サイモン・レン=ルイス「金融政策が学ぶべき教訓」

[Simon Wren-Lewis, “The lesson monetary policy needs to learn,” Mainly Macro, October 17, 2017]

先日,ピーターソン研究所で開かれたカンファレンス「マクロ経済政策再考」について,当然ポストを書かなくてはと思っていたけれど,最近になって,その仕事は Martin Sandbu にまかせる方が効率がいいのに気づいた.たいていの場合には意見が一致しているし,私より Sandbu の方がうまくやってくれてる.おかげで,意見が合わないめずらしい論点や,さらに議論を展開させたい論点にしぼって文章を書ける.

Martin が書いた昨日のコラムについて,異論をはさみたい点はひとつだけある.私見では,「大きな景気後退がおきたら(そして金利がゼロ下限にいきついたら)中央銀行は一時的な物価水準目標に復帰してはどうか」というバーナンキの提案は,当人が考えている微調整にはとどまらない.さらに,Tony Yates が指摘しているように,バーナンキが対応しようと意図している非対称問題を,名目 GDP 水準目標は解決しない.

また,Martin が最後に指摘している点――「ひどく間違った考えをしていたと認めるのはもっとうまくやるための必要条件だ」――について,いくつか数字を見ながら例証できそうだ.消費者物価に目を向けると,2009年から2016年にかけて平均インフレ率はユーロ圏で 1.1%,アメリカで 1.4%,イギリスで 2.2% だった.〔2%を超えているとはいえ〕イギリスも失敗例だ:イギリスの平均消費者物価インフレ率は 2.2% を超えてしかるべきだった.なぜなら,付加価値税 (VAT) の大幅引き上げや金融政策が正しく見通していた通貨下落があったからだ.GDP デフレータに目を向けると,いっそう状況が明瞭に見えてくる.ユーロ圏,アメリカ,イギリスで,それぞれ 1.0%,1.5%,1.6% となっている.

これほどの大きさの誤りを「そう悪くない」と考える読者もいるかもしれない.「ともあれ,インフレ率が低すぎてなにがいけないんだ」と思う人もいるだろう.でもそれは間違いだ.なぜなら,景気回復局面でのこうした誤りは,それだけ失われたリソースがあることを示しているからだ.フィリップス曲線がこれほど平坦になっているいまの状況で,その失われたリソースは相当な量かもしれない.言い換えると,政策がもっと拡張的だったなら,いまごろ各国で景気回復はもっと急速なものでありえたし,金利もゼロ下限からもっと上まで上げられていただろう,ということだ.

Martin の議論にぜひ付け加えたいと思ったのは,この期間になされた金融政策の主な問題,とくにイギリスとユーロ圏での問題の提案だ.私見では,主な問題は〔名目 GDP〕水準目標を採用しなかったことでもなければ,欧州中央銀行が2011年に金利を引き上げたことですらない(とはいえ,あの引き上げは多大なコストを伴った深刻な間違いだったけれど).2009年に,各国の中央銀行はさらなる刺激策を打ちたいとは思いつつも,金利はすでにゼロ下限にあると感じていた.あのとき,中央銀行はこんな宣言を出すべきだった:

「我々は経済を制御する主なツールを失ってしまいました.使えるツールは他にもありますが,その影響は大半が不明なため,まったくアテになりません.この状況で経済を刺激するには,もっとすぐれた方法があります.それは財政政策です.ですが,もちろん,財政政策を使うかどうかは政府の権限に属します.金利を引き上げてもかまわないと思えるほど経済が回復するまでは,経済はもはや我々の制御下にはありません.」

とは言っても,べつに量的緩和 (QE) が経済に大きなプラスの影響をもたらさなかったと言わんとしているわけではない.ただ,量的緩和を用いたことで,政府が「景気後退を終わらせるのはじぶんたちの責任ではない」と夢想するのを許してしまったし,また,私の言う「政策割り当ての共通見解」がいまも機能しているとも考えさせてしまった.だが,実際はちがう:つまり,量的緩和は,想像しうるかぎりもっとも信頼できない政策ツールの1つだった.

「それでは,中央銀行が越権行為を働いて政治家になすべきことを指図することになってしまうのではないか」という批判は,的外れだ.欧州中央銀行のメンバーは,その反対の指図を政治家たちにしょっちゅう語っている.マーヴィン・キングも,もっと慎重にではあったけれど同じことをした.一方,ベン・バーナンキはもっと穏やかなかたちであれ,本質では上記と同じことを語るようになっていった.「政策割り当ての共通見解」のもとで,中央銀行には経済を管理するタスクが与えられてきた.なぜなら,財政政策よりも金利の方がすぐれたツールだと考えられているからだ.それなら,政府よりうまくタスクがこなせなくなったときに知らせるのも中央銀行の役目というものだ.

「そういう宣言を出しても事態は変わらないだろう」という,もっといい批判もある.その点についての議論は,なんなら何時間でも続けられるだろう.だが,これは未来の問題で,そのときに政治状況がどうなっているか誰もわからないだろう.金利にはゼロ下限があると中央銀行が考えているとき,「政策割り当ての共通見解」はもはや機能しないという点を政府が認めるのが肝心だ.そして,それにはまず中央銀行がこれを認めることからはじめねばならない.ポール・クルーグマンやブラッド・デロングや私のような経済学者は,こうしたことをもうずいぶん長くにわたって言い続けてきた.だが,どうやら各国の中央銀行はこれがじぶんたちにとってなにを意味するのかを完全に受け入れるのに苦労しているようだ.

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