けやすく、価格変動が激しい食料や一次産品が(消費者物価指数を計測する際の基になる)消費バスケットに占める割合が高く、これまでにインフレが高率で変動が激しかったこともあり国民が抱くインフレ予想が大きく変動しがちであるためです。インフレ目標を採用する新興国の中央銀行は、インフレを予測する技術やインフレ目標を達成するための政策手段を磨くだけではなく、目標とするインフレ率をどの範囲に設定したらよいかについても細心の注意を払わねばなりません。インフレ率の目標範囲が達成不可能なほど狭すぎてもいけませんし、かといってその範囲があまりも広すぎると金融政策の信頼性を確保することができない恐れがあるのです(Fraga, Goldfajn, and Minella, 2003)。インフレ目標を採用する中所得国の数が増えるにつれて――現在のところインフレ目標を採用しているラテンアメリカ地域以外の中所得国としては、チェコ、ハンガリー、ポーランド、韓国、タイ、南アフリカ共和国、イスラエルを挙げることができます――、そしてインフレ目標の運営に関わる経験が蓄積されるにつれて、インフレ目標を新興国の事情に合わせて適合させるにはどうするのがベストであるのかについても次第に明らかになっていくことでしょう。

 

インフレの抑制を支えた政策環境の変化

ただし、金融政策に対して「インフレ目標」という特定の枠組みが採用されたことだけが原因でラテンアメリカでインフレの抑制が進んだのだ、とまでは主張するつもりはありません。ラテンアメリカでインフレが抑制された理由はもっと根本的な要因に求められると私は考えます。つまりは、「アイデア」と「政治」を巡る事情の転換に伴って新たな「経済制度」と「経済政策」の導入が促され、その結果としてマクロ経済全体の安定がもたらされることになったのだと思われるのです。具体的には、ここ最近のラテンアメリカでは次に挙げる分野で特に重要な政策環境の変化が生じることになりました。それは、「財政政策」と「銀行規制」、そして「中央銀行の独立性」の3つの分野です13

いかなる金融政策のレジームも――勿論その中にはインフレ目標も含まれますが――財政政策が維持不可能な状態――つまりは、財政赤字が巨額に上り、さらにその額が増大傾向にある状態――ではインフレを長期にわたって抑制することはできません。財政赤字に歯止めがかけられないままだと、最終的には政府は借り入れを行うことができなくなり、資金を調達する手段として貨幣の過剰発行に手がつけられることになります。その結果、インフレの加速がもたらされることになるでしょう。過去の痛ましい経験もあって、ラテンアメリカの人々はこのことをよく理解しています。ところで、過去10年の間にラテンアメリカ諸国の財政政策は保守的な方向に転換しつつあるようです――時に揺れ戻しがあったり、国ごとに状況に違いがあることは言うまでもありませんが――。中でも重要な動きとして、大規模な民営化の断行や限界税率の引き下げ、付加価値税をはじめとした新たな財源の導入、公的な資金を特定の用途に流用することを禁じる法律の施行などを挙げることができるでしょう。インフレの抑制と財政規律の向上は好循環をもたらすことでお互いを補強し合うことになると予想されます。インフレの抑制を通じて金利が低下することになれば、債務(国債)の返済(金利の支払い)に充てられる政府支出が抑えられ、その結果財政赤字の縮小につながると予想されるのです。現在のところラテンアメリカ各国の実質金利はかなり穏やかな水準に落ち着いています。例えば、チリやメキシコの実質金利は2~3%、アルゼンチンの実質金利はおよそゼロ%の水準にあります。ブラジルの実質金利は現在およそ11%とまだかなり高い水準にありますが、10年ほど前には30%近い水準にあったことを考えると、それでも大きく低下していると言えます。また、つい最近デフォルトを宣言し、その後処理に追われている最中のアルゼンチンは例外ですが、大半のラテンアメリカ諸国の間の政府債の利回りのスプレッドは現在のところ歴史的に見ても低い水準にあります。

金融政策の安定性を高め、インフレを抑制する上では、銀行システムの近代化と銀行規制・銀行監督の改善を図ることもまた重要です。仮に銀行システムが国内外の投資家によって金融的に不安定で透明性を欠いていると見なされるようだと、中央銀行は金利や為替レートの変更に伴って銀行危機が誘発される可能性を考慮する必要が出てくるかもしれません。その場合、中央銀行はインフレを抑制するために金利や為替レートを変更することに躊躇を感じる可能性があるのです。ここのところラテンアメリカでは金融部門の改革に向けた数々の取り組みが進められていますが、具体的には、特定分野への義務的融資プログラムの縮小・撤廃、金利規制の撤廃(金利の自由化)、公的金融機関の民営化、国内の金融部門への外資参入の促進などといった改革が実施されています。また、過去10年の間にラテンアメリカの多くの国では国内の銀行規制や銀行監督の実態を国際的な基準――その具体的な内容は、バーゼル銀行監督委員会が公表している「実効的な銀行監督のためのコアとなる諸原則(バーゼル・コア・プリンシプル)」(Basel Core Principles for Effective Banking Supervision)の中に盛り込まれています――に見合うよう見直す試みも進められています。規制当局による監督権限の拡大や銀行監査(検査)の厳格化、自己資本比率の引き上げなどを通じて銀行監督の強化が図られているのです。また、大半の国では預金保険の導入も進められています。 しかしながら、銀行規制や銀行監督の分野ではまだまだ多くの課題が残されています。例えば、ラテンアメリカのいくつかの国では、規制当局の(政府からの)独立性の程度は国際的な基準に照らすとまだ不十分であり、効果的な監督業務を遂行する上で必要な人員や予算が不足している状態なのです。

マクロ経済の安定性の向上につながる制度改革の最後の例は、中央銀行の独立性の強化に向けた取り組みです。中央銀行が政府の支配下に置かれている場合、中央銀行はそうするのが適当ではない状況でも金融緩和を行うよう圧力を受ける可能性があります。政府の借り入れコスト(国債の金利)を引き下げたり、現職の政治家の再選を支援するために金融緩和に乗り出すよう強いられる恐れがあるのです。インフレ目標という政策枠組みが意味をなすのは、中央銀行が金融政策の手段を政府から独立して決定できる場合に限ってのことです。というのも、金融政策の手段を自らの判断で自由に選択できないようでは、中央銀行にインフレ目標の達成に向けた責務を課したところで、中央銀行がその責務を果たすことはほとんど不可能だからです。ところで、中央銀行の独立性という話題についてもラテンアメリカ諸国の趨勢は概して好ましい方向に向かいつつあるようです。1980年代後半から1990年代初頭にかけて、ラテンアメリカのいくつかの国では憲法の修正や中央銀行法の改正を通じて中央銀行の独立性を高める数々の措置が講じられたのです。

これまでの研究では、先進国に話を限定した場合、中央銀行の独立性(の強化)はインフレの抑制を促すという点に多くの同意が得られています。それに比べると、途上国に関してはその証拠はまちまちの状態ですが、中央銀行の独立性の程度を測る指標として「形式上の」独立性の程度ではなく「事実上の」独立性の程度に着目した場合に特に言えることですが、途上国に関しても同様に中央銀行の独立性(の強化)はインフレの抑制を促すとの結果がいくつかの研究で見出されています(Cukierman, Webb, and Neypati, 1992; Cukierman, Miller, and Neypati, 2002)。「事実上の」独立性と「形式上の」独立性の区別はラテンアメリカにおいても重要な意味を持っています。例えば、ブラジル中央銀行は法律上は独立性を保証されていますが、大統領には金融政策委員会のメンバーを解任する権限があることを考えると、ブラジル中央銀行の「事実上の」独立性には制約が課されていると見なせるかもしれません。しかしながら、ブラジルでルラ大統領率いる中道左派政権が規律のとれた(引き締め気味の)金融・財政政策を推し進めた際に政権に対する国民の支持はそれほど大きく低下することはありませんでしたが、この事実はそのような政策がラテンアメリカでますます広く受け入れられつつある証拠だと言えるでしょう。

 

将来の見通し

ラテンアメリカの直近の経済見通しに目をやると、金融政策や財政政策、構造改革といった一連の政策に生じた好ましい変化が実を結びつつある可能性が示唆されています。IMFが昨年の9月に発表した世界経済見通しによると、西半球における途上国全体(カリブも含む)の2004年度の実質GDP成長率は4.5%、2005年度の実質GDP成長率は3.5%と予測されています。また、西半球全体の2004年度のインフレ率は平均およそ6.5%(年率)と予測されており、2005年度のインフレ率はそれよりも少し低くなるだろうと見積もられています。この予測がその通りになり、またアメリカとカナダの経済がこのまま好調を維持することになれば、西半球全体のマクロ経済のパフォーマンスは過去数十年間で最も順調な結果を記録することになるでしょう。

今後もラテンアメリカではマクロ経済政策やマクロ経済のパフォーマンスの面でこのまま改善が続くのでしょうか? ラテンアメリカでそのような変化が生じてからまだ日は浅く、そのため決定的な結論を下すことはできないというのが正直なところではあります。改革に伴う短期的なコストや改革推進者が約束する過度に楽観的な成果の見通しのためにやがては「改革疲れ」(”reform fatigue”)がもたらされるのではないかと心配する声もありますが(Lora, Panizza, and Quispe-Agnoli, 2003)、私個人はそのような立場と比べると幾分か楽観的です。その理由の一つは、ブラジルやアルゼンチン、チリ、ウルグアイにおける左派政権を含めていずれの政治的な立場の政府もこれまで積極的に改革を支持してきているからです(ベネズエラは例外です)。そして、そのような改革に向けた努力は重要なかたちで実を結びつつあります。既に指摘したように、インフレを巡る状況は劇的なまでに改善しており、実質金利は低下しています。さらに、ラテンアメリカ諸国では経常収支も大きく改善しています。一方で、 直近の成長見通しは明るいようですが、1990年代の金融危機の影響もあってラテンアメリカの多くの国では依然として潜在的な供給能力を下回る状態が続いています。加えて、所得格差や貧困の解消に向けてまだまだ多くの課題が残されてもいます。この先の数年は、ラテンアメリカで実施された経済改革の有効性と持続可能性が試される興味深い機会となることでしょう。

 

<参考文献>

○Bernanke, Ben (2004). “The Great Moderation,” speech at the meetings of the Eastern Economic Association, February 20.

○Bernanke, Ben, Thomas Laubach, Frederic Mishkin, and Adam Posen (1999). Inflation Targeting: Lessons from the International Experience, Princeton, N.J.: Princeton University Press.

○Bogdanski, Joel, Paulo Springer de Freitas, Ilan Goldfajn, and Alexandre Antonio Tonio Tombini (2002). “Inflation Targeting in Brazil: Shocks, Backward-Looking Prices, and IMF Conditionality,” N. Loayza and R. Soto, eds., Inflation Targeting: Design, Performance, Challenges. Santiago: Central Bank of Chile.

○Cagan, Philip (1956). “The Monetary Dynamics of Hyperinflation,” in Milton Friedman, ed., Studies in the Quantity Theory of Money, Chicago: University of Chicago Press.

○Corbo, Vittorio, and Klaus Schmidt-Hebbel (2001). “Inflation Targeting in Latin America(pdf),” Central Bank of Chile working paper 105, September.

○Cukierman, Alex, Steven Webb, and Bilin Neyapti (1992). “Measuring the Independence of Central Banks and Its Effect on Policy Outcomes,” World Bank Economic Review, vol. 6 (September), pp. 353-98.

○Cukierman, Alex, Geoffrey Miller, and Bilin Neyapti (2002). “Central Bank Reform, Liberalization, and Inflation in Transition Economies: An International Perspective,” Journal of Monetary Economics, vol. 49 (March), pp. 237-64.

○Dornbusch, Rudiger, and Sebastian Edwards (1991). “The Macroeconomics of Populism,” in R. Dornbusch and S. Edwards, eds., The Macroeconomics of Populism in Latin America. Chicago: University of Chicago Press.

○Fischer, Stanley, Ratna Sahay, and Carlos Vegh (2002). “Modern Hyper- and High Inflations,” Journal of Economic Literature, vol. 40 (September), pp. 837-80.

○Fraga, Arminio, Ilan Goldfajn, and Andr Minella (2003). “Inflation Targeting in Emerging Market Economies,” in M. Gertler and K. Rogoff, eds., NBER Macroeconomics Annual, pp. 365-400.

○International Monetary Fund (2004). World Economic Outlook (September). Washington, D.C.

○Khan, Mohsin, and Abdelhak Senhadji (2001). “Threshold Effects in the Relationship Between Inflation and Growth,” IMF Staff Papers, vol. 48, pp. 1-21.

○Lora, Eduardo, Ugo Panizza, and Myriam Quispe-Agnoli (2003). “Reform Fatigue: Symptoms, Reasons, and Implications,” paper presented at the conference, Rethinking Structural Reform in Latin America, Federal Reserve Bank of Atlanta, October 23.

○Mishkin, Frederic (2000). “Inflation Targeting in Emerging-Market Countries,” American Economic Review, vol. 90 (May), pp. 105-09.

  1. 原註1;今回の講演を準備するにあたって、FRBのスタッフであるCarlos ArtetaとJane Haltmaier、そしてPatrice Robitailleは貴重なサポートとコメントを通じて協力してくれました。彼らには感謝したいと思います。 []
  2. 原註2;その9つの国というのは、メキシコ、コロンビア、ベネズエラ、ブラジル、ボリビア、ウルグアイ、ペルー、アルゼンチン、チリを指しています。9カ国全体のインフレ率の平均を計算するにあたっては、IMF(2004)と同様に、各国のGDP(国内総生産)の相対的な大きさをウェイトとして用いました。ちなみに、これら9カ国のインフレ率のメディアン(中央値)――平均よりもメディアンの方が典型的な事例を表していると言えるかもしれません――を見ますと、1980年代の平均では年率61%、1990年代の最初の5年間全体の平均では年率26%という結果になっています。 []
  3. 原註3;アルゼンチン、ブラジル、ペルーの3カ国のインフレ率は、1989年と1990年の段階ではいずれも4桁台の水準にとどまっていましたが、1997年までに1桁台にまで低下することになりました。(原註2)と同様に、9カ国のインフレ率のメディアンを見ますと、1995年から1999年までの平均では年率9.5%、2000年から2004年までの平均では年率5%という結果になっています。 []
  4. 原註4;Fischer, Sahay, and Vegh(2002)は、高率のインフレに見舞われている地域では財政赤字と貨幣の新規発行との間に強い相関が見られる事実を発見しています。また、彼らの論文によると、高率のインフレとマクロ経済の貧弱なパフォーマンスとの間にも相関が見られるとのことです。 []
  5. 訳注;課税の対象となり得る所得や資産 []
  6. 訳注;実物的な要因の変動に伴って不可避的に生じる現象 []
  7. 訳注;物価スライド []
  8. 原註5;実際に下方スパイラルに陥った例の中でも一層過酷なケースは、1973年から1976年にかけてのアルゼンチン、1970年から1973年にかけてのチリ、1985年から1990年にかけてのペルーです。 []
  9. 原註6;この点に関して多くの示唆を含んでいるラテンアメリカ以外の例としては、1980年代中頃のイスラエルで実施された安定化プログラムを挙げることができるでしょう。当時のイスラエルでは安定化プログラムの結果としてインフレが急速に安定することになりました。 []
  10. 訳注;金融政策に一定の規律を課す錨のような役割を果たす仕組みのこと。金融政策に対して名目的なアンカーを提供することは、通貨価値(インフレ率)の安定化をはじめとしたマクロ経済の安定化を促す上で重要な手段の一つだと考えられる。 []
  11. 原註7;Mishkin(2000)は、ラテンアメリカ諸国で採用されたインフレ目標と「完全な」 インフレ目標とを区別しています。「完全な」インフレ目標体制下では、中期的なインフレの目標が宣言されるだけではなく、中央銀行と政府がその目標の達成に向けて制度的にコミットするとともに、中央銀行の独立性や透明性および説明責任に大きな強調が置かれることになります。ラテンアメリカ諸国では通常はまずインフレの数量的な目標が宣言されるだけであり、その後時間をかけて徐々に「完全な」インフレ目標に備わるその他の重要な特徴が取り入れられることになりました。インフレ目標体制の理論的な根拠(正当化)とその実際上の経験については、Bernanke, Laubach, Mishkin, and Posen(1999)で詳細に論じられています。また、Mishkin(2000)やCorbo and Schmidt-Hebbel(2001)では、新興各国において採用されたインフレ目標について(ラテンアメリカ諸国が採用したインフレ目標についても個別具体的に)有用な分析が行われています。 []
  12. 原註8;ブラジルで新たな金融政策のレジームが採用され、それが当初好ましい結果をもたらす上では当時のブラジル中央銀行総裁であるアルミニオ・フラガ(Arminio Fraga)が重要な役割を演じました。彼がプリンストン大学の大学院生だった当時、私は彼の博士論文を審査するという光栄な機会に恵まれました。 []
  13. 原註9;Fraga, Goldfajn, and Minella(2003)では、インフレ目標が成果をあげる上ではそれ以外にどのような政策や改革が伴う必要があるかが論じられています。 []

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