経済学101は主に皆様の寄付によって賄われています。温かい支援をお待ちしています

Archives for 4月 2016

ラルス・クリステンセン 「大恐慌勃発当時に中国が銀本位制ではなく金本位制を採用していたら」(2011年10月29日)/「大恐慌当時にスイスがもっと早いタイミングで金本位制から離脱していたら」(2013年2月25日)

●Lars Christensen, ““Chinese Silver Standard Economy and the 1929 Great Depression””(The Market Monetarist, October 29, 2011)/“Working paper of the day – Straumann et al on Switzerland, the Great Depression and the gold standard”(The Market Monetarist, February 25, 2013)


1929年に大恐慌(Great Depression)が勃発した当時、主要国の中で金本位制を採用していなかった国が2つだけある。中国とスペインだ。中国にしてもスペインにしても金本位制を採用していなかったおかげで大恐慌に伴う深刻な負のショックに晒されずに済んだのであった。この歴史上のエピソードは「誤った」為替制度(為替レートレジーム)の選択がいかにして災厄を招き得るかを示す格好の実例であるだけでなく、「(個人あるいは国家の命運を左右する上で)運的な要素(偶然)が果たす重要性を過小評価するなかれ」というミルトン・フリードマンの格言1を思い起こさせる例の一つでもある。

つい最近のことだが、大恐慌当時の中国経済をテーマにした興味深い論文を見つけた。賴建誠(Cheng-chung Lai)と高志祥(Joshua Jr-shiang Gau)の共著論文である “Chinese Silver Standard Economy and the 1929 Great Depression(pdf)”(「銀本位制下の中国経済と1929年の大恐慌」)がそれだ2。論文のアブストラクト(要旨)を以下に引用しておこう。 [Read more…]

  1. 訳注;この格言はミルトン・フリードマン著『Money Mischief: Episodes in Monetary History』(邦訳『貨幣の悪戯』)の中に出てくる言葉である。具体的には、チリとイスラエルによるドルペッグ制の実験の帰結との絡みで発せられた言葉である。チリは1979年に、イスラエルは1985年にそれぞれドルペッグ制(自国通貨とドルとの交換比率を一定に固定する為替制度)を採用することになったが、その試みはチリでは悲惨な結果をもたらすことになった一方でイスラエルでは大きな成功をもたらすことになった。「同じ政策」が「正反対の結果」をもたらすことになったわけだが、フリードマンはその理由を「外的な環境」の違い(ドル相場の変動、主要な輸出入産品の価格動向)に求めている。当事者の力ではどうしようもできない「外的な環境」の違いによって(「同じ選択(決定)」をしていても)一方では大成功につながることがあり他方では大失敗につながることがあるという経験を要約して発せられたのが「(個人あるいは国家の命運を左右する上で)運的な要素(偶然)が果たす重要性を過小評価するなかれ」という格言というわけである。 []
  2. 訳注;ちなみにタイラー・コーエンもこの論文を話題にしており、「大恐慌下の中国経済の実態についてはまだまだ研究が不足している」とコメントしている。さらには、関連する研究としてローレン・ブラント(Loren Brandt)&トーマス・サージェント(Thomas Sargent)の共著論文(“Interpreting new evidence about China and U.S. silver purchases”(pdf))とミルトン・フリードマンの論文(“Franklin D. Roosevelt, Silver, and China”)にも言及している。この2つの論文では中国が(1935年に)銀本位制からの離脱を決めた理由が探られているが、フリードマンの論文は訳注1でも触れた『貨幣の悪戯』の第7章に収録されている。『貨幣の悪戯』のはしがきではこの論文について次のように述べられている。「第7章では別のエピソードを取り上げよう。1930年代にアメリカが実施した銀購入計画の波紋である。西部選出の上院議員たちを懐柔しようとフランクリン・ディラノ・ルーズベルト大統領はある決断を下した。まさかその決断〔銀購入計画;引用者注〕がアメリカから遠く離れた中国共産党の勝利に目に見えるような形で貢献することになろうとは誰が聞いても突飛な話としか思わないだろう。だが、この出来事が引き起こした一連の事象は明白であり、紛れもない事実である」(邦訳、pp.9)。ルーズベルト大統領による銀購入計画は「小事と思われた出来事の波紋がはるか遠くまで拡がり、まったく思いも寄らない影響を歴史に及ぼしたという実話」
    (邦訳、pp.7)であり、「一見、通貨の動向の些細な変化と思われたことが、実は経済全体に思いも寄らない影響を広範に与えた」(邦訳、pp.6)エピソードの一つというわけである。 []

ラルス・クリステンセン 「ギデオン・ゴノ、タイムマシン、流動性の罠 ~ギデオン・ゴノが1932年のアメリカでFRB議長を務めていたら~」(2011年10月11日)

●Lars Christensen, “Gideon Gono, a time machine and the liquidity trap”(The Market Monetarist, October 11, 2011)


2008年当時のメディアの記事を適当に拾い読みしていると、次のような文章が目に入った。

金利が異例なほど低い水準に向かって下がり続けている。それに伴って世界各国の中央銀行は急速な勢いで打つ手を失いつつある。

「金利がゼロ%に近付いているために中央銀行は打つ手なしの弾切れ状態に追いやられている。金融政策を通じて景気を刺激しようと思っても中央銀行にできることはもう何も残されていないのだ」・・・というわけだが、あちこちでよく目にする意見だ。マーケット・マネタリストの面々であれば「その意見は間違いだ」とすかさず強く異を唱えるところだが、そのように異を唱えるということは長い歴史を持つ伝統に真っ向から歯向かうことを意味してもいるのだ。

「金利がゼロ%に近付くにつれて金融政策にできることはますます限られてくる」という意見は長い歴史を持っている。その点を確かめるためにタイムマシンに飛び乗って1935年のアメリカにタイムスリップしてみることにしよう。

1935年3月18日、下院銀行・通貨委員会では1935年銀行法をテーマに意見交換が行われている最中だ。民主党の議員であるトーマス・アラン・ゴールズボロー(T. Alan Goldsborough)が第7代FRB議長のマリナー・エクルズ(Marriner Eccles) に助け舟を出しているようだ。

エクルズ議長: 今のこのような状況下ではFRBにできることはほとんど何もありません。

ゴールズボロー議員: 「ヒモは押せない」ということでしょうか1

エクルズ議長: それは上手い表現ですね。そうです。「ヒモは押せない」のです。現在アメリカ経済は不況のどん底に陥っており、・・・(略)・・・景気回復を後押しするためにFRBにできることといったら割引率(公定歩合)を引き下げることくらいしかありません。それ以外にできることはほとんど何も無いのです。

[Read more…]

  1. 訳注;「景気の過熱を抑える上では金融政策(金融引締め策)は効果を発揮するが、大きく沈滞した景気を浮揚させる上では金融政策(金融緩和策)の効果には限りがある」という考え(金融政策の効果に関する非対称性)を簡潔に言い表す比喩として「ヒモは引けても押せない」という表現がよく持ち出される。「ヒモは押せない」という比喩を一番はじめに言い出したのは誰かという点については諸説あるが、ここで引用されているゴールズボロー議員の発言が初出だという説(ゴールズボロー起源説)が有力なようだ。この点についてはhimaginary氏の次のブログエントリーもあわせて参照されたい。 ●“「紐を押す」の語源”(himaginaryの日記, 2015年7月31日) []

タイラー・コーエン 「タイムマシンの開発に向けた研究には助成金を出すべき? それとも税金を課すべき?」(2011年1月9日)/マーク・ソーマ 「タイムマシンの経済学 ~未来へのタイムスリップは技術的には可能だ~」(2007年9月29日)

●Tyler Cowen, “Should we subsidize or tax research into time travel?”(Marginal Revolution, January 9, 2011)


(時間旅行を可能にする)タイムマシンの開発に向けた研究には助成金を出すべきだろうか? それとも税金を課すべきだろうか? ただし、助成金を出すにしろ税金を課すにしろ政府の予算には何の変化も生じないように埋め合わせがなされるとしよう1。つまりは、景気変動を安定化するための財政政策という側面は持たないと想定するわけだ。あるいはこう考えてもいい。あなたが全人類の安寧を願う慈悲深い慈善家だとしよう。あなたは(身銭を切るなどして)自分にできる範囲でタイムマシンの開発を支援すべきだろうか?(「タイムマシンは全人類に莫大な利益をもたらすフリーランチのようなものに違いない。私も何か力になれないものだろうか?」) それともどうにかして(タイムマシンの開発を)阻止しようとすべきだろうか?

時間旅行の根底にある科学的な原理は現状ではまだ大して理解されていないと思われるが、昔のSF映画の中で描かれているそのままに事が運ぶという可能性もなくはない。つまりは、あなたがタイムマシンに乗って時間旅行をすることで歴史の流れが変わってしまい、そのせいであなたがそれまで(生まれてからタイムマシンに乗り込むまでの間に)慣れ親しんで暮らしてきた世界がどこかに消え失せてしまうことになるかもしれない。歴史の流れがいい方向に変わる可能性もなくはない。しかしながら、元いた世界が失われてしまう可能性があるという点は時間旅行に備わるネガティブな面の一つにカウントしたいというのが私の考えだ。

時間旅行に備わるポジティブな面には何があるだろうか? 将来的にいつの日か人類が滅亡する時がやってくるかもしれないが、タイムマシンはそのような危機から逃れる安全な避難場所を用意してくれる可能性がある。小惑星が地球に衝突しそうになるたびにタイムマシンに乗って数日前あるいは数十年前にタイムスリップする。そうすれば地球に小惑星が衝突する瞬間に立ち会うことは永遠になくなるだろう。将来的に不死を可能にする(あるいはコンピューター上に脳の情報をアップロードする)テクノロジーも開発されたりしていたら、そして過去にタイムスリップする際にそのテクノロジーも一緒に持っていくことができるとしたら、なおさら魅力的な話だろう。

まとめるとこういうことだ。地球最後の瞬間に立ち会うはずだった人間の多くがタイムマシンのおかげで不死の命を手に入れる可能性(不死の人類が誕生する可能性)がまず一方であり(過去へのタイムスリップを繰り返しているうちに小惑星の軌道をずらして地球への衝突を回避する術が見つかる可能性もある)、時間旅行に伴って歴史の流れが変わってしまう可能性(元いた世界とは別の世界が生み出される可能性)がもう一方である。

それでは再び問うことにしよう。タイムマシンの開発に向けた研究には助成金を出すべきだろうか? それとも税金を課すべきだろうか?

——————————————————————————————————-

●Mark Thoma, “The Economics of Time Travel”(Economist’s View, September 29, 2007)


タイムマシンを作るには一体どれくらいの費用がかかるのだろう? そう疑問に思ったことはないだろうか? そういう経験がある御仁に耳寄りの情報だ。

Time machine possible says professor, Gold Coast News2:

未来へのタイムスリップを可能にするタイムマシンは最早SFの世界の中でだけ存在する空想の産物ではない。ただし、あなたが実際にタイムマシンを作ろうと思えば途方もないお金持ち(兆万長者のさらに上)でないといけない。

そう語るのはオーストラリア国立大学で相対性理論と量子力学を教えるクライグ・サベッジ(Craig Savage)博士だ。未来にタイムスリップすることは技術的には可能だが、そのためのタイムマシンを作ろうとすると莫大な費用がかかるというのだ。

サベッジ博士は語る。「光速の4分の3のスピードで移動する宇宙船を作ることができたとしましょう。その場合、その宇宙船に乗って移動している最中は常に1時間先の未来にタイムスリップしている計算になります」。

そういった宇宙船はこれまでにいくつも設計されているが、いざ実際に作ろうとすると想像もつかないほど莫大な費用がかかってしまうという。「障害になっているのは技術的な問題ではなく金銭的な問題なのです」。

サベッジ博士の推計によると、タイムマシンを動かすには電力費だけでも10兆ドル単位の費用がかかる計算になるという。

  1. 訳注;助成金を出す場合は何か他の政府支出が同じ額だけ減らされ、税金を課す場合は何か他の税金を減税して税収を一定に保つ。 []
  2. 訳注;リンク切れ。代わりに例えば次の記事を参照されたい。 ●“Time travel may be possible but won’t be economical”(Phys.org, October 8, 2007)/“Time Travel – Is It Possible?”(Catalyst, February 14, 2008) []

タイラー・コーエン 「時を超えた裁定行為」(2015年5月31日)/「『過去』へのアウトソーシング」(2008年3月28日)

●Tyler Cowen, “Traveling back into the past to trade for present gain”(Marginal Revolution, May 31, 2015)


こういう話題はバズフィード好みの話題と言えるだろうか? そう昔のことではないが、会話の最中に次のような質問を受けたことがある。その時は時間が無くてちゃんと答えられなかったのだが、代わりにここで私見を述べさせてもらうことにしよう。

タイムマシンを持っていてそれを金儲けのためだけに使うつもりだとします。タイムマシンを使えば「過去」のどの時代にも行けますが、「現在」から「過去」に一品だけ持って行って何か別の品――「過去」に生きる誰かが等価交換と認めてくれる品――と交換するとします。そして新たに手に入れたその品(「過去」に生きる誰かから交換を通じて譲り受けた品)を持って「現在」に戻ってくるわけです。時を超えた(「現在」と「過去」の行き来を通じた)裁定行為から得られる儲けを最大化するためには「過去」のどの時代に向かうべきでしょうか? また、「現在」から「過去」に持っていく一品には何を選んだらいいでしょうか? その品と交換に何を手に入れたらいいでしょうか?

「これだ!」という答えはすぐ見つかるのだがよくよく考えてみるといくつか厄介な問題が控えていることに気が付く。「これだ!」という答えの一つにこういうのがある。ベラスケス――ベラスケスでなくともその他の有名な画家でも可――が生きている「過去」の時代にタイムスリップする。「現在」から「過去」へは金(ゴールド)を持ち込み、ベラスケスのアトリエに足を運んで金と交換に絵を譲ってもらう。そしてタイムマシンに乗って「現在」に再び戻ってきてその絵を売りさばくというわけだ。ベラスケスがうまく話に応じてくれるかどうかはわからないが、ベラスケスが駄目でも他に誰かいい相手は見つかることだろう。金は高価な品であり、持ち運ぶのも簡単だ。「金の重さを測らせてくれ」「金の含有量を調べさせてくれ」と迫られることもあるかもしれないが、ともかく商談はうまくいくことだろう。 [Read more…]

ノア・スミス「101イズムの実例:最低賃金編」

[Noah Smith, “101ism in action: minimum wage edition,” Noahpinion, April 9, 2016]

facepalm

しばらく前に,「101イズム」のやばさについて書き殴った.「101イズム」とはぼくの造語で,経済学101(概論授業)のいきすぎた単純化やただの誤解バージョンを使って政策論議をすることを指す.さて,その完璧な例をお見せしよう.しかも,容疑者の1人が当のぼくだったりする.
[Read more…]

タイラー・コーエン 「気が付いたら西暦1000年にタイムスリップ。どうしたら生き抜いていける?」(2008年6月6日、6月11日)

●Tyler Cowen, “Time travel back to 1000 A.D.: Survival tips”(Marginal Revolution, June 6, 2008)/ “Chris Scoggins, marginalist”(Marginal Revolution, June 11, 2008)


本ブログの熱心な読者であるLondenioから次のような質問を頂戴した。

気が付いたら西暦1000年(200年ほど前後しても可。つまりは、西暦800年~1200年)のヨーロッパのどこか(例えば、現在フランスやベネルクス三国、あるいはドイツがあるあたり)にタイムスリップしていた。そういうあり得ない事態に遭遇した場合、タイムスリップした先で生き抜いていくためにはどうしたらいいと思われますか? あちらの世界に持っていけるのはタイムスリップの瞬間に身に付けているもの(衣類等)と脳に記憶されている情報(現代の知識)だけに限られるということにしてください。どんな些細なことでも構いませんので何かアドバイスしていただけたら幸いです。

高価な金(ゴールド)の結婚指輪を指に嵌めていてそれも一緒に持っていけたらいいのだが、それはともあれ口をつぐんで余計なことは喋らないようにしておいた方がいいだろう。Londenioがまずやるべきことは数日あるいは数週間ほど居候させてくれる家を見つけて、その間にその界隈にある教会で働き口を探すことだ。とは言え、うまく働き口を見つけられたとしてもLondenioの限界生産性はかなり低いことだろう。現地の言語をマスターした後でもそれは変わらないままだろう。Londenioが経済学だとか量子力学だとかに関する知識を持ち合わせていればいくらか助けになるだろうと読者の皆さんは思われるかもしれないが、実際のところは誰一人としてLondenioが語る「冗談」(経済学や量子力学に関する話)を面白がってはくれないことだろう。Londenioが記憶を頼りにオイラーの定理を証明できたとしても数式中の記号の意味を理解できる人間は周囲に誰一人としていないことだろう。願わくは(家の扉を閉じるために使う)閂(かんぬき)と(天然痘から身を守るために)最新の天然痘ワクチンを携えてタイムスリップしたいところだ。

読者の皆さんはどういうお考えだろうか? Londenioが「現代の知識」の助けを借りて(西暦1000年のヨーロッパの地で)社会的に有用な生産物を生み出す方法は何かあるだろうか?(ちなみに、Londenioはマーケティングを専門とする学者だ) 公衆衛生や伝染病について持てるだけの知識を吹聴したとしてそのような行動はLondenioの身を助けることになるだろうか? [Read more…]

アレックス・タバロック「移動しなくなったアメリカ人と土地利用制限」

[Alex Tabarrok, “Declining Mobility and Restrictions on Land Use,” Marginal Revolution, April 8, 2016]

〔人々がどれくらい移住・移転しやすいかという〕移動性は,アメリカで1980年代からゆっくりと下がってきている.なぜだろう? ひとつ考えられるのは,人口動態の変化だ.たとえば,若い人たちに比べて,年配の人たちはあまり移動しない見込みが大きい.そのため,熟年者人口が大きくなったことで移動性の低下が説明されるかもしれない.だが,移動性はあらゆる年齢層で下がってきている.たとえば,1980年には 25-44歳の 3.6% が過去1年に移動しているが,2000年代では同じ年齢集団の 2.2% しか移動していない.

chart_tabarrok
(グラフは Molloy, Smith, Trezzi and Wozniak (pdf) から引用.)
[Read more…]

シーラ・オーゴヴィー 「中世シャンパーニュの大市:発展への教示」

Sheilagh Ogilvie, “Medieval Champagne fairs: Lessons for development” (VoxEU.org, 23 December 2015)

〈ある一群の経済学者たちが口を揃えて言うことには、強力な国家や公的機関がなくても経済は繁栄しうる、と。この記事では、中世ヨーロッパにおける「シャンパーニュの大市」を教材として、公共機関というものがいかに重要なものであり得るかを考察する。公的権威というものは、良きにつけ悪しきにつけ、決定的なものである。統治者がそれを全ての人が用いられる公益事業として提供したときに、シャンパーニュの大市は花開いた。そしてその利用を一部の人々のみの特権として認可したとき、交易は衰退し別の所へと移って行った。〉

経済史を語る上で広く支持されている説に、経済の成功には、国家、統治者、法制度といった正式な権威と結びついた公的統治機関は必要不可欠ではない、というものがある。それは、個々の人々が非公式に行う、私的な行動の集積によって形作られる民間統治機関がそれに取って代わられることができるから、という理由による。ここで暗示されているのが、優れた機能を持つ政府や法制度を持たなくとも、近代経済が貧しい状態から継続的な成長を遂げることは可能である、そして民間統治が公的権威に代わって成長を支えた成功例は歴史に見ることができる、と考えられる(参考として、 World Bank 2002; 更にはDasgupta 2000, Helpman 2004, Dixit 2004, 2009)(訳注1)。この主張は魅力的だ。しかし、史実はそれとは違ったことを示している。

公的統治機関の有効性

経済発展に関していくつものことを歴史から学ぶことができる。そのうちの一つは、公的統治機関は、良きにつけ悪しきにつけ、決定的なものである、ということだ。

中世シャンパーニュの大市は、人々に便益を与えてきた典型的な機関の存在で歴史に名を刻んでいる。この機関からは、近代の経済発展を考える上での重要な教訓を得ることができる。大市が開催されたのはおよそ西暦1180年から1300年の間、それはヨーロッパにおける紛うことなき国際貿易と金融決済の支点であり、「商業革命」と呼ばれる、中世の長距離交易の大規模な発展の中心地であった(Bautier 1970, Ogilvie 2011, Edwards and Ogilvie 2012)。

シャンパーニュの大市が民間統治機関のおかげで成功した、とする主張には、二種類のものがある。

●その第一のものはミルグロムとその共著者によるもの(Milgrom et al. 1990)(訳注2)である。その主張によれば、商人たちの行動記録を保管する民間の裁判官を擁する民間の裁判所の存在がシャンパーニュの大市を発展させた。

商人たちの評判を交換することによって、民間の裁判官は貿易業者が過去に契約を破棄した商人との取引を拒否することを可能にした。ミルグロムらの主張によるなら、民間の裁判官はまた、不正行為に対する罰金を徴収した。商人たちがその支払いに応じたのは、その拒否が将来における大市での取引の機会を一切失ってしまうことを意味したからである。民間の裁判官と個々の商人の評判を組み合わせた制度協定が全ての貿易業者に契約を遵守させる動機を創り出し、それは国家による強制が及ばず、同一業者間の取引が滅多になされない状況下でも機能した。このシャンパーニュの大市の描写を元に、ミルグロムとその共著者が結論づけたことは以下の通りである。中世の貿易は、商人たちが「自らの民間法規定」を発展させ、一切の「契約執行への国家の手助け無し」に、自分たちの法の執行のための民間の裁判官を雇い、違反者に民間規定による制裁措置を適用することによって、発達した(Milgrom et al. 1990)。

しかし史実は、シャンパーニュの大市には民間の裁判官はいなかった、となる。反対に、大市は多種多様に公的統治機関に支えられていた(Bautier 1970, Terrasse 2005, Edwards and Ogilvie 2012)。そのうちの一つは、市が開催されていた期間ごとに活動した専用の公共裁判所である。その裁判の判決を行っていた大市の番人は君主の執務官であって民間の裁判官ではなかった。また、外国の商人が契約を守らせるのに利用したものには、異なるレベルの君主による裁定制度があった。シャンパーニュ統治者の高等法廷、統治執行者による裁判所、教区司祭による裁判所、などである(Edwards and Ogilvie 2012)。大市が開かれた街には地方自治体による裁判所があり、大市に際して地区教会堂による特別裁判所も運営された。外国の商人たちはその両方を使うこととなった(Bourquelot 1839-40, Bourquelot 1865, Bautier 1952)。これらの地方自治体及び地区の裁判所がシャンパーニュ統治者認可の下での権限委譲によって運営されていたことを考えれば、シャンパーニュの大市において財産権や契約の執行を保証していた様々な裁判所の司法権限は商人たちから生まれてきたものではなく、公権力によるものといえる。更には、これらの裁判所が民間の商人が創り上げていった法令を適用したという証拠はない(Edwards and Ogilvie 2012)。以上のことから、シャンパーニュの大市において公的統治機関の欠如を民間の統治機関が補い、それが経済的繁栄をもたらすよう機能した、とする見解は信頼に値しない。

●シャンパーニュの大市における民間統治機関に関する主張の第二のものはグライフ(Greif 2002, 2006a, 2006b)による。その主張によるならば、協業者集団間の協働報復から成る、「協会責任制度」にシャンパーニュの大市における取引は支えられていた。

その主張するところでは、中世ヨーロッパには公的裁判所が存在していたものの、長距離貿易を支えることはできなかった。なぜなら、それはその地域の利益を守るように作られており、外国の商人に対して不公平なものであったから。そして、厳正な裁判を地域の裁判所に促したものは協会責任制度と呼ばれる民間統治制度であった。

この説明によるなら、全ての長距離貿易商人は協会か同業者組内に組織されていた。もしある商人が別の協会に属する商人との契約を履行せず、そして契約を破った側の地域裁判所がその補償を命じなかったならば、損害を被った側の地域裁判所はその不履行を行った商人の属する協会の全会員に対して協働報復を発動しえた。不履行者側の協会は、破られた側の協会の商人たちとのすべての取引を取りやめることによってのみ、この制裁措置に対抗できた。もしこの対抗策による損失が大き過ぎるのなら、契約不履行を行う商人のいる協会は、厳正な裁判を求めるよう動機づけられる。この組合公正制と協働報復の組み合わせが商業革命初期数世紀の長距離貿易を支えた制度の基礎を創り、そしてシャンパーニュの大市における民間統治機関運営はその意味において特筆すべきことである、それがグライフの主張である。ここで注目すべきは、シャンパーニュの大市における法制度では外国から訪問中の商人には法権限が及んでいなかった、と推定されていることである。大市の当局は「その地を訪れた商人への法権限を放棄した。個々の商人が服していたのは自分の属する協会の法であり――そこには代表の執政官がいた――、大市が開催されていた地域の法ではなかった」(Greif 2006b)。この見解によるなら、商人間の契約は、不履行をした借主と更にはその借主が属する協会全体の大市からの追放を頼りとしていた。その主張されているところでは、商人たちの共同法廷が不履行者に契約履行を強制したのは協働報復への恐れによるものだった(Greif 2002)。

史実からの反論

シャンパーニュ地方の統治者たちは域外から訪れた商人たちへの法権限を放棄しておらず、またその商人たちが独自の協会の法のみに従うことを許しもしなかった。大市が国際貿易の中心であった時期の初期65年間(1180年頃より1245年まで)にあっては、シャンパーニュ地方に滞在中の全ての商人は大市の開催地の公的法体制に従わねばならなかった。1245年にシャンパーニュ伯は一部の滞在中の外国商人に自身配下の役人による裁定で免除認可を与えたが、それは伯爵が統治者としての直接の司法権を持ち込んだ、その下で行われたことに過ぎない。シャンパーニュの大市での商人協会の役割はごく小さなものだった(Bautier 1953, Edwards and Ogilvie 2012)。大市が国際的な重要性を持っていた期間のうちの初めの60年間に当たる1180年頃から1240年頃までの間には、商人協会が執政官を抱えることは無かった。大市における多くの主要な商人集団は執政官を抱えたことも、更には協会を形成したことも無かった。大市存続期の後期(1240年頃より後)、少数の商人集団が協会執政官を置いたが、それは協会内部での契約遵守のためにのみ用いられた。別々の協会に属する商人間での契約履行を強制するときに用いられたのは公的法体制だった(Edwards and Ogilvie 2012)。シャンパーニュの大市は80年もの間ヨーロッパにおける国際貿易の最重要拠点として栄え、その間に協働報復の記録は無い。それはシャンパーニュの大市の末期、約1260年以降、極めて限られた形で用いられたに過ぎない(Bourquelot 1865, Bautier 1970, Edwards and Ogilvie 2012)。報復制度は全般的に公的法体制に組み入れられていた。報復権の発動には公的司法裁判所で何段階かに及ぶ正式な法手続きを踏むことが要求され、報復措置の強制執行は国家の強制力に頼っていた(Ogilvie 2011, Edwards and Ogilvie 2012)。シャンパーニュの大市において、少数の商人協会は眼に見える形では報復活動を行っていない。公的統治機関不在の下、民間統治による協働報復が長距離貿易を下支えするものとなっていた、その証拠となる史実をシャンパーニュの大市に求めることはできない。

シャンパーニュの大市からの教示

一方で、シャンパーニュの大市から経済発展を齎すものについて学べることがある。

●第一の主要な教示は、公的権威に保証された政策方針とその実行は決定的な意味を持つ、ということである(Ogilvie 2011, Edwards and Ogilvie 2012。

シャンパーニュの法廷は、市場を基とした経済が繁栄するために最低限必要とされる機能的な政治権威の重要性を示す好例である。シャンパーニュ当局は安全、所有権、そして契約執行を保証し、基盤設備を造り、重量、寸法を標準化し、外国の商人が貸手である際には政治的に力を持った借手に対抗した支援を行い、そして外国の商人と地元の商人を平等に扱うことを確約した。

●第二の主要な教示は次の通りである。経済的成功のためにはすべての参加者が利用できる「一般的な」機関の方が、協会やギルドといった特権的な人脈を持つ会員のみの所有権や契約の執行を保証する「限定的な」機関より優れている(Ogilvie 2011, Ogilvie and Carus 2014)。

シャンパーニュの大市において、統治者の提供した制度機関業務は国際貿易を支えた。特筆すべきは、その制度の保証対象とされたのは一部の特権的なギルドや商人協会に限られず、広く 「すべての商人と商取引、そしてあらゆる種類の大市に来た人々に」(Alengry 1915)一般化された保証制度を布いた、ということである。

シャンパーニュの大市はフランス政権の管理下に移った1285年以降、国際貿易を惹き付け支えてきた、すべての市場参加者を対象とした統治制度、その廃止と共に衰退することとなった。フランス王室の短期的な利益追求という政治方針に従い、所有権、契約執行、そして商業施設の利用はすべての参加者に保証されたものではなく、特定の商人協会に与えられた「特権」となり、その他の人々を除外するものとなった。公権力はもはやすべての商人に平等な条件を整えず、他と差別して特定の集団にのみ特権的恩恵を与えるものとなった。商人たちは非差別的な機関を持つ都市へと移って行った(Edwards and Ogilvie 2012)。

結論的所見

経済発展に関してシャンパーニュの大市から多くのことを学ぶことができる。それは、公的権威というものは、良きにつけ悪しきにつけ、決定的なものであった、ということである。民間統治機関は契約執行、所有権、更には商業施設を保証しなかった。統治者がすべての人に対し一般化された統治制度を提供したとき、大市は繁栄した。そして、一部の人々にのみ特権としてそれを認可し、他を除外したとき、交易は衰退し別の所へと移って行った。

参考文献 / References
Alengry, C (1915), Les foires de Champagne: étude d’histoire économique, Paris.
Bautier, R-H (1952), “Les principales étapes du développement des foires de Champagne”, Comptes-rendus des séances de l’Académie des inscriptions et belles-lettres 96(2): 314-326.
Bautier, R-H (1970), “The Fairs of Champagne”, in Essays in French Economic History, ed. R. Cameron, Homewood, IL: 42-63.
Bourquelot, F (1839-40), Histoire de Provins. 2 vols. Paris.
Bourquelot, F (1865), Études sur les foires de Champagne, sur la nature, l’étendue et les règles du commerce qui s’y faisait aux XIIe, XIIIe et XIVe siècles. 2 vols. Paris.
Dasgupta, P S (2000), “Economic Progress and the Idea of Social Capital”, in P S Dasgupta and I Serageldin (eds) Social Capital: a Multifaceted Perspective, Washington: 325-424.
Dixit, A K (2004), Lawlessness and Economics: Alternative Modes of Governance. Princeton, NJ.
Dixit, A K (2009), “Governance Institutions and Economic Activity”, American Economic Review 99(1): 5-24.
Edwards, J S S and S C Ogilvie (2012), “What Lessons for Economic Development Can We Draw from the Champagne Fairs?”, Explorations in Economic History 49 (2): 131-148.
Greif, A (2002), “Institutions and Impersonal Exchange: from Communal to Individual Responsibility”, Journal of Institutional and Theoretical Economics 158(1): 168-204.
Greif, A (2006a), Institutions and the Path to the Modern Economy: Lessons from Medieval Trade, Cambridge.
Greif, A (2006b), “History Lessons: the Birth of Impersonal Exchange: the Community Responsibility System and Impartial Justice”, Journal of Economic Perspectives 20(2): 221-236.
Helpman, E (2004), The Mystery of Economic Growth, Cambridge, MA.
Milgrom, P R, D C North and B R Weingast (1990), “The Role of Institutions in the Revival of Trade: the Medieval Law Merchant, Private Judges and the Champagne Fairs”, Economics and Politics 2(1): 1-23.
Ogilvie, S (2011), Institutions and European Trade: Merchant Guilds, 1000-1800. Cambridge.
Ogilvie, S and A W Carus (2014), “Institutions and Economic Growth in Historical Perspective” in S Durlauf and P Aghion (eds), Handbook of Economic Growth., Amsterdam, vol 2A: 405-514.
Terrasse, V (2005), Provins: une commune du comté de Champagne et de Brie (1152-1355), Paris.
World Bank (2002), World Development Report 2002: Building Institutions for Markets, Oxford.

訳注
1.本文中における参考文献の照会についての注意。括弧内に著者名と発表年が示してあるものは参考文献/Reference内の該当作品を参照とした、ということを示す。
2.“Milgrom et al.”が意味するものは、「ミルグロムと共著者」。この場合は、参考文献/Reference内の「Milgrom, P R, D C North and B R Weingast (1990), “The Role of Institutions in the Revival of Trade: the Medieval Law Merchant, Private Judges and the Champagne Fairs”, Economics and Politics 2(1): 1-23」を指す。

タイラー・コーエン「カリフォルニア州の最低賃金15ドルはどれほど度外れているか」

[Tyler Cowen, “How out of bounds is the $15 California minimum wage? ” Marginal Revolution, March 31, 2016]

2022年までには,カリフォルニアの最低賃金が完全に導入される(従業員25名以下の小企業は2023年までに遵守).その段階で,カリフォルニアにおける最低賃金は1時間あたり賃金の中央値の 69 パーセントに達するだろう.これは,現在の1時間あたりおよそ19ドルから年率 2.2 パーセントで成長すると仮定した数字だ.

この 69 パーセントという比率は,アメリカ国内でみても国際的にみても,まったく前例がない.現在のカリフォルニアの最低賃金は,州の1時間あたり賃金中央値のおよそ半分にあたる.ちょうど,1960年から1979年までの全米の中央値に対して全国平均の最低賃金が 48 パーセントにあたるのとならんでいる.出典は,経済学者 Arindrajit Dube によるブルッキングス研究所の2014年論文だ (pdf).(現在は全米中央値の 38 パーセント・)

法定の最低賃金がある他の工業民主国家でも,典型的に,賃金の全国中央値の半分に設定している.

これは Charles Lane からの引用だ.次の箇所も注目に値する:

総じて最低賃金を支持している Dube は,アメリカにおける最低賃金の目安として賃金中央値の50パーセントを州が用いるよう推奨している.(カリフォルニアの実験は行うだけの値打ちがあり注視しているとメールで彼に聞いた.)

だが,アラン・クルーガーその他の人たちはこれに反対している.どんな根拠で,これが行うだけのねうちがあるというんだろう?

アレックス・タバロック「労働市場の硬直性と欧州ムスリム若年層の不満」

[Alex Tabarrok, “Labor Market Rigidity and the Disaffection of European Muslim Youth,” Marginal Revolution, March 29, 2016]

ベルギーでは,失業率が高く犯罪に満ちたムスリムのゲットーが過激主義の温床となっている.だが,Jeff Jacoby が書いているように――

アメリカのムスリムは(…)主流の規範に順応するのになんら困難を覚えていない.ピュー研究所が行った2011年の詳細な調査によれば,ムスリム系アメリカ人は「アメリカ社会にきわめて同化しており,(…)おおむね生活に満足している.」 ムスリム系アメリカ人の80パーセント以上が,アメリカでの生活に満足していると表明している.また,63パーセントは「敬虔なムスリムであることと現代社会での暮らしに」なんら葛藤を感じていないと答えた.アメリカでのさまざまな日常の活動に――地域のスポーツチームを応援したり娯楽TV番組をみたりといった活動に――参加している率は,アメリカの国民全般と率に似ている.全ムスリム系移民の半分は,アメリカ国旗を自宅や職場や自家用車に掲げている.

ただ,Jacoby は〔ベルギーとアメリカに〕こうしたちがいが存在する理由を説明してはいない.ひとつ理由を挙げると,アメリカの労働市場の柔軟性は欧州にくらべて高い.
[Read more…]