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Archives for 5月 2016

アレックス・タバロック「安全性不足な車だって人命を救える」

[Alex Tabarrok, “Unsafe Cars Can Save Lives,” Marginal Revolution, May 23, 2016]

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Jalonik: 安全性評価で星ゼロなのをみてもまだ怖じ気づかないとしても,その自動車がグシャグシャになってるところを見ればさすがに怖じ気づくだろう.安全性の仕様が最低限になっているインド向けに設計された5車種が,ちょうど衝突テストで星ゼロ評価を与えられたところだ.

テスト結果を出したのは,ロンドンを拠点とする「グローバル新車評価プログラム」(Global New Car Assessment Program) だ.(…)同グループはインド市場向けに製造された7車種をテストして,そのうち5車種に成人の安全性に関して星5つ中の星ゼロの評価を下した.対象の5車種とはルノー KWID,マルチ・スズキ「セレリオ」,マヒンドラ「スコルピオ」,ヒュンダイ「イオン」で,いずれもエアバッグ非搭載.

「グローバル新車評価プログラム」の事務総長 David Ward は『ウォールストリートジャーナル』にこう語っている
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ジョージ・アカロフ 「木の上の猫 ~経済危機に関する私見~」(2013年5月9日)

●George A. Akerlof, “The cat in the tree and further observations: Rethinking macroeconomic policy”(VOX, May 9, 2013)


経済学者は危機の到来をうまく予測することができなかった。しかしながら、危機に対処するために導入された一連の経済政策はそのほとんどが「経済を専門とする名医」の処方箋に近いものだったと言える。良い経済学(経済学の教えの中でも質的に優れたもの)も良識(健全な世間知)もこれまでのところかなりうまく働いている。これまでに様々な対策が試みられ、成果もきちんと上がっている。このことは将来への教訓として胸に刻んでおかねばならないだろう。

編集者による注記:この記事はIMF主催のカンファレンス「マクロ経済政策を再考する<第二弾>:初動対応と現段階での教訓」(“Rethinking Macro Policy II: First Steps and Early Lessons”)の模様を回想して書かれたエッセイのトップを飾るものである。

今回IMFが主催したカンファレンスでは「マクロ経済政策の再考」がテーマとして掲げられた(IMF 2013)。私もその場に参加させてもらったわけだが、多くのことを学ぶことができた。カンファレンスの席上でスピーチしてくださったすべての方々に大いに感謝したいと思う。今回のカンファレンス全体の印象を一つのまとまったイメージとして描き出すとどうなるだろうか? 誰かの役に立つかどうかはわからないが、私なりのイメージを語らせてもらうと次のようになるだろう。猫が大木によじ登り、木の上の高い所にじっと居座っている。そしてその猫を頭を抱えて見上げる人々の群れ。そういうイメージだ。言うまでもないだろうが、「猫」というのは2008年以降に我々の身に襲いかかることになった大規模な経済危機を指している。今回のカンファレンスでは「木の上に居座る愚かな猫をどう取り扱うべきか?」「猫を木の上から降ろすためにどうしたらいいだろうか?」という問いを巡って参加者一人ひとりが思うところを吐露したわけだ。その様子を眺めていてとりわけ感銘を受けたのは、「猫」に対するイメージ(「猫観」)が各人ごとで違っており、意見が被るということがなかったことだ。とは言え、延々とすれ違いが続くというわけではなく、時として互いの意見がうまくかみ合う(補強し合う)瞬間が訪れる。今回のカンファレンスを振り返ってみるとそういうイメージが浮かんでくるのだ。今回のカンファレンスで交わされた討論は大変有益なものだったというのが私の感想だが、それというのもどの「猫観」もそれぞれ独自の観点から導き出されたものだったからだ。そしていずれの「猫観」もそれぞれ妥当な根拠に裏付けられている。私自身の「猫観」はどういうものだろうか? 哀れな猫が木の上にいて今にも飛び降りようとしている。しかし、木の下でその様子を眺めている人間たちはどうしていいかわからないでいる。こういう感じになるだろう。 [Read more…]

タイラー・コーエン「美人プレミアムのどれくらいがホントは身づくろいのたまものなの?」

[Tyler Cowen, “How much of the attractiveness premium is really about grooming?” Marginal Revolution, May 24, 2016]

女性にとっては大半が身づくろいの問題らしい.少なくとも,Wong と Penner の研究によれば:

本研究では,「思春期から成人までの全国長期調査」(National Longitudinal Study of Adolescent to Adult Health; 縮めて Add Health)のデータを用いて,(1) 身体的な魅力と所得とのプラスの関連を記録している研究の再現と,(2) 魅力から得られる利益が男女で異なるかどうかの検討を試み,(3) 魅力-所得の関連に身づくろい [grooming] がはたす役割を調べる.魅力的な個人がえる収入は,平均的な魅力の人々をおよそ20パーセント上回るが,この差は身づくろいで調整すると減少する.このことから,美人プレミアムは能動的に琢磨されうるものがうかがえる.さらに,通説と先行研究の両方から,魅力の重要度は性別により異なると示唆されているが,魅力の大小において性差は見られない.しかし,女性の場合には身づくろいが魅力プレミアム全体に寄与する一方で男性の場合にはプレミアムの半分しか寄与しないことは見いだされた.

こうした結果は,ぼくの直観と一致する.また,ここで Ana Swanson がこの結果を論じている.Samir Varma にご教示いただいた.また,女性科学者が地味な身なりをすべきかどうかを Allison Schrager がここで論じている.

ミヒャエル・コースフェルト, スザンナ・ネッカーマン, 杨晓兰 『(非)金銭的インセンティブと労働の意義』 (2016年5月8日)

Michael Kosfeld, Susanne Neckermann, Xiaolan Yang “(Non-)monetary incentives and the meaning of work”, (VOX, 08 May 2016)


 被雇用者はただお金ばかりを気にしている訳ではない。そういった、単なるお金を超えた非金銭的モチベーションを把握する事は、諸般の組織が成績向上をめざして行うインセンティブ付けの一助となるだろう。本稿では、『有意義な』 仕事がもつモチベーション効果を調べた或るフィールド実験の実証データを紹介する。実験の結果、論功行賞と労働意義のモチベーション効果は互いに代替的である事が明らかになった。一方で金銭的インセンティブと労働意義の効果は互いに加法的となっている。

最近経済学および心理学の文献に現れた幾つかの発見は、労働者や被雇用者は仕事に関して単に (より多くの) お金を稼げば良しとしているのではなく、お金以外の非金銭的な誘因もまた同様に職場で重要な役割を果たしている事を実証するものだった。こういった発見は、–発見といっても経済学者以外には別に意外でも何でもないのかもしれないが—企業や組織が実際にそういった非金銭的誘因を利用して被雇用者のインセンティブ付けを行い、財政的リソースの節約を果たす事は可能なのかという問いを提起するものである。このアイデアは魅力的だろう — 少なくとも企業側の立場からしてみれば。例えば、ファンドライジングエージェントに関して行われた或るフィールド実験では、単にエージェントの行う職務の重要性を–ファンドが受益者の福祉に及ぼす社会経済的影響を実証的に示すことで—強く説いておくだけで、エージェントの成績を100%以上も上昇させられる事が明らかになったのだ (Grant 2008)。同様にして、個人成績ランキングの公開 (Blanes i VidalとNossol 2008) や 『今月の勤労者』 的な褒賞を通しての公開論功行賞 (Markhamら 2002, KosfeldとNeckermann 2011) などといった形式で行われる適切な成績フィードバックが、成績向上に相当な効果をもつ事も明らかにされている。したがって、高額なボーナスや歩合を支払うのに代えて、以上の様な『安上がりな』 非金銭的誘因物をもっと活用したり、さらに同手法を幾つか組み合わせたりすることで労働意欲の向上を図るというのは、なかなか良いアイデアだと言えるのではないだろうか?

この問いに答えるには、特定の非金銭的インセンティブの効果が多様な労働コンテキストを通してどれくらい安定しているか、また様々な誘因物がお互いに如何なる相互作用をみせるかに関しての情報が必要となる。残念ながら、内在的・外在的インセンティブ (後者は、典型的には金銭による) の相互作用を扱った文献の方は現在までに数多く登場してきているが (例: Deciら 1999, Gneezyら 2011, Kamenica 2012)、多様な労働コンテキストを通したインセンティブ効果の安定性や、非金銭的誘因物を組み合わせた時の複合効果については、依然として比較的僅かしか知られていないのであって、ましてや背景に在ってこのような効果を引き起こしている経済的・心理学的メカニズムに至っては何れの効果に関しても言わずもがなといった所が現状なのだ。

 

労働の意義

さて今度の新たな研究では、我々は『有意義な労働』 という概念が上記の問いへの取組みにあたって活用できないかどうかの解明に意を注いでいる (Kosfeldら2016)。労働者が認識する労働あるいは職務の意義というものが労働成績への正の影響を持ち得ることは、先行研究が夙に明らかにしてきた (Arielyら 2008, Grant 2008, ChandlerとKapelner 2013)。もちろん『労働意義』 に関して普遍的に受け入れられている定義というのは恐らく無いのだろうが、一般論を言えば、労働意義というのは他人からポジティブに認知され、かつ/または、一定の意味ないし目標をもっているような労働と関連付けて考えられているものである (Arielyら2008を参照)。

我々はフィールド実験の中で、非金銭的または金銭的インセンティブの何れかの多様な形態と組み合わせて労働の意義の操作を試みた。すなわち高い労働意義条件においては、労働者は自ら行うことになる仕事についてそれが或る研究プロジェクトに関わる非常に重要なものであると告げられる。なお、この仕事というのは電子データベースへのデータ入力から成る。低い労働意義条件では、労働者は自ら行うことになる仕事についてそれがまず間違いなく誰にも活用されないままになるだろう単なるクオリティチェックの一種である旨を告げられる。ここからさらに、これとは独立的に、労働者に対し定額賃金 (ベースライン条件)、定額賃金プラスデータ入力毎の歩合 (金銭的インセンティブ条件)、または定額賃金プラス象徴的褒賞 (論功行賞条件) のいずれかの支払いを行った。一番最後の象徴的褒賞というのは、ワークセッション終了時に成績最優秀者に対して公開でスマイリーボタンを授与するという形を取る。なお、全体で413名の学生が募集に応じてくれた本実験は中国の杭州市に在る大規模社会調査研究センターとの協働で取り行われたものである。

実験結果が示したのは、第一に、より高い労働意義が認識されるほど労働成績も高くなることである。低い労働意義と組み合わせたベースライン条件だと労働者あたりのデータ入力数平均は1,598個 (標準偏差 340) となったが、高い労働意義との組み合わせでは平均労働成績は約15%高くなったのである (データ入力数1,845個、標準偏差 344)。労働意義がもつこの直接的な正の効果の発見は、先行研究における結果を再現するものとなっており、重要である。ということで、自らの存在意義の自覚には実際に意義が有るのだ。そしてこの事実は、労働意義の供給が労働意欲を鼓舞する為の低コストな手段と成り得ることを示唆している。

 

労働の意義との相互作用における金銭的インセンティブおよび論功行賞インセンティブ

第二のそしてより重要な実験結果は金銭的および論功行賞インセンティブと労働の意義の相互作用と関わっている。図1および2に我々の実験における発見を示した。

 

図 1. 労働意義と金銭的インセンティブの相互作用

図 2. 労働意義と論功行賞の相互作用

歩合形式を取った金銭的インセンティブは、労働意義の高低とは独立的して、どちらの場合でも同様な成績に対する正の効果 (約5-8%, 図1) を生み出しているのが見て取れるが、公開論功行賞の形式を取った非金銭的インセンティブ効果の方は労働意義に決定的に依存している。労働意義が低いときには、論功行賞は成績に相当な正の効果を及ぼし、具体的には約18%の向上となる (図2を参照)。これとは対照的に、労働意義が高いときには、論功行賞が成績に及ぼす影響は実質的に言ってゼロである。したがって、金銭的インセンティブにはこれら2つのコンテキストを横断して安定した正の効果が有るのだ。尤もその効果は労働意義と論功行賞を単独に用いたそれぞれの場合の個別効果と比べるとかなり劣る。けれども、労働意義と論功行賞の効果の方は、互いに代替的なのである。つまり、各々個別には労働成績を高めるのだが、他方が既に存在するときには何も加える所が無い。

 

考え得る原因および結論

本実験によって労働意義と労働者の論功行賞との間のハッキリとした負の相互作用が実証された。この発見の説明として考え得るものの1つにイメージ-モチベーション理論が在る (BénabouとTirole 2006)。これがどういう理論か理解する為、仮に論功行賞と労働意義との双方がポジティブな (社会的) イメージ価値を与えてくれるものだと考えてほしい。ようするに、労働者が、その成績を称えて組織から公開で論功行賞を授けられると、同人物の社会的イメージが向上するという話である。労働意義についても同様で、–有意義な職務に携わることができた労働者は、そのことによって自らに対する社会的イメージを向上させるのだ。BénabouとTirole (2006) が彼らのモデルで示したのは、もし労働者が一般に自分のイメージを気にしているのなら、イメージ褒賞の限界効用は正の値を取るが、イメージ褒賞が増加するにつれて減衰してゆくということだった。したがって、追加的なイメージ褒賞の効果は代替的—加法的ではなく—なのであって、我々の発見もまさにこれを言うものなのだ。無論、他の説を否定し去ることは出来ないのは明らかだし、我々は労働意義 (或いは論功行賞) の正の効果全てがイメージ希求行為に依拠していると示唆する者でもないが、労働意義と論功行賞とが互いに完全な代替物と成り得るケースが存在することを知っておくのは重要である。もっと一般的なレベルに関して述べると、本実験結果は非金銭的インセンティブには労働コンテキストおよび労働環境の変化に対しかなり敏感に反応する場合—特に、金銭的インセンティブと比べてより敏感に反応する場合—が有り、したがって費用対効果の高い労働意欲促進手段としての活用にも自ずと限度が有るのだと示唆しているのである。

 

参考文献

Ariely, D, A Bracha and S Meier (2009) “Doing good or doing well? Image motivation and monetary incentives in behaving prosocially,” American Economic Review, 99(1): 544–555.

Ariely, D, E Kamenica and D Prelec (2008) “Man’s search for meaning: The case of legos,” Journal of Economic Behavior & Organization, 67: 671–677.

Bénabou, R and J Tirole (2006) “Incentives and prosocial behavior,” American Economic Review, 96(5): 1652–1678.

Blanes i Vidal, J and M Nossol (2011) “Tournaments without prizes: Evidence from personnel records,” Management Science, 57(10): 1721– 1736.

Chandler, D and A Kapelner (2013) “Breaking monotony with meaning: Motivation in crowdsourcing markets,” Journal of Economic Behavior & Organization, 90: 123–133.

Deci, E L, R Koestner, and R M Ryan (1999) “A meta-analytic review of experiments examining the effects of extrinsic rewards on intrinsic motivation,” Psychological Bulletin, 125(6): 692–700.

Gneezy, U, S Meier and P Rey-Biel (2011) “When and why incentives (don’t) work to modify behavior,” Journal of Economic Perspectives, 25(4): 191–2010.

Grant, A (2008) “The significance of task significance: Job performance effects, relational mechanisms, and boundary conditions,” Journal of Applied Psychology, 93(1): 108–124.

Kamenica, E (2012) “Behavioral economics and psychology of incentives,” Annual Review of Economics, 4(1): 427–452.

Kosfeld, M and S Neckermann (2011) “Getting more work for nothing? Symbolic awards and worker performance,” American Economic Journal: Microeconomics, 3(3): 86–99.

Kosfeld, M, S Neckermann and X Yang (2016) “The effects of financial and recognition incentives across work contexts: The role of meaning,” CEPR Discussion Paper 11221.

Markham, S E, K D Scott and G H McKee (2002) “Recognizing good attendance: A longitudinal, quasi-experimental field study,” Personnel Psychology 55(3): 639–60.

 

 

ラルス・クリステンセン 「マネタリーベースをいくら増やしても名目GDPは一向に増えないと仮定しよう」(2011年11月7日)

●Lars Christensen, “Taxes and the liquidity trap”(The Market Monetarist, November 7, 2011)


名目金利が極めて低い現状では金融政策は一切無効だ。というのは、マネタリーベースをいくら増やしても民間の銀行はそのまま準備預金を積み増すだけで家計や企業への貸し出しを一切増やそうとはしないからだ。そのような主張をこれまでに一体何度耳にしてきたことだろうか? マーケット・マネタリストの面々は世間に向けてそのような主張のナンセンスさ(馬鹿らしさ)を幾度となく説明しようと試みてきたわけだが、どうやらあまり耳を傾けてはもらえていないようだ。

こう説明してみてはどうだろうか? もしかしたら耳を傾けてもらえるかもしれない。名目金利が極めて低い現状でも金融政策は有効だということをどうしても聞き入れない人がいたら次のように尋ねてみればいいのだ。「マネタリーベースをいくら増やしても名目GDPは一向に増えない。そう仰るのであれば税金なんて要らなくなるという話になるんじゃないでしょうかね?」

つまりはこういうことだ。「流動性の罠」が実在するようであればフリーランチ(ただ飯)を手にする機会が目の前に転がっていることになる。政府支出の財源を税金で賄うのはやめにしてその代わりに中央銀行が貨幣を新規に発行してそれで政府支出を全額賄えばいい。「流動性の罠」が実在するのであればそこまでやってもインフレは起きないはずだ。

そんな話をしたら相手はひっくり返らんばかりに驚いて次のように絶叫するのがお決まりのパターンだろう。「そんなことしたらハイパーインフレになるに決まってる!」。もう勝負ありだ。最後にこう付け加えればいい。「証明終わり(Q.E.D.)」。

(追記)政府支出を貨幣の新規発行で全額賄えと言いたいわけではない。「流動性の罠」なんて無いことは百も承知なのだ1

  1. 訳注;政府支出を貨幣の新規発行で全額賄わずとも金融政策を通じて名目GDPを増やす(あるいは物価を高める)ことは可能だというのが私の考えだ、という意味。 []

スコット・サムナー 「ルーズベルト流の決心」(2010年1月5日)

●Scott Sumner, “Rooseveltian Resolve”(TheMoneyIllusion, January 05, 2010)/【訳者による付記】このエントリーはベン・バーナンキがまだFRB議長を務めていた2010年1月に書かれたものだという点にご注意ください。


まずはブラッド・デロング(Brad DeLong)とバーナンキ議長との間で交わされた有名な問答を引用することにしよう。

ブラッド・デロング(カリフォルニア大学バークレー校教授、ブロガー): どうしてFRBは3%のインフレ目標を導入せずにいるのでしょうか?1

バーナンキ議長: FRBは「物価の安定」に強くコミットしている。国民の間でそのような理解が広がればインフレ予想が大きくぶれることもなく安定することになり、そのおかげで金融政策の有効性も高まることになると期待されます。その結果として金融政策は物価の安定化だけではなく実体経済の安定化にもより効果的に貢献することが可能となるでしょう。現実に目を向けると、家計の長期的なインフレ予想にしても企業の長期的なインフレ予想にしても過去数年間にわたり極めて安定した状態を保っています。ところで、「FRBは長期的なインフレ予想を高めるような戦略に打って出るべきだ」という提案が聞かれますが、FRBはこれまでのところそのような提案には乗っていません。理論的な観点からしますと、長期的なインフレ予想が高まれば実質金利が引き下がることになり、その結果として支出が刺激され経済全体の生産量が増える可能性があります。しかしながら、そのような理論的な主張においては長期的なインフレ予想を高めようとする戦略に伴うリスクが見逃されています。「FRBはインフレが加速してもそれを鎮めようとする気がないのではないか?」。国民がそのように疑い、FRBは本気で「物価の安定」を達成する気があるのだろうかと国民から信頼されなくなってしまう可能性があるのです。そうなってしまえば将来的に金融政策の有効性が弱められることにもなりかねません。現在のところインフレ予想は錨につながれたかのようにしっかりと安定しているわけですが、この成果は過去30年にわたる長い苦労の末にやっと手に入れられたものです。インフレ予想が安定しているのは当たり前のことではないのです。FRBの具体的な行動のどれをとってもマーケットや国民とのコミュニケーションにしてもそうですが、その狙いがインフレ予想をしっかりと安定させることに向けられているのもそのためなのです。

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  1. 訳注;この段階ではFRBが具体的に何%のインフレ率を目標にしているのかについてはまだ明言されていなかったが、2012年1月に(PCEデフレーターで測って年率)「2%のインフレ率」を目標にすることが公けにされた。ただし、インフレ率の動きだけではなく、失業率の動きにも目を配る旨が明言されている。FRB自身はインフレ率にも失業率にもどちらにも同等に目配りをする現状の政策枠組みを「バランスのとれたアプローチ」(balanced approach)と呼んでいるが、学術的には「フレキシブル・インフレ目標」に括られることになるだろう(FRBの現議長であるジャネット・イエレンがまだ副議長だった2013年4月に行った講演を読む限りではイエレンも同様の(FRBは「フレキシブル・インフレ目標」を採用しているとの)認識のようだ)。 []

ダロン・アシモグル, スレシュ・ナイドゥ, パスカル・レストレポ, ジェームズ A ロビンソン 『民主主義は格差を是正してくれるのか?』 (2014年2月7日)

Daron Acemoglu, Suresh Naidu, Pascual Restrepo, James A Robinson “Can democracy help with inequality” (VOX, 07 February 2014)


格差問題はいま、西欧民主主義諸国での討論に目立って現れる論題となっている。民主主義諸国においては、拡大し続ける格差も部分的には再配分への政治的支持の増加によって相殺されるのではないかと人は考えるかもしれない。本稿では、民主主義・再配分・格差の関係にはその様な予想を超える複雑性が有る事を主張する。新しく民主化した国におけるエリート層が今までとは違うやり方で権力にしがみ付いたり、職業選択の自由化がそれまで締め出されていた諸集団のあいだの格差を拡大させたり、中間層が再配分の際に富裕層からのみではなく貧困層からも所得を取り上げるといった事態も起こり得るのである。

現在、北アメリカや西ヨーロッパで拡大を続ける格差がもたらす帰結について非常に強い懸念が寄せられている。情勢はさらに政治体制の寡頭化へと進みゆき、政治的・社会的安定を危機に陥れるものとなるのだろうか? 多くの者がこの流れを不可解に思っているが、それは他でもない民主主義諸国においてこのような事態が生じているからだ。民主主義社会には、専ら金融制度を通してということになろうが、格差の台頭を押し留めるなり引き戻すなりする事のできる政治的メカニズムが備わっているはずである。実際、政治経済の領域で最も中心的なモデルの1つとしてもともとMeltzerとRichard (1981) に端を発するものがあるが、同モデルが示唆するのも 「民主主義国における大きな格差は、政治的強者 (同著者のモデルでは、所得分布においてメディアン値に位置する者がこれに該当する) をして租税・再配分レベルの引き上げを目指しての投票に導くはずなので、それが拡大する格差を部分的に相殺してくれるだろう」との事なのである。

だが民主主義国でどんな事態が生じてくるのかを問う前に、それよりもさらに根源的な幾つかの論点に対して問を立ててみる事もできよう。つまり、民主主義諸国は独裁制諸国と比べてより多く所得再配分を行うというのは、事実問題として正確な認識なのだろうか? 或る国が民主主義国に成ると再配分の拡張や格差の縮減が行われるという傾向は本当に存在するのだろうか? こういった論点に関する既存の研究は、確かに浩瀚ではあるが、かなりの見解の衝突を含んでいる。AcemogluとRobinson (2000) またLindert (2004) をはじめ、諸般の歴史研究は民主化が再配分を拡張し格差を縮減するものであると示唆する事が多い。しかし国家横断的データを用いたGilら (2004) によれば、Polityスコアに従って計測されたところの民主主義と、何らかの政府支出および政策結果との間には、一切相関性が見られなかったという。民主主義が格差に及ぼすインパクトに関しての実証データの方もまた同じように不可解である。SirowyとInkeles (1990) が夙に行った調査では、『既存の実証データは、或る時に計測された政治的民主主義の水準には、所得格差水準の低下との一般的な関連性をみせない傾向が有ると示唆している』 (p.151) との結論に至っているのだが、Rodrik (1999) によると、Freedom HouseとPolity III双方の民主主義基準に、「製造業における平均実質賃金」・「賃金が国民所得に占める割合」との正の相関が有る事が確認されたという (生産性・一人あたりGDP・物価指標の分も調整したモデルにおいても)。

我々は近時のワーキングペーパー (Acemogluら2013) で上記の論点に対し、理論的観点・実証的観点の双方から再検討を試みた。

 理論的ニュアンス

先ず我々は理論的観点から、民主主義・所得再配分・格差の関係がこれまで紹介してきた議論が示唆するところを上回る複雑性をもっている可能性を指摘している。第一に、民主主義は 『拘束』 されたり 『制約』を受けていたりするかもしれない。具体的にいえば、民主主義が法レベルでの権力分配を変革する事は明らかであるとしても、政策の成果や格差は法的レベルのみならず事実レベルの権力分配にも依存しているのである。AcemogluとRobinson (2008) では、一定の状況においては、民主化によって自らの法レベルでの権力が侵されるのを目の当たりにしたエリート層が、引き続き政治過程を支配してゆこうとして、その目的を十分果たせるよう事実レベルでの権力に対する働きかけを強める事も考えられるという主張をしている (これは例えば、地域における法執行機能のコントロール・非国家的武装勢力の動員・ロビー活動などといった政党制度を拘束する手段を通して行われる)。そうであれば、民主化のインパクトが再配分や格差に及ぼす影響にもさしたるものは見られない事となろう。同様にして、民主主義が一方では憲法・保守的政治家・司法部門といった、上記のものとはまた別な法レベルの制度体制によって、また他方で政変・資本流出・エリート層の慢性的脱税といった事実レベルでの懸念材料によって制約を受ける場合もあるかもしれない。

また民主化の結果 『格差拡大的な市場機会』 が生じる可能性も在る。非民主主義が、一国の人口に大きな部分を占めている層を生産的職業 (技能労働職など) や企業活動 (うまみの有る諸般の契約の締結も含まれる) から排斥するというのも、アパルトヘイト期の南アフリカや前ソヴィエト連邦でみられたように、在り得る事だろう。この人口層の中にもまた無視しえないほどの不均一性が存在するなら、その程度にしたがって、より公平となった場で以前のエリート層を傍らにしながら行われる経済活動への参加の自由は、実際のところこの排斥ないし抑圧を受けていた人口層の内部における格差の拡大、ひいては社会全体における格差拡大にまでつながりかねないのである。

最後に、これはStiglerの 『Director’s Law』 (1970) とも軌を一にしているのだが、民主主義は政治権力を中間層に移転させるものであるとしても、貧困層に移転させるものではないかもしれない。そうであるなら、所得再配分の拡張や格差の縮減は中間層がその様な所得再配分に好意的であって初めて望み得るものとなろう。

 

しかし厳然たる基礎的事実はどうなっているのだろうか、それは以上の様なメカニズムのどれか1つでも裏付けているだろうか?

実証成果

セクション横断的 (国家横断的) 回帰分析、或いは特定国家的影響の調整を行わない回帰分析には、民主主義と格差に対し同時相関的である可能性の高い他のファクターがかなり混入していると考えられる。したがって我々の研究では諸国を対象とする一貫したパネルに焦点をおき、民主化した国が、そうでない国よりも所得再配分を引き上げたり格差を縮減したりするのか調査した。また民主化の定義にはFreedom HouseおよびPolityの指標に基づいたものを一貫して用いており、PapaioannouとSiourounis (2008) の研究を発展させるものとなっている。

これら指標が抱える問題の1つとして、相当の計測誤差が挙げられる。こういった計測誤差の影響を最小化する為に、我々はFreedom HouseならびにPolity双方のデータセットから得た情報、およびその他の民主主義コードを用いた二分法的計測手法を生み出し、曖昧なケースの判定を図った。こうして、1960年から (または1960年以降の独立時点から) 2010年まで年毎に184国における民主主義の二値的計測をするに至った。また我々の計測結果の内で関連性の高いものについては、そのダイナミクスのモデル化にも特別の注意を払った –GDPのパーセントで表した租税や構造的変化ならびに格差に関する様々な計測値がそういった計測結果にあたる。

我々の実証研究は多くの興味深いパターンを明らかにしている。第一に、GDPのパーセントで表した税収に対し (またGDPのパーセントで表した政府総収入に対し)、民主主義が頑健かつ量的にも大きな影響をもっている事がわかった。民主主義は我々の選んだ設定においては長期的にみて、GDPの割合で表した税収を約16%上昇させる効果をもっていた。このパターンは様々な異なった計量経済学的テクニックを用いても、さらに動乱や戦争また教育などといった租税に対するその他の潜在的決定因子の組み入れても、頑健性を保った。

第二に、中等学校への就学率、および社会構造の変化 (例: 非農業部門の雇用および産出が全体に占める割合) に対し民主主義が一定の効果を有することを明らかにした。

しかしながら、第三に、格差に対する民主主義の効果の方はずっと限定的であることも発見している。確かに一部計測基準と一部モデルは民主化のあとに格差が縮減する事を示しているが、それでも当該データ中に頑健なパターンは一切みられなかった (少なくとも租税および政府収入に関する調査結果に匹敵するようなものが無いのは確かである)。勿論、これが格差データの質が比較的低いことの反映である場合も考え得るが、我々としては、これが既に上で指摘したところである民主主義と格差の間のもっと微妙かつ複雑な理論的関係に関わるものではないかとも怪しむのである。

第四に、民主主義が租税や格差に及ぼす不均一な影響にそういったもっと微妙な理論的関係と整合的なものは在るのかを調べたのだが、その結果得られた実証データが指し示しているのは、高度な土地格差が存在する社会における民主主義がもつ格差拡大効果であり、我々はこれを土地所有エリート層によって民主主義的意思決定が (部分的に) 拘束されていること実証するものだと解釈している。さらに格差は、合衆国のトップ層所得割合に照らして測定した場合、非農業的性質が比較的色濃い社会や、不平等促進的な経済活動がグローバル経済で比較的活発であるときには (こちらの方は頑健性が低くなるとはいえ)、民主化を経て拡大してゆくことも明らかになった。こういった相関は民主主義が生み出す市場機会へのアクセスがもつ格差縮減効果とも整合的である。さらに我々は、中間層が富裕層および貧困層との比較関係において富裕層に近くなると、民主主義は格差および租税を拡大する傾向が有ることも突き止めた。この相関はDirector’s Lawとも整合的である。同書は民主主義が中間層をして富裕層と貧困層の両者から取り上げ、自身に与える再配分を行うことを許すと示唆するものであった。

結論

以上の調査結果は確かに我々が民主主義に関して抱いている直感の一部が正しいことを示唆するものである –民主主義は確かに、再配分および政府指針の決定に対し最優先的重要性をもつエリート層の手から政治権力が現実にシフトしたことを現わしている。しかしながら、民主主義が格差に及ぼす影響は過去に期待されていたところよりずっと限定的なのかもしれない。

それはもしかしたら、最近の格差の拡大が技術の変化に引き起こされたという意味で 『市場誘発』 されている為なのかもしれない。しかし一方で我々の研究は、民主主義が格差に対抗的に働くものではない可能性が在る理由を幾つか示唆してもいる。最も重要なのは、Director’s Lawで述べられたように、中間層が民主主義を利用して自身に対する再配分をめざすから、そうなってしまうのかもしれない点である。とはいえ、合衆国における格差の拡大はこれまでのところ中間層および貧困層双方と対照をなす超富裕層の占める所得割合にみられる相当な膨張と関連付けられてきたので、Director’s Law型のメカニズムにはこの流れに対抗的に働くような政策変化が現れていないことを上手く説明できそうにないとの印象を受ける。何か別の政治的メカニズムが働いていることは明らかであり、その性質解明に向け、さらなる調査研究が求められる。

 

参考文献

Acemoglu, Daron and James A Robinson (2000), “Why Did the West Extend the Franchise?”, Quarterly Journal of Economics, 115: 1167–1199.

Acemoglu, Daron and James A Robinson (2008), “Persistence of Power, Elites and Institutions”, The American Economic Review, 98: 267–291.

Daron Acemoglu, Suresh Naidu, Pascual Restrepo, and James A Robinson (2013), “Democracy, Redistribution and Inequality”, NBER Working Paper 19746.

Gil, Ricard, Casey B Mulligan, and Xavier Sala-i-Martin (2004), “Do Democracies have different Public Policies than Nondemocracies?”, Journal of Economic Perspectives, 18: 51–74.

Lindert, Peter H (2004), Growing Public: Social Spending and Economic Growth since the Eighteenth Century, New York: Cambridge University Press.

Meltzer, Allan M and Scott F Richard (1981), “A Rational Theory of the Size of Government”, Journal of Political Economy, 89: 914–927.

Papaioannou, Elias and Gregorios Siourounis (2008), “Democratisation and Growth”, Economic Journal, 118(532): 1520–1551.

Rodrik, Dani (1999), “Democracies Pay Higher Wages”, Quarterly Journal of Economics, 114: 707–738.

Sirowy, Larry and Alex Inkeles (1990), “The Effects of Democracy on Economic Growth and Inequality: A Review”, Studies in Comparative International Development, 25: 126–157.

Stigler, George J (1970), “Director’s Law of public income redistribution”, Journal of Law and Economics, 13: 1–10.

 

カール・ベネディクト・フレイ, エブラヒム・ラハバリ 『労働とテクノロジー: デジタル革命は如何にグローバル労働力を再形成しているのか』 (2016年3月25日)

Carl Benedikt Frey, Ebrahim Rahbari, “Technology at work: How the digital revolution is reshaping the global workforce” (VOX, 25 March 2016)


時を遡った1960年代の頃には、コンピュータとオートメイト化は労働の減少と余暇の増大の前触れなのだと多くの人が考えていたが、その後議論の様子は変わってきた。今日の経済学者が議論しているのは、テクノロジー革新の為にどれ程の職が失われてしまうのかという点、これをめぐってなのである。本稿ではテクノロジーというものがいまその労働削減的性格をより濃くし、雇用創出的性格をより薄くしつつあるのか、この点の考究を試みる。オートメイト化による大量失業をめぐっての懸念は誇張されているようである –少なくとも現時点では。

歴史を通じて、鉄道や自動車また電話などといった革命的テクノロジーの到来は、一般労働者に莫大な雇用機会を創出してきた。しかしながら、今日のテクノロジー部門はそれに先立つ過去の産業がしてきたのと同じ様な機会を提供できておらず、この傾向は特に受けた教育の比較的少ない層の労働者に顕著である。テクノロジー産業における新規雇用創出にみられるこの下向きのトレンドは特に1980年代の 『コンピュータ革命』 以降には明白化しており、例えば、Lin (2011) の推定では、合衆国労働力の約8.2%が1980年代に登場してきた—テクノロジーの進展と関連した—新たな職業へと移行した一方で、1990年代におけるその対応値に目を向けると、これは4.4%に留まっているという。さらにBergerとFrey (2015) が実証したところでは、オンラインオークションや動画・音声ストリーミングまたウェブデザインといった2000年代のテクノロジー産業へと移行した合衆国の労働者は0.5%に満たないということである。同様に、Haltiwangerら (2014) が明らかにしたところでは、合衆国のテクノロジー部門のビジネス流動は2000年代に掛けて相当な減速をみせたという。

とはいえ、労働市場に対するデジタルテクノロジーのインパクトはこれまで相当なものだった。Autorら (2003) が説得力をもって証明したところだが、コンピュータは様々な領域で、ルーティンワークに従事する労働者に取り替わってきた。接客業・製造業の多くがこれに含まれるが –要するに典型的に所得分布の中間に集中する労働なのである。技能および所得分布の上層部と下層部双方における雇用成長にも伴われる形で、ルーティンワークのオートメイト化は産業世界全体に亘る労働市場の空洞化の一因となっている。

若干の例外を除き、職の二極化は既に発展途上国一般に見られ始めており、マケドニア・トルコ・メキシコ・マレーシアなどがこれに含まれている  (WDR 2016)。その例外として最も目を引くのが中国で、同国では先進国の製造業オフショアリングを受けて中間所得職が急速な拡大をみたのだった。とはいえ、産業化の波に乗って繁栄に至る国はこの中国あたりで最後になってしまうかもしれない。20世紀のテクノロジー革新 –例えばコンテナ船やコンピュータ—はグローバルサプライチェーンの勃興に相当貢献し、企業が労働力の安価な土地に生産拠点を置くことを可能にしたし、近年みられたロボット工学や付加製造技術での発展のために、生産をオートメイト化された工場へと『リショア』することが先進国企業からみてますます経済的に有利と成っている。Rodrik (2015) が明らかにしたところでは、20世紀を通し、新興経済における製造業の雇用率ピークは一貫して減退していたという –これは労働力のオートメイト化をその因とすべきグローバルなトレンドであり、発展途上経済における将来の雇用創出に対し見過ごし難い困難を課すものとなっている。

その一方、職のオートメイト化の潜在的な対象範囲は急激に拡大してきたし、これからも不可避的に拡大を続けるだろうと見込まれる。歴史的に言えば、コンピュータ化の大部分はコンピュータコードによって容易に記述可能である明示的なルール準拠活動と関連したルーティンワークに限定されていたと言える。これと対照的に、近年のテクノロジー進歩はさらに広範な非ルーティン的タスクのオートメイト化をも可能にしてきたのであり、例えば車の運転や、乱雑な筆跡の解読などと言った類のタスクはほんの十年前までオートメイト化は不可能だと考えられていたものだった。しかしながら、今日ではこの様なタスクであってもオートメイト化が可能な程度には十分に理解が進んでいるのである。

この拡大を続けるオートメイト化の対象範囲が、世界中の労働市場での一種の分水嶺と成るかもしれない。最近の或る研究によれば、合衆国の雇用のおよそ47%はこういったトレンドの結果として起きるオートメイト化の影響を被り易いものであるという (FreyとOsborne 2013)。影響を被る職種はもはや生産やオフィス内事務に限られてはいないのである。リスクに晒されている業務は、ロジスティクスや運輸をはじめ、建築、さらには販売およびサービスの領域にも見出せる。したがって、過去においてオートメイト化の危険を免れてきた経済における非貿易部門も、現在は広くこの危険に晒されるに至っているのである。FreyとOsborne (2013) の方法論を採用して世界銀行が最近推定したところでは、オートメイト化の危機に晒されている職の割合は発展途上国ではこの上さらに高くなっているという –OECD地域における57%がオートメイト化の影響を被り易いものである一方、中国やインドでの対応値はそれぞれ77%と69%で、エチオピアでは労働力の優に85%がオートメイト化の影響を受け易いものだということである。

諸国の一人あたり所得と、オートメイト化の影響の被り易さには負の相関が存在し (図1を参照)、これがために発展途上国の方が相対的に言って危険に晒されているのだが (CitiとOxford Martin School 2016)、だからといって発展途上国は遠からぬうちにオートメイト化されてしまうのかといえば、必ずしもそうではない。高い賃金というものがオートメイト化への1つのインセンティブと成っている為に、オートメイト化の進行が速いのは先進国の方なのだ。けれども、発展途上国が影響を受けていないなどとはどんな意味でも言えないのもまた明らかである。中国は現在のところ最大のロボット市場と成っているし、またCitiの推定値によれば、現在中国におけるロボットの回収期間 (payback period) はたった2年という短さだという。

図1

だが、もしテクノロジーというものの労働削減的性格がより濃く、雇用創出的性格がより薄くなってきているのなら、依然としてこれほど多くの職が存在しているのは何故なのだろうか?

  • 第一に、オートメイト化可能な職の全てが現実にオートメイト化されている訳ではない事が挙げられる –前途有望なセルフサービステクノが在るにも関わらず、合衆国では依然として3百万人を超えるレジ業務従業員が雇われている。
  • 第二に、雇用創出はテクノロジー以外の要素に依存している事 –重要な点だが、1980年代のコンピュータ革命以降にみられた雇用創出の殆どは経済の非テクノロジー部門に由来するものである。

例えばSpenceとHlatshwayo (2011) の推定が示すところでは、非貿易部門、–つまりローカルに消費される財・サービスの生産をする部門のことだが–、によって1990年から2008年に掛けての合衆国における総雇用成長の優に98%を説明できるという。そしてさらに、この成長のうちの40%は政府およびヘルスケアサービス (市場力が専らの動因となっている訳ではない部門である) から来ており、他方で小売・建設・飲食および宿泊に関わる諸産業も相当な貢献をしていたという。

  • 第三に、テクノロジーはテクノロジー部門を超えた領域に在る職に相当なインパクトを与えてきた事がある。

専門職サービス業といったテクノロジー利用部門は、情報・コミュニケーションテクノロジーの発展のおかげでその種の職務が広く貿易可能となったのをうけて、急激な拡大をみせている。付け加えれば、テクノロジー職はサービスに対するローカルな需要に相当な波及効果を及ぼす –1つ新たなテクノロジー職が加われば、それは地域の非貿易部門に新たなおよそ5つの職を創出するのである (Moretti 2010)。

工場におけるオートメイト化が進んでゆくというのはつまり製造業が吸収する労働者数の減少してくることを意味するが、これは発展途上国においても変わらないのであって、雇用創出の未来はより技能を重視した生産様式への移行の成否に掛かってくるのだろう。重要な点だが、技能職というのは一般的に言ってオートメイト化の影響を比較的受け難く (FreyとOsborne 2013)、ローカルなサービスへの需要を増やすものである (Moretti 2010)。最近の或る研究が示すところでは、発展途上国において1つの新たな技能的製造職が有する乗数効果は、非技能職の乗数効果の少なくとも3倍の高さとなっている –技能製造職の乗数効果はブラジルの13からインドの21というレンジになっている (Bergerら2016)。この様に、テクノロジーが全体的にみて将来の需要を減少させてしまうかもしれない可能性を消し去る事はできないにしても、今すぐ現実化する懸念という訳ではなさそうである。

結論

以前ほど多くの職を創出できていないとはいえ、今日のテクノロジー部門はローカル経済における非貿易部門に対する追加的需要を生み出すものであるがゆえに、その雇用創出へのインパクトは過去を遥かに上回っているのであって、翻ってこれが多くの先進国で散見されている製造業からサービス業への雇用のシフトの説明になっている。労働者の命運はしたがってバイオテクノロジー企業やコンピュータ会社の創出する雇用機会ではなく、こういった企業が創出するローカルなサービス業への需要に掛かっているのである。実際のところ、今日のテクノロジー部門がもたらす間接的な雇用インパクトは極めて決定的であって、雇用の未来がテクノロジー部門における雇用創出それ自体よりも乗数効果の大きさの方に多く依存してしまうほどなのである。拡大を続けるオートメイト化の対象範囲が意味しているのは、オートメイト化される低技能サービス業の範囲は今後ますます拡大して、潜在的には乗数効果の大きさをも縮減してゆくだろう事なのだが、一方では全く新しいサービスへの需要もまた同時に創出されている—ズンバのインストラクターやビーチボディで働くコーチはいまLinkedInで最も急速に成長している業種である。テクノロジーの変化に労働削減的性格がより濃く、雇用創出的性格はより薄く成ってきているとはいえ、大量失業を引き起こすオートメイト化なるものをめぐる懸念は幾分誇張されている様に思える、–少なくとも現時点では。

原註

1 これらの数値は直接的に比較できるものではない。新テクノロジーの到来により生まれた新たな職の比率を推定する事には幾つかの測定上の問題がつきものだ。とはいえ、同数値は新規雇用創出における下向きのトレンドに関して依然として示唆的であるといえる。

参考文献

Autor, D, F Levy, and R J Murnane (2003), “The skill content of recent technological change: An empirical exploration”, The Quarterly Journal of Economics 118(4): 1279–1333.

Berger, T and C B Frey (2015), “Industrial Renewal in the 21st Century: Evidence from U.S. Cities”, Regional Studies, forthcoming.

Berger, T, C Chen and C B Frey (2016), “Industrialization, Cities and Job Creation: Evidence from Emerging Economies”, Mimeo.

Citi and Oxford Martin School (2016). Technology at Work v2.0: The Future Is Not What It Used to Be.

Frey, C B and M Osborne (2013), “The Future of Employment: How Susceptible are Jobs to Computerisation?”, Oxford Martin School Working Paper No. 7.

Goos, M, A Manning and A Salomons (2009), “Job Polarization in Europe”, The American Economic Review 99(2): 58–63.

Haltiwanger, J, I Hathaway, and J Miranda (2014), “Declining business dynamism in the US high-technology sector”, The Kauffman Foundation.

Lin, J (2011), “Technological Adaptation, Cities and New Work”, Review of Economics & Statistics 93(2): 554-574.

Moretti, E (2010), “Local Multipliers”, American Economic Review 100(2): 373-77.

Rodrik, D (2015), “Premature Deindustrialization”, National Bureau of Economic Research (No. w20935).

Spence, M, and S Hlatshwayo (2012), “The evolving structure of the American economy and the employment challenge”, Comparative Economic Studies 54(4): 703-738.

WDR (2016), “Digital Dividends”, World Bank Development Report 2016.

 

スコット・サムナー 「『流動性の罠』と『肥満の罠』」(2016年5月13日)

●Scott Sumner, “Liquidity traps and obesity traps”(TheMoneyIllusion, May 13, 2016)


しばらく前に「流動性の罠」を「肥満の罠」になぞらえた記憶があるのだが、過去エントリーを漁っても該当する記事がどうしても見つからない。それはともかく基本的なアイデアはこういうことだ。今よりも体重を減らすためには次に掲げる3つの選択肢のうちどれか一つを選ばなければいけない。そういう状態に陥っている人は「肥満の罠」に嵌っていることになる。

1. ダイエット(食事の量を減らす)

2. エクササイズ(運動)

3. 減量手術

いずれも減量につながる方法だという点では専門家の間で同意が得られている。しかしながら、ダイエットもエクササイズもかなりの自制心が必要とされる行為であり、減量手術となると費用もそれなりにかかるし痛みも伴うかもしれない。「ダイエットもエクササイズも続けられそうにないし、減量手術なんてとんでもない」。そのように考えていずれの選択肢も選ぼうとせず、その結果として体重がなかなか減らない。「肥満の罠」の出来上がりというわけだ。

専門家の間で「流動性の罠」の問題を取り除く方法として同意が得られている選択肢がいくつかある。

1. インフレ目標値の引き上げ

2. 水準目標(物価水準目標あるいは名目GDP水準目標)の導入

3. 「チャック・ノリス」アプローチ(「必要なことは何でもやる」との約束)

4. 通貨安誘導(為替レートの減価を促す)

ポール・クルーグマンのお気に入りは1番目の選択肢であり、私自身のお気に入りは2番目と3番目の選択肢だ。ところが、世の中央銀行は概してあれやこれやの理由をつけて上に掲げた4つの選択肢のどれもやりたがろうとしていない。その代わりに世の中央銀行は別の2つの手段(そこそこの効果はあるかもしれないが、目標を達成するには力不足の可能性がある手段)を頼りにしている。その2つの手段とは量的緩和とマイナス金利(準備預金に対する金利をマイナスの値に引き下げる)だ。

EconLogブログでブライアン・カプラン(Bryan Caplan)が上のリストの5番目に加わるかもしれない(もしかしたらうまくいくかもしれない)アイデアを提案しているが、おそらくFedはやりたがらないだろう。カプランの提案というのは「政府が未償還の国債をすべてコンソル債に置き換えればいい(コンソル債で借り換えればいい)」というものだ。そうなれば金利がゼロ%の下限にまで低下することは決してないだろう。というのも、金利がゼロ%に達するとコンソル債の価格が無限大になってしまうからだ。この案は確かに効果を上げるかもしれないが、中央銀行はかなり大きな価格変動リスク(保有する債券の市場価格が大幅に変動するリスク)に晒されることになる。そのために中央銀行はこの案には乗り気にならないだろう1。ちなみに2015年初頭にスイス国立銀行(スイスの中央銀行)が厳しい金融引締めに転じた理由も(保有する債券の)価格変動リスクを懸念してのことだったのだ。というわけで、カプランの提案を効果が期待できそうな方法として上のリストの5番目に加えてもいいだろうが、中央銀行が乗り気になるような選択肢とは言えないだろう。

(追記)EconLogブログに新しい記事を投稿したばかりだ。Fedの組織改革に関するヒラリー・クリントンの見解を取り上げている。あわせて参照してもらえたら幸いだ。

  1. 訳注;サムナーもコメントしているように、コンソル債の市場価格は金利が少し変化しただけでも大幅に上下する。将来的に金利が上昇し出したら中央銀行が(バランスシートの資産側で)保有しているコンソル債の価格が大幅に下落し、売りオペに使える資産が足りなくなる事態が招かれる恐れがある。中央銀行はそうなる可能性を嫌って未償還の国債をすべてコンソル債に置き換えるという措置には乗り気にならないだろう、という意味。 []

アレックス・タバロック「規制回避による裁定取引,レントシーキング,今年の冴えた仕事」

[Alex Tabarrok, “Regulatory Arbitrage, Rent-Seeking and the Deal of the Year,” Marginal Revolution, April 21, 2016]

昨日の『ニューヨークタイムズ』の全面広告で,「今年もっとも冴えた」仕事にニューヨーク不動産委員会 (Real Estate Board) から与えられる賞を,ニューヨークの不動産ブローカーのマーク・ウェイスが受賞したと称えていた.どんなものか気になったのでちょっと調べてみたところ,ウェイスが非常に成功を収めた仕事のうち1つについて情報がみつかった.
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