スコット・サムナー 「ルーズベルト流の決心」(2010年1月5日)

●Scott Sumner, “Rooseveltian Resolve”(TheMoneyIllusion, January 05, 2010)/【訳者による付記】このエントリーは、ベン・バーナンキがまだFRB議長を務めていた2010年1月に書かれたものだという点にご注意ください。


まずは、ブラッド・デロング(Brad DeLong)とバーナンキ議長との間で交わされた有名な問答を引用することにしよう。

ブラッド・デロング(カリフォルニア大学バークレー校教授、ブロガー): どうしてFRBは、3%のインフレ目標を導入せずにいるのでしょうか? [1] … Continue reading

バーナンキ議長: 「FRBは、物価の安定に強くコミットしている」との理解が国民の間で広がれば、インフレ予想が大きくぶれることもなく安定することになり、そのおかげで金融政策の有効性も高まることになると期待されます。その結果として、金融政策は、物価の安定化だけではなく、実体経済の安定化にもより効果的に貢献することが可能となるでしょう。現実に目を向けると、家計の長期的なインフレ予想にしても、企業の長期的なインフレ予想にしても、過去数年間にわたり極めて安定した状態を保っています。ところで、「FRBは、長期的なインフレ予想を高めるような戦略に打って出るべきだ」という提案が聞かれますが、これまでのところFRBはそのような提案には乗っていません。理論的な観点からしますと、長期的なインフレ予想が高まれば、実質金利が引き下がることになり、その結果として、支出が刺激され、経済全体の生産量が増える可能性があります。しかしながら、そのような理論的な主張においては、長期的なインフレ予想を高めようとする戦略に伴うリスクが見逃されています。「FRBは、インフレが加速してもそれを鎮めようとする気がないのではないか?」と国民が疑い、FRBは本気で「物価の安定」を達成する気があるのだろうかと国民から信頼されなくなってしまう可能性があるのです。そうなってしまえば、将来的に金融政策の有効性が弱められることにもなりかねません。現在のところインフレ予想は錨につながれたかのようにしっかりと安定しているわけですが、この成果は過去30年にわたる長い苦労の末にやっと手に入れられたものです。インフレ予想が安定しているのは当たり前のことではないのです。マーケットや国民とのコミュニケーションにしてもそうですが、FRBの具体的な行動のどれをとっても、その狙いがインフレ予想をしっかりと安定させることに向けられているのもそのためなのです。

本ブログに定期的にコメントしてくれるマーカス・ヌネス(Marcus Nunes)から面白い情報が寄せられた。以下の文章をご覧いただきたい。以下の文章は、バーナンキが今から11年前(の1999年)に執筆した学術論文(“Japanese Monetary Policy: A Case of Self-Induced Paralysis?(pdf)” [2]訳注;この論文が収録されている『Japan’s Financial Crisis and Its Parallels to US … Continue reading)――この論文によると、日本の政策当局者がやっていることは、何もかもが間違っているとのこと――からの引用である。

インフレ目標と日銀の信頼性との関係についていうと、政策当局者と国民との間での率直で腹を割った対話を可能にするインフレ目標の導入がいかにして日銀の信頼性を損なうことにつながるというのだろうか? 私には何でそういう話になるのか理解できない。例えば、日銀が3~4%のインフレ率を目標にすると明言したとすれば、日銀が何を目標にしており、その目標を達成するために経済をどちらの方向に動かそうと試みているのかについて、国民に詳らかな情報が与えられることになる(日銀には経済を目標とする方向に向かって動かせるだけの手段があるという点については、この後で詳しく論じるつもりだ)。ところが、日本銀行の内部にいる人々は、「インフレ目標を明言したとしても、あれやこれやの技術的な細かい理由もあって、果たしていつその目標を達成できるのか、そもそもその目標を達成できるのかどうかについて不確実な面がある」との思いを抱いているようだが、それならそうとそのことを国民に説明すればいいだけである。インフレ目標を導入して、日銀は経済を上向かせるために全力を尽くしている(やれるだけのことはすべて試みている)ということが国民にもすぐ見て取れて、日銀がなぜ今まさにこれこれの政策を採用しているのかについて国民にもはっきりと理解できるような環境を整える方が、(インフレ目標を導入せずに、一体何を目標に行動しているのかをあやふやなままにしておくことで)「日銀は、マクロ経済の好転を後押しする気があるのだろうか? 日銀にはそうするだけの能力があるのだろうか?」と国民を疑心暗鬼にさせておくよりも、いくらかマシだろう。

その通りだ。国民を疑心暗鬼にさせておくのは、不味い。ところで、バーナンキの論文には、他にも「おっ」と興味をそそられるような記述が散見される。

非伝統的な公開市場操作について考える場合には、「財政政策的な要素」を併せ持っているものと、そうではないもの [3] … Continue readingとを区別しておくと便利である。非伝統的な公開市場操作のうちで「財政政策的な要素」を併せ持っているものでは、暗黙的なかたちで [4] … Continue reading補助金が支払われることになる。民間の銀行が抱える不良債権を日銀が額面で買い取る場合がその一例だ(この例は、銀行を救済するために公的資金を注入する行為と何ら変わりはない。そのための財源を中央銀行が新規に貨幣を発行して賄っているだけである)。中央銀行が財源を賄うこの種の「ギフト」(民間部門への贈り物)は、財政ファイナンス――家計に対する公的な移転給付(あるいは減税)を行うために必要な財源を中央銀行が新規に貨幣を発行して賄う――とまったく同じ理由で、総需要を刺激する効果を持つことだろう。

経済理論的な観点からすると申し分のない案ではあるが、日本で現実に実行に移される日が来るかどうかと尋ねられたら、「大いに疑問だ」と私なら答えることだろう。補助金を出すにしても、減税を行うにしても、国会の場で直接そう決めた方(財政政策として実行した方)がシンプルでわかりやすいという理由もあるが、この種の案(「財政政策的な要素」を併せ持つ非伝統的な公開市場操作)は、法律的には問題はなくとも、立法府の権限を密かに侵害するものだと見抜かれて激しい抵抗に遭うことだろう。というわけで、「財政政策的な要素」を併せ持つ非伝統的な公開市場操作については、知的好奇心をそそられる理論上の思考実験にとどめておいた方が賢明だろう。

その通りだ。中央銀行は金融政策だけに専念して、民間銀行の救済は財政当局に任せておけばいいのだ。しかしながら、バーナンキ議長率いるFRBは、その方針に背くような振る舞いをした。その理由のいくらかは状況の違いということで説明できるのかもしれないが、しかし話はそれだけにとどまらない [5]訳注;この箇所の訳は、自信がない。原文は、“That’s right, stick to monetary policy and leave those bank bailouts to the fiscal authorities. Of course some of this can be … Continue reading。覚えているだろうか? 2008年の7月から11月にかけて急速な勢いでドル高ユーロ安が進んだ際に、私は何度もくどいほど警告を発した。2008年の7月から11月にかけてといえば、アメリカ国内の予想インフレ率や株価が大きく落ち込み、穏やかな景気後退であったものが大不況(Great Recession)へと深化することが決定付けられた時期にあたる。金融危機の最中にある国の通貨が大幅に増価する(大幅なドル高ユーロ安が進む)というのは、何だか腑に落ちないように感じられないだろうか? むしろ、減価する(ドル安ユーロ高が進む)のが自然なのではないだろうか? そのような(大幅なドル高ユーロ安という)ドルの奇妙な動きを引き起こした原因は一体何なのだろうか? 引締め気味の金融政策以外に容疑者は考えられるだろうか? ともあれ、(1999年当時の)バーナンキは、私とまったく同じ「ものの見方」をしているようだ。バーナンキがその「ものの見方」を適用している対象が日本経済だけに限られるらしいというのは、何とも残念な話だ。

表2に示されているように、円の名目為替レートは、1991年以降に増価(円高)傾向を辿っている。深刻な景気後退の真っ只中にある国の通貨が増価するというのは、何とも奇妙な結果だ。1998年第3四半期以降の円の動きに目を向けると、その奇妙さはさらに増すことになる。1998年8月の段階では円ドル相場はおよそ「1ドル=145円」だったが、1999年12月の段階では「1ドル=102円」という結果になっている。日本経済が再び景気後退入りする中で大幅な円高が進むことになったのだ〔ゴシック体による強調は、私(サムナー)によるもの〕。円建ての資産に投資することで得られる金利収入がかなり少ないことを考えると、この間に円高が進んだのは、投資家たちの間でこの先デフレがさらに加速し、将来的に円高が進むとの予想が広がったからではないかとの可能性が示唆されることになる。

そうだ、そうだ! 私としては、バーナンキに輪をかけて(その奇妙さに)ギョッとさせられるところだ。低金利にもかかわらず円高が進んだのは、投資家たちがデフレの加速を予想したためではないかという診断についても同意見だ。しかし、ここで問題が持ち上がる。果たして中央銀行は、自国通貨の対外価値(為替レート)をコントロールできるのだろうか?

メルツァー(Allan Meltzer)やマッカラム(Bennett McCallum)は、「日銀は、大幅な円安誘導に向けて取り組むべきだ」と提案している(Meltzer 1999(pdf), McCallum 1999(pdf))。円安誘導を図るには、大規模な円売り介入(為替介入)に訴えるのが理想的だろうが、私もその提案には同意だ。大幅な円安は、輸入物価――ここ数年は大きな下落を記録している――や日本製の財に対する需要、国民の予想に対する影響を通じて、リフレーション(物価の再上昇)に向けたプロセスに火をつける上で大いに役立つことだろう。

日銀側の拒否反応が特に顕著なのはこの問題についてなのだが、日銀側が掲げる反論のどれもが、私には理解しがたい。曰く、「日銀には、為替介入を行う法的な権限がない」 [6] 訳注;為替介入は財務省の管轄だ、との反論。。曰く、「そもそも日銀には、円安を引き起こせるだけの力がない」。曰く、「万一日銀に円安を引き起こせるだけの力があったとしても、『政治的な制約』に阻まれてその力を存分に発揮する(大幅な円安誘導を図る)ことはできない」 [7] 訳注;円安誘導を試みると、他の国々の間から「近隣窮乏化政策だ!」との声が上がり、国際社会に余計な政治的緊張を招いてしまう、との反論。

実務面の細かい話をさっさと片付けた後で、バーナンキは続ける。

言うまでもないが、重要な問題は、「日銀が円安誘導に向けて強く決意を固めたとしても、現実問題として円安を引き起こすことは果たして可能なのか?」ということだ。金利が極めて低かった1930年代を含めて、これまでの歴史上で中央銀行が自国通貨安を引き起こせなかった例なんていうのは個人的に聞いたことがないのだが、日銀には為替レートに影響を及ぼせるだけの力はないと説く論者がいることは確かだ。その論者たちの声に耳を傾けると、大体次のような理屈のようだ。日本経済は「流動性の罠」に嵌っているために、日銀がいくら金融緩和をしても効果は無く、日銀が為替市場に介入しても(為替介入に伴って売りオペを行わなくても)実質的には不胎化介入と変わらない。実証分析の多くによると、不胎化介入は(自国通貨安、自国通貨高のいずれの方向であれ)為替レートに持続的な影響を及ぼすことはできないとの結果が得られている。そのことを踏まえると、(日本経済が「流動性の罠」に嵌っている)現状では、日銀は円の価値(円の為替相場)に影響を及ぼすことはできない(せいぜい一時的に、ほんの少し影響を及ぼせるに過ぎない)と結論付けざるを得ない。

このような見解を反駁するには、つい先ほど展開した議論――貨幣の新規発行は、やがては必ず物価を上昇させる。もしそうならなければ、貨幣は無限の購買力を持つことになる [8] 訳注;貨幣の新規発行を通じて、この世のありとあらゆるものを好きなだけ買い占めることが可能となる、という意味。。――に基づく背理法に頼ればいい。例えば、日銀が新たに円を刷って、外国の資産(外貨建ての資産)を購入するための資金にあてたとしよう。その結果として、円安にもならず、日本製の財や円建ての資産に対する需要が増えもしなければ(言い換えれば、日本製の財に対する需要や円建て資産に対する需要が増えることを通じて、日本国内の物価が上昇するというメカニズムが働かないとすれば)、どういうことになるだろうか? 日銀が好き放題に外国の資産を買い漁ることが可能となって、結果的に外国人の手元には円だけが残る。それも巨額の円が。そういうことにならないだろうか? もちろん、均衡ではそういうことは起こり得ない。その理由の一つは、ポートフォリオ均衡の原則に反するからだ。円は、その他の実物資産や金融資産の完全な代替物ではない。外国人が自らのポートフォリオ上で巨額の円を保有する状態を受け入れるとすれば、それは、足許で大幅な円安が起こる場合に限られる。「今これだけ円安になっているのだから、将来的には大幅に円高に振れるだろう」。そのようにして、莫大な為替差益の発生が予想され、円建て資産に投資することから得られる(為替差益を含めた)予想利回りが(その他の資産に投資することから得られる予想利回りと同程度になるまで)高まる場合に限られるのだ。 「仰るように、円安を引き起こすことはできるかもしれないが、そのために必要となる為替介入の金額は巨額に上るだろう」との反論もあるかもしれない。私はそうとは思わないが、もしかしたらその通りかもしれない。どうなるかは、実証的な問題だ。とは言え、為替介入に必要な金額が増えたところで、それに応じて日銀が保有する外貨準備(あるいは、外貨建て資産)が増えるだけだ。それほど悪い結果だとは私には思えない。

つまりは、こういうことだ。日銀が強気の態度で為替介入に乗り出し、それと同時にマーケットの予想に働きかける適切なアナウンスが伴うようであれば、大幅な円安を引き起こすことは可能なのだ。そう考えるに足る十分な論拠は揃っており、この戦略を試さない理由はほとんどないように思われるのだ。起こり得る「最悪」のケースにしても、日銀が手元に保有する外貨準備(あるいは、外貨建て資産)が大幅に増えるという程度に過ぎないのだ。

私が昨年の春頃にこのブログで書き散らしていた話を読み直しているような気がしないだろうか? 背理法にしてもそうだし、景気後退から脱するために必要なマネタリーベースの増加額は多くの人が考えているよりもずっと少なく済ませられるという主張にしてもそうだ(ただし、そう言えるのは、準備預金にプラスの金利が支払われるようになるよりも前までの話だ)。このブログをバーナンキに譲っておくべきだったのかもしれない。そうすれば、私が言いたいことを余すところなく語ってくれていたことだろう。しかしながら、残念ながら、1999年当時のバーナンキは、もうどこにもいないようだ [9] … Continue reading。その痕跡は、タイプライターを使って書かれたらしい古い学術論文の写しの中にしか見出せないようなのだ。

(注:ここでは、2008年の後半頃の状況を念頭に置いている。予想インフレ率が大きく落ち込み、大幅なドル高が進んだにもかかわらず、FRBがそのことを黙って見過ごすという重大な過ちを犯したあの時期だ。「中央銀行は、あのような事態を避けるために力添えもできるし、是非ともそのために力を尽くすべきだ」。バーナンキの論文からはそのようなメッセージを引き出すことができるが、本当にその通りだと思う。とは言え、「FRBは、為替レートに具体的な目標を設けよ(為替レートターゲットを採用せよ)」と言いたいわけではない。名目金利と景気との関係についても言えるのだが、為替レートと景気との間の関係も壊れてしまったのだ。景気後退が深まるにつれて、ドルは(上昇に向かうのではなく)下落(ドル安)傾向に転じたのだ。)

今のFRBに必要なのは、1933年にルーズベルト大統領が示してみせたような「大胆さ」だ。これまでに何度そう訴えてきたろうか? 「サムナーは、過去に生きているようだ。ルーズベルト大統領に倣う? 彼がやってみせたようなタイプの無謀な行動が現代の政策現場に入り込む余地など無い。平価を大きく切り下げる? いつの時代の話だ。テイラー・ルールに照らして金融政策のあり方を論じるのが現代の流儀なのだ」。 私の主張を聞いた読者が目を丸くしてそうあきれ返ったことがこれまでにどのくらいあったろうか? バーナンキは、どういう考えなのだろうか? そこで、論文の結論部に目を向けてみるとしよう。結論部といえば、論文の著者が最も重要だと考えるアイデアが開陳されている場所というのが大抵のケースだ。

求められているのは、「ルーズベルト流の決心」だ!

1932年に新たな米国大統領に選ばれたフランクリン・D・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt)は、アメリカ経済を大恐慌から救い出すとの使命を引っ提げて、政権の運営に乗り出すことになった。ルーズベルト政権の取り組みの中でも最も効果の大きかった政策行動こそ、今まさに日本が必要としているものである。つまりは、銀行システムの再建と通貨安(円安)を通じて、一層の金融緩和を促すことこそが求められているのだ。確かに、ルーズベルトが実施した細かい政策の中身もそれはそれで重要ではあるが、それよりも重要なことは、アグレッシブさを前面に出して実験を試みることも辞さなかった彼の姿勢にあると私には思われる。言い換えると、アメリカ経済に再び活気を取り戻すために必要なことなら何でもやってやろうという彼の姿勢こそが、何よりも重要であったように思われるのだ。ルーズベルト大統領が実施した政策の多くは思うような効果をあげなかったが、間違いであることがわかったパラダイムにはさっさと見切りをつけるだけの思い切りのよさと、必要なことなら何でもやってやろうという勇気を、彼は持ち合わせていた。その点は、大きな称賛に値するだろう。

現在の日本は、大恐慌(と同じくらい深刻な不況)に陥っているとは決して言えないが、潜在的な供給能力を下回る状態が10年近くにわたって続いていることは確かである。また、そのような状態から今すぐにでも抜け出せそうな気配も感じられない。しかし、経済の低迷に伴って発生する損失を大きく和らげることのできる政策オプションは、疑いなくある。そのような政策がもっと試されていてもよさそうなものなのに、どうしてそうなってはいないのだろうか? 少なくとも私のような日本の外にいる人間にとっては、日本の金融政策は機能麻痺に陥っているように見える。そして、その機能麻痺の大部分は、日本銀行が自ら招き寄せたものであるように見える。「実験には乗り出したくない。確実にうまくいくとの保証がないようなことには手を出したくない」。そのような思いをあけすけに示す日本銀行の姿勢には、特に目がひかれるところだ。おそらく今の日本に必要とされているのは、「ルーズベルト流の決心」(Rooseveltian resolve)なのであろう [10] … Continue reading

(コメント欄で私の主張を批判するのが日常茶飯事となっている)JimPはいるだろうか? 何か言いたいことある?

(追記)(バーナンキ論文について情報を寄せてくれた)マーカス・ヌネスに大いに感謝せねばならない。ストライクゾーンど真ん中にスローボールを放ってもらったようなものだからね。

References

References
1 訳注;この段階では、FRBが具体的に何%のインフレ率を目標にしているのかについて明言されていなかったが、2012年1月に(PCEデフレーターで測って年率)「2%のインフレ率」を目標にすることが公けにされた。ただし、インフレ率の動きだけではなく、失業率の動きにも目を配る旨が明言されている。FRB自身は、インフレ率にも失業率にもどちらにも同等に目配りをする現状の政策枠組みを「バランスのとれたアプローチ」(balanced approach)と呼んでいるが、学術的には「フレキシブル・インフレ目標」に括られることになるだろう(FRBの現議長であるジャネット・イエレンがまだ副議長だった2013年4月に行った講演を読む限りでは、イエレンも同様の(FRBは「フレキシブル・インフレ目標」を採用しているとの)認識のようだ)。
2 訳注;この論文が収録されている『Japan’s Financial Crisis and Its Parallels to US Experience』は、一冊丸ごと翻訳されている(邦訳『日本の金融危機-米国の経験と日本への教訓』)。なお、今回のエントリーでバーナンキ論文から引用されている文章は、すべて拙訳であることを断っておく。
3 訳注;「財政政策的な要素」を併せ持っていない非伝統的な公開市場操作としては、通常であればオペの対象に含まれない債券(資産)――例えば、長期国債など――を市場価格で買い取ることと定義されている。
4 訳注;形式的には補助金というかたちをとってはいないが、実質的には補助金と変わらない、という意味。例えば、ある銀行が企業に1000万円のローンを貸し出した――額面(簿価)が1000万円の債権――が、時価で評価すると700万円にしかならないとする。日本銀行がこの債権を額面の1000万円で買い取ると、時価との差額の300万円分が損失補填されている格好になる。見方を変えると、300万円分の補助金が支払われているとも言える。
5 訳注;この箇所の訳は、自信がない。原文は、“That’s right, stick to monetary policy and leave those bank bailouts to the fiscal authorities. Of course some of this can be explained by changing circumstances, or crisis conditions. But not all”だが、特にOf course以降の文章の意味がよくとれなかった。自分なりに意味を通そうとして、「しかしながら、バーナンキ議長率いるFRBはその方針に背くような振る舞いをした。」という文章を捻り出して間に挟んでみたが、読み違えているかもしれない。
6 訳注;為替介入は財務省の管轄だ、との反論。
7 訳注;円安誘導を試みると、他の国々の間から「近隣窮乏化政策だ!」との声が上がり、国際社会に余計な政治的緊張を招いてしまう、との反論。
8 訳注;貨幣の新規発行を通じて、この世のありとあらゆるものを好きなだけ買い占めることが可能となる、という意味。
9 訳注;バーナンキの変節(?)――「学者(理論家)としてのバーナンキ」と、「FRB議長(実務家)としてのバーナンキ」との間で意見に食い違いが見られるのではないかという問題――については既にいくつか研究があるが、その中でもローレンス・ボールの次の論文が有名である。 ●Laurence Ball, “Ben Bernanke and the Zero Bound”(Contemporary Economic Policy, Vol.34(1), pp. 7–20, January 2016;この論文の概要については、VOXに寄稿されているこちらの記事を参照されたい)
10 訳注;黒田日銀新体制の発足――「2%のインフレ目標」の採用&「量的・質的金融緩和」の導入――は、「自ら招き寄せた機能麻痺」に陥っていた日本銀行が「ルーズベルト流の決心」に裏付けられたレジーム転換に踏み切った契機として位置付けられる、とはケネス・カットナーの評価。 ●Kenneth Kuttner(2014), “Monetary Policy during Japan’s Great Recession: From Self-Induced Paralysis to Rooseveltian Resolve”(pdf)
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