タイラー・コーエン 「水爆の原料は何だ? ~アーメン・アルチャンが手掛けた世界初の(そして歴史の闇に葬り去られた)『イベントスタディ』をここに再現~」(2014年5月12日)

●Tyler Cowen, “Nuclear science, event studies, and the other side of Armen Alchian”(Marginal Revolution, May 12, 2014)


この話は知らなかった [1]訳注;ちなみに、アルチャン本人は、この件について次のように回想している(“Principles of Professional Advancement” in 『The Collected Works of Armen A. … Continue reading

舞台は、1954年のランド研究所。その当時、ランド研究所に籍を置いていたアーメン・アルチャン(Armen A. Alchian)は、世界で初めての「イベントスタディ」に挑んだ。その目的は、当時開発中だった水素爆弾の原料に何が使われているかを推測することだった。アルチャンは、世間一般に公けにされている金融データ(株価)だけを頼りに、原料は「リチウム」だと見事に言い当てたが、国家の安全を脅かす恐れがあるとの理由から、「イベントスタディ」の結果をまとめた覚え書きはたちどころに没収されて破棄されてしまった。アルチャンが世界初の「イベントスタディ」に挑んだ当時は、水爆の製造工程は機密扱いだったが、その後に一部については機密が解除されるに至っている。1950年代初頭に進められた水爆の開発実験は、マーケットの効率性――インサイダーしか知り得ない私的な情報を、誰もが知る公開情報として素早く普及させるマーケットの効率性――がいかほどのものかを試す格好の機会を提供している。本論文では、アルチャンが手掛けた「イベントスタディ」の再現を試みたが、結論を先取りすると、アルチャンが辿り着いたのと同様の結果が得られた。アルチャンが手掛けた「イベントスタディ」では、マーシャル諸島で行われた一連の核実験(水爆の爆発実験)――1954年3月1日にビキニ環礁で行われたブラボー実験(これまでにアメリカが行った核実験の中でも最大規模のもの)を手始めとするいわゆる「キャッスル作戦」――に対する株式市場の反応が対象になっている。「キャッスル作戦」は、重水素化リチウムを燃料とする水爆の爆発実験としてはアメリカ初の試みであり、爆撃機でも持ち運びが可能な高出力の核兵器の開発に道を開くきっかけになった。当時の株価のデータを詳しく調べると、1954年3月にリチウム・コーポレーション・オブ・アメリカ(LCA)社の株価が、その他の企業の株価やダウ・ジョーンズ工業株価平均(DJIA)と比べて、かなり大幅な上昇を記録していることがわかる。ブラボー実験が行われたのは、1954年3月1日。水爆の製造工程については国家機密であり、ブラボー実験の成否については科学者の間でも意見が割れていた。国民の間でも混乱が見られた。それにもかかわらず、ブラボー実験が行われてから3週間の間に、LCA社の株価は(1954年2月26日時点での一株あたり8.875ドルから、1954年3月23日時点での13.125ドルへと)48%以上も上昇し、月最終日の3月31日時点(一株あたり11.375ドル)でも、2月26日時点の株価を28%も上回ったのである。LCA社の株価は、1954年の1年間で(1953年12月31日時点での一株あたり5.125ドルから、1954年12月30日時点での28.75ドルへと)実に461%(4倍以上)も上昇したのだ。

ジャーナル・オブ・コーポレート・ファイナンス誌に掲載されたばかりのジョゼフ・ニューハード(Joseph Michael Newhard)の論文のアブストラクトより(「切れ者」のケヴィン・ルイス経由)。

References

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1 訳注;ちなみに、アルチャン本人は、この件について次のように回想している(“Principles of Professional Advancement” in 『The Collected Works of Armen A. Alchian(vol. 1)』, pp. xxv~xxvi)。「ひょんなことから、1946年にUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の経済学部に籍を置くことになった。その前年の1945年に、UCLAの近くのサンタモニカに、たまたまランド研究所が設立されたばかりだった。そして、UCLAの同僚のアレン・ウォリスが、ランド研究所の設立に奔走していたヘンリー・「ハップ」・アーノルド元帥とどういうわけだか非常に仲がよかった。私が(アレン・ウォリスにそそのかされて)ランド研究所で働くに至るまでには、こういった偶然の積み重ね――ゴルフでバーディーがとれるのと引けを取らないくらいの偶然の積み重ね――があったのだ。・・・(中略)・・・ちょっとばかり自慢させてもらいたいことがある。話は1950年代~1960年代に遡るが、コーポレート・ファイナンスの分野で初めての『イベントスタディ』を手掛けたのだ。水爆が完成する前年のことだが、ランド研究所の経済部門に集った面々は、水爆の原料にどんな金属が使われているのか興味津々だった。リチウムだろうか? ベリリウムだろうか? トリウムだろうか? それとも、それ以外の何か? ランド研究所で一緒に働いていたエンジニアや物理学者の連中に聞いても、何も教えてくれなかった。それも、もっともだった。彼らは、機密を保持する義務を負っていたのだから。そこで、私は言ってやったものだ。『自力で答えを見つけ出してやるぞ』、と。早速、米商務省が発行している会社年鑑を引っ張り出してきて、水爆の原料になりそうな金属を製造している会社を何社か選び出した。そして、選び出した会社の株価が、水爆の実験が成功する前年の下半期にどう動くかをじっと眺めたのだ。未公開情報には一切頼らなかった。いやはや、驚いたの何のって。記憶の範囲での話になるが、ある会社の株価が8月時点では一株あたり2ドル~3ドルくらいだったのに、12月になると一株あたり13ドルくらいまで急上昇したのだ。その会社というのは、リチウム・コーポレーション・オブ・アメリカ社。年明けの1月に、『イベントスタディ』の結果を覚え書きとしてまとめ、“The Stock Market Speaks”(「株式市場は語る」)というタイトルをつけて、ランド研究所内に配布して回った。それから2日後のことだ。『配った覚え書きを残らず全部回収しろ』と上からのお達しがあったのは。」
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