マーク・ソーマ 「失業に伴う経済的・社会的コスト」(2006年1月12日)/「失業は主観的な幸福度にどのような影響を及ぼすか?」(2013年12月16日)

●Mark Thoma, “The Economic and Social Costs of Unemployment”(Economist’s View, January 12, 2006)


経済学者が大学での講義の場などで失業のことについて語る際、失業に伴って発生するコストは経済的な損失だけに限られないと指摘することに気が配られるものである。失業というかたちで遊休資源(利用されないでいる生産要素)が発生すればGDPの減少というかたちで経済的な損失が生じることになるが、失業にはそれ以外にも考慮すべき人的・社会的なコストが相伴うのだ。その格好の例が以下の図に示されている。この図はダラス連銀が発行しているEconomic Letter誌の論説 “Miracle to Malaise: What’s Next for Japan?”(pdf)より転載したものだが、日本における(1953年から2003年までの)失業率(橙色の線)と男性の自殺率(緑色の線;人口10万人あたりの自殺者数)の推移が表されている。

Japan.1.12.06

・・・失業率と日本人男性の自殺率との間には稀に見るほど密接なつながりが確認されるわけだが、日本では失業に伴う負担をいや増すような特有の文化心理学的な要因が働いているのかもしれない。

1953年から2003年までの日本のデータによると、男性に関しては(景気循環に伴って)失業率が1%だけ上昇すると自殺率は5.39%だけ上昇する傾向にある。・・・男性に比べるとその効果はずっと弱いものの、女性に関しても失業率が1%だけ上昇すると自殺率は1.38%だけ上昇するとの関係が見出せる。その一方で、アメリカでは女性の失業率と女性の自殺率との間には統計的に有意な関係は見出せない。

失業率と自殺率との間に見られる強いつながりは日本社会が抱える次の2つの特徴を反映したものかもしれない。まず一つ目は、日本人の間では失業(職を失うこと)は経済の変動に伴って生じる普通の(ごく当たり前の)出来事というよりは個人的な失敗(その人個人の責任)として解釈されがちだという点である。そして二つ目としては、日本経済は雇用機会が次から次へと旺盛に生み出されることをその特徴とする経済とは言えず、そのためもあって日本人の失業者は他の国の失業者よりも新たな職にありつける可能性について悲観的になりがちなのかもしれない。

同一企業への勤続年数や労働者を取り巻く危険(worker insecurity)といった話題について耳にする機会がここのところ(2006年1月当時のアメリカでは;訳者による注)多くなってきている。(2006年1月の時点で)最新の研究によると、ここ数十年のアメリカ経済では同一企業への平均勤続年数には大した変化は見られないようである。このような研究結果を受けて(平均勤続年数に大して変わりがないとすれば)労働者を取り巻く危険もこの数十年の間で大して変わってはいないとの結論を導き出している論者もいるようである(同一企業への勤続年数と労働者を取り巻く危険との関係をめぐってはTPM Cafe [1] 訳注;リンク切れニューヨーカー誌でも話題にされている)。

しかしながら、失業に伴うコストも考慮する必要がある。失業に伴う経済的・社会的コストが仮に高まっているとすれば、平均勤続年数に変化は見られなくとも労働者を取り巻く危険は増大していると言えるかもしれないのだ。

次のような例を考えてみよう。循環的な要因や企業間での競争の結果としてではなく構造的な要因によって生み出される失業がこれまでよりも増えるが、(マクロ経済全体で見た)平均勤続年数はこれまでと変わらないとしよう。循環的な要因によって失業が発生する場合には失業者はしばらくすれば(景気回復に伴って)前職と同じ業界で再び職にありつける可能性が高く、企業間での競争の結果として失業が生まれる場合には競争に打ち勝った企業が雇用を増やす可能性がある。その一方で、構造的な要因によって生まれる失業は永続的なものであり、一旦失われた職はもう二度と戻ってこないかもしれない。その場合、失業に伴うコストはずっと高まることになり、平均勤続年数はこれまでと変わらなくとも労働者はこれまでよりもずっと大きな不安に駆られることだろう。しばらくすれば新たな職にありつけるとしても前職とは異なる業界に転じざるを得ず収入も大幅に減るということにでもなればなおさらそうだろう。重要なポイントはこういうことだ。労働者を取り巻く危険にどのような変化が生じているかを明らかにするためには勤続年数のデータを調べるだけでは十分ではなく、その他の数々の要因にも目を向ける必要があるということだ。例えば、デロングも取り上げているように、ここ最近のアメリカ経済では家計所得の変動が高まってきているのだ。

家計所得はかつてよりもずっと不安定になってきている――言い換えると、家計所得の変動が大幅に高まってきている――。研究者たちはそう結論付けている。「少なくとも1975年頃から家計所得の変動が趨勢として高まってきていることは疑いありません。」・・・(中略)・・・所得の変動に伴う混乱はかつてよりも厄介なものとなる可能性がある。・・・(中略)・・・ある家庭の所得が予想しないかたちで大幅に減少した場合、その家庭では所得の減少に応じて消費を減らすのではなく借金するか貯金を切り崩すか家庭内から誰かもう一人(大抵は妻)も働きに出るかして消費をこれまでと同じ水準に維持しようとする。経済学の従来のモデルではそのように考えられていた。しかしながら、ラジ・チェティ(Raj Chetty)も語っているように、「現在の状況においては従来のモデルが予測するようなかたちにはなりそうにありません」。なぜか? 多くの家庭が既に共稼ぎ(妻も働きに出る)のカードを切っているからである。・・・(中略)・・・所得の変動というショックを和らげるためにそれぞれの家庭が自らで準備できる(共稼ぎをはじめとした)緩衝器の機能は弱まっている。それは家の外にある緩衝器にも言えることだ。企業(雇用主)が提供する確定給付年金や(同じく雇用主提供の)民間医療保険――所得の変動というショックを和らげてくれる家の外にある緩衝器――に加入している労働者の割合はこの30年の間に減少傾向を辿っているのだ。このようにして緩衝器の機能が弱っているところに所得の変動の高まり――特に低中所得層の間でその変動は高まっている――という問題が降りかかってきているのだ。・・・(中略)・・・「経済的なリスクに対抗するための岩盤のように固い防御装置(の役割を果たすプログラム)を政府は用意すべきか? 所得の変動の高まりをめぐる議論の背後に潜んでいる真の争点はまさにこの点にあるのです。」

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●Mark Thoma, “The Impact of Unemployment on Well-Being”(Economist’s View, December 16, 2013)


キャスリーン・ガイエル(Kathleen Geier)がワシントン・マンスリー誌に記事を寄稿している。

What social science says about the impact of unemployment on well-being: it’s even worse than you thought”(「失業は主観的な幸福にどのような影響を及ぼす?:その影響はあなたが思うよりもずっと深刻なものだ」) by Kathleen Geier

今朝のことだが、ニューヨーク・タイムズ紙に掲載されている物珍しくて冗長な感のある論評記事に目を通していたところ、大変興味深い論文(pdf)へのリンクが貼り付けられていることに気付いた。この論文では失業が非金銭的な幸福に及ぼす影響が問題となっており、2012年にSocial Forces誌に掲載されるに至っている。論文の著者であるクリストバル・ヤング(Cristobal Young)はスタンフォード大学に籍を置く社会学者だが、彼によると失業という出来事は失業者一人ひとりの幸福に対して我々が思っている以上に壊滅的な影響を及ぼしているということだ。

この論文では3つの主要な結果が明らかにされている。まず一つ目の発見は、失業という出来事は職を失った人々の幸福に対して破壊的な効果を持っているということである。ヤングの言葉を借りると、「〔失業は〕職を失った人々の主観的な幸福度を大幅に低下させる」のだ。

・・・(中略)・・・

次に二つ目の発見に移るが、失業保険はマクロ経済の安定化を促すことには貢献するものの、失業者を幸福にする(主観的な幸福度を高める)効果はないというのがそれである。

・・・(中略)・・・

最後に三つ目の発見だが、失業が職を失った人々の幸福に及ぼす強力なマイナスの効果(主観的な幸福度を大幅に低下させる効果)は長引きがちであり、その効果は数年にわたって続く可能性があるというのがそれだ。

・・・(中略)・・・

ヤングはこのこと(失業が主観的な幸福度に及ぼすマイナスの効果が長引くこと)を(失業の)トラウマ効果(“the scarring effect”)と呼んでいるが、その他の研究者らによるとトラウマ効果は3~5年ないしはそれ以上にわたって続く可能性があるということだ。さらには、ヤングが指摘しているところによると、「(またもや)職を失うのではないかという漠然とした恐怖」もしばらく(職を得た後もなお)続く可能性があるということだ。

・・・(中略)・・・

景気の低迷が人類にもたらす悲劇には困惑させられるばかりだ。その悲劇の中でも経済に及ぶ損害はある意味では最も軽微なものだと言えるかもしれない。長期失業者は「恥ずかしさ」や「自尊心の喪失」を味わうだけではなく、友人や家族との関係がうまくいかなくなることもあるという。それだけではない。長期失業者の自殺率は群を抜いて高いのだ。・・・(略)・・・

どうして政策当局者たちは失業危機の解消に向けてもっと手を打とうとしてこなかったのだろうか? どうにも理解しがたいことだ。

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