サイモン・レン=ルイス「柔軟な労働市場は中央銀行家にとって問題か?」

[Simon Wren-Lewis, “Is a flexible labour market a problem for central bankers?” Mainly Macro, August 2, 2017]

景気後退が起きたり経済が下向いたりするのは,典型的に,財への総需要が不十分になっている結果だ.これを終わらせる方法はただひとつ,何らかの方法で需要を刺激するしかない.勝手に需要が刺激されることもあるだろうし,金融政策担当者が金利を引き下げたために需要が刺激されることもあるだろう.総需要不足が起きているかどうか知るにはどうすればいいだろう? 失業率が高くなってきたらそうとわかる.財への需要が低下することでレイオフを行ったり新規雇用を抑えたりする動きがでてくるからだ.

マクロ経済学でときにこんな問いがもちあがる――「景気後退期の労働者たちは,賃金を切り下げることで「じぶんたちで価格調整して雇用されるように」できないものなの?」 過去の景気後退期には,労働者たちは賃金切り下げに乗り気でなかった.だが,こんな場合を想像してみよう.財政緊縮のせいで景気回復の腰が折られてしまい,景気後退がえんえんと長引いてしまったとする.こうして景気後退が長引くなかで賃金が以前より硬直的でなくなったとしよう.すると,実質賃金が下がることで,労働者たちの価格が調整されて雇用できるようになり,失業率が下がる.[1]

こうなるのは,べつに,実質賃金低下で総需要の問題が解決されるからではない.それどころか,実質賃金が下がれば総需要がいっそう減ってしまうかもしれない.だが,その場合にも,労働者たちがみずから価格調整して雇用される水準に合わせることはありうる.というのも,企業がもっと労働集約的な生産方法に切り替えたり,労働節約的な新手法に投資できなかったりするかもしれないからだ.すると,産出は相変わらず低調なままでも失業率は下がり雇用が増えつつ,労働生産性は伸び悩む状況になるだろう.この数年のイギリスで目の当たりにしたのはだいたいこういうことだった.

こういう状況下でも総需要不足の問題が消え去ったわけではないという点はぜひとも理解しないといけない.多大な資源が活用されず無駄にされているのは変わっていない.ごく単純な話として,需要が刺激されればみんなの状況はずっとましになりうる.これが事実かどうかを知るには,中央銀行家はどうすればいいだろう?

中央銀行家はこう言うかもしれない――「需要不足があるのはわかっていますとも.調査によれば企業は余剰な生産能力を抱えておりますからね.」 なるほど景気後退が起きた直後ならそれは間違いなく正しいだろう.だが,時間が経つにつれて,資本はだんだん減価していって,しかも投資は低調なままにとどまるだろう.企業はもっと労働集約的な方法を使っているからだ.すると,総需要をはかる指標としてこうした調査は失業のデータと同じくアテにならなくなっていく.

産出ギャップを示すいろんな数値はどうだろう? ざんねんながら,そうした数値の土台になっているのは失業率か調査かデータ平滑化手法のどれかだ.この3点目のデータ平滑化は実際の産出データを平滑化するものなので,「そろそろ産出が完全に回復する頃合いです」としか言わない.言い方を変えると,トレンドに基づく数値は,事実上,需要不足の期間が長引いている可能性を除外してしまうのだ.[2] つまり,こうした産出ギャップの数値は全体として需要不足についてなんら追加の情報をもたらさない.

需要不足があるかどうかをはかる最後の頼みはインフレ率だ.需要が不足しているなら,インフレ率は〔インフレ目標政策の〕目標を下回る.いま現在,アメリカ・ユーロ圏・日本を含めて,大半の国でインフレは目標を下回っている.(イギリスでインフレ率が目標を上回っているのは欧州連合脱退にともなう通貨安のためだ.一方,賃金インフレ率にはまったく上昇の気配がない.) つまり,こうした状況下では,需要が不足していることを中央銀行家は認識して,需要刺激のためにできるあらゆる手を打ち続けるべきだ.

だが,中央銀行家が失業率に目をやり,余剰生産能力の調査に目をやり,さらに産出ギャップの推計に目をやって,「もはや総需要不足は解消した」と結論を下す危険がある.いまアメリカでは金利は上昇中で,ここイギリスでも同じことが起こるはずだと考える〔イングランド銀行の〕金融政策委員会の面々がいる.もし需要不足の問題が解消していなかったら,これは非常にコストが高くつくとてつもない失敗になる.そんな失敗を金融政策担当者はけっしておかすべきではない.[3] この失敗を避けるフールプルーフな方法はある.それは,目標をインフレ率が超えるまでずっと需要刺激を続けることだ.

この「〔インフレ率が目標を超えるまで刺激を続けて〕じっくり待とう」策にはこういう反論がある――「いざインフレ率が上がりはじめてから急に金利を上げるのを避けるべく,政策担当者は「先を見越して」動く必要がある」というのがそれだ.この手の論では,大不況もただ規模がでかいだけで第二次世界大戦後に現れたこれまでの景気後退と同様だと考えている.だが,これまでの景気後退では金利が〔それ以下に下げようがないゼロの〕下限にぶつかったためしがない.それに,景気後退がはじまって1~2年ほどで財政緊縮がなされたこともなかった.かわりに,いまみんなが目の当たりにしているのは,景気後退より大恐慌に近いしろものかもしれない.当時と違うのは,労働市場がもっと柔軟になっているという点だ.

原註

脚註 1. 大不況のために雇用主たちは雇用をいっそう不安定にできるようになったために実質賃金がもっと柔軟になるということもありうる.この場合には,賃金の柔軟性が高まると同時に NAIRU〔インフレを加速しない失業率〕は下がるかもしれない.この説明で暗黙の前提になっているのは,「名目賃金が低くなってもそのまま自動的に価格の低下につながらなかった」という点だ.もし名目賃金低下がそのまま価格低下につながっていたなら,実質賃金は下がらないだろう.実際にそうならなかった理由は興味を引く問題だけれど,そこまで論じるのはこの投稿の射程を超えてしまう.

脚註 2. また,あらゆる証拠が「ユーロ圏周辺国以外でそんなものはなかった」と告げているにもかかわらず,こうした数値は「大不況直前の数年は大きな好景気だった」と暗示することもある.

脚註 3. 先だって,J.W. メイソンが詳細な報告書 (PDF) を書いて,こういう失敗がいまアメリカでなされようとしていると論じている.

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