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経済史の使い方 ―BARRY EICHENGREEN インタビュー―

Federal Reserve Bank of ClevelandInterview with Barry Eichengreen“(May 23, 2013)


An interview by Mark Sniderman

「経済史家」という用語からは、遥か過去にのみ思いをはせる研究者を思い浮かべる人もいるだろう。肘掛椅子に腰かけて遠く過ぎ去った日々については長々と語るが、現在に関する知見は全くないという学者だ。バリー・アイケングリーン氏はそうした紋切り型のイメージの有力な反証だ。経済史上の出来事を研究すればするほど、氏は過去と現在を繋げることに卓越していくようだ。その一方で、氏は「教訓(lessons)」は独り歩きしがちであるということにも注意を払っている。今日の経済史家が当然のことだと考えていることも、将来においては完全に否定されうるのだ。

バリー・アイケングリーン氏は、カリフォルニア州立大学バークレー校の政治学及び経済学教授であり、同州は氏の故郷でもある。氏は貨幣システムと国際金融の専門家として知られており、大恐慌から近年の金融危機に至るまでの様々なテーマについて、10以上の著書とそれを遥かに上回る研究論文を発表している。

アイケングリーン氏は2012年12月に開かれたクリーブランド連銀の研究会議「経済史の視点から見る現在の政策」の基調講演者1 である。その機会をとらえ、クリーブランド連銀の上級副総裁兼政策責任者(executive vice president and chief policy officer)であるマーク・スナイダーマンがインタビューを行った。以下はそれを文字に起こして編集したものである。


スナイダーマン:お話しすることができて光栄です。今回の会議では経済史の正しい使い方と誤った使い方について議論すると伺っております。人々が過去からの教訓を昨今の金融危機に対してどのような形で誤用してしまっているのか、一例を挙げて頂けますでしょうか。

アイケングリーン:こちらこそ光栄に思います。

私が「教訓」(”lessons”)と口にする際は、常に鍵括弧付きであると思ってください。「教訓」は、機械的に引かれてしまうとミスリードになってしまう可能性が高いということに私は注目しています。例えば、大恐慌に関する研究からの一つの「教訓」は、深刻な銀行危機がどれほど破滅的なものになりうるかというものです。簡単に言えば、これが昨今の金融危機の前段階において、FEDやその他の規制当局が銀行システムに対してかような程に深く注意を払った理由です。しかしこの歴史からの「教訓」は、部分的にではありますが、私たちのシステム内の緩やかに規制されている銀行やそれに類する金融業者を知らしめる一方で、シャドーバンキングシステムにおいて何が起こっているかを見過ごしてしまう一因となりました。

なぜ当局はそのような見過ごしを行ってしまったのでしょうか。これに対する一つの回答は、1930年代においては言及すべきシャドーバンキングシステムは事実上存在しなかったというものです。私たちは銀行システムにおいて何が起こっているかについて深く注意を払うということを学びましたが、それは狭義の銀行システムです。このバイアスによって、政策決定者は金融システムの別の部分で何が起こっているかを見過ごしてしまった可能性があります。

もう一つの例、これはヨーロッパにおけるものですが、それは拡張的財政再建などというものが必ず存在するという「教訓」です。ヨーロッパ人は、そのような括りが存在するとしてですが、景気後退の蔓延を経験することなしに予算を削減した、1980年代のオランダやアイルランドの事例に着目しています。両国が財政再建をしながらも成長を持続させたことから、今日のヨーロッパにおいても同じことができるはずだと主張する人々がいます。しかし、この歴史上の出来事から現代に対して理由付けを行うのは間違いです。なぜなら、国及び国際的なレベルにおいての状況が全く異なるからです。アイルランドやオランダは非常に小さな国であり、両国が財政再建を行ったのは世界経済が成長している最中でした。こうしたことがあったため、両国は国内需要を海外からの需要で代替することができたのです。さらに、今日の欧州各国とは違って両国は独自の貨幣政策を持っていたため、為替レートの減価によって輸出品の競争力を一挙に強化し、景気後退の蔓延を免れたのです。しかし、これらの事例から現在においても同じことが必然的に可能となると言うことはできません。ヨーロッパ全土において同時に財政再建が行われています。ほとんどの国は独自の為替レートと貨幣政策を持ってはいません。そして世界経済の成長はしっかりとしたものではないのです。

政策の指針とも誤針ともなりうる三つ目の歴史からの「教訓」は、ハイパーインフレーションがいつどこでも容易に発生するものだというドイツにおける信念でしょう。欧州中央銀行がOMT(Outright Monetary Transactions)のような、何らかの非伝統的なことを行う際はいつも、それがインフレという名の猟犬を野に放ってしまうという警告がドイツの新聞に載ります。こうした思い込みは、穏やかなインフレなどといったものはないという、ドイツの学校で教えられている歴史からの「教訓」を反映しています。別の言い方をすれば、これは1920年代のハイパーインフレーションの苛烈な影響を反映しているのです。こうしたドイツの学校の教科書から、1930年代の高失業率とそれによってどのように非常に悲惨な政治的社会的帰結がもたらされたかが抜け落ちているのは、傍目に見れば興味深いと同時に、いささか以上に奇妙なことです。

より大きな問題として、「歴史の教訓」という観点から考えるのは、果たして生産的であるのかということがあります。経済理論には何の教訓もありませんが、その代わり単に私たちがどのようにこの世界を考えるかということを体系立てて構成する方法をもたらします。

スナイダーマン:大恐慌とドイツにおけるハイパーインフレーションについて、もう少々お話し頂きたいと思います。今日、アメリカにおいて同様の懸念をしている人たちがいます。彼らはマネタリーベースの拡大を見てインフレを心配しています。アメリカの貨幣政策のせいで大きなインフレが起こりつつあるかどうかについて、人々が未だに議論を戦わせているのは驚くべきことだと思いますか。また、高失業に見舞われている中でさえも、そうしたことについて考えるのは適切であると考えますか。

アイケングリーン:貨幣政策の実施が議論にさらされるのは驚きではありません。議論と不同意は健全です。不換紙幣は複雑な概念であって、全ての人々が信用しているわけではないのです。

しかし、インフレのリスクを考えることは重要ですが、基準を下回る成長が長引くことによって潜在的な産出に恒久的な悪影響がもたらされる可能性があることを懸念することも同様に重要です。確かに、こうした問題を解決できる手段をFEDが持っているかどうか、理知的な人々は疑問に思うかもしれません。しかし、そうした議論を行うことが重要です。

スナイダーマン:教授は大恐慌に関する研究を多くされていますので、この点についてもう一つだけ質問させて頂ければと思います。大恐慌と現在の類似点と相違点について、これまで研究を進められてきましたね。その点について何らかの結論は出ていますか。

大恐慌に関する私の研究は、その国際的な面に着目しています。大恐慌のきっかけにおいて金本位制とその他の国際的な結びつきが果たした役割や、大恐慌の終焉をもたらすにあたり金本位制の廃止や国際貨幣レジームの変更が果たした役割を強調したのです。

一人の研究者として、私は大恐慌に関する多くの研究がアメリカを基本的に閉鎖経済として扱っている傾向にあることに驚きを受けました。それからすると不思議なことでは多分ありませんが、2007年当時に進行していた事態が、アメリカのサブプライムローン危機とみなされる傾向にあったことにも驚きを受けました。その後、私たちは単なるアメリカの危機ではなく、世界危機に直面していることに気付きました。しかしかなりの期間、多くの人々が、特にヨーロッパにおいて、自分たちの経済は金融危機の影響を受けないと考えていました。彼らは、進行しつつある事態はアメリカの中だけの問題と考えていたのです。彼らは、アメリカで起こっていることがアメリカ内に留まらないことに気付いていませんでした。また、ドル資金に強く依存していたヨーロッパの銀行が、アメリカの経済・金融的状況と深く結びついていることにも気付いていませんでした。大恐慌と現代の世界金融危機を比較するにあたってまず最初に私がケルヴィン・オロークと行った研究の一部は、GDP、工業生産、貿易、世界中の株価の指数を構築し、世界的に見た場合、今回の危機はあらゆる点において1930年代のそれと同じくらい深刻であることを示すことでした。

スナイダーマン:多くの欧州各国が私たちの金融的災厄から共に影響を受けている状況下において、どういった国際貨幣レジームの変化が、それがあるとすればですが、有用となるのでしょうか。

アイケングリーン:歴史上において数少ない不変であるものの一つは、現状に対する不満です。為替相場が固定されていた時代、ミルトン・フリードマンは変動相場のほうが優れていると述べました。相場が変動的になった際、ロン・マッキンノンを始めとする人々は、固定相場に戻るほうがよいと主張しました。本当のところは、固定相場と変動相場の間にはトレードオフがあり、そしてより一般的に言えば、そうしたトレードオフはどのような国際貨幣制度にも存在するのです。為替相場に対するコミットメントはその国の貨幣政策決定者の自律性を制限し、それはそうした自律性が間違った使い方をされている場合には良い影響をもたらしえます。しかし、その自律性が喫緊の経済問題の解決にとって必要な場合には悪い影響につながる場合もあるのです。完全な為替相場レジームというものは、実際には存在しないのです。もしくは、ジェフリー・フランケルの言葉を借りるならば、あらゆる時と場所に適する為替相場レジームは存在しないということです。

とは言うものの、政策決定者の柔軟性と裁量は時とともに拡大する傾向にありました。これは、中央銀行の使命がより複雑化したためであり、それは必然的に経済の一層の複雑化によるものとも言えるでしょう。そうしたより複雑な使命の意味するものは、貨幣政策の実施においてより多くの裁量と判断力、そしてその裁量を発揮するために必要なより柔軟な為替相場の必要性です。

スナイダーマン:もし各国が今も独自の通貨を持っていたら、欧州連合において今回の危機は違った展開を見せたと思われますか。大恐慌において金に固定したレジームが問題であったと同様に、ユーロそれ自体がヨーロッパの抱える問題の一つなのでしょうか。

アイケングリーン:御質問のとおり、ヨーロッパは特殊なケースです。ヨーロッパの人々は彼ら自身の独自の歴史を持ち、そこから彼ら自身の独自の「教訓」を引いてきています。彼らは1930年代の経験から、現在の私たちが通貨戦争呼ぶもの、つまりは近隣窮乏化為替相場政策は、第二次世界大戦の原因となった緊張関係を作り出した一因であると結論付けました。ヨーロッパをより平和的な地域にするという欲求が欧州連合の創設をもたらしたのです。そしてそうした試みにとって必要不可欠であったものが為替相場の安定化への努力であり、まずアド・ホックベース2 に行い、それからユーロへ移行したのです。

当初予期した通りに物事が運ぶかどうかは、常の通りまだ議論の最中です。今私たちは、通貨連合への移行が時期尚早であったことを知っています。通貨連合には少なくとも限定的な銀行連合3 が必要であり、銀行連合には少なくとも限定的な財政連合が必要で、そして財政連合には少なくとも限定的な政治的連合が必要です。現在ユーロの加盟国は可能な限り早く、確かに万事順調というわけでありませんが、銀行連合、財政連合、そして何らかの政治的連合を通貨統合の中に組み込むよう再構築へと向かっている最中です。それが成功であるかどうかは時間が教えてくれるでしょう。

しかし1999年の通貨統合が後から見れば時期尚早であったとしても、歴史が常に逆回転するわけではないことを理解しておくことは重要です。ヨーロッパの人々は自らの通貨連合がうまく機能するようにする必要があります。さもなければ、高い代償を支払うことになるでしょう。

スナイダーマン:大分踏み込んだ質問をさせてください。全てがうまく機能するのに必要となりうる物事をヨーロッパの人々が最初の時点から理解していたら、彼らはそうした実験に踏み出さなかっただろうと思いますか。また、にもかかわらず彼らは踏み出してしまったために、ユーロという制度を持続させるために必要な処置をする公算が高まった4 のでしょうか。

アイケングリーン:よろしければ、ユーロに関する初期の研究に触れさせて頂ければと思います。1992年、マーストリヒト条約が採択される際、欧州連合の加盟国は通貨連合を作ることを約束しました。これによって多くの研究が巻き起こったのです。当時私がタミム・バユーミとともに書いた論文は、大きなユーロ圏と小さなユーロ圏のどちらが良いかについてでした。私たちはフランス、ドイツ、ベネルクスを中心とした小さいユーロ圏がより賢明であると結論しました。したがって、ヨーロッパの人々が犯した間違いの一つは、政治的にはおそらく当然であったとはいえ許されることではありませんが、大きなユーロ圏を選択したことです。

Journal of Economic Literatureに発表した別の論文で、私は銀行連合の必要性について数ページ述べています。単一通貨、単一金融市場、統合銀行制度を作るならば、共通の銀行監督、規制、救済制度も作ることの重要性です。ヨーロッパの指導者たちの頭の中では、統合のペースを押し上げることができると考えていました。彼らは、通貨連合へと移行することによって銀行連合についての合意へより早く達することができると考えていたのです。より早くという言葉は、一晩という意味とは限りません。彼らはこの一連の過程には数十年かかると考えていました。不幸なことに、2007年から2008年にかけての危機が脇から彼らを襲いました。彼らが数十年と考えていたものは十年となり、彼らはそれによる影響と闘っているのです。

スナイダーマン:過去に国際通貨及び準備通貨としてのドルの役割について書かれたことがありますね。それが将来的にどうなるかについてのお考えもお持ちのことと思います。この点について詳しく述べて頂けますでしょうか。

アイケングリーン:まず最初に、これはよく見逃されていることですが、重要な国際通貨というものは多くの場合において一つ以上あったということです。19世紀末には、英ポンドだけでなく仏フランや独マルクがありました。1920年代にはドルと英ポンドの二つがありました。20世紀後半は歴史的には特異な期間で、世界に開かれた流動的な金融市場を持つ大国がアメリカという国一つしかなかったために、一つの国際通貨しかなかったのです。この期間においてドルが支配的であったのは、単に他に代替物がなかったためです。

しかし、これは永遠に続くことではありません。アメリカは、それ以外の国が必要とするだけの安全で流動的な資産を永遠に供給し続けることはできないでしょう。新興市場は発展を続けます。アメリカ以外の国は技術先進国、幸運にもこれは未だアメリカですが、それを追い上げ続けるでしょう。アメリカは現在世界経済の約25%を占めています。10年後この割合は20%になるかもしれませんし、20年後にはそれ以下になりそうです。アメリカ財務証券は、海外の中央銀行の資産や国際流動性において単一の最大シェアを占めていますが、その発行済証券の裏付けを行うアメリカ財務省の力は、将来的に世界経済の大きさと比較してより限定されたものとなるでしょう。それを代替するものが必要となるはずです。

数年前このテーマについて書いた本、「Exorbitant Privilege: The Rise and Fall of the Dollar and the Future of the International Monetary System(邦訳:とてつもない特権: 君臨する基軸通貨ドルの不安[勁草書房])」において、私はユーロと人民元が妥当な選択肢であるとしました。私は、ひょっとしたらその両者が2020年までにドルに対して有力なライバルとなりうると書きました。ドルは表示通貨や貿易決済通貨、中央銀行資産の投資先としては一番手であり続けるかもしれませんが、ユーロと人民元はすぐそばまで追い上げる可能性がありました。

時とともに、こうしたライバルの先行きについて私はより悲観的になりました。2010年に私の著書が出版された際、私はユーロ危機の深刻さとその解決の難しさを見通していませんでした。自己弁護できるとしたら、それは誰も予見していなかったということです。そして、私は中国が彼らの通貨をうまく国際化させるのにどれだけのことが必要となるかについて、過少に見積もっていました。彼らは依然としてその方向に向かっています。彼らは企業が貿易の表示、決済通貨として人民元を使用するように段階を踏んできており、今は金融市場へのアクセスを徐々に自由化しています。しかし、彼らには大きな問題があります。歴史上のあらゆる準備通貨は、何らかの政治的民主主義と共和政体の通貨でした。確かに、アメリカとイギリスという二つのデータしかないため、この仮説を検討するにちょうど足る自由度があるとは言えません。しかしドルと英ポンド以前に目を向けてみれば、主導的な国際通貨はオランダ共和国、ヴェネチア共和国、ジェノヴァ共和国によるものでした。これらのケースも同様にこの仮説と整合的です。

問題は、何故そうであるのかということです。その答えは、国際的な投資家、中央銀行も含みますが、彼らが、日和見的に振る舞う可能性を制限するためのチェック・アンド・バランスの下にある政府の資産のみを保持したいと考えているからです。政治的民主主義と共和政体は、そうしたチェック・アンド・バランスの明らかな源です。別の言い方をすれば、中央政府の恣意的な行動が制限されていることを中国は示さなければならなくなるということです。政治の分権化、非政府組織の強化、もしくは恣意的な行動に制限を課すそれ以外の何らかのメカニズムといったものです。これは海外投資家、公的なものと民間双方が中国の通貨を完全に安心して保有する前提となるものです。

私はしたがってこれらのライバルがドルを追い落とすことよりも、適切な代替物が現れる前にアメリカが安全で流動的な資産を必要量供給する能力を失ってしまうことを懸念しています。スイスは安全で流動的な資産を必要なだけ供給できるほどには大きくありません。ノルウェー、カナダ、オーストラリアもそうです。現在私たちは流動性という水に満ちた世界を泳いでいますが、例えば10年後には、21世紀のグローバリゼーションの車輪を回すのに足るだけの国際的な流動性がないという危険性を見過ごしてはなりません。

スナイダーマン:お話を伺うに、こうした他の通貨の伸張は、それがなければある種のリスクが私たちにもたらされるために、アメリカにとっても好ましがるべき、おそらくは歓迎すべきことでさえあるとおっしゃられているように思いますが。

アイケングリーン:その通りです。アメリカは堅調かつ統合された世界経済の存在から恩恵を得ています。しかしクローバリゼーションは同時に、流動性を必要とします。そしてアメリカは、世界経済が必要とする国際流動性を単独で満たすことはできません。したがって世界の貨幣及び金融制度の多極化は私たちにとって歓迎すべきものなのです。これは私たちにとって良いことであり、世界経済にとっても良いことなのです。外国の中央銀行という専属市場を失うがゆえに、私たちが財務証券を売る際に数ベーシスポイント多く支払わなければならないということは、法外な費用ではありません。

スナイダーマン:金融危機自体は、そうした多極化の動きとそのスケジュールにどのように影響したのでしょうか。ある意味遅れさせたように思えますが。

アイケングリーン:金融危機は明らかにドル支配からの離脱を鈍化させました。サブプライムローン危機が弾けた際、多くの人がドルは大幅に下落するだろうと思い、中国人民銀行が保有しているドル建証券を売却するかもしれないと考えました。明らかになったのは、危機においては、個人、政府そして中央銀行が流動性以上に重視するものはないということです。そして世界で最も流動的な市場は、アメリカ財務証券市場です。リーマンブラザーズがアメリカの政策のせいで破たんした際、全員がドルから離れるのではなく、逆に殺到しました。議会が2011年8月に債務限度の引き上げについておかしな議論を行った際も、全員がドルから離れるのではなく、殺到しました。これは皮肉かもしれませんが、事実なのです。

そして金融危機の二つ目の効果は、世界舞台におけるユーロの隆盛を遅らせたことです。これもドル支配の継続に寄与しました。

スナイダーマン:経済学者や政策決定者はいつも物事を見落とします。現在の政策決定者が歴史の「教訓」に満足せず、これらの点についてより広い点から考えるように、経済史家としてできることはありますか。

次の二つの質問に切り分けることが重要です。すなわち、私たちはもっとうまく危機を予測することが可能だったのでしょうか。また、私たちはそれにもっとうまく対処することが可能だったのでしょうか。最初の質問について、経済学者や経済史家が金融危機のような複雑で偶発的な出来事を正しく予見するというのは、過剰な期待だと私は考えます。1990年代に、私はチャールズ・ウィプロズとアンドリュー・ローズとともに、為替相場が崩壊した事例である通貨危機についての研究を行いました。私たちは、歴史的なデータと上手く合うもの、すなわちサンプルと上手く合うものは、サンプル以外とも上手く合うわけではないということを発見しました。私たちは通貨危機の先行指数の有用性に関して、全員一致して懐疑的であり、次の出来事はそうした私たちの考えを裏付けました。ポール・サミュエルソンは、経済学者が過去の7つの経済危機のうち13の危機を予測したと述べたことがあります。別の言い方をすれば、タイプ1の間違い以外にもタイプ2の間違いがあるのです(間違った予測をするという問題と、予測をし損なうという問題)。

昨今の危機に関しては、結果論からすれば多くの経済学者たちが―経済史家も決してそこから漏れるものではありません―大平穏期(the Great Moderation)などというものが存在するという考えに、安易に飛びついてしまったというのは明らかでしょう。これは優れた規制、貨幣政策の改善、そして自律的な財政的安定化の発展によって、私たちは景気変動の波を抑えることが出来るようになったという考えです。もっとよく歴史に注意を払っていれば、過去に同様の主張がなされたことを思い出していたことでしょう。19世紀の金融危機は信用市場の不安定が原因であり、FEDの設立によってそうした問題は解決され、景気変動は飼いならされたと考えられたのです。1920年代末に見られた資産価格の上昇は、より安定的な経済の幕開けとして完全に説明できると結論付けられました。これは大平穏期というよりは新時代(the New Age)という名で呼ばれたのでしょうが、根底にあった間違いとまでは言わないものの、根底にあった考えは同じものでした。

昨今の危機における私たち経済学者の役割を理解することに関連する更なる事実は、マクロ経済学と金融を統合することを生業とするものとして、私たちは大したことをしてこなかったというものです。フランコ・モディリアーニとジェームズ・トービンによる先駆的な業績に始まる、個人による偉業は存在しました。しかし、学術研究や、連邦準備制度の用いるモデルも、金融の発展と実物経済がどのように相互作用するのかを今日においてさえ適切に把握できていません。2007年から2008年にかけて、金融の分野で問題が起き始めた際、それによってもたらされる結果を政策決定者やそのアドバイザー―彼らは問題を小さく見せかけようとします―はしっかりと予測できていませんでした。名前は言いませんが、私は少なくとも二人の有力な政策決定者を思い浮かべることができます。彼らが2007年に、住宅価格の低下の影響は「限定的だ(contained)」と断言したことは良く知られています。これによって、債務担保証券(collateralized debt obligations)やその他の金融派生商品を通じて住宅価格の低下が金融システムとどのように繋がっているか、もしくは同じようにそうした商品が重要な金融制度とどのように結びついているかを、私たちが理解していなかったことが明らかとなりました。限定というには大きすぎますね。

スナイダーマン:経済史の使用がもたらす困難の一つは、採用にあたっての選択性ではないかと思います。「教訓」を学ぶために、ここでもう一度大恐慌に立ち戻りたいと思います。大恐慌やFEDの役割に関する一部の研究結果を背景に、FEDが学ぶべき「教訓」とは、果敢に行動すること、早期に行動すること、資金を早過ぎる段階で引き上げないことであるとしばしば言われます。そしてこれはFEDが採用することを選んだ枠組みでもあります。その一方で、アメリカ経済史の別の部分から「教訓」を引き、「このような規模の流動性創出、バランスシートの拡大等々が、大インフレを引き起こさないなどとは考えられない」と言う人たちもいます。異なった考えをもつ人々が、「歴史はXと教えてくれている」と言うための歴史上の地点を選び、それを自分が正しい対応策と思うものの裏付けに使うのであれば、先ほどおっしゃられた通り、そうした比較が本当に適切であるのかどうかということを指摘するより他はないのではないかと思いますが。

政治学と外交政策に関する、とある文献がその問いに答えてくれます。有名な例としては一方にトルーマン大統領と朝鮮、もう一方にはケネディ大統領とキューバ危機が挙げられるでしょう。ハーバード大学の政治学者であるアーネスト・メイは、トルーマンは彼の世代の心に焼き付いていた政治的出来事であるミュンヘン条約(Munich)5 の観点からのみ考えていたと主張しました。それによって形成された視点から、トルーマンは北朝鮮と中国が越えてはならない一線を越えていると見なし、攻撃的に対応する傾向にありました。その一方でケネディは、トルーマンほどミュンヘン条約に囚われていませんでした。彼にはアーサー・シュレジンジャーを始めとする、歴史家のアドバイザーがいました。彼らアドバイザーはケネディに対し、類似点のポートフォリオを形成・考慮し、状況に対するそれらの適切さ、言い換えればそれらの「当てはまり」をテストするように促しました。シュレジンジャーらは、ミュンヘン条約だけでなく、サラエボにも目を向けるべきと提案したのです。現在の状況についての様々な先例に目を向け、そのどれが最も良く現状に当てはまるのかを考え、そして対応策を考えるために歴史を使う場合にそうした当てはまりを考慮に入れることが重要です。

2008年の出来事が起こった際、無意識のうちに大恐慌に考えを向ける傾向があったと思います。トルーマンにとってのミュンヘン条約だったものが、貨幣政策経済学者にとっては大恐慌なのです。大恐慌と現在の危機を比較して、「もう一つの大恐慌」を避ける必要性という観点から現在の危機についての対応を形成するという傾向が過剰反応につながったというのは、少なくとも可能性としてはありえます。公平を期して言えば、経済史家は別の類似性の指摘を行いました。金融危機は1907年にもありました。1873年にも危機はありました。どんな場合においても、先例と類似性に関するより完全でより多数からなるポートフォリオを作り上げ、それを政策対応の参考としていれば、より良い結果がもたらされていたことでしょう。もちろん、その場合には政策決定者は何らかの経済史のトレーニングを受けている必要があったでしょうが。

スナイダーマン:ここでスタート地点にまで戻ってきたように思います。経済史の正しい使い方と誤った使い方から始まり、インタビュー全体を通して経済史について話してきました。ここで経済史と経済史家とは何であるかについて、教授のお考えをお話頂くのも良いかもしれません。歴史について研究する経済学者や、経済学のテーマについて研究する歴史家と単に言わないのは何故でしょうか。「経済史」という単語は何を意味し、経済史家の専門領域とは教授にとってどういったものなのでしょうか。

アイケングリーン:その名が示す通り、どっちつかずのものです。つまり、経済学者と歴史家のどちらでもないものです。そのおかげで経済史家は他の学問領域への侵入者となれる、というのは故アルバート・ハーシュマンの言葉です。歴史家は帰納的に推論を行いますが、経済学者は演繹的です。経済学者は理論から推論を行いますが、歴史家は大量の事実から推論を行います。経済史家はその両方を行います。経済学者は単純化が仕事です。つまり、彼らの戦略的手段は単純化のための仮定です。経済史家の役割は、「急ぎ過ぎだ、物には背景ってものがある。君のモデルには問題の重要な側面、経済的なものだけじゃなくて社会的、政治的、制度的な側面が欠けていて、政策に対してミスリーディングな指標を生む危険性がある。」と言うことなのです。

スナイダーマン:経済学博士の教育課程の中で、経済史の価値と有用性を強調する機会が見過ごされているとお考えですか。年月を重ねるにつれて、経済学はどんどんと計量的で数学志向になってきました。今日のインタビューの本質を鑑みれば、教授は「歴史を学んでみよう」というちょっとした興味のようなものとして経済史を捉えているのではなく、経済理論を歴史上の出来事の背景に当てはめるための学問上の手法であるとお考えになっているのがよく分かります。これが経済史の理解として正しいのでしょうか。

アイケングリーン:そうした機会が、完全に見過ごされているわけではないということは強く言わなければなれません。トップクラスの経済学博士課程の中には、経済史のコースを学生に義務付けるものもあり、カリフォルニア大学バークレー校もその一つです。

経済史の価値を経済学者に示す最も良い方法を言うとすれば、経済史をやるということでしょう。そのため、私たちがバークレーで経済学博士課程の学生に経済史を教える際には、歴史の価値について語ることに多くの時間は割きません。その代わり、言わばこうしたやり方がどのように彼ら自身の研究に適用しうるかを考えさせるために、文献を教えたり問題を与えて、それを学生に任せます。バークレーでは経済史家を自認する教授一人一人に、歴史についての章や小論、歴史的な観点からの検討を博論に入れている指導学生が数人いる状態です。これは一定の成功と言えるでしょう。

スナイダーマン:どうもありがとうございました。とても有意義な時間でした。

アイケングリーン:ありがとうございます。私もです。


バリー・アイケングリーン

役職
George C. Pardee and Helen N. Pardee Professor of Economics and Political Science, University of California, Berkeley

その他の役職
Research associate, National Bureau of Economic Research; research fellow, Centre for Economic Policy in London, England; past president, Economic History Association

職歴
Senior policy advisor, International Monetary Fund

学歴
Yale University, MA, MP, and PhD in economics
University of California, Santa Cruz, AB

主要著作
The World Economy after the Global Crisis: A New Economic Order for the 21st Century, co-edited with Bokyeong Park. London: World Scientific Studies in International Economics Co. Pte. Ltd. (2012).

Exorbitant Privilege: The Rise and Fall of the Dollar and the Future of the International Monetary System. New York, NY: Oxford University Press (2011).

“Financial Crises and the Multilateral Response: What the Historical Record Shows” (with Bergljot Barkbu and Ashoka Mody), Journal of International Economics,vol. 88, issue 2, pp. 422-35 (2012).

“Economic History and Economic Policy,” Journal of Economic History, vol. 72, issue 2, pp. 289-307 (2012).

“Bretton Woods and the Great Inflation,” with Michael Bordo. NBER Working Paper 14532 (December 2008).

  1. 訳注;講演の原文 []
  2. 訳注;ユーロ導入以前、通貨統合に備えて欧州各国は為替レートの変動幅を一定範囲内に収める政策を取っていた。 []
  3. 訳注;ユーロ圏内の銀行の監督業務や、破たんの際の救済や補償基金の運営の一元化 []
  4. 訳注;=ユーロを導入していなければする必要のなかったことを、ユーロを導入したがために行わなければならなくなった []
  5. 訳注;1938年に英仏がナチスドイツの要求を全面的に飲む形で締結した条約。つまり、譲歩しても戦争が防げなかった=強硬策で臨むべきという歴史の「教訓」。なお、Munich自体で屈辱的譲歩という意味の英単語となっている。 []

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