スコット・サムナー 「さらば! バーナンキ議長」(2014年1月30日)

●Scott Sumner, “Farewell to Ben Bernanke”(TheMoneyIllusion, January 30, 2014)


オースタン・グールスビー(Austan Goolsbee)がウォール・ストリート・ジャーナル紙に論説を寄稿している(情報を寄せてくれたMorganに感謝)。

バーナンキ議長と過去3年半にわたるQE(量的緩和)時代を称えて

認めよ。Fedの金融緩和策は功を奏したということを。今後の課題は、テーパリング(量的緩和の縮小)をどう進めるかにある。

・・・(中略)・・・

時計の針を2008年に危機が勃発する直前まで戻してみるとしよう。GDPの成長率が5年間にわたって年率わずか2%で、失業率が5年間にわたって7%近辺で高止まりし、コアインフレ率が5年間にわたって一貫して年率2%を下回る。そんなシナリオに直面したとしたらどう対処すべきかと問われたら、当時の経済学者はほぼ全員一致で「Fedは金利を引き下げるべきだ」と答えたことだろう。

グールスビーによると、Fedのこれまでの政策は成功だったらしいが、そう判断できる理由については一切語られていない。Fedは何を目標とすべきなのかについても、Fedの政策が成功かどうかを判断する基準は何なのかについても、グールスビーは一切触れていないのだ。

グールスビーの評価は、現時点における経済学界の総意を代弁していると言えるだろう。

バーナンキ議長がスピーチを行った舞台は、経済学者が集まる集会の中でも最大規模のものだったが、いつにも増してコミカルでもあった。聴衆(経済学者たち)の足がスノーブーツで覆われており、(長時間にわたって帽子をかぶっていたために)その髪には帽子の型がついていたからだ。バーナンキ議長がスピーチを終えると、そのコミカルな見た目の聴衆は退任間近のFRB議長をスタンディングオベーションで迎えた。「QE(量的緩和)時代」とでも呼び得る過去3年半にわたってバーナンキ議長が批判者――本紙の記者も含む――から受け続けてきた冷たい扱いとは、大違いの反応が待っていたのである。

はっきり言って、Fedのこれまでの(過去5年半にわたる)政策は褒められたものじゃない。とは言え、バーナンキ議長は、スタンディングオベーションで迎えられてしかるべきと言えるかもしれない。「相対的な」評価こそがすべてなのだ。バーナンキ議長が学界全体よりも優れていたと言えるようなら、彼はスタンディングオベーションで迎えられてしかるべきということになろう。それに、我々が政策当局者に要求(期待)してもいいのは、精々その程度ということなのかもしれない。それでは、いくつか証拠を見ていくとしよう。

1. 各種の聞き取り調査によると、経済学者の全般的な傾向は、バーナンキ議長と同程度、あるいは、バーナンキ議長以上にタカ派寄りだったことがわかる。2012年の後半になってFedがQE3(第3弾の量的緩和)とフォワードガイダンスに乗り出す前までの金融政策が引き締められ過ぎと見なしていた経済学者がどのくらいいたかというと、ほとんどいなかった。反対に、多くの経済学者は、緩和され過ぎと見なしていたのである。

2. しかし、バーナンキ議長は違った。当時の彼は、金融政策は引き締められ過ぎと考えていたのである。2012年の中頃の段階では、FOMC(連邦公開市場委員会)のメンバー――その大半は、オバマ大統領によって任命されたにもかかわらず――の中にも彼の味方をしてくれる人物はいなかった。FOMCのメンバーから、QE3―――政府による財政緊縮によって、アメリカ経済は二番底不況に陥るおそれがあったものの、QE3のおかげでそのおそれから逃れることができた――を開始することへの同意を取り付けるために、バーナンキ議長はメンバーの「腕をねじったり」 [1] 訳注;文字通り「腕をねじった」わけではなく、「強制的に同意させた」という意味。、部屋の外に連れ出して一対一で説得したりしなければいけなかったのである。

3. バーナンキ議長率いるFedは、ECBや日本銀行といった他の主要な中央銀行の大半よりも、優れた成果を残した。それも、わずかの差をつけてというのではなく、かなり大きな差をつけてそうだったのである。

4. グリーンスパンやボルカーの最近の発言に照らして判断する限りだと、二人のうちのどちらかがバーナンキの代わりにFRB議長を務めていたとしたら、この間のアメリカ経済は大惨事に見舞われていたことだろう。彼らは、トリシェ(前ECB総栽)のクローンのように振る舞っていたに違いない。思い出してもらいたいが、グリーンスパンにしても、ボルカーにしても、歴代のFRB議長の中でも最も成功を収めた人物として評価されているのだ。彼らのうちのどちらでもなく、バーナンキが議長だったことを神に感謝しようではないか。加齢が原因の一つになっているかどうかはわからないが、グリーンスパンもボルカーも正気を失ってしまったかのように見える。

(かつて同様のコメントをした時に、「年齢差別だ」と批判されたことがある。何たるナンセンス! レブロン・ジェームズ(Lebron James)が85歳になっても現役を続けるなんてことになったらどう思う? バーナンキが議長を務めたのは、52歳から60歳までの8年間。52歳から60歳までと言えば、貨幣経済学者の絶頂期だ。ところで、私がブログを始めたのは53歳の時で、現在は58歳だ。もしも私が85歳まで生き続けたとしたら、所得、インフレ、金利といった話題について、矛盾だらけで中身がスカスカの文章を垂れ流していることだろう。・・・あ、ちょっと待ってくれ。もう既にそうじゃないか!)

5. バーナンキ議長は、学者として、1930年代の大恐慌(Great Depression)も近時の日本における「流動性の罠」もどちらも研究していた。そういう事情もあって、他のどの経済学者にもまして、2008年の危機に対処する準備ができていたと言える。マーケット・マネタリストの立場からすると、バーナンキ議長には辛(から)い点数をつけざるを得ないが、悲しいかな、マーケット・マネタリストは、主流派から遠く隔たったはぐれ者の集まりだ。バーナンキ議長がマーケット・マネタリストの提案に従いたいと思ったとしても、彼がその望みを実行に移すことは不可能だったに違いない。マーケット・マネタリストの提案を採用したかどうかでFRB議長を評価するというのは、アメリカ大統領を自分好みの政策を意のままに選べる独裁者のように見立てて、ブライアン・カプラン(Bryan Caplan)マシュー・イグレシアス(Matthew Yglesias)が推奨する政策を採用したかどうかでその大統領を評価するようなものだ。誰かしらを評価する際には、その人物の「限界生産物」に照らして評価しないといけない。他の誰かがバーナンキと同じ立場(FRB議長)に置かれていたとしたらどうだったろうかと考えると、バーナンキは他の大半の誰よりも優れた成果を残したと言えるだろう。そう考えると、バーナンキ議長は、感謝されてしかるべきだし、朗らかに退任していくべきなのだ。

2008年の段階でマーケット・マネタリズムが経済学界で確固たる地位を占めていたとすれば、バーナンキ議長は、喜んで名目GDP水準目標(NGDPLT)を採用していたに違いない。バーナンキ議長がさらに積極的な手段に訴えたいと思っても、経済学界がそのことを支持してくれなかったのだ。Fedが失敗したのではない。経済学界が失敗したのだ。Fedの失敗は、経済学界の失敗を反映しているに過ぎないのだ。

「バーナンキ議長に甘すぎる」とコメントしたくてウズウズしている面々がわんさといることだろう。さあ、好きにやってくれたまえ。

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1 訳注;文字通り「腕をねじった」わけではなく、「強制的に同意させた」という意味。
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