マーク・ソーマ 「資本主義を守り抜くには価格システムへの『公平感』を保つことが必要だ ~災害時の『便乗値上げ』の是非を巡る議論から得られる教訓~」(2012年11月28日)

●Mark Thoma, “Hurricane Sandy’s Lesson on Preserving Capitalism”(Economist’s View, November 28, 2012)


数週間前にFiscal Timesにコラムを寄稿したのだが、今回は以下にその一部を転載しようと思う。なぜ今になって再び取り上げる気になったかというと、その理由は2つある。一つ目の理由は、誤解を正したいと思ったからだ。どうやら私の意図がうまく伝わっていないようで、読者の多くはあのコラムを「便乗値上げ」を禁じる法律に賛意を示すものと受け取ったようだが、それは違う。価格システムを腐してやろうというつもりであのコラムを書いたわけではない。「便乗値上げ」に対する世間の反応からは学ぶべき教訓があるということがあのコラムで言いたかった一番の要点なのだ。「価格の変動を通じた資源の配分メカニズムには、『不公平な』帰結が付き纏(まと)う」。世間の人々の間でそのような疑念が抱かれてしまうようであれば、価格システムに対する広範な支持など得られやしないだろう。格差の拡大や一部の富裕層への(政治的および経済的な)権力の集中が続いたとしたら、資本主義というシステムに対して世間一般の人々が抱く公平/不公平の感覚に一体どのような影響が及ぶことになるだろうか? 市場原理主義者にしても、資本主義を支持する立場の論者にしても、そのことをもっと真剣に気にかけるべきなのだ。資本主義というシステムに対する(世間一般の)不公平感が募り募って臨界点を超えてしまった暁には、(不満を抱えた世論の意向を汲んだ結果として)その後釜として得体の知れないシステムに取って代わられてしまう可能性だってあるのだ。次に二つ目の理由だが、どちらかというとこちらの方が(一つ目の理由よりも)重要だ。いつものように色んな記事を紹介したかったのだが、どういうわけだか、今日は不運にもこれはと思えるような記事に出くわせなかったばかりか、ブログ用に自分で何か書き上げるだけの時間の余裕もなかったのだ(つまりは、一時しのぎの苦肉の策というわけだ)。

Hurricane Sandy’s Lesson on Preserving Capitalism”:

ガソリンスタンドの前にできた長蛇の列。ハリケーン・サンディの直撃を受けて、ガソリンをはじめとした生活物資の数々が品不足の状態にあり、被災民たちは不安な日々を余儀なくされている。自然災害に見舞われた直後には、「便乗値上げ」の是非を巡って経済学的および倫理的な観点から議論が巻き起こるものだが、今回もその例外ではない。自然災害に見舞われた直後に売り手が品物の値段を吊り上げるのは許される行為なのか? 望ましい行為と言えるのか? こういった疑問は確かに重要だ。しかしながら、「便乗値上げ」を巡る議論からは、その是非にとどまらない更なる教訓も引き出せると思われるのだ。

経済学者は「便乗値上げ」(“price-gouging”)という表現を好まない。というのも、自然災害に見舞われた後に価格が上昇するに任せることは、稀少な資源(財やサービス)を配分する(割り振る)ための最善の方法でもあり、不足気味の品物の増産を促すことになるという意味でも重要というのが経済学者の考えだからだ。店先に並べた品物が高値で売れるとなれば(増産に乗り出せば大儲けが期待できるとなれば)、生産者の面々は並々ならぬ努力を注いで需要の急増に応じようとする(増産に励む)に違いない。経済学者の考えではそう予想されるのだ。

ハリケーン・サンディのような災害に見舞われた後に価格が上昇するに任せることにそれだけの利点があるのだとすれば、「便乗値上げ」をあちこちで目にしてもよさそうなものだが、災害に見舞われた後もそれまでと同じ水準に値段が据え置かれるケースも珍しくない。それはなぜなのだろうか? 災害に見舞われた後もそれまでと変わらない水準に値段を据え置き、在庫が尽きるまでお客に先着順で売り渡すという店も珍しくない。値上げをすれば儲けも増えるにもかかわらず、そのような絶好の機会がみすみす見過ごされてしまうのはなぜなのだろうか? 「災害時の便乗値上げは、法律で禁じられているからだ」という答えが頭をよぎるが、その答えは次のような更なる疑問を提起するだけに過ぎない。災害時の品不足に乗じた大幅な値上げ(便乗値上げ)が多くの州で法的に禁じられているのはその通りだが、そもそもそうなっているのはなぜなのだろうか?

その答えを追い求めて、これまでに経済学者も色々と頭を捻ってきているが、その多くは「公平感」のアイデアに訴えて説明を試みている。〔以下続く

ついでになるが、こちらの記事もあわせて引用しておくとしよう。この記事では、ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)の研究が紹介されている。コラム執筆時にはカーネマンの件の研究のことは知らなかったのだが、「価格システムに対して世間の人々が不公平感を募らせると、価格システム(ひいては資本主義というシステム)に対する世間の支持も弱まる」との私の主張に味方してくれているようだ。

大半の経済学者の意見に従う限りでは、ハリケーンが襲来する前日に雑貨屋(食料品店)が店頭の品物の値段を引き上げるのはまったくもって理に適った行為だということになる。理に適っているというだけではなく、実際にもそうなりそうでもある。というのも、近所の人々がハリケーンの襲来に備えて生活物資を手に入れようとこぞって店に殺到する(需要が急増する)一方で、品物の値段がいつもと変わらない水準に据え置かれたままであれば、すぐにも品不足になるのはわかりきっているからだ。雑貨屋の棚が空っぽになるとすれば、それは品物の値段が低すぎる(安すぎる)証拠。普通の経済学者の目にはそう映るのだ。

ダニエル・カーネマンといえば、ノーベル経済学賞を受賞した学者だが、彼が他の研究者たちと共同で行った有名な研究(pdf)では、一般人を対象に品物の値付けに関するエピソードをいくつか話して聞かせた後でそれぞれのエピソードについてどういう感想を持ったか(公平だと思ったか、それとも不公平だと思ったか)が問われている。その中の一つが、吹雪に見舞われた翌日の金物屋の行動に関するエピソードである。A町に店を構えるその金物屋は、それまで除雪用シャベルを一本15ドルで販売していたが、吹雪に見舞われた翌日にその値段を一本20ドルに引き上げたのである。

除雪用シャベルの値上げは、辺り一帯に一つのシグナルを送ることになる。「A町にシャベルを持ち込め!」というシグナルである。A町から1時間くらいの距離にある土地で金物屋を営む店主たちは、トラックの荷台にありったけの除雪用シャベルを積み込んでA町に乗り込もうと思い立つ可能性がある。実際にもそのような動きが起これば、A町における除雪用シャベルの品不足は緩和されて、シャベルの値段も元通りに戻ることだろう。

ところで、このエピソードを耳にした(一般人の間から選ばれた)被験者たちはどういう感想を持っただろうか? 特段驚くことでもないだろうが、被験者の80%は、吹雪に見舞われた翌日に除雪用シャベルの値段を引き上げた金物屋の振る舞いを「不公平だと思う」と答えている。そう答えた面々に「ハリケーンが襲来する前日に缶詰食品の値段を2倍に引き上げる雑貨屋ってどう思う?」と尋ねたら、同じく「それは不公平だよ」と返答することだろう。

実際にも多くの人々が自然災害に乗じた値上げに強い憤りを感じており、そのような世論の声を受けて、多くの州で「便乗値上げ」を禁じる法律が制定されるに至っている。ハリケーンをはじめとした自然災害の発生時に品物の値段を引き上げるのは違法行為と見なされている州があるのだ。

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