経済学101は主に皆様の寄付によって賄われています。温かい支援をお待ちしています

Archives for 9月 2016

タイラー・コーエン「ITによって郊外の地位は高まりそう」

[Tyler Cowen, “Suburbs will soar on the wings of tech,” Marginal Revolution, September 29, 2016]

――ってことを『ブルームバーグ』の最新コラムに書いた.ひとつ抜粋しよう:

自動運転車がいちばん助けることになりそうなのは,郊外だ.郊外で最悪なのはなにかと言ったら都市部や他の郊外地域への通勤だ.でも,通勤時間に(安全に)読書したりテキストメッセージをやりとりしたりTVを見たりできたら,どうだろう? 電車や飛行機に乗っているあいだにいつもどおりに仕事を片付けられたらどうだろう? そうなれば,通勤の苦痛はずっと小さくなる.自動運転車が進化して,自動車の車内空間を仕事や余暇に使いやすくなれば,通勤のストレスは楽しみに取って代わられるだろう.

ドローンはどうだろう? ドローンも,便利な品物やサービスにアクセスするのが〔都市部より〕むずかしい遠隔地にとって有利なように思える.ドローンは,郊外よりもさらに遠くの郊外周辺の住宅地や田園地域にいっそう役立つかもしれない.他方で,いちばん得にならなそうなのが都市だ.側道を自走するタイプのドローンは,人で混雑した都市ではうまく走れないかもしれないし,飛行型ドローンにとって,高層ビルが林立する都市はあまり飛びやすい地域ではない.人口密度が高いと,ドローンが落下して誰かに当たるリスクが高くなるかもしれない.

さらにもうひとつ:

「スマートホーム」やモノがつながるインターネット (IoT) の到来を考えてみよう.コンロ/コンピュータ/3Dプリンタ/ロボットに話しかけるのって,よさそうじゃないか.「ちょっとピュレ・スカッシュをつくってよ」なんて.この話題についてなにをどう予測してみても,空想みたいに思える.それでも,郊外の方が新しい住宅や新しい機器をよく見る場合が多い.なぜなら,都市の古い集合住宅を建てなおしたり設備を入れ替えたりする方が難しいからだ.だから,スマートホームの登場も,やっぱり郊外に有利になるんじゃないかと思う.

リンク先のコラムにはもっといろいろ書いてる.かつての「テレコミューティング革命」〔家に居ながらにして会社の仕事をするスタイルが普及してなんかすごいことになるぞって話〕とちがうところに注意.テレコミューティングは都市にとってなんら痛手にならなかったけれど,こうした変化の多くは,情報だけでなく実際の人やモノの移動の速度を上げる.そうして生じる効果は,1950年代や60年代の州間ハイウェイによく似ている.州間ハイウェイは,都市ではなく郊外に有利にはたらいた.

タイラー・コーエン 「ニューヨーク市に喫煙者が多いのはなぜ?」(2006年10月31日)

●Tyler Cowen, “Why do people in New York City smoke so much?”(Marginal Revolution, October 31, 2006)


ニューヨーク市に数時間ほど立ち寄ったのだが、行き交う人々を眺めているうちに前から不思議に思っていた疑問が再び頭をもたげてくることになった。マンハッタンでは(私が所属するジョージ・メイソン大学がある)北バージニアに比べると喫煙者の数がずっと多いが、それはなぜなのだろうか? 私なりに思い付く仮説をいくつか列挙してみることにしよう。

  1. マンハッタンにはSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)のヘビーユーザーが集まりやすく、SNSのヘビーユーザーには喫煙者が多い。
  2. マンハッタンでは「私はクールな人間だ」ということをシグナルする(周囲に誇示する)ことが北バージニアにおけるよりも大事だ。
  3. マンハッタンは北バージニアよりも大気が汚染している。そのため、タバコをさらにもう一本吸うことに伴う健康面のコスト(限界的なコスト)は北バージニアにおけるよりも小さい。
  4. マンハッタンは北バージニアよりも気温が低いが、寒いほどタバコを吸う楽しみが増す。
  5. アーティストを気取りたがろうとする態度が大いに関係している。この仮説は1番目および2番目の仮説ともつながりがあるものだ。
  6. マンハッタンでの生活は北バージニアにおけるよりもストレスが溜まりやすく、タバコを吸ってストレスを解消しようとしている。
  7. マンハッタンでタバコを吸っている人間の多くは目立ちたがり屋(poseur)であり、彼らは価値のある人的資本を身に付けていない1

個人的には2番目と7番目の仮説を推したいところだが、マンハッタンと北バージニアとで様々な地域差が生み出されている理由を説明するこれといった適当な理論は持ち合わせていない。

  1. 訳注;そのため喫煙して健康を害したところで失うものがない、という意味。 []

タイラー・コーエン 「アメリカでプロサッカーの人気がいまひとつなのはなぜ?」(2004年4月30日)

●Tyler Cowen, “Sports economics puzzle of the day”(Marginal Revolution, April 30, 2004)


今週に入ってウェスタンオンタリオ大学を訪れる機会があったのだが、大変楽しいひと時を過ごすことができた。とりわけ有意義だったのは大学側のホストの一人であるジョン・パーマー(John Palmer)とミクロ経済学に絡んだクイズを交換し合えたことだ。パーマーは経済学者であると同時にアーティストでもあり、(凡庸なる)ぺリシテ人解放機構(Philistine Liberation Organization)の創設者でもある。

パーマーとの団欒中に真っ先に話題になったのはプロスポーツに関する古くからある疑問だった。その疑問というのは「アメリカでプロサッカーの人気がいまひとつなのは(メジャーなスポーツだとは言えないのは)どうしてだろうか?」というものだ。

ボールがラインを割った(フィールドの外に出た)タイミングを見計らって(テレビでの中継中に)コマーシャル(CM)を差し込むのもそう難しい話ではなさそうだし、アメリカにはサッカー場に転用可能な土地も十分ある。サッカーはテレビで鑑賞するにはあまりに退屈なスポーツだという可能性もあるが、しかしその点に関しては(手に持っている何やら物騒なモノを投げつけたりしないで冷静に聞いてほしいのだが)野球だって変わりはないんじゃないだろうか? 野球の人気に火をつける役割を果たしたメディアといえばラジオだが、サッカーはラジオで実況し辛いということだったりするのだろうか? サッカーは「労働者階級」向けのスポーツというイメージが強すぎて労働組合の力が弱いアメリカでは合わないのではないかという考えもふと頭をよぎるが、この仮説に関してはそこまで自信があるわけではない。

今のところ私が思い付く仮説の中で「これだ!」と最も自信がある答えは「アメリカ人は自分たちが世界で一番だとわかっている(あるいはそう感じている)プロスポーツを好む傾向にある」というものだ。このことは野球やフットボール(アメフト)、バスケットボールといったアメリカ国内でメジャーどころのプロスポーツのいずれについても当てはまる話だ。その点でいくとテニスなんかは今のところ笑えない状態にある。スポーツ以外からも例を引くと、かつてアメリカ国内でチェスがほんの一時期だけ大人気になったことがあったが、そうなったのはボビー・フィッシャーがボリス・スパスキーを破って世界チャンピオンになった(アメリカ人が初めて世界チャンピオンになった)ためだった。

この仮説からは暗に次のような予測が導かれることにもなる。このままいくとバスケットボール(NBA)の人気(アメリカ国内での人気)は今よりも落ち込むことになるのではないか1というのがそれだ。

(追記)一つの国でメジャーになれるスポーツの数には限りがあるという可能性もあるかもしれない。この可能性はスコット・カニンガム(Scott Cunningham)の指摘によるものだ。少し違った角度からになるが、ボブ・クロスビー(Bob Crosby)が次のようなコメントを書き送ってきてくれた。

サッカーはホッケーとまったく同じ理由でアメリカ国民から人気を集めにくくなっている。

どちらのゲームでも最も優秀な選手が持ち前のスキルを思う存分に発揮するのが非常に難しい仕様になっている。言い換えると、サッカーやホッケーでは最高の選手と並みの選手のスキルの差が可能な限り狭められるような仕様になっているのだ。

ホッケーの場合で言うと、(a) 審判がフッキングやスラッシング、ホールディングといった反則をとりたがらず、(b) リンクが馬鹿げたほど狭い設計になっており、そのために選手一人ひとりのスピードやスキルの価値が低められる結果になっている。本来であれば選手間に存在するはずのスキルの大きな差が狭められているのだ。

サッカーの場合で言うとオフサイドルールが同様の効果を持っている。オフサイドはスピードを制限するブレーキの役割を果たしている。オフサイドは足の遅い選手を助ける働きをしているのだ。

つまりは、サッカーにしてもホッケーにしても最高の選手と最悪の選手のスキルの差が可能な限り狭められるような仕組みが埋め込まれているのだ。

アメフトや野球、バスケットボール、そしてゴルフといったスポーツにはこのような問題はない。今挙げたスポーツでは選手一人ひとりの才能の違いが抑えつけられることなくそのままモロに表れ、試合を観戦しているファンも選手間の才能の差にすぐに気付けるようになっているのだ。

  1. 訳注;原エントリーではプレドラグ・ストヤコヴィッチのプロフィールにリンクが貼られている(現在はリンク切れ)。ストヤコヴィッチはNBAでも活躍したクロアチア(当時はユーゴスラビア)出身のバスケットボール選手だが、NBAで海外出身の選手たちの活躍が目立つようになるにつれて(バスケットボールが一番強い国はアメリカだとは断言しにくくなるにつれて)アメリカ人の間でNBAの人気は薄れていくことになるかもしれない、というようなことを言わんとしているのだろう。 []

タイラー・コーエン 「どうしてアメリカは『世界の警察官』の役割を引き受けたのだろうか?」(2004年7月15日)

●Tyler Cowen, “Why did we become the world’s policeman?”(Marginal Revolution, July 15, 2004)


いつも活気に満ち溢れているジェーン・ガルト(Jane Galt)が自明に見えてその実底の深い疑問を投げかけている。

・・・どうしてアメリカは「世界の警察官」の仕事を引き受けるに至ったのだろうか? 他の先進国は軍備の増強からは手を引いて福祉国家の建設に力を入れる方向に向かったわけだが、どうしてアメリカもその流れに乗らなかったのだろうか? アメリカはソ連の脅威から一番遠いところにあった国ではなかったろうか?

「アメリカが『世界の警察官』の仕事を引き受けたのは帝国主義的な動機からだ」というありきたりな回答には賛成できない。アメリカが自国の国益(経済的な利害)を促進するために時として汚い所業に手を染めたことがあることは確かだが、その他の国と比べてどうだろうか? 私にはそのような例は驚くほど少ないように思えるのだ。アメリカは「帝国主義的な」任務を概してかなり「利他的な」かたちでこなしてきている。イデオロギー的な理由からかあるいは地域の安定を保つ(例えば、中東地域の平和を保つ)ためという理由からか、ともあれ「利他的な」かたちでその任務をこなしてきているのだ。中東の平和を保とうと試みるのは石油の供給を途絶えさせないためだというのはその通りだろうが、その結果として誰が得をするかというとアメリカなんかよりも産油国の方がずっと大きな恩恵を被るのだ。どうしてアメリカは超大国として歩む道を選んだのだろうか? どうしてアメリカは超大国としての地位を自らの利益のために徹底的に利用し尽くそうとしてきていないのだろうか?

たとえ世界中の国々から嫌われようとも(実際のところはどうかというと議論の余地があるだろうが、とりあえずそうだ1 ということにしておこう)、「世界の警察官」という仕事を引き受けることで他の国よりも一段高い地位に登ることができる。アメリカ人の目にはそう映っている。それに加えて、アメリカの指導者にしても普通の国民にしてもその多くが「世界の警察官」として振舞うことは俗に言う「正義(正しい行い)」(“right thing to do”)であり、アメリカにはその役割をうまくやり遂げるだけの能力があると考えている。さらには、「世界の警察官」を務めることで経済的な恩恵をいくらか手にすることにもなる。例えば、アメをちらつかせるかムチで脅すかして他の国々に市場の開放や米国債の購入を迫ることができる。相対的に(他の国と比べて)高い地位に就くことができるし、「正義」だし、経済的な恩恵もいくらかある。こういった3つの理由が束になるや「世界の警察官」になることの魅力はかなりのものとなる。最後のとどめになるが、人は状況を自らの思うがままにコントロールしていると感じたいという心理的な傾向が強いということもある。例えば、飛行機に乗るのが怖いという人が多いのは飛行中のリスクは自分ではコントロールできないと感じるためだ。10代の自分の子供をコントロールしようと試みている親もいることだろうが、面白半分でそうしているというわけでもないだろう。

最後の点に関しては別のもっとシンプルな次の疑問に答える助けにもなるだろう。再選を目指す大統領はどのくらいいるだろうか? 「ほぼ全員だ」というのがその答えだ。再選したからといって(大統領を二期務めたからといって)収入的にいい話かというとそうではないし、おそらく幸せになれるというわけでもないだろう。それにもかかわらず、ホワイトハウスを去る大統領たちの大半はかなり落胆しているように見えるものだ。大統領たちも状況(一国)をコントロールしているという感覚に浸りたいのだ。

結論としてどういうことが言えるだろうか? 好むと好まざるとにかかわらず、アメリカが近いうちに「世界の警察官」の仕事から手を引くなんてことはないだろう。

  1. 訳注;「世界の警察官」として振舞うことで世界中の国々から嫌われる羽目になる []

キンバリー・シャーフ, サラ・スミス 「ピアトゥーピアファンドレイジングと慈善寄付における 『関係性利他主義』」 (2016年9月16日)

Kimberley Scharf, Sarah Smith, “Peer-to-peer fundraising and ‘relational altruism’ in charitable giving” (VOX, 16 September 2016)


ピアトゥーピア (P2P) ファンドレイジング – 慈善団体に代わって活動を執り行い、寄付を促す – の台頭はオンラインソーシャルネットワークの成長と並行しているが、オンライン寄付行動を促すインセンティブについては依然として理解が乏しい状況が続いている。本稿では、個人がFacebook上の友人に対し紹介したP2Pファンドレイジングプロジェクトの大規模サンプルを取上げ、そこに見られた寄付行動を考察を加える。結果、友人数と寄付額のあいだに負の相関関係が在ることが明らかとなった。同発見は 『関係性利他主義 [relational altruism]』 の存在を示唆する。つまり寄付者は資金を募っている人物を慮るが故に寄付行動を取るのである。

慈善団体は長らく支援者に依存しつつスポンサー付きイベントを通して資金調達を行ってきた。しかし近年、『ピアトゥーピア (P2P) ファンドレイジング』 – 即ち、慈善活動支援者が仲間内で寄付を募るもので、こうした仲間達は慈善活動支援者が個人的に執り行う何らかの活動 (例: マラソン出場) の 『スポンサーに成る』 ことを依頼される – の広まりが見られている。個人ファンドレイザーはオンラインのファンドレイジングプラットフォームを利用してファンドレイジング用の個人ページを設置し、Facebook等のオンライン上のソーシャルグループから寄付を募ることが出来る。これにより、手軽に友人・家族・同僚に対し寄付を呼び掛け、こうして集めた寄付を自ら選択した慈善活動に充当することが可能となる。例えば最大規模のP2PプラットフォームであるJustGivingでは、2001年以来、2400万人もの人が様々な目標の支援に向け慈善活動資金を募っている。

インターネットは、一部の人に寄付行動への社会的伝染機会を数多く提供している (Lacatera et al. 2016)。寄付者は自らが支援している慈善活動についてインフォーマルな形で友人に話すことができ、さらには実例の提供や活動の奨励を通して、自らの所属するソーシャルグループのメンバーにも自分の例に倣うよう動機付けを行い得るのである (Scharf 2014での議論にある様に)。ところが、寄付行動の伝播はそれほど容易にはいかないことが実証研究により明らかにされている。近年の実証研究論文の1つであるCastillo et al. (2014) は、新種のフィールド実験をGlobalGivingとの連携で行い、オンラインソーシャルネットワークでのファンドレイジングに対する個人のインセンティブを調査するものだったが、同研究者により、自らが寄付を行った直後に、その寄付先の慈善活動に対する支援をFacebook上の友人に呼び掛ける機会を活用した寄付者は、少数派に過ぎなかったことが明らかになった。Facebookウォールに投稿した者 (この機会を与えられた者の7%) のほうが、友人一名に対しメッセージを送信した者 (2%) よりも多く; 文言の拡散を促すための (該当慈善活動に対する寄付額が増加するという形を取った) インセンティブは当該機会の活用率を高めたが、$5という寄付額増加最大値を提示した場合でも、Facebookウォールに投稿した者はわずか19%に留まった。さらに、該当慈善活動支援を目的とした友人向けのメッセージには極めて小さな効果しかみられなかったのだ –  何らかの寄付に結びついたメッセージは (Facebookの全ウォール投稿のうち) たったの1.2%である。これは別の論文だがLacatera et al. (2016) も同様の結論に至っている。

ということで、寄付者は自分の寄付行為について友人達に話すのを厭うようであるし、友人達のほうもこうしたインフォーマルな依頼に対してはかなり反応が薄いのである。しかしP2Pファンドレイジングを行うページはもう一つ別の、より強力なパンチを隠していた。最近の論文で我々は、様々な人達がFacebookを通じて友人達に寄付を呼び掛けているJustGiving上の35,000を超えるファンドレイジングページをサンプルとし、これに考察を加えた (Scharf and Smith 2016)。その結果、ほぼ99%近くが少なくとも寄付を1回受けていたことが明らかになっている。Facebook上の友人数の平均 (332) を基準に計測した場合、平均的な規模のソーシャルグループでは、平均15回の寄付が行われていた。単純な呼び掛けと比較したときのP2Pファンドレイジングの重要な差異は、こちらではファンドレイザーが何らかの非常に手間暇の掛かる活動 (最も良く見られるのはマラソンへの参加) に取組んでいる点、そして友人達の寄付が可視的である点が挙げられる。

慈善団体の願いは、P2Pファンドレイジングが単なる寄付に終わるのではなく、ファンドレイザーのソーシャルグループを通して新たな支援者を生み出すことである。しかしながら、P2P寄付者の多くにとっての中心的動機は、ファンドレイザーその人との個人的な繋がりであって、新たに目覚めた慈善活動への愛ではないかもしれない。ファンドレイザー側には慈善活動にも、自らが募ることのできる金額にも関心が有るが、寄付者側は専らファンドレイザーその人にしか関心が無いかもしれないのである。こうした動機のことを我々は 『関係性利他主義 [relational altruism]』 と呼んでいる – 慈善活動の為に、さてどうやって資金集めをしたものかと慮っている人物を慮って寄付する、といった動機である。

表1は寄付行動におけるこの関係性利他主義の裏付けとなる実証データを提示している。慈善活動の目標や任務といったものが高い順位を得ているのは確かだが、寄付者にとっては 『ファンドレイザーとの個人的繋がり』 もまたどれだけの寄付を行うかを決定するうえでの重要ファクターなのだ。第二の実証データは、こちらは実際の行動に基くものだが、ファンドレイザーの属するソーシャルグループの規模 (Facebook上の友人数を基準に測定) と、寄付者の寄付額との間に存在する極めて鮮烈な負の関係である。下の図1にそれをプロットした。ファンドレイザーのもつ友人数が – したがって潜在的寄付者数が – 増加するにつれ、各人が行う寄付の額は減少する。我々の推定値が示唆するところでは、Facebook上の友人数の分布で10パーセンタイルから50パーセンタイルへの上昇は、平均寄付額15%分の減少と結びついており – これはかなりの効果だといえる。これら研究結果は各慈善活動固有の効果を組入れても頑健性を保った、- 要するに、同一の慈善活動に関して募金を呼び掛けているファンドレイザー達を比較すると、大きなソーシャルグループをもつファンドレイザーほど少額の寄付を引き付けるようになるのである。

表1. 寄付額を決定するうえで重要なファクターはどれか?

原註: これらの回答はオンライン寄付プラットフォーム利用者を対象に2012年に執り行われた調査に依る。同質問に係るサンプルは、何らかのファンドレイザーにスポンサー支援をした経験が当時すでに有った17,989名の人達から構成されていた。さらなる情報はPayne et al (2012) を参照。

寄付額と友人数の間に在るこの負の関係は、単なる古典的なフリーライダーのインセンティブ – 共通目標に対する貢献量は貢献者の数が増加するにつれ落ち込む傾向が有るのだという考え – の帰結では片付けられない。同一の慈善活動のために募金を呼び掛けているファンドレイザーは数多く存在するので、問題となる慈善財への貢献者数は、ファンドレイジングページ1つに集まった寄付者の数と同じにはならはない。したがって、背後で作用していたのが標準的なフリーライダーのインセンティブのみならば、各ファンドレイザーがもつ友人数自体は、寄付額になんら影響をもたないはずなのだ。

さらに、この負の関係に関する他幾つかの説明も退けることが出来る。同関係は、多くのページが掲げているファンドレイジング目標額には依存していないようである (即ち、寄付者は単純に設定された目標額を潜在的寄付者数で除している訳ではなさそうなのだ)。というのは同関係はこうした目標額を掲げていないページに関しても当てはまるからである。また、平均値を引き下げてしまう大規模なソーシャルグループにおける限界的な追加寄付者が問題だというわけでもない – この関係は1つのページに対する全ての個人寄付に当てはまることが明らかになっているのである (つまり、1つのページに対する第一寄付、第二寄付、第三寄付の全てについて、ソーシャルグループの規模が大きいほどその額は小さくなっているのだ)。

他方で寄付行動への 関係性利他主義という動機ならば、寄付額と友人数の間に見られる負の関係に合理的説明を与えることができる。寄付者の関心がファンドレイザーその人に在って、他方そのファンドレイザーのほうでは自らの活動を通してどれだけの資金を確保できるのかに関心が有るという状況では、各ファンドレイザーが集めた額は、一種の局地的公共財 [local public good] に成る。そうであるなら、規模の大きなソーシャルグループではフリーライディングが生じてくるにせよ、肝心の公共財は個人のファンドレイザーによって集められた額なのであって、何らかの目標に対し全体としてどれだけの慈善的供給が為されたかではないのだ [訳註1]。この説明は我々の観察した寄付行動パターンとも整合性が有る – 報告されたP2P寄付行動に関する動機に関しても然り。

図1. ページ毎にみた (寄付額の) 対数平均 [ln]

以上全ての事柄はP2Pファンドレイジングに関して如何なる意味をもってくるだろうか? ファンドレイザーに対する示唆として、ファンドレイジングの成功は大規模なソーシャルグループを持っているか否かには依らないという点が1つ挙げられる。我々のサンプルでは、小規模ソーシャルグループを持つ者でも、何千というFacebook上の友人を持つ者とまさに同じくらい多くの額を集めることが出来ている。第二の示唆は、こちらは慈善団体に対するものだが、P2Pファンドレイジングは資金収集手段としては効果的手段と成り得るが、長期的支援者を集める目的に関してはそうではないかもしれない点だ。関係性利他主義を動機とする寄付者が関心を持っているのは、ファンドレイザーその人であって、その人の目標ではない。自らのファンドレイジング活動からより長期的な温情効果 [glow] を生み出してゆくことを望むのなら、慈善団体はよりいっそうの努力を重ね、繊細な社会関係を育んでゆかねばならないだろう。

参考文献

Castillo, M, R Petrie and C Wardell (2014) “Fundraising through online social networks: A field experiment on peer-to-peer solicitation”, Journal of Public Economics, 114: 29-35.

Lacatera, N, M Macis and A Mele (2016) “Viral altruism? Charitable giving and social contagion in online networks”, Sociological Science, 3: 202-238.

Payne, A, K Scharf and S Smith (2016) “Online fundraising: The perfect ask?” Forthcoming in Social Economics, MIT press, Massachusetts.

Scharf, K (2014) “Private provision of public goods and information diffusion in social groups”, International Economic Review, 55: 1019-1042.

Scharf, K and S Smith (2016) “Relational altruism and giving in social groups”, Journal of Public Economics, 141: 1-10.

 


訳註1. ファンドレイザーが自らの募金活動の成果から、[善い行いをした満足感という意味での] 『温情効果 [a warm glow]』 を得る一方、そのファンドレイザーを支援したソーシャルグループメンバー達も成功に喜ぶ彼を見て心温まる思いがするということらしい。こうした心地良い感覚を享受できるのはそのソーシャルグループ内部者に限られるという意味で、慈善活動の目的とは別の、 “局地的” 公共財が問題となる。下に元論文から関連個所を挙げる。

“この負の相関を説明できるかもしれない別のモデルは次の様なものだ。つまり、ファンドレイザーは自らが調達した募金から 『温情効果』 を得る一方、ファンドレイザーの属するソーシャルグループメンバー達は当該ファンドレイザーに対し利他的であるような場合だが、これによりファンドレイジングの成功は同ソーシャルグループにとっての ‘局地的’ 公共財に成り変わる…。

(An alternative specification that could explain the negative correlation is one where fundraisers experience “warm glow” from the donations they raise, and where the members of the fundraisers’ social group are altruistic towards the fundraiser, which makes fundraising success a “local” public good to the social group…)”

 

アレックス・タバロック「パワーポーズは死んだ」

[Alex Tabarrok, “Power Poses Are Dead,” Marginal Revolution, September 26, 2016]

wonder-woman-power-pose

ダナ・カーニーが共著者となっている有名な論文(被引用数462)が発端となって,のちに〔アイミー・カディによる〕有名な TED トーク(3600万再生)につながり,さらに「パワーポーズ」に関する一般向け記事が無数に世に出回ることにもなった(たとえば「このシンプルな『パワーポーズ』であなたの人生とキャリアが変わるかも」).そのカーニーが,証拠を検討したのちに (pdf) こう書いている:

1. 私は「パワーポーズ」の身体的な効果を信じていない.その効果が現実にあると考えていない.

2. 私はパワーポーズの身体的効果を研究していない.

3. 私は他の人たちがパワーポーズを研究するのをよしとしない.

4. 私はもう自分の授業でパワーポーズを教えていない.

5. 私はメディアでパワーポーズについて今後語らないし,過去5年間も(懐疑論がでてくるよりずっと前から) 語っていない

6. 自分のウェブサイトにもCVにも,パワーポーズの効果について懐疑論を載せているし, Ranehill et al. による再現の失敗や「効果ない」を示唆する Simmons & Simonsohn のp曲線論文にリンクを貼っている.

書くのは容易でなかったにちがいない.すばらしい.

タイラー・コーエン 「アメリカという国をより深く理解するための推薦図書」(2010年4月2日)

●Tyler Cowen, “Explaining the United States to German graduate students”(Marginal Revolution, April 2, 2010)


今年(2010年)の夏の話になるのだが、(ドイツにある)ベルリン自由大学の北米学科で大学院生向けの講義を受け持つ予定になっている。講義のテーマは「アメリカ」だ。講義の課題図書には何を選んだらいいだろうか? 今のところ候補として念頭にあるのは以下の8冊だ。

  1. Democracy in America』(邦訳『アメリカのデモクラシー』) by アレクシ・ド・トクヴィル(Alexis de Tocqueville)
  2. Class: A Guide Through the American Status System』(邦訳『階級(クラス): 「平等社会」アメリカのタブー』) by ポール・ファッセル(Paul Fussell)
  3. The American Religion』 by ハロルド・ブルーム(Harold Bloom)
  4. Inside U.S.A』(邦訳『アメリカの内幕』) by ジョン・ガンサー(John Gunther);個人的に長年愛読している一冊。
  5. State by State: A Panoramic Portrait of America』 by マット・ ウェイランド(Matt Weiland)&ショーン・ウィルシー(Sean Wilsey)
  6. American Exceptionalism: A Double-Edged Sword』(邦訳『アメリカ例外論』) by シーモア・M・リプセット(Seymour Martin Lipset)
  7. The Narcissism of Minor Differences: How American and Europe are Alike』 by ピーター・ボールドウィン(Peter Baldwin);この本の中心的な主張1には個人的に同意しかねるところがあるが、講義に出てくる学生たちを「独断(頑なな思い込み)のまどろみ」から目覚めさせるいい薬とはなるかもしれない。
  8. The Liberal Tradition in America』(邦訳『アメリカ自由主義の伝統』) by ルイス・ハーツ(Louis Hartz)

デイビット・ハケット・フィッシャー(David Hackett Fischer)の『Albion’s Seed』も優れた一冊だが、悩ましいことに分厚すぎる。他に何か見落としていないだろうか? モルモン教徒の話題ももっと詳しく取り上げるべきだろうか?

  1. 訳注;各種の統計データに照らす限りではアメリカとヨーロッパは世間で思われているほど異質なわけではない(+ヨーロッパの内部の国々も互いに瓜二つというわけではなく、それぞれに違いがある)、という主張。 []

セルゲイ・ニガイ 『消費者の不均一性と貿易からの利得』 (2016年9月4日)

Sergey Nigai, “Consumer heterogeneity and the gains from trade” (VOX, 04 September 2016)


貿易経済学者は貿易による消費者厚生の変化を定期的に診断しているが、その際には代表的消費者を想定している。本稿では、この想定が貿易からの利得に関して所得分布の中に見られる不均一性の多くを隠蔽してしまい、延いては貧困層の利得の過大評価および富裕層の利得の過小評価につながること、とりわけ発展途上国でこの傾向が著しいことを主張する。近年の自由貿易協定に対する社会一般的コンセンサスの欠如は、こうした事情から説明し得るかもしれない。

代表的消費者の想定を特徴とする主流貿易モデルからすると、世間一般の自由貿易に対する見解に見られる不均一性の水準はきまりが悪いものだ。2016年に執り行われたPew Research Centerの調査によると、年間所得が$150,000を上回る合衆国世帯のうちおよそ55%は貿易に助けられたと感じていたらしいが、他方で年間所得が$40,000を下回る世帯だと同数値は35%に過ぎなかったという (Pew Research Center 2006)。こうした大きな開きを生みだした理由は何だったのだろうか?

すぐ思いつく答えの1つは、貿易が誘因となった賃金効果である。実際、幾つかの経路を介して自由化が賃金および雇用に不均一な影響を及ぼすに至ることも在り得るのであって、例えば労働者が雇用されている企業と関連した影響 (Egger and Kreickermeier 2009, Helpman et al. 2010)、労働者の技能と関連した影響 (Burstein and Vogel 2016)、また/あるいは、労働者が参加している地域労働市場と関連した影響 (Burstein and Vogel 2016) などが挙げられる。

けれども、仮に賃金および雇用への影響が存在しないとしても、貿易は価格効果の差異を通して消費者の間に不均一な影響を及ぼすのである。例えば先ほど挙げたPewの2006年調査によると、合衆国消費者の32% / 30% / 23%はそれぞれ、貿易協定により諸般の価格は上昇する / 下降する / 影響を受けない、と考えていたという。これらの大きな差異は、人々が消費する財のバスケットがそれぞれ異なっており、またこうしたバスケットの価格のほうもやはり自由化に対しては異なった反応を見せるのだという事実に由来するものなのかもしれない。そこで私の新たな論文では、不均一的消費者および非相似拡大的 [non-homothetic] 選好を採用した貿易モデルを活用し、こうした経路の探求と、代表的消費者を想定することによって生ずる、貿易からの厚生利得に関する推定値誤差の大きさの調査を試みている (Nigai 2016)。

国家間および国家内の不均一性

発展途上国と発展国では、諸般の要素の中でも、食料・製造品 [manufacturing goods]・サービスの相対的消費量の点で異なるが、対外との貿易開放が様々な国において消費者に如何なる影響を及ぼすか診断する際には、こうした事情を考慮する必要が有る。近年出された諸論文 (例: Fieler 2011, Markusen 2013, Tombe 2015) では、非相似拡大的選好を採用しつつ平均一人当たり所得の役割を重視することで、こうした国家間での差異分の修正を行っている。しかしながら、国家内の消費不均一性のほうが国家間の不均一性よりも大きいケースもままあるだろうし、とりわけ平均所得が低くしかも所得格差が大きい国でこうした傾向が当てはまる。こうした国では、貧困層はその全所得中の大きな割合を食費に支出しているが、富裕層のほうではこの割合はかなり小さくなっている。この様子は図1で確認できる。図は、私の調整 [calibrated] モデルによって、食費に充てられている所得の割合を当該人口の異なる十分位毎に予測した数値を (所得水準にしたがってd = 1, …, 10の順で並べられており、1が最貧困層に当たる)、標準化した平均一人当たり所得に対し、92ヶ国に亘ってプロットしたもの。

この不均一性が生ずる理由は2つ在る。一つ目は、詳細な所得データを利用しつつ、人口が名目所得について不均一的となるような形で、各消費者グループを調整し総所得の一定割合を保有するようにしていること。二つ目は、農業生産物との比較における製造品・サービスの限界消費性向に関して、消費者の間に異なりが在ること。この点は、消費者の初期所得と非食糧財への選好との間に存在する、確率論的だがポジティブな関係としてモデル化している。これにより一方では富裕層が相対的に多くの製造品を消費している状況が確保でき、そして他方では、この関係が決定論的なものではないため、同じ所得十分位の内部でも嗜好に関して一定の不均一性が存在するようになっている。

図1. 食料への支出が占める割合とそれに対応する平均一人当たり実質所得

多くの低・中所得国では、消費者はその所得の殆どの部分を食料に費やしており、したがって食料とその他全ての間のトレードオフが中心的重要性をもつ。そうした場合、厚生利得の差異は、貿易障壁の弱化に応じてその他の財・サービスとの比較における食料価格がどれほど低下するかによって決定付けられる。これはFajgelbaum and Khandelwal (2016) による最近の研究成果と対照的で、というのも同研究者らの主張では、貿易は貧困層に有利な効果をもつということだったからだ。彼らは比較的少数の、全体として比較的富裕な経済諸国を調査対象としており、相対的に貿易量の少ないサービスとその他全ての間の差異を強調している。

代表的消費者を想定した場合の予測の不精確さはどの程度なのか?

政策画定者、および潜在的には貿易交渉者をターゲットにした研究の大多数は、代表的消費者および相似拡大的選好に依拠しているが、こうしたモデルの精確性を査定する場合、代表的個人の想定が様々な消費者類型の利得をどれ程近似できているのかを確認することが重要となるが、この目的のため、私は2つのベンチマークを作成している。第一のベンチマークは相似拡大的選好を備えた代表的消費者の想定に基づくもの。第二のベンチマークもまた代表的個人の想定に依拠しているのだが、こちらは非相似拡大的選好を採用しており、代表的消費者は所得が増加するにつれ製造品やサービスの消費のほうを相対的に高く評価するようになっている。2つのベンチマークを利用し、先ずは地球規模で貿易障壁を15%分削減した場合の利得を評価した。その結果は図2に示されている通りだが、代表的個人の想定に基づく厚生尺度は、全ての国でポジテティブな厚生利得を予測するようである。勿論、本データおよびモデルによって導かれる利得はサンプル中の国毎に異なる。

図2. 相似拡大的選好 (左) / 非相似拡大的選好 (右) を備えた代表的個人を想定した場合の貿易利得

続いて代表的個人を想定することから生ずる誤差を算出する。なおこの誤差は、代表的個人想定下の予測値と、消費者不均一性下の予測の間において、異なる所得十分位で見られる差分として定義されている。その結果は図3にプロットされている通りだが、代表的個人の想定からの誤差が (相似拡大的選好・非相似拡大的選好どちらの場合でも) 実質的なものであることが示唆されており、どちらの場合でも、貧困層の利得を過大評価し、富裕層の利得を過小評価する傾向が見られる。この誤差の大きさは、図1に示した利得との比較においても実質的なものである。

図3. 相似拡大的選好 (左)/ 非相似拡大的選好 (右) を備えた代表的個人を想定する場合の誤差

図3に示した誤差の大きさは専ら、平均所得は低いが所得格差の大きい諸般の発展途上国によって生じている。例えば、エチオピアで最貧十分位に位置する人々の厚生利得は5.7%だが、同国での最富裕十分位における数値は10.9%になる。こうした差異も発展国ではそこまで痛切ではなく – 例えば、合衆国における最貧十分位と最富裕十分位が貿易からえる利得の差異はおよそ0.5%ポイント程度に過ぎないだろう。全体的に言って、仮に本実験において全ての消費者が貿易障壁撤廃から便益を得るとしても、その利得は富裕層のほうが不釣り合いに大きくなる傾向が見られ、しかもそうした傾向は発展途上国についてとりわけ顕著なのである。こうした事態が生ずるのは、貿易費用が同じだけ減少する場合、製造品のほうが農業生産物との比較においてより大きく価格を減少させるからだ。富裕な消費者ほど製造品やサービスへの支出に充てる所得の割合が大きくなる故に、そこから得られる便益も大きいのである。

しかし、貿易費用が同じだけ減少したとき製造品のほうが食料との比較においてその価格をより大きく減少させるのは何故だろうか? この疑問への答えは、様々なタイプのテクノロジーが地球上にどの様に散在しているかによることが分かっている。テクノロジーのバラツキのパラメータに関する私の構造的推定値 [structural estimates] は、国家間におけるテクノロジーのバラツキは農業よりも製造業のほうが遥かに高いことを、強く示唆している。これを直感的に言い表せば、様々な国を見渡すと、Tシャツ生産に係る生産性差異のほうが、例えばトマト栽培に係る生産性差異よりも大きくなっているということだ。よって、国内で生産された財と潜在的に輸入し得る財の価格差異は、前者のTシャツ部門においてより大きくなるのである。富裕層の支出は食料よりも衣服のほうが相対的に大きいので、彼らの得る便益も相対的に大きくなろうという訳だ。

結語

代表的消費者が得る貿易利得の診断は、総計的分析を行う際には今後も有益であるかもしれないが、消費者が自由貿易協定から得る便益に関して様々な所得グループで実質的な違いが出てくることは明らかである。よって、平均的消費者むけに噛み砕かれた予測や数字に対し、それが自分とどの様な関係が有るのか把握できないでいる一定の人口層がしばしば出て来るのも、驚くには当たらない。こうした視点からすると、所得分布全体に沿う形で、潜在的な自由貿易協定からの利得を診断してゆくことが重要だと思われる。

参考文献

Autor, D H, D Dorn  and G H Hanson (2013) “The China Syndrome: Local labor market effects of import competition in the United States”, American Economic Review,  103(6): 2121-68.

Burstein, A and J Vogel (2016) “International trade, technology, and the skill premium”, Journal of Political Economy, forthcoming.

Egger, H and U Kreickemeier (2009) “Firm heterogeneity and the labor market effects of trade liberalization”, International Economic Review, 50(1): 187- 216.

Fajgelbaum P D and A K Khandelwal (2016) “Measuring the unequal gains from trade”, Quarterly Journal of Economics, 131(3): 1113-1180.

Fieler, A C (2011) “Non-homotheticity and bilateral trade: Evidence and a quantitative explanation”, Econometrica, 79(4): 1069-1101.

Helpman, E, O Itskhoki and S Redding (2010) “Inequality and unemployment in a global economy”, Econometrica, 78(4): 1239-1283.

Markusen, J R (2013) “Putting per-capita income back into trade theory”, Journal of International Economics,  90(2): 255 -265.

Nigai, S (2016) “On measuring the welfare gains from trade under consumer heterogeneity”, Economic Journal, 126: 1193-1237.

Pew Research Center (2006) “Free trade agreements get a mixed review”.

Tombe, T (2015) “The missing food problem”, American Economic Journal: Macroeconomics, 7(3): 226-258.

 

アレックス・タバロック「車文化の衰退」

[Alex Tabarrok, “The Decline of Car Culture,” Marginal Revolution, September 23, 2016]

UMTR1: 1983年には19歳以上の人々の約87パーセントが運転免許をもっていた.ところが,30年以上たったいま,その割合は69パーセントにまで落ちている.19歳未満のグループでも,運転する割合はやはり減少している:18歳の人々で運転免許をもっていた割合は1983年に80パーセントだったが2014年には60パーセントに,17歳は69パーセントから45パーセントに下がり,16歳は46パーセントから24パーセントに激減している.

自動車はかつて自由の象徴だった.いまや自由の象徴は WiFi だ.車を運転する若者の減少も,道路がかつてより安全になっている理由の1つになっていそうだ.

多謝: @counternotions.

補足:スティーブン・コピッツが言うには (youtube),これは文化の変化よりも若年世代の雇用が不足しているせいだという.

アレックス・タバロック「平等主義とオンライン教育」

[Alex Tabarrok, “Egalitarianism versus Online Education,” Marginal Revolution, September 20, 2016]

司法省がUCバークレー校に書簡を送って脅しをかけた (pdf).アクセス可能性の諸条件を満たすように同大学の無料オンライン教材を改変しないかぎり,裁判を起こすというのだ.これに対して,教務部長こう書いている
[Read more…]