メンジー・チン 「価格メカニズムがうまく働かないとき ~アカロフの洞察を振り返る~」(2011年6月16日)

●Menzie Chinn, “When Price Does Not Clear the Market”(Econbrowser, June 16, 2011)


価格メカニズムがうまく働かず、需要と供給の不一致がなかなか解消されないのは、どのような時だろうか? 新古典派の世界観に異を唱えた、一人の経済理論家がいる。彼が語る魅力的なお話に耳を傾けてみるとしよう。

IMF(国際通貨基金)の季刊誌であるFinance&Developmentで、私の恩師の一人であり、ノーベル経済学賞受賞者でもある、ジョージ・アカロフ(George Akerlof)の経歴が紹介されている(“The Human Face of Economics”)。どんな政策問題であっても、「需要」と「供給」の2つさえおさえておけば、答えを出すに十分。そう豪語する声がちらほらと聞こえてくる昨今だが、そんな風潮が垣間見られる今だからこそ、アカロフの洞察を思い起こしてみる必要があろう。アカロフの洞察とは何か? 「情報の非対称性」が存在する状況では、価格メカニズムがうまく働かない――価格調整を通じては、需給(需要と供給)の不一致が解消されない――可能性がある。簡潔にまとめると、そういうことになろう。記事の内容の一部を以下に引用するとしよう。

アカロフの心を最も強く捉え続けたのは、「失業」の問題だった。しかしながら、彼の手にノーベル経済学賞をもたらしたのは、「情報の非対称性」の問題を扱った1970年の論文だった。この論文では、「情報の非対称性」がいかにして市場の存立を危うくするかが明らかにされている。博士号を持つ経済学徒に「アカロフと聞いて連想する言葉は?」と尋ねると、大なる可能性で「レモン!」との答えが返ってくることだろう。その理由は、1970年の論文の中で、中古車市場の例が持ち出されているからである。中古車市場では、売り手と買い手との間に「情報の非対称性」が存在する。中古車の売り手は、(自分で実際に乗り回した経験もあって)その車の品質について(その車が優良品なのか、それとも「レモン」 [1] 訳注;「レモン」というのは、黄色い皮に包まれたあの酸っぱい果物のことではなく、ポンコツ車(欠陥車)のことを指している。 なのかについて)買い手よりも詳しい(多くの情報を持ち合わせている)わけである。さて、品質の判断がつかない買い手はどうするだろうか? おそらくは、中古車市場に優良車とポンコツ車がそれぞれどのくらいの割合で出回っているかを推測し、その推測をもとにして、市場に出回っている中古車の「平均的な質」を割り出すというのが精々といったところだろう。そして、どの中古車も「平均的な質」の車だと見立てた上で、「平均的な質」の車を手に入れるために支払ってもよいと思う金額をどの売り手に対しても提示することだろう。しかし、ここで問題が発生する。優良車の持ち主は、その提示金額では(自らの車の品質と照らし合わせると、売るにはあまりに安すぎて)売ろうという気にはならないのだ。そのため、優良車の持ち主は中古車市場から撤退することになるわけだが、それに伴って、中古車市場に出回る優良車の割合は低下することになる。すると、買い手が割り出す中古車の「平均的な質」も低下し、そのために、売り手に提示される金額も引き下げられることになる。すると、ほどほどの品質の車の持ち主も「その金額では安すぎる」と考えて中古車市場から撤退することになり、それに伴って、市場に出回る中古車の「平均的な質」はさらに低下し・・・と悪循環は続き、最終的に中古車市場に出回るのは「レモン」だけという結果になる。市場の崩壊に至るわけだ。

このような問題は、古くは馬の売買をめぐる葛藤にまで遡れる、とはアカロフの言だ。「あいつは自分の馬を売りたがっているわけだが、果たして買っていいものかどうか」というわけだ。しかし、時代が下って現代ともなると、「情報の非対称性」の問題は、馬の売買だけにとどまらず、あちこちの市場に蔓延るまでになっている。特に、金融市場がそうだ。アカロフは次のように語る。「今回の金融危機は、『情報の非対称性』に起因する問題をまざまざと示す例だと言っていいでしょう。自分では家を買っているつもりだったのに、いざふたを開けてみると、複雑なデリバティブ商品を掴まされていたわけです」。

アカロフによると、1970年の論文で中古車を例に用いたのは、アメリカの読者に「比較的なじみを持って」読んでもらえるに違いないと考えたからだという。しかし、この問題に興味を抱いたそもそものきっかけは、中古車以外のところにあったらしい。1967年から1968年までインドに滞在していた時に、なかなかお金を借りられないでいる人があちこちにいるのを目にしたのが直接的なきっかけとなったというのだ。1970年の論文では、彼がインドで目の当たりにしたこのエピソード(信用市場の機能不全)だけではなく、高齢者がなかなか保険に加入できない理由だったり、社会のマイノリティが職をなかなか得られずにいる理由だったりが、「レモンの原理」(“lemons principle”)を応用するかたちで説明されている。どうやら、当時の経済学界にとっては、アカロフが持ち出してくる例はどれもこれもがあまりにエキゾチックなものに映ったようだ。アカロフの「レモン」論文は最終的にQJE(Quarterly Journal of Economics)に掲載されたわけだが、そこに至るまでにトップジャーナル三誌から掲載を拒否されるという憂き目を見なければならなかったのである。

アカロフが「レモン」論文で取り扱った問題は、今では、経済学者の間で盛んに研究されるホットな対象の一つとなっている。その一方で、アカロフその人はというと・・・、今もなお、フロンティアの開拓に向けて前進を続けている最中。レイチェル・クラントン(Rachel Kranton)との共同研究の成果をまとめた『Identity Economics』(邦訳『アイデンティティ経済学』)もつい最近出版されたばかり。そして、アカロフの息子であるロバート(Robert Akerlof)も父親の血をしっかりと受け継いでいるようだ。イェール大学――そこでは、ロバート・シラー(Robert Shiller)からも教えを受けた――とハーバード大学で経済学を学び、父親の後を追いかけるようにして研究者の世界に足を踏み入れたロバート。彼の現在の研究テーマの一覧を以下に掲げておくとしよう。腐敗まみれの企業がある(腐敗を見逃す企業がある)一方で、そうではない企業があるのはどうしてだろうか? 企業の経営者が自らの権威の正当性を高める手段には、どのようなものがあるだろうか?(効率賃金の支払いは、そのうちの一つ) マイノリティがマジョリティを軽蔑し、マジョリティがマイノリティを軽蔑し返すような、対抗文化(oppositional culture)現象はいかにして発生するのか? グループ間での確執を長引かせる原因とは何だろうか?

今日の経済社会には、「情報の非対称性」の問題があちこちに蔓延っている。そのことを思うと、企業の活動に対する障害を取り除く [2] 訳注;企業の活動に対する障害を取り除く=規制緩和などを通じて、企業間での競争を促進する だけで、パレート最適な結果がもたらされると言えるかというと、疑わざるを得ない。外部性だとか、その他の(寡占や独占的競争といった)市場の不完全性だとかに晒されていない限りは、自由な市場は完全競争市場を意味する、・・・というわけでは必ずしもないのだ。それにもかかわらず、医療や金融の分野が抱える問題を解決するためと称して、「競争の促進」を勧める声があちこちから聞こえてくる始末。医療や金融と言えば、「情報の非対称性」の問題が顕著と思われる分野なのにね。

規制緩和の効果と言えば、アカロフがポール・ローマー(Paul Romer)と共同で行った研究(”Looting: The Economic Underworld of Bankruptcy for Profit”)がある。この研究については、かつてこちらのエントリーでも取り上げたことがあるが、S&L危機が勃発する過程において規制緩和がどのような影響を持ったかが分析されている。ジェフリー・フリーデン(Jeffry Frieden)と一緒に書き上げたばかりの『Lost Decadesの中でも論じたのだが、アカロフとローマーのこの研究は、つい最近の危機を理解する上でも多くの示唆を与えてくれることだろう。

References

References
1 訳注;「レモン」というのは、黄色い皮に包まれたあの酸っぱい果物のことではなく、ポンコツ車(欠陥車)のことを指している。
2 訳注;企業の活動に対する障害を取り除く=規制緩和などを通じて、企業間での競争を促進する
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