ニコラス・クラフツ&ピーター・フィアロン 「記憶にとどめておくべきエピソード;1937~38年のアメリカの不況から得られる教訓」(2010年11月23日)

●Nicholas Crafts and Peter Fearon, “A recession to remember: Lessons from the US, 1937–1938“(VOX, November 23, 2010)


今般の世界的な経済危機と1930年代の大恐慌(Great Depression)を比較する言説はしばしば目にするが、「1937年の不況」についてはそれほど広範には論じられていない。本稿では、「1937年の不況」からどのような教訓が得られるかについて検討する。「1937年の不況」は、世の政策当局者たちに対して、①財政再建は先延ばしすべきではない、②財政再建に向けて財政刺激策から手を引く「出口戦略」に乗り出す場合は、金融緩和を通じて総需要を支える必要がある、というメッセージを送っているのだ。 

OECD諸国は、大恐慌以来最も深刻な不況と金融危機から回復しつつあるようだ。それに伴って、政策当局者にとっての課題が適当な出口戦略を練ることへと移行しつつある。景気刺激策から手を引くのが早すぎて再び景気後退を招いてしまう可能性が一方であり、景気刺激策から手を引くのが遅すぎてインフレの過熱を許してしまう可能性が一方である。

名目利子率がゼロ%ないしはその近辺にある中では、財政乗数の値はおそらく大きな値をとることだろう。しかしながら、中期的な観点からすると、銀行危機の影響で潜在GDPが落ち込んだせいで構造的財政赤字――GDPギャップがゼロである(完全雇用が達成されている)状況での財政赤字額――が拡大していることを考え合わせると、財政の持続可能性(fiscal sustainability)を確保する方向に転じる必要がある。

今のこのタイミングで、1937~38年にアメリカを襲った厳しい不況――大恐慌から快調に回復しつつあったアメリカ経済に突然襲いかかった不況――を振り返ってみるのは時宜を得ていると言えるだろう。このエピソードは、米国の外で活動する経済学者の大半にはあまり知られていないが、心にとどめておくべき教訓を投げかけているのだ――このエピソードについては、フランソワ・ヴェルデ(Francois Velde)のつい最近の論文(Velde 2009)も是非とも参照されたい。何があったかが巧みにまとめられているだけでなく、鋭い分析も加えられている――。

大恐慌からの回復

1933年以降に、アメリカ経済は堅調な景気回復を経験した。表1にあるように、実質GDPは1937年までにほぼピークの水準にまで戻り、大恐慌のどん底だった1933年初頭の(実質GDPの)水準を40%以上も上回ることになったのだ。このようなかたちで景気が勢いよく回復した主たる理由は、1933年3月に金本位制から離脱する決定が下されて新たな政策レジーム(policy regime)が採用されることになったからである、という点については経済学者の間で幅広い合意が得られている。クリスティーナ・ローマー(Christina Romer)が指摘しているように(Romer 1991, 2009)、金本位制からの離脱後に、マネーサプライが非常に急速な勢いで伸びることになった。重要なポイントは、新しい政策レジームへの移行に伴ってインフレ期待がシフト(上昇)したことにある。そのことが「流動性の罠」から抜け出す上で重要な役割を演じたというのが、エッガートソン(Gauti Eggertsson)がDSGEモデルを使った分析を通じて得た結論だ(Eggertsson and Pugsley 2006, Eggertsson 2008)。ローマーもエッガートソンも共通して主張しているように、名目利子率がゼロ%近辺に張り付いていてもうそれ以上下がりようがなかったものの、ルーズベルト大統領が1920年代中頃の水準にまで物価水準を回復させる強い意志を見せたおかげで劇的にインフレ期待が高まり、結果的に実質利子率が大幅に下落することになったのである――インフレ期待の上昇に伴う実質利子率の低下は、アメリカ経済の景気回復を支えた中心的な波及経路の役割を果たした――。同時期に連邦財政支出も急激に増えたものの、経済史家にとっては周知のように、ニューディール政策は「穏やかな」財政刺激策どまりだった――穏やかとはいっても、インフレ期待のシフトに貢献した可能性はある――。当時の財政赤字の規模は対GDP比で3%あるいは4%程度だったが、赤字になったのは景気が低迷して税収が落ち込んだせいだったのである。

表1 四半期別の実質GDP

(1929年第3四半期(1929 Q3)の実質GDPを100とおく)

データの出所;Balke and Gordon (1986)

1937年初頭の段階では依然としてGDPギャップが存在していたが――Balke and Gordon(1986)の推計では、当時のGDPギャップは対GDP比で15%程度と見積もられている――、世間では「不況はもう終わった」との認識が広く抱かれていた。政策当局者はというと、インフレや財政赤字を気にかけるようになっていた。Fedはというと、銀行システムに積み上がった大量の超過準備に懸念を抱き、財務省はというと、政府債務残高の対GDP比が1929年から1937年にかけて16%から40%へと上昇した事実に懸念を抱いたのである。

1936年に所得税率が引き上げられ、1937年1月に社会保障税が導入されると、連邦財政収支は1938年にほぼ均衡するに至った。1936年に退役軍人に対するボーナスの支払いで一時的に歳出が急増したものの、それ以降は歳出の削減も進んだ。Larry Peppers(1973)の推計によると、これら一連の措置の結果として、裁量的な財政引き締め(discretionary fiscal tightening)――財政黒字――の規模は対GDP比で3%を上回るまでに達したのである。金融政策面での政策変更に目を移すと、1936年12月に金不胎化政策が採用され、1936年8月から1937年3月にかけて計3度にわたって預金準備率が引き上げられることになった(計3度にわたる引き上げの結果、預金準備率はそれまでの水準の2倍に達することになった)。Fedの高官の口からは、インフレの危険性を強調する発言が増え出している。ヴェルデの分析によると(Velde 2009)、1937年5月から1938年6月までの景気後退――この期間は、NBER(全米経済研究所)によって景気後退期と判定されている――は、これら財政・金融政策両面における(財政引き締め・金融引き締めに向けた)政策スタンスの変更によって十分に説明できるとのことだ。表1にあるように、この期間に実質GDPは約11%も急落した。鉱工業生産は30%以上も減少。実物投資は50%以上も減少。株価は40%以上も下落した。物価の上昇はストップし、逆に再び下落し始めることになった。「1937年の不況」は、それまでの景気回復傾向からの大逆行を意味しており、1930年代初頭に匹敵するほどの勢いで景気が落ち込むことになったのである。預金準備率が引き下げられ、金不胎化政策が停止され、20億ドルに上る財政出動が繰り出されて均衡財政政策が放棄されると、1937年5月からはじまった景気後退も終わりを迎えることになったのであった。

名目利子率が低い水準に張り付いている状況では、財政乗数はかなり高めの値をとり、クラウディングアウト効果が働く余地もそんなにないと考えてもよかろう――この点は、その方面の理論や実証を概観しているRobert Hall(2009)によっても確認されている――。おそらく1930年代後半もそうだったと思われる――ロバート・ゴードン(Robert Gordon)&ロバート・クレン(Robert Krenn)の二人による推計によると、1940年時点の財政乗数の値は1.8程度とのことだ (Gordon and Krenn 2010)――。となると、財政再建を試みたら景気に大きな下押し圧力がかかる可能性があるわけで、財政緊縮に伴うデフレ圧力を打ち消すために拡張的な金融政策(=金融緩和)が求められていた・・・はずだが、1930年代後半のアメリカ経済はダブルパンチ(財政引き締めと金融引き締め)を食らわされる羽目になってしまった。1936~1937年における政策スタンスの転換の何が致命的だったかというと、インフレ期待を低下させたことにある。ローマーも指摘しているように、インフレ期待が低下した結果として、実質利子率が急上昇することになったのだ。Eggertsson and Pugsley(2006)によると、名目利子率が極端に低い水準にある状況では、政策当局が何を目標にしているかについての世間一般の信念(public beliefs)にちょっとした変化が生じるだけでも、生産量(実質GDP)に重大な影響が及ぶことが見出されている。

「1937年の不況」の教訓

「1937年の不況」がその教訓として世の政策当局者に対して伝える主たるメッセージは、財政再建は先延ばしすべき・・・ということではない。そうではなくて、財政再建に向けて財政刺激策から手を引く「出口戦略」に乗り出す場合は、金融緩和を通じて総需要を支える必要がある、というのがそのメッセージだ。近年のOECD諸国でうまくいった財政再建の特徴の一つに金利の引き下げが伴っていた点があげられるが、先のメッセージはこの事実とも整合する。しかしながら、1930年代と同様に、今現在も名目利子率を引き下げる余地は残されていない。そこで、実質利子率を引き下げるためにも、物価が上昇するとの予想を醸成する(インフレ期待を高める)必要があろう。そのために、量的緩和をさらに進めるのもありだろうし、「インフレ目標」の代わりに一時的に「物価水準目標」を採用するというのも一考の価値ありだろう。

今般の危機の過程でアメリカをはじめとした各国の政策当局者が見せた積極的な行動は、1930年代初頭に政策当局者が犯した悲劇的なまでの過ちと比べると、大きな進歩を示していると言えよう。政策当局者が積極的に行動したおかげで、大恐慌(Great Depression)の再現ではなく、大不況(Great Recession)を経験する程度で済んだのだ。不況を阻止するにはどうしたらいいかという点に関しては、過去の歴史から重要な教訓がきちんと学ばれてきている。しかしながら、1930年代は、景気回復の扱い方をめぐっても、今でも有用な教訓を持ち合わせている。1930年代の教訓についてもっと知りたいようなら、我々が執筆したサーベイ論文(Crafts and Fearon 2010)――このサーベイ論文は、1930年代の教訓に関する専門的な研究成果を一般向けに紹介するために取りまとめられた論文集のイントロダクションとして書かれた――に目を通してもらえたら幸いだ。

<参考文献>

●Balke, N and RJ Gordon (1986), “Appendix B: Historical Data”, in RJ Gordon (ed.), The American Business Cycle: Continuity and Change. Chicago: University of Chicago Press, 781-850.
●Crafts, N and P Fearon (2010), “Lessons from the 1930s’ Great Depression”,Oxford Review of Economic Policy, 26:285-317.
●Eggertsson, GB (2008), “Great Expectations and the End of the Depression(pdf)”, American Economic Review, 98:1476-1516.
●Eggertsson, GB and B Pugsley (2006), “The Mistake of 1937: a General Equilibrium Analysis(pdf)”, Monetary and Economic Studies, December, 151-190.
●Gordon, RJ and R Krenn (2010), “The End of the Great Depression, 1939-41: Policy Contributions and Fiscal Multipliers”, NBER Working Paper 16380.
●Hall, RE (2009), “By How Much Does GDP Rise if the Government Buys More Output?(pdf)”, Brookings Papers on Economic Activity, Fall, 183-231.
●Peppers, LC (1973), “Full-Employment Surplus Analysis and Structural Change: the 1930s”, Explorations in Economic History, 10:197-210.
●Romer, CD (1992), “What Ended the Great Depression?(pdf)”, Journal of Economic History, 52:757-784.
●Romer, CD (2009), “The lessons of 1937”, The Economist, 18 June.
●Velde, FR (2009), “The Recession of 1937 – a Cautionary Tale”, Federal Reserve Bank of Chicago Economic Perspectives, Quarter 4, 16-37.

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