タイラー・コーエン「ロバート・バローと総需要」

Tyler Cowen “Robert J. Barro on aggregate demand“(Marginal Revolution, January 21, 2014)

訳者補足;失業保険についてのクルーグマンVSバロー(と保守派)の対立に関するスコット・サムナーのエントリ[邦訳]に反応したもの。コーエンはサムナーのコメント欄でも「バローが総需要を理解してないなんて証拠がどこにあるの?」といの一番にコメントを付けている(それに対するサムナーの返答は「バローは総需要を非常によく理解しているけど、それが実質GDPに影響するとは考えていない」というもの)。


ロバート・バローが総需要という概念を否定しているかどうかについて騒がれているけども、彼が括弧付きで「総需要」と書いたのもその一因となっている。スコット・サムナーが全体を概説している

バローが本当のところどう考えているかを見つけるためにグーグルなんかを使ってみたんだけど、彼は実のところこの点についてピタリとはまるものを書いているんだ(jstor)。「総供給・総需要モデル」という1990年半ばのものがそれで、以下はその要約だ [1]訳注;全文はここから読める。

近年、基本及び中級マクロ経済学教科書の多くは総供給総需要(AS-AD)フレームワーク [Baumol and Blinder, 1988, Ch. 11; Gordon, 1987, Ch. 6; Lipsey, Steiner, and Purvis, 1984, Ch. 30; Mankiw, 1992, Ch. 11]を採用している。ケインジアンのフレームワークに供給ショックを組み込んで、価格水準の動きについてより満足のいく予測を行うというのがその目的だ。本論文の要点は、AS-ADモデルは不十分なものであり教育ツールとしての使用はやめるべきというものだ。

総供給曲線の一つの型においては、通常用いられるAS-ADモデルの構成要素は矛盾をはらんでいる。そうした論理的矛盾を消し去るようなモデルの解釈は、モデルを合理的期待マクロモデルの変形型としてしまう。こうしたモデルにおいてはケインジアン的な特徴はなく、合理的期待についての文献と同じような政策の処方がもたらされる。

別の型の総供給曲線は、完全ケインジアンモデルとかつて呼ばれていたものとつながる。すなわち財市場は均衡するが労働市場は慢性的に過剰供給を抱えているというものだ。このモデルは大昔に十分な理由をもって否定されており、現代に甦らせるべきではない。

この論文を読めば3つのことに気付くだろう。1点目は、バローは「総需要的な」現象を完全に気づいていて、そうした考えを否定していないということ。2点目は、バローはAS-ADよりもIS-LMを好んでいるようだということ。IS-LMが行いうる間違った予測についていくつか注意をしているし、注2では彼が自分の1993年の教科書 [2]訳注;”Macroeconomics“の第4版。 に載せた説明のほうが良いとしてはいるけどね。3点目は、(その賛否はともかくとして)バローの批判とは、AD-ASがあまりに容易に標準的な合理的期待モデルへと陥ってしまい、粘着的価格のあるマクロ経済学について独自の基礎付けをもたらすことがないというものだ。簡単にいえば、「AS-ADモデルは、その価格水準が財市場を均衡させるという仮定がケインジアンの総需要曲線の基礎づけと非整合的であり、一般に言われているように論理的に欠陥を抱えている」ということだ。

クルーグマンは次のように書いている

バローの文を読むと、「総需要」の不適切な水準によって経済が被害を被る場合があるという考え全体があっさりと否定されていることに気付く。「総需要」という括弧付けは僕じゃなくて彼がやったものだけど、これはそれが「ふつうの経済学」とは相いれない馬鹿げたおかしな考えだということを意味してるんだ。

僕はクルーグマンのこの言葉がバローの考えの特徴をうまくとらえているとは思わない。これはイデオロギーのチューリングテストの重要性 [3] … Continue reading を示す現実の教訓なのだと思う。僕はこの論文だけじゃなくてバローが40年の間に発表してきた論文を引用できれたらなと思う。その多くは名目ショックや名目需要の重要性を研究している。教科書的なAD-ASの用語は(基本的には)使っていないけどね。実際、バローはハーシェル・グロスマンとともに量的制約付のケインジアン粘着価格マクロの生みの親の一人で、1990年半ばの論文においてもこの業績を好意的に引用している。試しにバロー及びグロスマン(1971, 1974)や、両者共著の1976年の本 [4]訳注;”Money Employment and Inflation を読んでみてほしい。この本の前書きはこう書かれている。「このマクロ経済理論の教科書は、マクロ経済理論をそのミクロ経済学的基礎づけの再検討を通して再構築することをねらっている。ケインズの雇用、利子、お金の一般理論を受け継ぎつつ(略)」

失業保険の問題については、所得移転による乗数は政府消費の乗数と比べると大したことはないだろうということを言っておこう。

References

References
1 訳注;全文はここから読める。
2 訳注;”Macroeconomics“の第4版。
3 訳注;クルーグマンが過去に「リベラルは保守派の言うことにも耳を傾けているから彼らがどういう風な主張をするか真似を出来るけど、保守派は反対意見を聞けないからできない」ということを述べており、それを「人間の真似をすることのできるコンピューター」というチューリングテストに例えたもの。クルーグマンもバローの真似が出来ていないじゃないかという趣旨。
4 訳注;”Money Employment and Inflation
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