マーク・ソーマ 「『経済の失敗』の背後に潜む『経済学者の失敗』 ~アカロフ&シラー(著)『アニマルスピリット』の強みと弱み~」(2009年5月8日)

●Mark Thoma, ““The Failure of the Economy&the Economists””(Economist’s View, May 08, 2009)


ベンジャミン・フリードマン(Benjamin Friedman)がニューヨーク・レビュー・オブ・ブックスに書評記事を寄稿している。書評の対象となっているのはアカロフ&シラー(著)『Animal Spirits』(邦訳『アニマルスピリット』)とシラー(著)『The Subprime Solution』(邦訳『バブルの正しい防ぎかた』)の二冊だ。以下にそのほんの一部を引用しておこう [1] 訳注;以下の引用箇所ではアカロフ&シラー本だけしか取り上げられていないが、原記事ではシラー本も俎上に載せられている。

The Failure of the Economy&the Economists;Review of Animal Spirits: How Human Psychology Drives the Economy, and Why It Matters for Global Capitalism by George A. Akerlof and Robert J. Shiller; and The Subprime Solution: How Today’s Global Financial Crisis Happened, and What to Do About It by Robert J. Shiller” by Benjamin M. Friedman:

ここ最近の歩みを振り返るとこう考えざるを得ないだろう。アメリカ国内の主要な金融機関にしてもそういった金融機関が牛耳っている金融市場にしてもアメリカ経済のために有用な働きをしているとは到底言えない、と。今となってはそのことに異を唱える人などほとんどいないことだろう。

・・・(中略)・・・

もう二度と今回のような危機に見舞われたくないという点については幅広い合意が得られているものの、それではそのために(今回のような金融危機の再発を防ぐために)どのような改革を行う必要があるかをめぐって盛んに議論が交わされているかというとそういうわけでもない。そのあまりのなおざりぶりにはやきもきさせられるほどだ。

・・・(中略)・・・

金融システムが果たすべき役割は何なのか? 金融システムはその役割をどこまでうまく果たせているか? 金融危機を巡る目下の議論ではこの一連の疑問があっさりと無視されてしまっている。今回が特別そうだというわけではなく過去においてもそうだった。

・・・(中略)・・・

金融危機を巡る目下の議論の中ですっかり無視されてしまっている重要な争点は他にもある。銀行をはじめとした(資金の)貸し手が被る損失は二つのタイプに峻別できるという点だ。銀行をはじめとした(資金の)貸し手が被る損失の中には一国の富の総額の減少を意味するものとそうでないものとがあるのだ。

・・・(中略)・・・

目下の議論において重要な争点の数々がほとんど見向きもされていないのはどうしてなのだろうか? 資本の効率的な配分を促すという目的が一方であり、金融業がその目的を果たす上で不可避的に発生するコストをできるだけ抑えるという別の目的がもう一方である。二つの目的の間でバランスをとるにはどうすればいいか? このような問いがほとんど語られずにいるのはどうしてなのだろうか? 一つ目のわかりやすい理由は政治的なものだ。「政府には果たすべき有用な役割がある」という立場が国是となったルーズベルトの時代から「政府は問題解決の担い手なんかではない。むしろ政府こそが問題を引き起こしている元凶なのだ」と説くレーガン&サッチャーの時代へと政治の世界で劇的な潮流の変化があったというのが一つ目の理由だ。二つ目の理由はイデオロギー的なものであり、一つ目の理由とも密接な関わりがある。営利の追求を原動力とする私的な経済活動には自己調整能力が備わっており、その自己調整能力のおかげで何か問題が起きても自動的に問題は解決される。そう信じて疑わない信念が広がりを見せているのだ――その信念を体現している代表的な人物がグリーンスパンだ。若い頃にアイン・ランドの小説に心酔した経験もある彼はFRB議長時代に公的な規制に頑ななまでに反対の姿勢を示したものだ――。

三つ目の理由を提示しているのがジョージ・アカロフ(George Akerlof)とロバート・シラー(Robert Shiller)の二人だ。この二人の経済学者によると、問題は知的な面にも求められるという。彼らの同僚でもある経済学者集団の従来の思考の中身に系統的な過ちが潜んでいるというのだ。アカロフとシラーの二人はジョン・メイナード・ケインズの有名なフレーズをタイトルに冠した新著の中で語っている。今の世代の経済学者たちは「アニマルスピリッツ」(”animal spirits”)に十分な注意を払っていない、と。「アニマルスピリッツ」は日常のごくありふれた選択の場面の数々でもその影響を表す心理的な(時に不合理的でさえある)因子であり、経済的な意思決定もその影響から無縁ではないというのが二人の主張だ。

アカロフ&シラーのタッグは「アニマルスピリッツ」を5つの構成要素に腑分けしている。「確信(安心)」(confidence)ないしはその欠如(弱気、不安)。「公平さ」(fairness)の希求――行動規範の一種。例えば、金物屋が吹雪の直後にお客が殺到した(雪かきスコップへの需要が高まった)のを受けて雪かきスコップの値段を引き上げようものならけしからんと不評を買うことだろう。緊急事態に乗じて商品の値段を引き上げるというのは「不公平」な振る舞いだと受け取られるからである――。「腐敗と背信」。「貨幣錯覚」――名目価格の変化と実質価格の変化を混同しがちな傾向――。そして「物語」への傾倒――「インターネットが生産性の劇的な向上を約束する『新時代』の幕が開かれた!」とかいうような活気ある「お話」についつい惹かれてしまう傾向――。以上の5つだ。従来の経済学では現状の危機をうまく理解できないのも危機への有効な対応策を提示できないのもこれら5つの「アニマルスピリッツ」の役割が無視されてしまっているためだ。アカロフとシラーの二人はそう主張する。

・・・(中略)・・・

もっと大局的な観点から問うておくべき質問がある。アカロフとシラーの二人は果たして部分の総和以上のものを生み出すことに成功しているだろうか? [2] … Continue reading その答えはある面では「イエス」であり、別の面では「ノー」である。

まずは「イエス」と言える面から取り上げると、過去数十年を通じて形作られてきた主流派のマクロ経済学の「狭さ」を露にし、その「狭さ」ゆえに主流派のマクロ経済学には現状の危機(や類似の現象)を説明し有効な処方箋を捻り出す能力に「タガ」が嵌められてしまっている様をあぶり出すことには成功している。

・・・(中略)・・・

主流派のマクロ経済学がたびたびうまくいかなくなることがあるのは誰の目にも明らかな事実(失業であったり信用市場をはじめとした現実の制度であったり)を無視しているためであることに加えて、本書の中で取り上げられている「アニマルスピリッツ」に由来する(数値化するのが難しい)行動パターンに注意を払っていないためであること。アカロフとシラーの二人はそのことを露にするのにも成功している。確信(安心)もその欠如も明らかに重要な役割を果たしている。・・・(略)・・・

アカロフとシラーの二人も述べていることだが、確信(安心)の動揺が資産価格や実体経済に及ぼす効果が標準的なモデルに組み込まれている見慣れた要因――金融政策の変更や石油価格の乱高下など――の効果を上回る可能性も十分考えられることだ。「貨幣錯覚」もマクロ経済の振る舞い(マクロレベルの現象)の一側面に重要な影響を持っていることは疑うべくもない。

・・・(中略)・・・

「マクロ経済学を丹念に磨き上げて科学として一人前に仕上げようとする」試みにしてもそのために課された「研究上の枠組みや方法論」にしても主流派のマクロ経済学の射程範囲をどうしようもないほど狭めてしまう羽目になってしまったというわけだ。

それでは問うとしよう。『Animal Spirits』では人間の行動に重要な影響を及ぼす(主流派のマクロ経済学では軽視されている)要因に目を向けている(行動経済学方面の)一連の研究が紹介されているわけだが、アカロフとシラーの二人はそのような個々の研究の一覧以上のものを提供できているだろうか? 「我々二人はマクロ経済を分析するための『新理論』を提案する仕事をやり遂げた」。アカロフとシラーはどうやらそう信じているようだ。

・・・(中略)・・・

経済的な意思決定(ミクロレベルの意思決定)の様々な側面に光を当てるアイデアの数々を列挙するのとそのような個々のアイデアを統合してマクロ経済の変動を説明するためのまとまりのある「理論」を作り上げるのは同じことではない。「主流派のマクロ経済学のモデルにはこんな要素(パーツ)が欠けている」。そう指摘するアカロフとシラーの二人は間違いなく正しい。「こんな要素(パーツ)を主流派のモデルに組み込めば助けになるだろう」。そう指摘するアカロフとシラーの二人も間違いなく正しい。しかしながら、アカロフとシラーの二人は(ミクロレベルの意思決定にとどまらず、マクロ経済の変動も説明できるような)まとまりのある「理論」を作り上げているわけでもないしそのやり方を読者に指南してくれているわけでもない。というわけで、マクロ経済学の講義で学生が学ぶ内容を一新してみせるという彼らの目標も少なくとも今のところはまだ叶いそうにないと言わねばならないだろう。

アカロフとシラーの二人は「アニマルスピリッツ」が(ミクロレベルの)経済的な意思決定の様々な側面に重要な影響を及ぼす例の数々を収集しているに過ぎず、マクロ経済の振る舞いを説明するための首尾一貫した理論を構築するまでには至っていないわけだが、その点を考慮すると本書で提案されている(現状の危機に対処するための)処方箋の数が乏しいのも驚くことではないだろう。

・・・(中略)・・・

具体的な政策については寡黙であり、タガが嵌められた主流派のマクロ経済学に取って代わる一人前の「理論」も提示されてはいない。それにもかかわらず、アカロフとシラーの二人が語る中心的なメッセージの力が損なわれるわけではない。主流派のマクロ経済学に対する彼らの厳しい論難はもっともなものだし、彼らが「アニマルスピリッツ」と呼ぶものが主流派のマクロ経済学が抱える致命的な欠点と重要な関わりを持っているという指摘もその通りだ。『Animal Spirits』は新たな研究プログラム(アジェンダ)の道を切り開いており、その道を突き進んでみるだけの価値はあるように思われる。

References

References
1 訳注;以下の引用箇所ではアカロフ&シラー本だけしか取り上げられていないが、原記事ではシラー本も俎上に載せられている。
2 訳注;従来のマクロ経済学では軽視されている様々な(行動経済学方面の)研究を単に列挙(紹介)しているだけではなく、それ以上の何かを成し遂げられているだろうか?、という意味。
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