アレックス・タバロック 「ジンバブエのハイパーインフレ」(2009年10月30日)/タイラー・コーエン 「ファインマンの言葉」(2006年8月6日)

●Alex Tabarrok, “Zimbabwe Inflation: The End of the Story”(Marginal Revolution, October 30, 2009)


コーエンと二人で書き上げた(マクロ経済学の入門テキストである)『Modern Principles: Macro』の原稿が印刷に回されている最中も、ジンバブエではインフレが一向に衰えを見せないでいた。そのため、ジンバブエで記録されたインフレ率の最高記録を何度も書き直さねばならず、ハイパーインフレの歴代ランキングの順位を何度も書き換える必要に迫られた。最終原稿をまとめた段階では、ジンバブエの月間のインフレ率は79,600,000,000% [1] 訳注;7.96×10^10(10の10乗)%、796億% に達していた。歴代第2位の記録だ。第2版が出版される頃には [2] … Continue reading、1945年~1946年のハンガリーで記録されたあの前代未聞の数字――月間のインフレ率41,900,000,000,000,000% [3] 訳注;4.19×10^16(10の16乗)%、4京1900兆% ――を抜いてしまうのではないかとも思われたが、そうはならなかったようだ。我々の最終原稿が出版社の手に渡るのとほぼ時を同じくして、ジンバブエのハイパーインフレは終息に向かい始め、ジンバブエ・ドル(ジンバブエの法定通貨)は交換手段としての地位から退くことになったのである。ジンバブエにおけるハイパーインフレの結末については、スティーブ・ハンケ(Steve Hanke)が手際よくまとめている

ジンバブエ・ドルの後に残されたのは、灰だけであった。すなわち、わずかな量の紙幣だけを例外として、ジンバブエ・ドルは交換手段としての地位から退いたのである。ハイパーインフレが続いている最中に、ジンバブエ・ドルは(米ドルをはじめとした)外貨に取って代わられた。それも、急速かつ自生的な [4] … Continue readingかたちで。2009年1月の後半に入ると、政府も「ドル化」のプロセスを追認するに至ったのであった。とは言え、紙幣(ジンバブエ・ドル紙幣)に関しては、今もなお流通し続けている。だが、その数量はごく僅か。購買力もちっぽけで、使用される機会も限られている。米ドルとの交換レートも2日ごとに半減する有様だ。

ジンバブエは、1946年にハンガリーで達成された記録――ハイパーインフレの世界記録――を抜くには至らなかった。しかし、2008年10月にユーゴスラビアの記録を抜き、ハイパーインフレの歴代ランキング第2位に食い込んだのであった。

(追記)ジンバブエ準備銀行(ジンバブエの中央銀行)の総裁であるギデオン・ゴノ(Gideon Gono)に、2009年度のイグノーベル賞が授与される運びとなった。どの部門での受賞かというと、もちろん経済学賞・・・ではなくて、数学賞だ。「最低1セント(0.01ドル)、最高100兆ドル(100,000,000,000,000ドル)の額面の紙幣を発行することで、世の人々が広範囲にわたる――非常に小さな数から、非常に大きな数にまで及ぶ――数字と日常的に触れ合わざるを得ないシンプルな方法を編み出した功績を称えて」 の受賞とのことだ。

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●Tyler Cowen, “The wisdom of Richard Feynman”(Marginal Revolution, August 6, 2006)


銀河には、10の11乗(10^11)個の星がある。ちょいと前なら、かなり巨大な数だったことだろう。今となっては、わずか1000億(のオーダー)でしかない。なんたって、政府が抱える財政赤字の額よりも小さな数なのだ! 銀河にある星の数に匹敵する数を指して、「天文学的な」(astronomical)数字と形容してきたわけだが、今後は「経済学的な」(economical)数字と呼び変えるべきだろう。

リチャード・ファインマン(1918-1988)、物理学者、ノーベル物理学賞受賞者

出典はこちらこちらのサイトでは、ファインマンの動画をいくつか視聴できる。

References

References
1 訳注;7.96×10^10(10の10乗)%、796億%
2 訳注;ちなみに、第2版では次のような記述になっている(pp.255の拙訳)。「2002年から2007年にかけて、年率平均のインフレ率が世界で最も高い数値を記録したのはジンバブエであり、その数値は735%(年率平均)。年率735%で物価が上昇するということは、大体5週間ごとに物価が倍になることを意味する。しかし、これはまだ始まりに過ぎない。ジンバブエでは、2008年に入って物価上昇のペースがグンと加速することになったのである。2008年の後半までに、月間のインフレ率は何と79,600,000,000%にまで達したのだ。・・・(中略)・・・2008年にジンバブエで観察されたインフレ率は、ハイパーインフレのこれまでの世界記録に迫らんとする勢いだったが、その記録を破る目前の2009年に、ジンバブエ国内における取引で外貨を使用することが法的に認められ、さらには、ジンバブエ・ドルの発行が実質的に停止されたのであった。・・・(中略)・・・ハイパーインフレの世界記録は、戦後すぐのハンガリーで達成された。その数値は規格外すぎて、当時のハンガリーが置かれていた状況をうまく伝えることは困難だ。1945年に1ペンゲー払えば買えたものが、1946年の終わりになると、1.3×10^24(10の24乗)ペンゲー(1秭3000垓ペンゲー)を払わないと買えない状況になっていたのだ。別の文脈においてだが、物理学者のリチャード・ファインマンは次のように語っている。「この種の巨大な数字は、『天文学的な』数字と形容するのではなく、『経済学的な』数字と形容すべきだ」。」
3 訳注;4.19×10^16(10の16乗)%、4京1900兆%
4 訳注;国民の間で外貨が交換手段(支払い手段)として利用されるようになったのは、政府の命令によってそうなったわけでなく、自然とそうなった、という意味。
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