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Archives for 11月 2013

クルーグマン「連銀を監査せよなんてひどい話だ」

Paul Krugman, “Auditing the Fed is a Terrible Idea,” Krugman & Co., November 29, 2013.


連銀を監査せよなんてひどい話だ

by ポール・クルーグマン

The New York Times Syndicate

/The New York Times Syndicate

『ワシントンポスト』の経済評論家のマイク・コンツァルが,先日いいコラムを書いてる.「連銀は監査を受けるべき」というランド・ポール上院議員の提案がダメな考えである理由について書かれたコラムだ.一読をおすすめする.ここでは,補足を書いておきたい.

要点はこれだ:民間銀行を監査するってことなら,ぼくらはどんな意味か知ってるよね――預金者のお金を無駄にしていないか,そのお金で過度のリスクをとってしまっていないか確かめるってことだ.でも,連銀は限定的な目的をのぞいて投資事業なんてしちゃいない.連銀があるのはお金を管理するためであって,もうけるためじゃない.

じゃあ,いったいなにを監査しようってんだろうね? 連銀がなにかリスクの高い資産を購入しようとしてるとしようか.たとえば,不動産担保証券かなにかだ.これっていいものだろうか,それとも,わるいものだろうか? その答えは,そういう証券がひどいことになる確率があるかどうかと,ほとんどなんの関係もありゃしない.大事なのは,ただひとつ,経済に及ぼす影響だけだ.

それに,ランド・ポールみたいな手合いがこの資産の査定を頼みそうな相手なんて,見当がつくってもんでしょ――まったくの金本位制支持者じゃないとしても,2010年に『ウォールストリートジャーナル』に,通貨の毀損とインフレについて警告する公開書簡をベン・バーナンキ宛てに書いたような右派の経済評論家どもでしょ.

コンツァル氏が言っているように,「連銀を監査せよ」なんて話はまるごと,金融引き締め政策のための言い訳だし,その言い訳はと言えば,通貨毀損をめぐる幻想に基づいている.

覚えてるかな,いま共和党の経済担当のトップをつとめてるポール・ライアンなんて,金融政策の土台を『肩をすくめるアトラス』にでてくる演説に置いてるくらいなんだからね.

© The New York Times News Service

ラルス・クリステンセン 「このグラフを見よ! ~デフレから脱却する術~」

●Lars Christensen, ““Whatever it takes to get deflation” (Stealing two graphs from Marcus Nunes)”(The Market Monetarist, November 29, 2013)


マーカス・ヌネス(Marcus Nunes)が直近のブログエントリーで極めて示唆的な2つのグラフを掲げている。以下にそっくりそのまま拝借させてもらおう1。さあ、ご覧あれ。

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これ以上コメントを付け加える必要などないだろう。

  1. 訳注;グラフ中の「“Whatever it takes” Draghi」というのは、2012年7月のスピーチでECB(欧州中央銀行)のドラギ総裁が「我々ECBはユーロを救うために必要とあらば法律で認められた権限の範囲内で何でもするつもりだ」(”Within our mandate, the ECB is ready to do whatever it takes to preserve the euro”)と発言したことを指している。ちなみに、1枚目のグラフではインフレ率の推移(ユーロ圏(青色)と日本(赤色))が、2枚目のグラフではM3(マネーサプライの一種)の伸び率の推移(ユーロ圏(青色)と日本(赤色))が表わされている。 []

ベン・バーナンキ「コミュニケーションと金融政策」

Ben S. Bernanke “Communication and Monetary Policy” (November 19, 2013) At the National Economists Club Annual Dinner, Herbert Stein Memorial Lecture, Washington, D.C.


8年近く前に私が議長の職を務め始めた際、最優先の課題の一つはFedの透明性を高めることであり、とりわけても金融政策を合理的に可能な範囲で透明で開かれたものにすることでした。私は当時、そして今も変わらず、金融政策の透明性は人々の理解と信頼を育み、政策選択に関してより広い情報に基づいた議論を促し、課せられた目標を達成するにあたっての金融政策決定者の説明責任を向上させ、ひいては金融政策、金融の環境、そして実体経済の間の繋がりを密にすることで金融政策をより効果的なものにすると信じています。もちろん、その後すぐに金融危機とその余波への対処がFedの主要な焦点となりました。しかしながら、金融システムの安定化の後に明らかになったように、大恐慌以降で最も深刻なものとなった景気後退から経済が抜け出すのを支えるためには、金融政策のコミュニケーションと透明性がこれまでにないほど大きな役割を担っているのです。 [Read more…]

「無償教育は貧乏人にとってはタダじゃない:教育における汚職と格差」by FORHAD SHILPI

FORHAD SHILPI “Free Schooling is Not Really Free for the Poor: Corruption in Education and Inequality” (November 18, 2013)


包括的経済成長を推し進めるうえで、教育が最も重要な政策手段の一つであるということは、研究者や政策決定者の間で広く合意を得ている。例えば、Stiglitz (2012, P. 275)では「機会は、他の何よりもまず教育へのアクセスによって作り出される」としているし、Rajan (2010, P.184) は「…不必要な所得格差を減らす最善の方法は、より良い人的資本へのアクセスの格差を減らすことである。」と主張している。貧困層の人的資本形成に力点を置くことは、一石三鳥だ。というのも、(1)人的資本はあらゆる貧困層が”保有する”唯一の資産であり、(2)譲渡不可能であるために収奪されにくく、これは法の支配が欠けている多くの途上国において重要な利点であるし、(3)技能に傾いた技術変化があるために、教育によるリターンはグローバル化によって時とともに高まると思われるからだ。こうした教育の特徴的な役割を念頭に、普遍的な教育無償化(少なくとも初等教育において)や女子奨学金、無料図書、給食といった政策に対し、多くの途上国が過去数十年に渡って重点的に投資を行った。これには、こうした政策は貧困家庭が子供を教育する負担を軽減し、ひいては教育及び所得格差を減らして貧困家庭の子供の階層移動を容易にするということが根本的な前提となっている。しかし、そうした広く受け入れられた政策的視点は、途上国の学校における汚職の効果を見逃しているのだ。 [Read more…]

クルーグマン「フランスを気に病む理由なんかないよ」

Paul Krugman, “No Reason to Fret About France,” Krugman & Co., November 22, 2013


フランスを気に病む理由なんかないよ

by ポール・クルーグマン

Colin Delfosse / The New York Times Syndicate

Colin Delfosse/The New York Times Syndicate

まずは大事なことから:フランスにはいろいろ問題がある.失業率は高い.とくに若者の失業率が高い.多くの小企業は苦しんでいる.人口は高齢化が進みつつある(ただ,ドイツも含む他の多くの国ほどではない).

でも,ぼくが見つけられるどんな尺度で見ても,フランスは欧州の基準で言われるほどひどくは見えない.国内総生産はだいたい危機以前の水準にまで回復してるし,財政赤字はかなり小さく,中期的な債務状況にはまったく懸念がない.それどころか,長期的な債務状況は,フランスの隣国たちと比べて,かなり良好だ.これは出生率が高いことによる.

なのに,フランスはむちゃくちゃな罵倒の的になっている.昨年,『エコノミスト』誌はフランスのことを「欧州の心臓部にしかけられた時限爆弾」だと宣告した.今年になると,『CNNマネー』の編集者ショーン・タリーがフランスを取り上げて「自由落下している」と述べている

でも,タリーは具体的な話をほとんど提示しないまま,フランスが労働コストの上昇によって「競争力のギャップが大きく開く」のに直面していると主張している.ふーん.欧州委員会が出してる数字を引いてみようか.下のチャートでは,フランスをユーロ圏全体と比べてある.ちょっとばかり悪化してるように思う――けど,これで「大きく開く」のはギャップじゃなくて,あくびしちゃう口の方だ.

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また,タリー氏は,「フランスの下降をいちばんよく例証しているのは,海外貿易の急速な悪化だ.1999年に,フランスは世界の輸出の7パーセントほどを売っていた.今日,この数字は3パーセントをどうにか超えているにすぎず,さらに急速に落下している.」

でも,それを言うならアメリカも含めてほぼあらゆる先進国が世界の輸出に占めるシェアを下落させている(ドイツは例外).昨年公表されたニューヨーク連邦準備銀行の研究論文(ここで読める: bit.ly/zHJvcs)では,この下落は新興経済大国が伸びるなかでおおむね先進国経済と軌を一にしたものだと述べて,フランスはだいたい典型的な国として描き出されている.

ここでも,言わんとしてることはフランスに問題がないってことじゃあない.問題は,フランスの問題は穏当なものなのに,どうしてこの国だけが,あんな黙示録めいた修辞つきで信用の格下げを招くのかってことだ.

で,答えはひとえに政治にある.フランスの罪状は超過債務でもなければとくにみすぼらしい経済成長でもないし,冴えない生産性でもないし(だいたい2000年以降のドイツと同等だ),ぱっとしない雇用の成長でもなくて(同上),とにかくその手の問題じゃない.フランスの罪状は,福祉手当を削減する代わりに増税することで財政を健全化してることだ.これが破滅的な政策だってことを示す証拠なんてない――じっさい,債券市場は気に掛けてないみたいだ――けど,証拠なんてどうでもいいんでしたっけね.

© The New York Times News Service

クルーグマン「欧州で緊縮政策の否定」(他)

Paul Krugman, “In Europe, a Repudiation of Austerity Policies,” Krugman & Co., November 22, 2013.


欧州で緊縮政策の否定

by ポール・クルーグマン

HAGEN / The New York Times Syndicate

HAGEN/The New York Times Syndicate

欧州中央銀行の金利引き下げから,大きな緊張がでてきた.理事会は分裂して,多くのドイツ人経済学者たちは抗議している.例によって,議論はもっぱら,「あの怠惰な南欧の連中がフリーライドしている」という受け取り方をめぐるものになっている.

この前『フィナンシャル・タイムズ』に掲載された記事によると:「金融週刊誌 WirtschaftsWoche のチーフエコノミストによる論説は,この決定をフランクフルトに拠点を置く新たなイタリア銀行による絶対命令」と評した」んだって.

なんでイタリア人どもはドイツ人のように自力で奮起できないのかって?

ドイツ人が――経済学者にかぎらず一般市民も――いまだにわからずにいるのは,1990年代の低迷からドイツが景気を上向かせることができたとき,南欧でのいくぶんインフレ促進的な景気の過熱にどれほど依存していたかってことだ.そのため,いまドイツがユーロ圏にインフレの上昇をあくまで許さずにいることでどれほどの損害を引き起こしているのかも,ドイツ人たちは理解せずにいる.

ユーロ創設後,ドイツ人たちはデフレなしで競争力を大いにのばすことができた.なぜなら,スペインその他の国々が2パーセント以上のインフレを受け入れてくれたからだ.でも,いまユーロ圏は全体的なコアインフレ率が1パーセントを下回っている.これはつまり,スペインが国内で価値の切り下げをしようとすれば,有害なデフレを被るほかないってことだ.

言い換えると,ドイツ人たちは南欧に自分たちのマネをしてはどうかとお願いしてるわけじゃないってこと.彼らは,ドイツがやりおおせたことのない偉業をやってみせろと南欧に要求してるんだ.そして,そんな偉業は,誰一人としてやってのけられたためしがないんだよ.


マリオと緊縮派の面々

自明な話を1つ.ただ,世間の人たちが主張してるかどうかは定かじゃない論点なんだけど――欧州中央銀行総裁マリオ・ドラギが急に金利引き下げを行ったのは,事実上,欧州の緊縮派による勝利の凱歌を出だしでくじくものになっている.

この手の話をずっと追いかけてきた人ならきっと気づいただろうけど,ほんの数週間前に,緊縮派は――とくに欧州委員会のオッリ・レーンがそうだけど,他大勢も――今四半期にちょっとばかり経済成長の兆しが見えたことをもって,自分たちが過去4年にやってきた政策の正しさが証明されたんだと歓声をあげた.そうね,アホみたいだった――つまりさ,何度も自分で頭をなぐり続けて,その繰り返しのペースを遅めていったとしようか.そしたら,だんだん具合がよくなってくるでしょ.じゃあ,そこから「頭をなぐるのはいいことだ」ってことになる?

でも,これでいいのだってことになってた.ところが,欧州中央銀行はもっと関連の大きい指標に目を向けた:いまだに上昇中だった失業率と,1パーセント未満に上がっていたインフレ率だ(日本さん,うちらもお仲間ですわよ).

そして,中銀当局はすごく心配になったらしい.

こう言ってもいい:欧州はいま峠を越したと思ってるなら,欧州中央銀行は金利引き下げなんてしないよ.


軍事的ケインズ主義,歴史版

このまえ,現時点で欧州が大恐慌時代よりもダメなやり方をしてることについて書いた――少なくとも,鉱工業生産で測ると大恐慌時代より劣るし,おそらく,全体の産出で見ても劣っている.

その文章に多くの人から寄せられた反応は,「大恐慌時代と物事はちがうよ」というものだった.だって,当時の欧州は軍事強化をしてたじゃないの,って.――さようですか,それで,その話の要点は?

他のいろんな種類の支出と比べて,軍事支出の方がすぐれている特別な事情なんてない――それどころか実際は逆だ.だって,有用なモノに支出すれば,短期的な景気の後押しになるばかりか,経済の長期的な潜在力を強化することにもなりうるもの.つまり,1930年代の欧州の景気回復は軍事支出によるものだと言うとき,その人が言ってるのは,当時の経済は拡張的な財政政策を必要としていたってことだ――しかも,当時の経済は破壊的な支出ですらプラスの効果をもつほどそういう政策を必要としてたってことだよね.

今回の場合,ありがたいことに,ぼくらは平和だ.でも困ったことに,欧州の指導者達は自分たちの軍隊を強化するインセンティブがなくて,支出を増やすべきときに緊縮の預言者どもに耳を傾けている.その結果どうなってるかと言えば,1930年代に劣る経済成長の道筋をたどっているわけだよ.


【バックストーリー】ここではクルーグマンのコラムが書かれた背景をショーン・トレイナー記者が説明する

デフレの危険

by ショーン・トレイナー

11月7日,欧州中央銀行はその基準金利を 0.25 パーセントという記録的な低さにまで切り下げた.これは,ユーロ圏のインフレ率が急速に下がったことへの対応だ.

このインフレ率低下を見て,デフレが到来するのではないかとの懸念が引き起こされた.デフレが長引けば,欧州の目下の危機をさらに大きく悪化させてしまう.なぜなら,物価下落はやがて需要を弱め,治療しがたい景気低迷のサイクルに入り込んでしまうからだ.

0.5 パーセントだった金利を引き下げるという欧州中央銀行の決定は,「ユーロ通貨圏の景気回復は順調に進みつつある」という欧州当局がこのまえ請け合ったことと矛盾しているように思える.とくにドイツ当局はこの動きを批判して,金利を低くすればドイツ国民の貯金の価値を下げてしまうし,経済バブルにつながりかねないと主張していた.

ところが,不況に近い欧州の経済状況に対して欧州中央銀行はあまりに保守的な対応をやってきたと多くの経済学者は考えている.ドイツの圧力がその一因だと彼らは見ている.そうした経済学者たちの主張によれば,中銀当局は何年も前に金利を引き下げておくべきだったし,少なくとも,アメリカの連銀による量的緩和プログラムのような非伝統的金融刺激策をやろうと試みるべきだったという.

『フィナンシャル・タイムズ』に先日掲載された論説で,経済評論家マーティン・ウルフはドイツに対し,ユーロ圏の経済回復にもっと先を見越した役割を果たすよう促している.ドイツは欧州の通貨同盟から得ている便益を過小評価することが多いとウルフは主張している.

「ユーロ圏からでたとしても,自分たちはうまくやれるとドイツにいる人の多くは結論づけるかもしれない」とウルフ氏は述べる.「気持ちはわかる.でも,自分たちの望みがどんなものだか,よくよく注意した方がいい.もしも通貨同盟がなければ,そのときにドイツマルクになる通貨は,価値を急騰させることになるだろう.この新通貨の実質価値の大幅な上昇がもたらす影響は,日本を見舞ったのと似たようなものになる:つまり,製造業生産の大部分は近隣諸国に移転していく.ドイツ経済が景気後退に追い込まれること必至だ.そのときには,きっと国内物価も下がることになる.」

© The New York Times News Service

フランシス・ウーリー 「戦争捕虜収容所の経済学」

●Frances Woolley, “Remembering prisoners of war”(Worthwhile Canadian Initiative, November 7, 2010)


終戦記念日(Remembrance Day)の意義とは何なのだろうか? 戦争を知らない我々のような世代がそのことを理解する上では実際に戦場に出向いた兵士の言葉が助けとなることだろう。

リチャード・ラドフォード(Richard Radford)はまさしくそのような兵士の一人である。ラドフォードはケンブリッジ大学の学生として日々勉学に励んでいたが、1939年に第二次世界大戦が勃発したことを受けて、一時的に学業を離れてイギリス陸軍に入隊することになった。しかしながら、1942年にアフリカのリビアでドイツ軍により捕虜として捕えられ、終戦までの残りの期間を戦争捕虜収容所で過ごすことになる。そんな彼が捕虜収容所から釈放後間もなくして書き上げた論文が“The Economic Organisation of a P.O.W. Camp(pdf)”である。この論文は今日でも十分読むに値するものだ。というのも、この論文を読むことで戦時下での生活がどのようなものであるかを知ることができるだけではなく、経済活動の「普遍性と自生性(自然発生的な性質)」(”the universality and the spontaneity” of economic activity)についていくつか教訓を学ぶこともできるからである。

ドイツ軍の戦争捕虜収容所で日々を過ごした捕虜たちは定期的に配給品を受け取った。具体的には、収容所から支給されるパンやマーガリンなどの生活必需品だけではなく、赤十字や個人的な仕送りを通じて届けられるタバコ(巻煙草)やチョコレート、肉、茶、コーヒー、そして人参の缶詰といったような品々に頼って彼ら捕虜たちは日々をやりくりしていたのだが、やがて捕虜収容所では捕虜たちの間で物々交換が行われ始めることになった。例えば、タバコを吸わない捕虜は手持ちのタバコと交換にチョコレートを手に入れたのであった。しかしながら、またしばらくすると捕虜収容所内での経済活動は高度に組織化されはじめ、タバコが貨幣の役割を果たすようになったのである。

タバコは貨幣としての役割を果たす上で都合の良い特徴を数多く備えていた。どのタバコも比較的質が均一で耐久性があることに加えて、小規模の取引-この場合は本数単位で支払いがなされた-にも大規模の取引-この場合は箱単位で支払いがなされた-にもどちらにも使用できるという利点を備えていたのである。しかしながら同時に(貨幣としては)不都合な点もあった。

グレシャムの法則によれば「悪貨は良貨を駆逐する」ということになるが、それをもじって「粗悪なタバコは優良なタバコを駆逐する」とでも言うことになろうか。例えば、手巻煙草が貨幣として利用される場合には取引を巡る交渉は煩雑さを伴うことになった。というのも、取引が完了する前に中にきちんと(支払い代金として十分なだけの量の)タバコの葉が入っているかどうかを逐一確認する必要があったのである。

しかしながら、タバコが貨幣しての役割を果たす上でとりわけ不利に働いた事実は、タバコ貨幣は定期的に燃やされてしまう、ということであった。つまりは、タバコが喫煙される度に流通する貨幣(タバコ)のストックが自動的に減少してしまうのであった。(喫煙によって)タバコが稀少になるにつれて、タバコが吸いたくてたまらない喫煙者(の捕虜)たちはこれまでよりも安価な価格で(すなわち、これまでよりも少量のタバコと交換に)手元にある糖蜜やジャムを売ることも厭わなくなり、その結果デフレーションが発生するということになったのであった。(仕送りなどを通じて)新たにタバコが到着しない限りは、「タバコ貨幣のストックはすぐにも底をつき、それに応じて物価の下落と取引量の縮小、そして物々交換への逆行が生じることになった」のである。反対に、あまりにも大量のタバコが捕虜収容所「経済」に注入される場合にもすぐさま問題が発生することになった。手元にタバコが有り余っている捕虜たちはこれまでよりも高値で(すなわち、これまでよりも多くの量のタバコと交換に)食料を買うことも厭わないようになり、その結果インフレーションが発生するということになったのである。

とはいっても、貨幣量(タバコの量)の変化だけが捕虜収容所「経済」において価格の変動をもたらした原因だったわけではない。捕虜収容所「経済」では一定の間隔をおいて食料が供給され、「経済」に流通する食料の量に応じてその価格は上下することになったのである1

パンは木曜日と月曜日に支給された-木曜日には4日分のパンが、月曜日には3日分のパンがそれぞれ支給された-。そして水曜日と日曜日の夜の夕食時までに、パンの価格は少なくともタバコ一本分だけ-パン1個=タバコ7本からパン1個=タバコ8本へと―上昇する傾向にあった。捕虜の中には価格がピークを付けた時にパンを売ろうと考えて、支給されたパンを食べずにいつも手元に残しておく(蓄えておく)男がいた。彼が提示する取引条件はおおよそ次のようなものだった。「今現在のパン」と「次の月曜日のパン」2 の2種類の商品を用意した上で、「今現在のパン」は「次の月曜日のパン」よりもタバコ1~2本分少ない価格付けをする。そしてこの条件を飲めない人には商品を売らない、というものである。日曜日の夜にタバコをふかしている彼の姿をいつも決まって目にしたものである。

21世紀に生きる経済学者の目には、このような価格変動は市場が理想的に機能している印-稀少性を反映し、節約を促すものとして-と映るかもしれない。しかし、捕虜収容所内ではそれとは違った見方がなされていた。「収容所内ではどの品もタバコで測って「公正な価格」(’just price’)が付けられるべきだとの感情が強く抱かれていた。「公正価格」がなぜその水準にあるのかを説明することはできないが、・・・(中略)・・・それがどの程度の水準にあるかは捕虜たちの間できわめて広く知れ渡っていた。」

捕虜収容所「経済」に関するラドフォードの説明の中でもとりわけ興味を惹かれるのは、ルールや制度の発生に関わる記述である。捕虜収容所で自生的に生成してきたルールや制度の中のあるものは市場を通じた経済活動を促す役割を果たし、また別のあるものは市場を通じた経済活動の範囲に制約を課す役割を担った。市場を通じた経済活動の範囲に制約を課すようなルールや制度が立ち現われてきた理由は、捕虜収容所内であっても捕虜の間で経済格差が存在しており、その格差があまりにも行き過ぎることで収容所内の社会構造(あるいは社会秩序)が脅かされることになったからである。

捕虜の間で経済格差が発生した理由はいくつかあった。ある者は他の捕虜よりも個人的にたくさん仕送りをしてもらっており、また別のある者は特別な能力を利用して取引で大きな儲けを得たのであった。例えば、ウルドゥー語を喋ることのできたイギリス人捕虜はインド人捕虜との間で(自分の手元にある)肉と(相手の手元にある)ジャムあるいはマーガリンとを有利な条件で交換することができたのであった。

しかし、経済格差をもたらした要因の中でもおそらく最も深刻であったのは喫煙-タバコ貨幣の焼却-であった。例えば、(タバコを吸いたいばかりに)タバコを手に入れるために大量の食料を手放した喫煙者は栄養失調の危険を冒すことになった。そしてこの問題は(収容所という)社会全体の関心事となった。とはいっても、捕虜たちの間で芽生えた連帯意識だけがその(喫煙者の栄養失調を社会問題として受け入れる)背後にあったわけではない。栄養失調に陥った捕虜は収容所内の病棟に移されることになるが、そのことは捕虜全体で共有されている資源の圧迫3 を意味したからである(喫煙者の栄養失調が社会全体の関心事となった理由はそのためでもあった)。さて、それではこの問題に対処するにはどうしたらよいのだろうか?

シンプルな対策としては取引を制限するということが挙げられる。例えば、実際にも赤十字から支給された化粧品や収容所からの支給品の取引に一定の制限が課されることになったのであった。

別の対策としては非喫煙者から喫煙者に向けて再分配を行う(非喫煙者に対して一括税を課す)という方法が考えられる。実際にも非喫煙者にタバコを支給すべきなのかどうかを巡って捕虜たちの間で絶え間ない議論がたたかわされることはあったが、配給品の割り当てに変更が加えられることは最後までなかったのであった。

喫煙者が抱える健康問題と(その問題に関する)捕虜たちの世論に応じる形で(捕虜側の代表としてドイツ軍側と連絡を行う)イギリス軍の先任将校が実際に採用した対策が価格統制であった。「推奨価格」が告知され、推奨価格から5%ポイント以上乖離した価格での販売には「先任将校からの横やり」が入るようになったのである。タバコ(貨幣)の供給量の変化に応じて個々の商品の名目価格(ひいては一般物価水準)は上下に変動したものの、価格統制を通じて(商品相互間の)相対価格は不変に保たれるようになったのであった。

しかし、終戦の時が近付くとともに、価格統制は問題を生み出すことになった。

1944年8月、支給品の量とタバコの供給量がともにこれまでの半分に減らされることになった。財の供給(総供給)と貨幣の供給(総需要)が同じ割合だけ変化したので、全般的な物価には変化は生じないと思われた。しかしながら、実際のところはそうはならなかった4 。タバコに対する非貨幣需要5 は食料に対する需要ほどには弾力的ではなく、そのため食料の(タバコで測った)価格は若干低下することになった6 のである。しかしながらそれ以上に重要であったのは相対価格に変化が生じたことである。配給の切り詰めに伴って、これまではカナダ産のバターやマーマレードが利用可能であったために無価値であったドイツ産のマーガリンやジャムに(代替品として)新たに価値が見出されるようになり、チョコレートや砂糖の価格は下落し、それまで人気を集めていた売り手の地位は低下し、そしてパンの価格は上昇することになった。特に数週間後にパンの配給が減らされた際には、パンとタバコとの交換を取り交わした契約が破棄される例がいくつか見られたのであった。

価格統制はこのような相対価格の変動に応じて調整されることはなく、その結果、ますます多くの取引が価格統制の網を潜り抜けるかたちで闇市場にその場を移す格好となったのであった。「最終的には、収容所内の世論は価格統制に反旗を翻し、先任将校は価格統制の実施をあきらめる結果となったのであった」。そして・・・

捕虜収容所が解体されるまで残すところ数週間という時期は前例のないデフレーションに見舞われた時期であり、品々の価格は急激な勢いで下落することになった。推奨価格が告知されることは二度となく、価格の決定は供給と需要の冷徹な力だけに委ねられた。・・・・(中略)・・・マーガリンの価値は糖蜜と等価で交換されところまで徐々に低下することになり、砂糖の価値も悲しいまでに低下した。唯一パンだけがその価値を保ったのであった。

極端なまでの稀少性に苛まれる中、これまで(収容所内における)市場を通じた経済活動を支えてきたルールや制度に大きな圧力が加えられることになった。

1945年の4月ともなると経済の領域では混沌が秩序に取って代わることになった。品物の販売は困難となり、品々の価格は安定性を失ったのであった。

1945年4月12日にこの捕虜収容所は解体され、ラドフォードは祖国イギリスへの帰還を果たすことになった。戦争捕虜収容所内で観察された経済組織に関するラドフォードの説明が論文として発表されたのは同年の後半のことである。彼が論文を執筆した意図は経済活動の「普遍性と自生性」 を描き出すことにあったが、それとともに彼の論文は人間精神のたくましさを伝えることにもなったのであった。

ラドフォード論文をもとにして作成した課題はこちら(pdf)、回答例はこちら(pdf)である。この課題は学部2年生向けの講義で使用しているものだが、もう少し上級学年向けの講義で用いた方がよいかもしれない。TA(ティーチング・アシスタント)の学生から2年生には難しいとの声があがっている。

  1. 原注;以下の引用も含め、本エントリーにおける引用はすべてラドフォードの件の論文(R.A. Radford(1945) “The Economic Organisation of a P.O.W. Camp”, Economica, 12(48): 189-201.)からのものである。ちなみに、終戦後イギリスに戻ったラドフォードはケンブリッジ大学から経済学の学士号を取得し、1947年にはアメリカのワシントンに移ってIMF(国際通貨基金)でエコノミストとして働くことになった。IMFで充実したキャリアを築いたラドフォードは2006年に87歳で亡くなった。  []
  2. 訳注;次の月曜日に彼からパンを購入する権利。一種の先物。 []
  3. 訳注;病棟に備蓄されている食料の減少 []
  4. 訳注;一般物価水準に変化が生じた、ということ []
  5. 訳注;貨幣としての用途以外でのタバコに対する需要。具体的には、特に喫煙のためのタバコ需要。 []
  6. 訳注;若干のデフレ(=一般物価の下落)が生じた []

ブランシャール 「金融政策の新たな地平」

Olivier Blanchard, “Monetary Policy Will Never Be the Same“, iMFdirect, November 19, 2013.

IMFは2週間前、スタンリー・フィッシャーを記念して危機からの教訓に関する大規模なリサーチカンファレンスを開催した。私の考えをここに記そう。ここでは私は金融政策に関する教訓にフォーカスしたい。しかしそこへ進む前に、他に重要な点、ふたつに先に触れておこう。

1点目。健全財政は(外国で)危機が生じたときの備えとして有益である。以前のエピソードとは対照的に、危機前の健全な財政政策は経済危機に際して発展途上国景気反循環的な財政政策を行う余地を与え、これが決定的な違いをもたらした。

2点目。金融危機発生後の速やかな銀行の整理と資本再増強が非常に重要である。1990年代の日本ではこれが行われずに高くついたが、今回の危機でアメリカはうまく対処し経済の回復を助けた。

それでは金融政策について3点ほど述べよう。第1点目は流動性の罠のインプリケーション、2点目は流動性の供給、3点目は資本移動の管理についてである。

流動性の罠 — ゼロ金利制約が実際に長期間有効になること— が残念ながら非常に大きな損害をもたらすことを我々は学んだ。そして現時点ですでに5年が経過している。同時に、それでもまだ金融政策には幾らかの余地があることも我々は発見した。一連の証拠は非伝統的な政策が期間構造にシステマティックに影響をあたえることができ、その結果ポートフォリオ効果を通じてイールドカーブを曲げることができることを示している。しかし伝統的な政策と比較すれば、そのような非伝統的政策の効果は非常に限らたものであると同時に不確実なものにとどまっているのである。

このような理由から、将来についてはそもそも流動性の罠を避ける方法について注目が集まり、インフレ率についての疑問が再び持ち上がっている。今ではほとんどの先進国の間で現在のインフレ率がもっと高ければよかったという幅広い合意がある。危機以前のインフレ率が実際の当時の率よりももっと高かったならば、おそらく現在のインフレ率もより高いものになったであろう。もっと具体的に言えば、危機以前のインフレ率が2%ポイント高かったのならば、現在のインフレ率も今よりも2%ポイント高かった可能性が非常に高く、そして、実質金利は2%ポイント低くなっていたであろう。であれば、おそらくアメリカは今頃はゼロ名目金利から脱出してことであろう。

長期にわたるマイナスの実質金利が必要かもしれないというラリー・サマーズによって指摘された可能性を我々は無視するべきではないだろう。各国は原理的には低い名目金利と緩やかなインフレ率とによってマイナス実質金利を実現することができるはずである。にもかかわらず、我々はいまだに低調な需要が低インフレ率・高実質金利を招き、高実質金利がさらなる需要の低迷をもたらすという負のフィードバックループの危機に直面しているのである。

次に流動性供給について述べよう。先進国において(とはいえ、結論はより一般的に成立するが)、銀行の破綻は銀行自身のみならず他の金融機関と政府にとっても大きな影響をあたえることを我々は学んだ。公的債務比率が高い環境では借り換えリスクを排除できない。これはポール・クルーグマンによって強調されたテーマの一つでもあるが、金融機関に対してだけでなく、政府にとっても最後の貸し手となる存在があることが極めて重要なのである。ヨーロッパ中央銀行による無条件取引前後でのユーロ周縁諸国の国債に関する証拠はこの点についての大きな説得力を与えている。

最後に資本移動について述べる。発展途上国(および、このカンファレンスでは明確に対象とされていないものの小国の先進国)において、資本移動の大きな変動への最善の対処方法は、全てである必要はないが、多くの部分を為替レートで吸収することである。

為替レートによる調整が望ましいとする標準的な議論はこのカンファレンスでポール・クルーグマンが論じたものである。投資家が彼らの資金を国外へ移動させたいのならば、そうさせればよく、それにしたがって通貨は減価するに任せておけば良い。これによってむしろ輸出と産出の増加をもたらすのである。

為替レート調整に依存することに反対する伝統的な議論が3つある。ひとつは外貨で調達しているならば通貨の減価はバランスシートに負の効果をもたらし、輸出の増加以上に国内需要を減少させるであろう、というものである。二つ目は為替レートの名目的な下落は単に物価の上昇をもたらすだけだ、というもの。三つ目は為替レートの大きな変化は実体経済と金融市場の双方に混乱をもたらしかねない、というものである。

しかし、最初の二つについてはこれまでの危機の時よりも重要性が低下していることを証拠は示している。マクロプルーデンス政策、現地通貨建て国債市場の発達、そして為替レートの柔軟性(とそれによる為替レートリスクに対する借り手のより良い理解)のおかげで、エマージング市場での外国為替リスクはこれまでの危機の時に比べてはるかに限定されたものになっているのである。また、金融政策とインフレターゲティングへの信認の向上によってインフレ予想はこれまでよりもしっかりと固定されるようになったため、インフレに対する為替レート変動の影響も限定されるようになった。

しかしながら、3点目は依然として有効である。そしてこれこそが新興市場国の中央銀行が完全な変動相場制ではなく、管理変動相場へと移行しようとする理由である。これは政策金利と為替介入、マクロプルーデンス政策、そして資本移動制限とを組み合わせて実現する。これによって金利によってしか政策を行えなかったときに比べて、よく知られたディジレンマを抑えることが可能になる。政策金利の引き上げは資本流入による伴う加熱を冷ますと同時に、外国の投資家にとって投資へのさらなる魅力を与えるものとなる。為替介入、資本移動規制、およびマクロプルーデンス政策によって少なくとも原理的には政策金利に頼ることなく為替レートの変動と金融システムの混乱を抑えることが可能である。これらの国々では今回の危機でこれらすべての政策が使われた。国によっては資本移動規制により多く頼ったり、国によっては為替介入により多くを頼ったりしてきた。そしてカンファレンスとIMFでの研究の双方からの証拠はこれらのツールが完璧ではないものの機能したことを示している。今後の明白な(そして極めて困難な)課題はこれらのベストな組み合わせを見つけることである。

手短に言えば、金融政策はもはや以前のものに戻ることは永遠にない。今回のカンファレンスは金融政策がどのように変化したかを理解する一助となり、そして将来の我々の研究と政策がフォーカスすべき場所を示してくれたのである。

ド・ブロムヘッド&アイケングリーン&オルーク 「1930年代の大恐慌下において極右勢力の台頭を支えた要因は何か?」

●Alan de Bromhead, Barry Eichengreen and Kevin O’Rourke, “Right-wing political extremism in the Great Depression”(VOX, February 27, 2012)


<要約>

世界的な経済危機が長引くにつれてあの1930年代と同じように政治的な過激主義の台頭がもたらされることになるのではないかとの恐れが人々の間で抱かれつつある。この論説では、政治的な分裂状況が生じたり過激主義が台頭する危険性は次のような特徴を備えた国において高くなるとの研究結果を明らかにする。すなわち、民主主義を採用してからの歴史が浅く、極右政党が既に議会にいくつか議席を得ており、新たに作られたばかりの政党が議会で議席を獲得する上でのハードルが低い仕組みの選挙制度を持った国においてその危険性は高くなるのである。しかしながら、そんな中でも経済の低迷が長きにわたって放置されている国においてこそとりわけその危険性が高いのである。

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ラルス・クリステンセン 「ヒットラーを権力の座に押し上げたのはハイパーインフレではなくデフレである」

●Lars Christensen, “Deflation – not hyperinflation – brought Hitler to power”(The Market Monetarist, November 17, 2013)


2か月ほど前のことだが、マシュー・オブライエン(Matthew O’Brien)がアトランティック紙で次のように語っている

ハイパーインフレーションからヒットラーの台頭に至るまでは一直線を引くことができる1  ことは誰もが知っていることだろう。しかし、この件に関しては誰もが知っていると思い込んでいることは間違いなのである。ナチスが権力の座に就いたのは物価が4日ごとに倍になった(pdf)ハイパーインフレの時期(1923年)-この時期にもナチスは権力の獲得を目指していたが、その試みはうまくいかなかった-ではなく物価が下落していたデフレの時期(1933年)なのである。

オブライエンの言う通りである。しかしながら不幸なことに、ヨーロッパの政策当局者らの中には過去の(経済や政治に関する)歴史をきちんと学んでいる人物がほとんどいないようである。加えて、自由市場に基づく資本主義体制を擁護する者の中で次のことに気付いている人物もまたほとんどいないようである。すなわち、資本主義体制に対する最大の脅威は過度の金融緩和ではなく過度の金融引き締めなのであり、過度の金融引き締めこそが反動的なポピュリスト―右か左かを問わず―が権力の座に就く土壌を形成することになるのだ。

(追記) ドイツのシュピーゲル紙が次のように語っている

1922年から1923年にかけてドイツ全土を襲ったハイパーインフレはついにはアドルフ・ヒットラーの台頭を促したのであった。

・・・ドイツのメディアの中にも自国(ドイツ)の歴史からきちんと教訓を学ぶ必要のある人物がいるようである。

オブライエンの記事の存在を教えてくれたことを含めPetar Siskoに感謝。

P.S. スコット・サムナー(Scott Sumner)が直近のブログエントリーの中で自由市場の擁護者の多くが金融政策に関わる問題を巡っていかに間違った考えを抱いているかを話題にしている。

もう一つP.S. デフレ圧力に晒されているユーロ圏で進行しているこの新しいニュースにも要注目である。

  1. 訳注;ハイパーインフレがヒットラーの台頭をもたらした要因である、ということ []