エドワード・グレイザー, ジャコモ・ポンツェット「投票ブースにおける根本的誤謬」(2017年9月18日)

Edward Glaeser, Giacomo Ponzetto, “Fundamental errors in the voting booth“, (VOX, 18 September 2017)


つとに心理学者は、我々がひとびとの行為を状況よりも生得的な特性に過剰帰属させてしまうことを実証してきた。本稿では投票者としての我々がこの「根本的帰属誤謬 (fundamental attribution error)」に陥るとき、政治家の成功を、再当選に値するような属人的特性へと過度に結び付けてしまうことを示す。この誤りには通常時における政治家のインセンティブを改善する可能性がある。とはいえ本理論は、制度改革の欠乏や、報道の自由にたいする要望の減少ならびに独裁制の選好といった粗雑な制度的選択も説明する。

2017年4月、トルコの投票権者は現職のレセップ・エルドアン大統領の権力を相当に強化する憲法レファランダムに賛同した。モスクワとマニラでは、権威主義的な指導者が強力な大衆的支持のもとで統治を行っている。直近の合衆国大統領選挙でも、多くのアメリカ人がこれらと似通った流儀のリーダーシップへの嗜好を顕わにした。

政治理論家とくらべると、多くの投票権者は行政権力にたいする制約への関心が遥かに薄いように見えるが、それは何故だろうか? 1930年代のドイツ・オーストリア・ハンガリー・スペインにおいて、あれほど多くの市民が独裁制への要求を表したのは何故だろうか? 大衆的な権威主義受容のひとつの説明として、投票権者は 「根本的誤謬」 に陥っているというというものがある。投票権者はこの誤謬に導かれ、政治家の挙動はインセンティブや状況などではなく、生得的な特性によって決定付けられていると信ずるようになる。この誤謬に導かれた投票権者は、民主制インセンティブの価値を過小評価し、優れた成果を収めている現職者の生得的な性質を過剰評価するようになる。

根本的帰属誤謬

心理学者はほぼ50年もの長きにわたって、つぎの前提を裏付けるエビデンスを整備してきた。すなわち、傍観者はアウトカムの原因を、状況的要因ではなく、生得的な属人的特性に帰す傾向があるという前提だ。なお、ここでいう状況的要因には運不運とインセンティブの両方がふくまれる。嚆矢的研究のなかでJones and Harris (1967) は、被験者にたいし、カストロを支持するエッセイ、カストロに反対するエッセイ、これら両方の執筆を命じた。その上で観察者には、執筆者はカストロの支持に回るよう指示されている旨が伝えられた。それでもなお、観察者は執筆者にたいし生得的なカストロ支持感情を認めたのである。

固定した属人的属性の役割を過剰に強調する傾向はあまりに基本的なものなので、それは 「根本的帰属誤謬 (fundamental attribution error)」 と呼ばれるようになっている (Ross 1977)。この仮説のニュアンスをめぐって心理学者はしばしば論争を繰り広げてきたが、投票権者が現職者にたいし、過剰な評価を与えたり、現職者のコントロール外で起きた出来事について非難したりすることについては、ほとんど疑問の余地がないようだ。Wolfers (2007) の発見によると、アメリカの投票権者は、恵まれた産業トレンドや石油価格高騰といった幸運な経済変動の分も現職知事の評価につなげていたという。

我々の新たな論文では、この 「根本的誤謬」 を古典的な政治エイジェンシーモデルに導入しつつ、それにより独裁制を支持する意欲の過剰、および権力への制約 (たとえば自由で独立した報道) を確保すべく闘争する意欲の過小がうまく説明できることを示した (Glaeser and Ponzetto 2017)。なにより投票権者にはこの誤謬に抗うべき理由がほとんどない。その原因は、投票権者には政治知識に投資するインセンティブがほとんどないことと、短期的に見るならばこの誤謬は便益ももたらし得ること、この両方である。

政治エイジェンシーと独裁制への要望

じつのところ根本的帰属誤謬には、政治家が通常の状況で直面するインセンティブを強化するという陽の側面がある。合理的な投票権者は、望ましからぬ成果が運不運やその他の一時的な状況を反映している可能性が十分あることを理解している。そのため、かれらは凡庸な成績も寛容に受け入れるかもしれないが、こうした寛容性は政治家に凡庸であれと勧めるものともなりうる。根本的帰属誤謬に陥っている投票権者は、成果の乏しさを全面的に政治家その人に帰責するので、失態の選挙的コストを引き上げ、行動の改善を誘発する。

通常時には、この半合理的性も無害あるいは有益でさえあるかもしれないが、憲法の書き変えが行われる場面では、根本的誤謬のコストは膨大になりかねない。ちょうどナチスドイツの時代にその可能性があったように。優れた成果を収めており、もっと恒久的な権力を自らに与えるように規則を書き変えたがっている政治家、これを考えて見よう。現実には、この現職者の成績は運不運とインセンティブの組み合わせを反映したものだろう。そしてこのインセンティブを生みだすのは再当選を求めるかれの願望である。ところが根本的帰属誤謬に導かれた投票権者は、この指導者の成功が生得的で不変の能力と善意のおかげだと考える。能力と善意は、一時的に選出されているにすぎないこの指導者が恒久的な独裁者となれば、この先も力を持ち続けるだろう。

合理的な投票権者ならば、制約無き権力は腐敗するだろうこと、指導者の成績にしても選挙インセンティブが無くなってしまえば劣化してゆくだろうことを認識しているはずだ。しかし根本的帰属誤謬に陥っているとき、投票権者は指導者の過去の成績が未来の卓越を保証すると信じ込んでいる。かれらが信頼しているのは人物であり、制度ではない。だから民主制を廃止し、「大人物 (big man)」 で挿げ替えることをすんなりと受け入れるだろう。

専門性にたいする投票権者の不信

合理的な投票権者は、経済的な出来事を解釈して、リーダーシップから運不運の影響を腑分けすることの難しさを理解する。その帰結として、かれらは好況と不況の原因の腑分けを助けてくれる独立した専門家や報道の自由に価値を見いだす。ところが、最近のある世論調査の発見によると、アメリカ人の53%、そしてトランプ支持投票者の71%は、「政府の為すべきことは、所謂 『専門家』 よりも一般的なアメリカ人のほうが良く理解している」 との意見に同意している (Edwards-Levy 2016)。

根本的帰属誤謬はこの専門性への不信も説明する。誤謬に陥った投票権者は独立的な専門家の必要性をほとんど認めない。自分の経済的困難は、ホワイトハウスが無能なのか、かれらの運命に無関心なのか、そのどちらかの反映だと信じているからで、労働需要の広範なシフトを反映したものだとは考えていない。根本的帰属誤謬に陥った投票権者は、国を動かしているものの正体を自分は知っていると自信過剰なまでに信じ込んでいる – つまり政治的リーダーシップの質だ。その帰結として、かれらはシグナルからノイズを分離する試みにほとんど価値を認めないのである。

大衆的政策の誤り

根本的帰属誤謬は投票権者の政策選好を説明する手掛かりにもなる。たとえば交通の分野だと、この誤謬は投票権者をして、他の人の行動は比較的固定したものであって、インセンティブの結果ではないと信じ込ませる。その帰結として、かれらはピグー税により有害な行動が実際に削減できることを疑うだろう。中心的な都市における渋滞課金 (congestion charge) といった古典的なピグー税と直面したとき、投票権者は支払う料金が高くなるという陰の側面は認めるだろうが、移動時間の削減という陽の側面は認めないだろう。

初めスウェーデンの投票権者はストックホルムにおける渋滞課金に敵対的だった。しかし2006年になると、試験的に料金が導入される。ドライバーは交通量の削減を体感し、レフェランダムが開催されると、中心的都市の住人はこの課金を支持した。この世論のシフトにたいする説明としては、投票権者は初め課徴金が行動を変化させる力を疑っていたが、ドライバーがこのインセンティブの変化にどのように対応するかを目の当たりにして考えを改めたというのが、最も自然である。

ドライビングパターンは比較的固定していると考えているばあい、投票権者は新しい交通インフラストラクチャーの便益を過剰評価することにもなるだろう。かれらは同じ交通量がより大きな道路空間にわたり拡散されると期待し、その帰結として自らに便益があると考える。初めDowns (1962) が主張し、つづいてDuranton and Turner (2011) が実証的に示したように、車両走行距離 (vehicle miles travelled) は高速道路の敷設にともない急速に増加する。その帰結として、新たな高速道路の便益もドライブの増加のために急速に消滅してしまう。この行動反応の予見を怠ることで、投票権者は敷設を過度に好み、課金にたいし過度に懐疑的になる。

結論

経済学者は、人はインセンティブに反応するという思想を注入されている。マクロ経済学の基礎クラスでは、物価の行動に作用する形態を学生に教え込む。だからおそらく我々は驚くべきではないのだ。経済学者ならぬ人が、つまり物価を行動に結び付ける数々の曲線を何ヶ月もかけて潜り抜けた経験などない人達が、人間の行動はもっと不可変的なものだと信じていたとしても。

根本的帰属誤謬が投票権者をミスリードしているならば、憲法の変更はゆっくりと、そしてその時の現職者のキャリアとは切り離して行われるべきだ。投票権者は指導者の生得的な性質を誤って過剰評価するのだから、どんな指導者による独裁制でも支持する可能性があるのだが、それでもなお、平均的な指導者は 「玉石混淆 (mixed bag)」 だと正しく理解しているので、抽象的な地平では独裁制に反対するかもしれない。その帰結として、投票権者は現任の大統領を利する憲法の変更について考察するばあいには、誰とは知らぬ将来の大統領を利する憲法の変更について考察するばあいより、はるかに誤謬に陥りやすくなる。憲法の変更は、それが現職者の助けにならないくらい十分にゆっくりとしたものならば、誤謬を回避できる可能性が高くなる。往々にしてそうであるように、時間は合理的意思形成の友なのである。

根本的帰属誤謬が通常の政策立案をめぐる意思形成を妨げる傾向は、政策実験の増加をつうじて覆しうる。ストックホルムの住人は渋滞課金がドライブ量を削減することを理解するようになった。それはかれらが渋滞への価格付けを経験したからだ。大型高速道路の敷設など、施策の中には実験に向かないものも一部ある。そうしたばあいは近過去からのエビデンスを強調することが、我々の取り得る最善の方策となる。

根本的帰属誤謬はあらゆる専門家にたいする警告を含んでいる。それは報道機関の専門化か、大学研究機関の専門化かを問わない。たとえ我々が我々の知識に確信を抱いているにせよ、一般の投票権者はそうではない。その帰結として、我々は絶えず自分達の価値を証し立ててゆかなければならないのだが、おそらくその最善の手段は、もっと多くの客観的な事実を提供し、イデオロギーの提示はもっと少なくすることである。

参考文献

Downs, A (1962), “The law of peak-hour expressway congestion”, Traffic Quarterly 16(3): 393-409.

Duranton, G and M A Turner (2011), “The fundamental law of road congestion: Evidence from US cities,” American Economic Review 101(6): 2616-2652.

Edwards-Levy, Ariel (2016), “Americans don’t think the government needs ‘experts’”, Huffington Post, 12 December.

Glaeser, E L and G A M Ponzetto (2017), “Fundamental errors in the voting booth”, CEPR Discussion Paper No. 12206.

Jones, E E and V A Harris (1967), “The attribution of attitudes”, Journal of Experimental Social Psychology 3(1): 1-24.

Ross, L (1977), “The intuitive psychologist and his shortcomings: Distortions in the attribution process”, Advances in Experimental Social Psychology 10: 173-220.

Wolfers, J (2007), “Are voters rational? Evidence from gubernatorial elections”, mimeo, University of Michigan.

 

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