経済学101は主に皆様の寄付によって賄われています。温かい支援をお待ちしています

Archives for 9月 2014

スティーヴン・グレンヴィル 「量的緩和、貨幣の増刷、ヘリコプターマネー、そして財政ファイナンス」

●Stephen Grenville, “Helicopter money”(VOX, February 24, 2013)


財政ファイナンスとは具体的にはどのようなものなのだろうか? 本論説では、しばしば同一視されがちな「貨幣の増刷」や量的緩和、財政ファイナンスの間の違いについて説明する。それに加えて、ターナー卿による「ヘリコプタードロップ」提案に伴う課題――民間銀行部門のバランスシートに生じる歪みならびに「中央銀行の独立性」を脅かす可能性――についても触れる。

金融政策(特に量的緩和)を巡る論議の中に混乱の種を持ち込んでいる2つの用語がある。それは「貨幣の増刷」と「ヘリコプターマネー」である(Sinn 2011)。

量的緩和≠貨幣の増刷

量的緩和を「貨幣の増刷」(輪転機を回してお金を刷ること)と同一視するのは不適切である。国民が保有する現金の量は現金需要(現金に対する需要)によって決定されるのであって、例えば(イギリスの中央銀行にあたる)イングランド銀行が量的緩和を実施して民間の銀行から債券を購入する際にはその民間銀行がイングランド銀行に開設している預金口座に債券の購入代金が振り込まれるのである。つまりは、量的緩和の過程で増えるのはあくまでも準備預金の量なのであり、準備預金を構成要素とするマネタリーベースの量なのだ。現金に対する需要が増えない限りは「貨幣を増刷する(お金を刷る)」必要はないのである。

量的緩和が進められる過程で超過準備(民間の銀行が中央銀行に預けている預金のうちで法律で定められている預け入れ額を上回る部分)を抱えることになった民間の銀行は貸出を行ったり債券を購入したりして手持ちの準備預金を減らそうと試みるかもしれない。しかしながら、個々の民間銀行が新たに貸出を行おうと新たに債券を購入しようとマネタリーベースの量は変わらないのである。 [Read more…]

ポール・クルーグマン「不誠実な言動をやってきた連中がどの口で礼節を要求するのかね」

Paul Krugman, “Some Arguments Deserve to Be Uncivil,” Krugman & Co., September 26, 2014.
[“Wild Worsd, Brain Worms, and Civility,” The Conscience of a Liberal, September 14, 2014]


不誠実な言動をやってきた連中がどの口で礼節を要求するのかね

by ポール・クルーグマン

MEDI/The New York Times Syndicate

MEDI/The New York Times Syndicate


ストーニーブルック大学の金融論教授ノア・スミスが,『ブルームバーグ』にこんなことを書いてる――意見がちがう人たちに無礼な態度をとらない方がいいよ,だって相手の方が正しいってわかるときがくるかもしれないでしょ,だって.たしかにね:オーストリア学派経済学のことを「脳寄生虫」呼ばわりして,いったいなんの役に立つだろう?(ノアが『ブルームバーグ』コラムでこの前やってたみたいに
[Read more…]

ポール・クルーグマン「失業者を叩く世間知らずな保守派」

Paul Krugman, “A Conservative Disdain for the Unemployed,” Krugman & Co., September 26, 2014.
[“John Boehner’s Theory of the Leisure Class,” September 19, 2014; “Return of the Bums on Welfare,” September 20, 2014]


失業者を叩く世間知らずな保守派

by ポール・クルーグマン

Doug Mills/The New York Times Syndicate

Doug Mills/The New York Times Syndicate


下院議長ジョン・ベイナーに言わせると,失業中のアメリカ人どもが仮病のサボリ野郎なのは実に明瞭で,はたらく気もサラサラなくて福祉にたかる怠け者なんだって:「おそらくはこの2年ほどの経済から生まれた考えなのでしょう,こんな言い分がありますね,『はたらく必要なんかねえよ,マジでこんなことやりたくねえ.ただぶらぶらしてた方がマシだっつーの』なんて.これは,我が国にとって非常に病んだ考え方です」とベイナー氏は発言した.今月,「アメリカン・エンタープライズ・インスティチュート」で演説したときのコメントで出てきた発言だ.
[Read more…]

ジェームズ・ハミルトン 「量的緩和って何? ~バニ男とハミルトン君の対話~」

●James Hamilton, “Answering the bunnies”(Econbrowser, November 20, 2010)


珍奇なアニメが出回っている(Forbes, Zero Hedge, Real Clear Politics)。このアニメではウサギか何かを模していると思われるキャラクターたちが量的緩和(quantitative easing)をテーマに対話しているのだが、私であればあの中で寄せられているのとはちょっと違った回答をしたことだろう。「私自身(ハミルトン君)がウサギたち(バニ男)の会話の中に混ざったらどうなるだろうか?」と想像を巡らせた末に出来上がったのが今回のエントリーである。

「量的緩和とは何か?」という問いとともに会話は始まる。

バニ男: ところで、量的緩和って何なの?

ハミルトン君: 一言で言うと、(アメリカの中央銀行にあたる)Fedが長期国債をたくさん買うってことさ。Fedが長期国債を大量に買えばその価格は上昇するだろうけど、それが狙い(pdf)なんだ。長期国債の価格が上がるということはその利回り(長期金利)が下がるということと同じなんだけれど、長期国債の利回りが下がればそれにつられてその他の債券の利回りも低下するだろうね。(長期金利をはじめとした諸々の)金利が下がれば中小企業もお金が借りやすくなるし、ローンの借り換えをしようと思う人も増えるはずだ。それに金利が下がればドル安にもなる。そうなれば(アメリカから海外への)輸出が増えてその反対に(海外からアメリカへの)輸入は減る可能性が高い。

バニ男: へ~。で、どうして量的緩和なんて変な呼び名が付いてるの? もっと単純に「お金を刷る」って呼んじゃだめなの?

ハミルトン君: いや、お金は刷られやしないんだ。Fedが民間の銀行から長期国債を買ったとするよね。民間の銀行はFedに預金口座を持っているんだけれど、Fedが長期国債を買うとその口座に代金が振り込まれることになるわけ。預金口座の残高が増える(準備預金の残高が増える)わけだね。その口座からお札を引き出そうと思えばできなくはないけれど、民間の銀行には今のところそうする気はないみたいだ。それに民間の銀行がお金の引き出しに積極的な姿勢を見せ始めたらFedは手元に持ってる資産を売って準備預金の残高を減らすつもりらしいよ。というわけで、少なくともここしばらくの間は「大量にお金が刷られる」ことはないとみていいと思うよ。

[Read more…]

アレックス・タバロック 「リンコノミクス ~スケートリンク上における自生的秩序~」

●Alex Tabarrok, “Skating Lessons”(Marginal Revolution, January 2, 2011)


昨日息子を連れて近所のアイススケート場に足を運んできたのだが、アイススケートを楽しんでいる最中も経済学のことがあれこれと頭をよぎっていた。正確には、ダニエル・クライン(Daniel Klein)が執筆した現代の古典とも言うべき「リンコノミクス:自生的秩序に関する一つの視座」(“Rinkonomics: A Window on Spontaneous Order”)が頭から離れなかったのだ1

昔々のこと、人類はスケートの何たるかについて何にも知らなかった。さて、あなたもその時代に生きる一人だと想像してもらいたい。友人があなたのもとに近付いてくる。そして「新しいビジネスのアイデアを思い付いた!」と興奮気味にこうまくしたてる。

「堅い木でできた滑らかな床が一面に広がる広場を作るんだ。その周囲には広場に降りるために手すり付きの階段を用意する。そしてお客さんには底に車輪が付いた靴を履いてもらって広場をグルグルと滑ってもらうんだ。ヘルメットもショルダーパッド(肩パッド)もニーパッド(膝パッド)も装着する必要はない。滑るのが上手いか下手か(滑りの能力)をあらかじめ審査することもないし、レーンで区切るようなこともしない。飛ばし屋ものろまも老人もみんなごちゃ混ぜになって自分の好きなように滑るんだ。みんなさぞかし楽しむことだろう。そしておいらは大儲けできるってわけだ。」

スケートのことなど何にも知らないあなたは「大混乱必至だ」と直感的に感じ、少しきつめの口調で友人に答える。

「ガイドも指示もないのにどうやって100人もの人間が無事に広場をグルグル滑ることができるっていうんだ? あちこちで衝突が起こって怪我人がたくさん出るにきまってる。それに人が詰まって全然進まないぜ。そんなことにお金を払う人間なんているものか。」

・・・(略)・・・

あなたの友人が語った話は現代ではローラースケートと呼ばれているわけだが、ご存知のようにローラースケート場での日常は何とか無事平穏に過ぎている。時折アクシデントが起こることもあるが、大抵はみんな怪我をすることもなくスケートを楽しんでいる。あまりにも楽しいので大勢の人がお金を払ってでもローラースケート場に通っているほどだ。このような状況は直感に反するように思えるが、一体全体どうしたわけだろうか?

・・・(略)・・・

衝突には「相互性」(mutuality)という重要な性質が備わっている。スケートをしていて私があなたとぶつかったとしたら、あなたも私とぶつかることになる. 一方で、私があなたとぶつからなければ、あなたは私とぶつかることはない。「あなたとぶつからないようにする」というのは私にとっての利益であり、「私とぶつからないようにする」というのはあなたにとっての利益であるが、私が自らの利益(「あなたとぶつからないようにする」)を追求する場合には同時にあなたの利益(「私とぶつからないようにする」)も促進することになるわけなのだ。

このような(私とあなたとの間での)利害の一致coincidence of interest)こそがローラースケート場(のリンクの上)での秩序を支えている主要な力なのだ。私はあなたの利益を促進するつもりは毛頭ない。あなたの利益の存在に気付いてすらいないこともあろう。しかしながら、私は自らの身の安全を守ることで同時にあなたの身の安全を守ることにもなっているのだ。私の行動は(知らず知らずのうちに)あなたの利益を促進しているのである。

ローラースケート場のリンクの上で大勢の人々が秩序正しくスケートに興じる光景はハイエク(Friedrich Hayek)が言うところの「自生的秩序」(spontaneous order)の例の一つなのだ。

こちらの映像もあわせてご覧になるといいだろう。この映像ではジョン・ストッセル(John Stossel)がスケート場に中央集権的な管理を持ち込んだらどうなるかを強く印象に残るかたちで実演してみせている。

  1. 訳注;「リンコノミクス」は昨年(2013年)出版されたクラインの次の本の中にも収録されている。 ●Daniel B. Klein 『Knowledge and Coordination: A Liberal Interpretation』 []

アレックス・タバロック 「道路上における自生的秩序」

●Alex Tabarrok, “Spontaneous order on the road”(Marginal Revolution, August 11, 2010)1


まずはこちらの映像をご覧いただきたい。この映像はイギリスのとある小さな町で行われた実験の様子を収めたものだが、この実験では道路上にあるすべての信号機の電源が切られたのであった。その結果、道路上には混乱がもたらされた・・・わけではなく、秩序が保たれたのであった。

この実験は物珍しいものではない。数年前のことになるが、トム・ヴァンダービルト(Tom Vanderbilt)がウィルソン・クォータリー誌に交通技術者であるハンス・モンダーマン(Hans Monderman)の画期的な試みについて大変素晴らしい記事を寄稿している2。モンダーマンは都市中心部にある道路の設計に数々の革新をもたらした人物として広く知られている存在である(モンダーマンによる画期的な試みについてはこちらのニューヨーク・タイムズ紙の記事もあわせて参照されたい)。

ドラフテン(オランダにある村)の中心部にはラワイ広場と呼ばれる十字路があり、自動車や自転車、歩行者の往来が激しい交差点だった。このラワイ広場の新たな設計を任されたモンダーマンは信号だけではなく道路上にあるありとあらゆる施設を撤去するという大胆な決断を行った。ラバーポールや信号、「交通島」、標識、路面表示で埋め尽くされていた空間を物珍しいロータリー(円形交差点 roundabout)に作り替えたのだ(彼自身は「広場型交差点」(“squareabout”)と呼んでいる。よくある円形交差点よりは広場(town square)に似ているからだ)。ロータリーの中心にはちっぽけな円形の緑地が設けられ、道路の脇にはいくつか噴水が据え付けられている。そして道路上には――法律上やむを得ず――進行方向を示す矢印がひっそりとした目立たないかたちで描かれているだけだ。

自動車やバイクが速度を落としてロータリーの中心に向けて続々と進入する際に演じられる一種の社会的なバレエ劇に見入っていると(歩行者はその輪の中にはいない。横断歩道は交差点の少し手前に設けられているからだ)、私の隣にいたモンダーマンが得意の「マジック」を披露してみせた。ロータリーの中心に向けて歩き出したのである。それも目をつぶって後ろ歩きで。車はそんな彼の脇を徐行して通り過ぎる。クラクションを鳴らす者は誰一人としていない。彼は轢かれることもなく平穏無事だ。人と車が輪を描いて行き交うラワイ広場は信号機が指示する「進め!」/「止まれ!」といった二者択一的で機械的なプロセスとは違って人間的で有機的な臭いを放っていた。

この「過激な大改造」から1年が経過した頃、その劇的な効果が続々と明らかになってきた。交差点内での渋滞が大きく解消されただけでなく――例えば、バスが交差点を通過するために要する時間は短くなった――、交差点内での交通事故の発生件数が半減したのである。それもこの1年間で交通量は3分の1だけ増えたにもかかわらずである3

この種の実験はそれ自体でも十分興味深いものだが、「自生的秩序」(spontaneous order)の格好の例――命令(指図)(orders)なしにいかにして秩序(order)が保たれ得るのか――ともなっておりその意味でも大変興味深い。

この話題に気付くきっかけをくれたダニエル・クライン(Daniel Klein)に感謝する。

 before

↓↓


after

  1. 訳注;最後の画像は次のブログエントリーから転載したものであることを断わっておく。 ●Aaron Naparstek, “Hans Monderman, Engineer of Livable Streets, 1947-2008”(Streetsblog, January 8, 2008) []
  2. 訳注;モンダーマンによる画期的な試みについては次の本の中でも詳しく紹介されている(具体的には、第7章のpp.296~pp.331あたり)。 ●トム・ヴァンダービルト(著)/酒井泰介(訳) 『となりの車線はなぜスイスイ進むのか?』 []
  3. 訳注;訳注2で紹介した本の中では次のように書かれている。「ハンス・モンダーマンがドラフテンの交差点で人々により不安に感じさせてより慎重な行動を促したのも、この心理を利用したものだった。住民は彼に「これでは不安だ」と訴えた。彼は私に、「それは素晴らしいことだ」と言った。「彼らがそう言わなければ、すぐに設計変更しただろう」。・・・(略)・・・おもしろいのは、ドラフテンで交差点を広場の中のロータリーに作り替えると、接触事故の回数が減ったことだ(地元の理工大学の初期調査による)。2005年には、一度も事故が起きなかった。ロータリー内の制限速度が低いためもあるだろう。しかし、他にもいくつか、おもしろい事実がある。ロータリーを設置して以来、この交差点の通過時間は、通行量が増えたにもかかわらず、40%も減った。バスが交差点を通過する時間は半減した。同大学の調査によると、あらゆる乗り物は一定の流れを保っているようで、ラッシュ時でさえ、速度は落ちるが、流れ続けていた。・・・(略)・・・報告書には、他にもおもしろい指摘がある。ロータリーの中で、ハンドサインを用いる自転車通行者が増えたということだ。これはオランダでは珍しいことだ。ドライバーもウインカーを多用するようになった。交差点を無事に通り過ぎる責任はいまや人々に委ねられるようになり、その結果彼らは、より緊密にコミュニケーションするようになったのである。その結果、地元での調査では利用者は交差点がより危険になったと感じていたにもかかわらず、この地点は実際にはより安全になったのだ。」(pp.314~315) []

アイケングリーン&テミン 「『金の足かせ』と『紙の足かせ』」

●Barry Eichengreen and Peter Temin, “Fetters of gold and paper”(VOX, July 30, 2010)1


現在(2010年現在)世界経済は固定為替相場制度――具体的には、ドルにペッグした人民元ならびにユーロ――に端を発する緊張に苛まれている最中である。かつての金本位制の経験から得られる教訓が示しているように、国際通貨制度は為替レートを通じて結び付けられているすべての国がそのスムーズな運行に責任を負っているシステムであり、経済収支赤字国だけではなく経常収支黒字国の行動もシステム全体に影響を及ぼすことになる。1930年代と同様に、経常収支黒字国が支出の拡大を渋っているために経常収支赤字国は景気の低迷を余儀なくされている。これはケインズが大恐慌の経験から導き出した教訓でもあり、ケインズが慢性的な経常収支黒字国に対して(課税や制裁といった)何らかの措置を講じる必要性を訴えた理由もこのような認識があってこそである。あれから60年少々が経過しているわけだが、どうやら我々はケインズが大恐慌の経験から導き出した教訓を忘れてしまったようである。

「1930年代の教訓」を売り物とするマーケット(アイデア市場)はここにきて続々と新たな参入者を引きつけており、非常に激しい競争が繰り広げられている最中だ(例えば以下を参照せよ。Mason and Mitchener 2010, Fishback 2010, Helbling 2009)。今回我々もその競争の列に加わらせてもらおうと思うが、「金融危機を広い範囲に拡散させる上で固定為替相場制度が果たす役割」と「かつての金本位制の経験から得られる教訓」の2点に焦点を絞って参戦させてもらうことにしよう。

「1930年代における世界経済危機の過程では金本位制が重要な役割を演じた」。このアイデアは我々のどちらもがともに深い関わりを持っているものだ(Temin 1989, Eichengreen 1992)。当時の金本位制が備えていた特徴を列挙すると次のようになるだろう。国境を越えた金の自由な移動、金と自国通貨との交換比率(平価)を一定に固定(それゆえ金本位制を採用している国同士の間での為替レートも一定に固定)、そして国家間の調整を図る(超国家的な)国際機関の不在である。

金本位制が備えていた以上のような特徴は結果的に経常収支赤字国と経常収支黒字国との間に「非対称性」を持ち込む格好となった。金準備の減少が続いて枯渇しかけている(それゆえ平価を維持することが困難な状況に陥っている)国(経常収支赤字国)は一種の罰則の受け入れを余儀なくされた一方で、金準備を溜め込んでいる国(経常収支黒字国)は(金準備を保有する代わりに他の資産に投資していれば得られたであろう金利収入は除いて)罰則を一切受け入れる必要がなかったのである。金準備の減少を食い止めるために経常収支赤字国では通常は平価の切り下げ(為替レートの減価)ではなくデフレ(国内物価の下落)という手段(調整メカニズム)が選択されたのであった。 [Read more…]

  1. 訳注;この論説は次の論文の縮約版である。もっと細かい内容まで知りたいという場合は当該論文を参照されたい。 ●Barry Eichengreen and Peter Temin, “Fetters of Gold and Paper”(NBER Working Paper No. 16202, July 2010;Oxford Review of Economic Policy誌に掲載されたバージョンはこちら) []

ラルス・クリステンセン 「政策当局者を蝕む二つの害毒 ~『デフレマニア』と『清算主義フィーバー』~」

●Lars Christensen, “Our Monetary ills Laid to Puritanism”(The Market Monetarist, October 21, 2011)


ダグラス・アーウィン(Douglas Irwin)の心遣いにまたお世話になることになった。1931年11月1日付のニューヨーク・タイムズ紙に掲載されたとある記事を私の元へわざわざ送ってくれたのだ。この記事はスウェーデンの経済学者であり尊敬すべき貨幣理論の専門家であるグスタフ・カッセル(Gustav Cassel)の金融政策観が知れる大変興味深いものだが、それに加えて金融政策当局者の思考を蝕む大いなる害毒――カッセルはそれを「ピューリタニズム」と呼んでいる――についても話題となっている。「カルヴァン主義経済学」に関するエントリー〔拙訳はこちら〕を執筆していた際にはこの記事のことは当然知らなかったのだが、どうやら私はカッセルと随分似た考えに辿り着いていたようだ。

ちなみにこの記事はスウェーデンで発行されている保守系の日刊新聞スヴェンスカ・ダーグブラーデット紙(現在も刊行中)に掲載された記事に依拠して書かれているとのことだ。

1930年代初頭にアメリカで行き過ぎた金融引き締めが生じた理由としてカッセルは政策当局者の思考を蝕む2つの害毒の存在を挙げている。その2つの害毒とは「デフレマニア」(“deflation mania”)と「清算主義フィーバー」(“liquidation fever”)である。 [Read more…]

ラルス・クリステンセン 「カルヴァン主義経済学 ~経済問題を道徳劇に見立てる愚~」

●Lars Christensen, “Calvinist economics – the sin of our times”(The Market Monetarist, October 20, 2011)


数日前に同僚の一人とギリシャの経済状況について意見を交わしていた時のことだ。私は概ね次のように語った。ギリシャ政府が支払い不能(insolvent)の状態に陥っていることは誰の目にも明らかであり、ギリシャ政府は遅かれ早かれ何らかのかたちでデフォルト(債務の不履行)を宣言せざるを得ないだろう。支払い不能であることが一目瞭然なギリシャ政府に対してさらにこれ以上国債を発行する(借金を重ねる)よう求めると同時に、財政緊縮をもっと徹底するよう圧力をかけることは馬鹿げている、と。このような私の意見を耳にして同僚は次のような言葉を口にした。ギリシャは「借りたものをちゃんと返すべき」であり、「債務の不履行なんて決して許してはならない。ギリシャにデフォルトを認めてしまえば周りもそれを真似してしまう」。これは経済学的な議論ではなく道徳的な議論だ。私は咄嗟にそう感じたのであった。

私は決してケインジアンではないし、財政緊縮はギリシャにとって悪いことだとは必ずしも思わない。しかしながら、「カルヴァン主義経済学」(Calvinist economics)とでも呼べる発想には強く異を唱えるつもりだ。カルヴァン主義経済学はここにきてその影響をますます強めてきているのだ。 [Read more…]

ポール・クルーグマン「30年代の再演:ヨーロッパは間違った教訓を学びつつある」

Paul Krugman, “Europe Is Learning The Wrong Lessons,” Krugman & Co., September 19, 2014.
[“The Structural Fetish,” The Conscience of a Liberal, September 9, 2014; “Replaying the 30s in Slow Motion,” The Conscience of a Liberal, September 15, 2014.]


ヨーロッパは間違った教訓を学びつつある

by ポール・クルーグマン

Akos Stiller for The New York Times/The New York Times Syndicate

Akos Stiller for The New York Times/The New York Times Syndicate


先日の『フィナンシャル・タイムズ』に,いま出現しつつある「ドラギノミクス」の方針に関する割とよさげな記事が載ってた.ドラギノミクスは,「ブランシャーノミクス」にすごくよく似ていて,そのブランシャーノミクスはクルーグマノミクスにすごくよく似ている――まーね,ぼくらはみんな,1970年代中盤に MIT でマクロ経済学を学んでいたし.
[Read more…]