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スコット・サムナー「弱者に同情しすぎる保守派」

[Scott Sumner, “Bleeding heart conservatives,” TheMoneyIllusion, December 30, 2016]

長年,やたら弱者に同情するリベラルに悩んできた.彼らは,社会の底辺で苦しむ人たちを美化する傾向がある.もちろん,右派はこれと真逆の間違いをおかして,底辺の人たちを邪悪な人間だと考えた.適正な態度は,冷静な功利的現実主義だ――彼らは犠牲者でもないし悪漢でもない.さて,道徳心の見せびらかしにやっかいな新しい傾向がでてきているようだ――弱者に同情しすぎる保守派という新しい傾向がある.
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タイラー・コーエン 「『もしもし。大統領のバラク・オバマという者なんですが・・・』 ~電話で花を注文する大統領が本人であることを証明するにはどうすればいい?~」(2010年11月15日)

●Tyler Cowen, “How does the President order flowers?”(Marginal Revolution, November 15, 2010)


これまで大統領個人のことはあまり話題にしてきていない。その埋め合わせとして今回はつい最近目に留まった(オバマ大統領にまつわる)難題の一つを取り上げることにしよう。

映画『アメリカン・プレジデント』の中でマイケル・ダグラス演じる大統領は花を注文するのに四苦八苦しなければなりませんでしたが、実際のところはどうなのでしょうか? そう尋ねられたオバマ大統領は次のように答えた。「映画の中の大統領とは違って私はクレジットカードを持ち歩くようにしています。ですから花屋さんに行く機会があればカード払いであれやこれやの花を買うことも可能でしょうね」(さらに続けてオバマ大統領は次のように語った。花屋に直接足を運ぶのではなくて電話で花を注文しようとする場合には「店員の方々には私が大統領本人だとは信じてもらえないかもしれませんね」)。

あなたがオバマ大統領その人だと仮定しよう。あなたが正真正銘のオバマ大統領だということを電話越しで証明するためにはどうすればいいだろうか? 電話に出た花屋の店員の近くにはネットに接続されているパソコンがあり、すぐにGoogleにアクセスできる状況だとしよう。その場合は花屋の店員にこう伝えればいい。「私のことについて何でもいいから質問して下さい」、と。その店員がGoogleの力を借りて色々と(オバマ大統領に関する)質問を投げかけてきてもそれに即答すればあなたもGoogleの助けを借りている(Googleを使って質問への答えを検索している)とは怪しまれないだろう。さらには、あちらの電話には202(ホワイトハウスがあるワシントンD.C.の市外局番)で始まる電話番号が表示されるし、あなたの声はオバマ大統領の声(アメリカ国民の間で広く知れ渡っているあの声)そっくり(オバマ大統領本人なのだからそれも当然なのだが)ときている。というわけで、電話越しであってもあなたがオバマ大統領本人だということを証明するのは容易いというのが私の考えだ。まだいくらかスッキリしないところが残っていたとしても「もしかしたら本当にオバマ大統領本人なのかもしれない」と匂わすことができたら店員も(「大統領」という肩書きに気圧(けお)されて)何でも言われるがままのモードに入ることだろう。

アメリカ大統領と偽って電話すれば何らかの法律に抵触するかもしれず、そうでなくても後日(大統領を警護する)シークレットサービスが家にやってくることになるかもしれない。いたずらしてやろう(大統領と偽って電話してやろう)と企む輩が仮にいたとしても「違法かもしれない。シークレットサービスが玄関をノックしにやって来るかもしれない」と心配になって二の足を踏む(いたずらをあきらめる)ことだろう。そうだとすれば、「私は大統領です」とのあなたの発言の信憑性は一層高まることになる。

電話越しで本人であることを信じてもらうのに一苦労せねばならない人物には誰がいるだろうか? 例えばレディー・ガガなんかはどうだろうか? 彼女の普段の声(喋り声)は誰にでも広く知られているというわけではないし1、彼女のファンであればGoogleテストも軽く突破できることだろう(常日頃からネットで彼女に関する情報を調べていてガガのことなら事細かに知っているからだ)2。「私はガガです」と伝えられても花屋の店員の多くは(オバマ大統領の場合のように)「ハハー」と何でも言われるがままということにはならないだろうし、ガガの名を偽ったとしても後日シークレットサービスが家にやってくることもないだろう3

この話題を深く掘り下げていくと進化生物学方面の教訓が何か見つかりそうだ。

  1. 訳注;それゆえ本人であることを証明するために「声」に頼ることはできない。 []
  2. 訳注;(オバマ大統領の場合のように)店員に「私のことについて何でもいいから質問して下さい」と伝えて何でも質問させるという手は使えない、ということ。ガガの熱心なファンであればガガのことについて聞かれても大抵のことは(Googleに頼らずとも)即答できるため、店員がGoogleの助けを借りながら出した質問に即答できたからといってガガ本人であることの証明にはならない(ガガのファンがガガを偽っている可能性を排除できない)。 []
  3. 訳注;その分だけ(大統領の場合に比べると)いたずらを抑止する力が弱い。 []

チャールズ・カロミリス, マルク・フランドロウ, ルーク・ラーヴェ 『最後の貸し手の政治的基礎』 (2016年9月19日)

Charles Calomiris, Marc Flandreau, Luc Laeven,”Political foundations of the lender of last resort“, (VOX, 19 September 2016)


 

グローバル危機は諸般の中央銀行による 『最後の貸し手』 政策がどこまで許されるべきかをめぐって様々な懸念を引き起こした。本稿ではこれら政策が世界中でどのような発展を辿ってきたか、その歴史を繙いてゆく。最後の貸し手もまた政治権力の座の一つであり、そうした存在として、その創設は政治交渉の結果と見做されるべきものである。したがってこうした政策の採用傾向、並んでそこに付与する権限の取捨選択に関し、各国に差が在ったのも驚くには当たらない。

昨今のグローバル危機は、主要中央銀行をして前代未聞の規模での最後の貸し手 (LOLR) オペレーション採用に踏み切らせ、LOLR政策の射程と制約をめぐる議論を巻き起こした (グローバル危機に見られたこの種のオペレーションの俯瞰図としてはBindseil 2014を参照)。例えば、連邦準備制度・欧州中央銀行・イングランド銀行はそれぞれ諸銀行の支援にあたり、諸銀行のポジションを支え、流動性供給を拡大し、預金引出リスクを軽減すべく策定した種々の特別融資・資産買入を行っている。

だが、中央銀行がグローバル危機に際して行った諸銀行へのLOLR支援水準は一様でなく、またこうした支援の構造にしても各国で相異なっていた。興味深いのは、この種の違いがどの時代にも決して珍しいものではなかった点だ (LOLR機能の歴史的展開を早くに論じたものとしてはBordo 1990を参照; LOLR機能を現代的視点から診断したものとしてはBignon et al. 2012)。一つそうした違いの例を挙げると、西ヨーロッパではLOLRとしての活動権限を付与された中央銀行は19世紀までにはごくありふれたものとなっていたのだが、合衆国の中央銀行創設は1913年、カナダでは1935年、オーストラリアでは1959年になって初めて為されたのである。最後の頼りとしての融資のテクニカルな側面も国毎に異なり、その地の情勢や制度から色濃い影響を受けていた。所謂ヘアカットも含み、LOLR貸付の担保ルールは制度や時代の違いによりその姿を極めて顕著に変化させてきた。緊急融資を受ける資格が銀行のみに認められたケースもあれば、影響力を持った英国の例のように、ノンバンクにまで融資が拡大されたケースもあったのである。駄目押しとなるが、LOLR支援が貸付、ないし中央銀行のオペレーションに限定されないケースすらしばしばあった。信用保証・優先株・普通株投資を通した政府支援は、金融システムへの殊更深刻なショックに対応する流れでのLOLR支援に早くは19世紀後半にも観察されている。

最後の貸し手の歴史

我々は最近の論文 (Calomiris et al. 2016) では、LOLRが世界中でどの様な発展を辿ってきたか、その歴史を精査しつつ、政治と経済の相互作用がどの様にして世界中のLOLR構造および活動の多様な進化を生み出すに至ったのか、その経緯を探った。この種の差異は単に、LOLRが反応する経済ファンダメンタルズの違いを反映しているだけなのか、それとも中央銀行のオペレーション枠組みや政府支援を良しとする政治的支援状況の違いをも反映するものなのか?

我々はLOLRを定義し、短期債権請求の殺到を止めるのに必要な流動性ないし財務的健全性の供給を目的とする緊急貸付・保証・(優先株・普通株買入を含む) 資産買入の形を取った、中央銀行ないし政府による金融仲介機関への支援、とした。これら活動のおかげで、金融仲介機関は決済システムを介した取引サービスの供給、および資本市場へのアクセスを持たない借り手に対する信用供与を引き続き継続することが出来る。

我々の歴史的説明が示すのは、最後の貸し手の構造ならびに機能の差異はLOLR創設ならびに効果的なLOLR政策の採用に対する主要な政治障壁を反映したものであって、経済的差異のみでは説明し得ないことである。19世紀初頭の英国はまさにこうしたケースだが、当時イングランド銀行に種々の権限と責任を付与した制度改正は、相次ぐ銀行危機を経ると、侃々諤々、甲論乙駁といった議論の標的となった。続いて合衆国に目を向けると、LOLRの発展は政治的対立の結果先延ばしにされ、1913年に連邦準備制度が創設された時も、その構造および権限は制限立法により雁字搦めにされていた。連邦準備制度Fedの権限はメンバー銀行との、特定資産クラスを担保とする再割引・貸出に狭く限定されていたのである。これと対照的に、イングランド銀行では裁量の余地が広く認められていた。

カナダ・オーストラリアの経験も中央銀行設立過程の辿った独特の顛末をよく描き出しているが、そこには両国独自の政治史が反映されている。カナダにおける古典的自由主義的政治環境にあっては中央銀行も1935年になるまで忌避され続けていたし、1935年のカナダ銀行設立にしてもその背景にあったのは金融目標であって、LOLRの不備に起因する何らかの脆弱性の認識ではなかった。オーストラリアで一通りの権限を付与された中央銀行が創設されるのは1959年を待たねばならない。金と信用に関わる権限の適切な配分をめぐって長引いていた政局の鍔迫り合いが終に終局点に達した年だった。こちらはもっと最近の話になるが、ユーロ圏内部の政治権力配分を反映した諸般の制約が、同じくユーロ圏内部の銀行危機への対処にあたってECBが取り得るLOLR活動を画定・制限するさい重要な役割を果たした事は記憶に新しい。

LOLRもまた政治権力の座の一つであり、そうした存在として、その創設は政治交渉の結果と見做されるべきものである (Calomiris and Haber 2014)。したがってLOLR創設の傾向、並んでそれに付与する権限の取捨選択に関し、各国で差が在ったのも驚くには当たらない。LOLRはそもそも、担保付きでの融資を行うことで、さもなければ恐慌のあいだ自らの資金需要を工面できないような銀行に対し信用供与を行う権限と責務を持った存在として出発したのだった。しかしLOLRの法的権限は時代とともに様々な形で変貌を遂げる。

 

我々はこうした変化を、19世紀後半から20世紀後半に掛けて金融危機に対処すべく中央銀行や政府が採ったアプローチを時代を辿って追跡した。結果、諸般のLOLRの権限範囲に、担保付融資の一本槍から離れ、それ以外にも信用保証・優先株支援・その他メカニズムといった形式での支援も取り入れるアプローチに向かうシフトが確認された。このシフトの一部は、システミックな銀行危機に備えLOLR活動をより広範な介入手法を含むものに拡大する必要が関係したものであると我々は考えている。

LOLRのメカニズムおよび権限範囲は様々な政策ツールを取り入れを進め、これが情勢変化への対応に利用されてきたのだが、1980年代になるまでは、システミック危機を処理するにあたっては政策作成を以て対応しつつ、銀行債務全てを対象とした全面的保護政策についてはこれを避けるといった国が大半だった。LOLR支援が担保付融資以外にも様々なアプローチを取り込みながら進化してきたのは確かだとはいえ、歴史的に見れば支援は専らシステミック危機の処理に限定されていたし、支援供給が為される際にも、我々が 『バジョットの原則』 の名で呼ぶルールが遵守されていた。バジョットの原則はBagehot’s (1873) の論文に由来する: そこで中央銀行は、個別銀行の命運ではなく金融システムの健全性に専心することを推奨されたのだった。金融機関の破綻は、それが抜き差しならぬシステミックリスクと結び付いているのでなければ、許容されたのである。幾つかのシステミック危機事例のさなかには、LOLRも銀行システムの支援という自らの職務に不可欠な一要素として、一定のデフォルトリスクを引き受けることを厭わなかったが、それも飽くまで限られた範囲での話だった – こうした支援から生ずるリスクの大部分は、銀行全体が一体となって負担しなければならなかったのである。諸銀行がリスクシェアリングに関与することで、支援は自ずと選択的になるだろうという趨勢が固まった。

歴史的なLOLRは何か明示的なルールに従うものではなかったが、一般的に言ってその構造はバジョットの原則に忠実なものだったので、支援は財政やモラルハザードの点での負の帰結を最小限に抑えていた。英国やフランスを含む多くの国でのLOLRオペレーション構造は、財政への深刻な影響の予防を明示的に意図したものだったのである。効率的に介入にはLOLRによるリスクテイキングが必然的に伴うが、こうした介入は – 少なくとも事後的に、キャッシュフロー基準で計測する限りは – 結局吉と出て利益を生むのが通例だった、というのも支援は高い対価のもと、しかも飽くまで限られたリスクの下で提供され、流動性供給における中央銀行の独占的地位を存分に利用するものだったからだ。

第二次世界大戦後、とりわけ1970年代になると、寛大なセーフティネット保護制は常態と化し、さらには無制限の預金保護が (少なくとも事後的に) 提供される場合さえあった。無制限保護により預金者の損失リスクは根絶され、一定規模以上の銀行は全て、それが真のシステミックリスクを引き起こす恐れが有るか否かを問わず、破綻を免れることになる。一般的にこの種の保護政策は、預金保険と、納税者からの税収を使った政府によるアドホックな銀行救済 [bail-outs] の組合せを通して実現される。リスキーな銀行を預金引出という懲らしめから保護するやり方は銀行の信用の流れを円滑に保つ。これは選挙を控えた政治家にとっては格別の便益となりうるが、こうした類の保護政策には、リスクテイキングの増加、保護下にある銀行の長期的金融損失のために生ずる財政への巨大な潜在的影響、延いては保護が唆す金融危機による産出量損失、といった形での社会費用も付き纏う。

国家間比較

我々は40ヶ国に亘って1960年時の中央銀行融資に関する法律規定を詳細に比較検討し、その内12ヶ国については1960年から2010年までにLOLR立法が辿った遍歴の追跡も行った。中央銀行の持つLOLR権限の違いを幾つかの側面から計測し、こうした差異の説明として考え得る物は何か考察した。結果、LOLR法制に基づく権限範囲に各国で大きな差異が或ることが確認された。こうした権限は、恐慌への対応を除くと、継時的に見ても然したる変遷を辿っていない。1960年の時点でLOLRが相対的に多くの権限を備えていた国では – とりわけLOLRに債務保証の発行を許可していた国で著しいのだが – 1980年の時点で預金保証範囲の寛大さが相対的に低くなっていた。以上の発見はLOLR活動と預金者保護との間に何らかの代替性の存在を覗わせる。

本歴史分析が明らかにするのは、一般的に言って、LOLRの提供し得る支援タイプの決定に係る政府の手で確立された明確なルール、および支援提供形態を決定するプロセスが久しく欠乏してきたことである。現実には中央銀行および政府による支援は、事が起きてからのアドホックな対応を通して供給されてきた。

ルールが重要なのはそれが市場参加者のインセンティブに影響を与えることでモラルハザードを抑制しうる所からも明らかだ。支援は一定の状況に限って、それも事前に確立されたルールに即して供給されることになると銀行が知悉していれば、その事実は銀行がリスクを管理し、保護の無いリスクから自らを保護するために流動性と自己資本を維持するインセンティブを作り出す。加えて、市場参加者が政府や中央銀行側にシステミックリスクに対処する為のLOLR支援供給を行うコミットメントが有ると認識しているのならば、この支援の期待が市場参加者側の様々な期待に働きかけ、金融システムの安定化に資することも在り得る。

結語

最後に、LOLR機能は深刻なシステミックショックに柔軟かつ時宜を得た形で対応する必要と、支援の限界を画定する事前に確立されたルールを通してモラルハザードを軽減したいという欲求との間でバランスを取るべき旨を述べ、本稿を結びたい。しかしながら、適切なバランスの達成失敗がLOLR設計におけるリアリティの核心を反映していることもまた認めざるを得ない。つまり、LOLRは政治交渉の産物なのである。

原註: 本稿で示された見解は執筆者自身のものであり、これをECBの見解を反映するものと解してはならない。

参考文献

Bagehot, W. [1873] (1962), Lombard Street: A Description of the Money Market, Homewood, IL: Richard D. Irwin.

Bindseil, U. (2014), Monetary Policy Operations and the Financial System, Oxford: Oxford University Press.

Bignon, V., M. Flandreau, and S. Ugolini (2012), “Bagehot for Beginners: The Making of Lender-of-Last-Resort Operations in the Mid-Nineteenth Century.” The Economic History Review, 65, pp. 580–608.

Bordo, M. D., (1990), “The Lender of Last Resort: Alternative Views and Historical Experience,” Economic Review, Federal Reserve Bank of Richmond, January/February, pp. 18-29.

Calomiris, C. W., M. Flandreau, and L. Laeven (2016), “Political Foundations of the Lender of Last Resort: A Global Historical Narrative,” CEPR Discussion Paper No 11448.

Calomiris, C. W., and S. H. Haber (2014), Fragile By Design: The Political Origins of Banking Crises and Scarce Credit, Princeton: Princeton University Press.

 

スコット・サムナー「炭鉱の雇用を奪ったのはオートメーションであって貿易ではない」

[Scott Sumner, “Coal jobs were lost to automation, not trade,” TheMoneyIllusion, December 21, 2016]

dwb というコメンターがこんなコメントを残している:

炭鉱の雇用をつぶした「技術変化」は安い天然ガスと電力需要の低迷とオバマによる化石燃料撲滅キャンペーンの 1-2-3 パンチだよ

この人は,少なくとも貿易を悪者にはしていない.それでも,基本的にはまちがってる――ごく最近まで,石炭の雇用を奪っていたのはオートメーションだ.石炭産業の雇用はこうなってる:

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実は見かけよりなおわるい.1973年にオフィスでの雇用が加えられたおかげで,データで人為的な急増が生じているからだ.実際の炭鉱夫たちを数えたなら,雇用喪失はグラフよりはるかにひどいものになる.ただ,このグラフですら,87万人から約11万人へと雇用が失われている.鉄鋼業よりほんのわずかにわるい.

すると,石炭産業は輸入に圧倒されてしまったんだろうと決めてかかる人がいるかもしれない.でもちがう.過去5年というもの,石炭は純輸出になっている.全生産量の 7% から 12% の範囲だ.

「輸入ではないとすると,じゃあ石油やガスとの競争で生産がたたきのめされたんだよね?」と言うかもしれない.そうでもない.以下のグラフをみてもらうとわかるように,石炭産業はこの数十年にわたって生産を増やしている.石油やガスとの競争が実際に生産を食いはじめたのはこの数年になってのことだ.

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じゃあ,どうしてこれほど多くの石炭産業の雇用が消えてしまったんだろう? 答えは単純,「オートメーション」だ.ぼくが若かった頃とくらべて,いまの生産量は2倍近くまで増えている.そして,はるかに少ない労働者で回している.

コメンターのなかには,「オートメーションによる雇用喪失は貿易による雇用喪失より痛みがかるい」と思う人がいるかもしれない.実際には,痛みは同等だ.オートメーションで失われる雇用は,人員削減によって時間をかけて徐々に起きるわけではなく,波となって生じる.しかも,景気後退のさなかに起こることもよくある.たとえば鉄鋼業では,USスチールとベツレヘムスチールが旧式の工場を閉鎖したとき数千の雇用が失われ,ニューコアとチャパラルは別の地域にもっと効率のいい新式工場をつくった.ピッツバーグで多くの鉄鋼業雇用が失われる一方で,その分を置き換えたのはテキサスのもっと少ない人員だった.

似たことが石炭業でも起きる.ワイオミングの新しい巨大露天掘り炭鉱は巨大ショベルカーを使う.ウェストバージニア州の閉鎖炭鉱の従業員100名がこれで置き換えられてしまう.

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ワイオミングが外国だったら,ウェストバージニア州の炭坑夫たちは議員たちに怒鳴り声を上げて,自分たちは安いワイオミングの輸入から「保護」される必要があると訴えるところだろう.だが,ワイオミングもアップルパイなみにアメリカなので,誰も関税を主張なんかしない.それでも,かりにオハイオ州の鉄鋼が中国からの輸入に影響を受けた場合と,経済問題はそっくり同じだ.

オハイオ州の鉄鋼労働者やウェストバージニア州の石炭鉱夫の苦しみにもっと注目すべきだという聖人ぶった論評がメディアで騒々しく飛び交っているのをみかける.なるほど,でもそうした評論家たちの何人が,この2つのグループの利害が真っ向から衝突しているのを認識してるんだろう? トランプが鉄鋼を助けるべく保護主義政策を追求したら,それによってアメリカの石炭輸出は打撃を受ける.TPP はウェストバージニアの景気をよくするだろうけれど,一方でオハイオの製造業を脅かす.

だが,もっと深い水準では,石炭と鉄鋼が直面する問題はそっくり同じだ.アメリカでは,というかほぼ世界のいたるところで,オートメーションが急速に鉱山業や製造業の雇用を削減していっている.この問題が消えてなくなることはなさそうだ.それどころか,ロボット工学の進展にともなって,事態はいっそうわるくなるだろう.トランプはいくらか象徴的な動きこそ見せられるだろう(空調設備企業 Carrier の件や環境保護法の緩和など).それで救われるのは一握りの雇用だ.そして,世間には見えない他の雇用が失われる.だが,根本のところではなにも変わらない.たんに,いまより薄汚くて暑い地球をもたらすだけだ.そして,そんときにもラストベルトの労働者たちはあいかわらず怒っているだろう.

自分たちの苦しみは外国人のせいだとデマを吹聴するのはいつだって心地いいものだ.でも,その外国人も同じことをやる――彼らにとっての外国人がわるいと責めるだろう.その外国人にはぼくらも含まれる.

タイラー・コーエン 「もう一人のバラク・オバマ」(2011年7月19日)

●Tyler Cowen, “*The Other Barack*”(Marginal Revolution, July 19, 2011)


今回取り上げる一冊は『The Other Barack』だ。著者はサリー・ジェイコブス(Sally H. Jacobs)。副題は「オバマ大統領の父親の大胆にして無謀な生涯」(“The Bold and Reckless Life of President Obama’s Father”)だ。とは言っても、「我らがオバマ」(「我らが大統領」)のことはとりあえず忘れることにしよう。この本は「植民地主義」に「1960年代という時代」、「異人種間の交際」、そして何よりも「東アフリカのインテリ層の実態」といったテーマについての年代記としても読める。一人の人間の伝記としても優れた一冊だが、今しがた言及した話題についても非常に巧みに取り扱われているのだ。本書では湿っぽい場面にあちこちで出くわすことになるが、その中の一つを引用しておこう。

突然のように上昇軌道に乗ったかに見えた彼のキャリアも始まりと同様にその終わりも突然のようにやってきた。アメリカから(ケニアへと)帰国してきてから6年後のことだ。(シェル石油でのエコノミストとしての)前途有望な職を失い、その次にありついた職もクビになった。こうして彼のキャリアは突如にして行き止まりにぶち当たることになる。3度にわたる結婚はいずれも失敗に終わり、自分の子供と口を聞ける機会も滅多にない。蓄え(お金)も底を付き、相棒の(スコッチ・ウイスキーの)ジョニー・ウォーカー(黒ラベル)にすがる一方。夜な夜な知人の家を渡り歩いては泥酔して床に崩れ落ちる始末。ホテルのシングルルーム(一人部屋)がバラクの長年にわたる住まいとなった。劇的なまでの転落人生だ。

・・・(略)・・・「彼は犯罪を犯したわけじゃない。これといった間違いをやらかしたわけでもない。レース(勝負)を最後までやり遂げられなかったんだ。『どんなレース(勝負)であれ一旦始めたからにはともかくも最後までやり遂げなければならない』。幼い頃に学校で何度もそう繰り返し教えられたものだが、彼はレースを最後までやり遂げずに終わった。バラクは途中で崩れ落ちてしまったんだ」。

バラク・オバマ・シニアはハーバード大学(経済学部)の博士課程で2年間を過ごし、そこで計量経済学の専門的な訓練を積んだ。その絡みで本書ではエドワード・チェンバリン(Edward Chamberlain)やロバート・ドーフマン(Robert Dorfman)、ロジャー・ノル(Roger Noll)、サミュエル・ボウルズ(Samuel Bowles)、レスター・サロー(Lester Thurow)、ジョン・ダンロップ(John Dunlop)といった面々もチョロッとだけ顔を出す。バラクは「経済発展に関する特産品理論」の計量経済学的な検証というテーマで博士論文を書くつもりだったが、博士課程に進学してから2年後に学費の援助が打ち切られたために志半ばにして大学から(そして最終的にはアメリカからも)去らねばならなかった。「バラクには重婚の疑いがある」ということで大学当局の逆鱗に触れ、結果的に大学から追い出される格好となったというのがどうやら真相のようだ。何ともひどい話だ。

石油会社の「シェル」やケニア運輸省でエコノミストとして働いていた頃の話や交通事故で骨折して4ヶ月にわたる牽引療法を余儀なくされた時の話1をはじめとして、ケニア国内の政治論争への関与や都市プランナー(都市計画家)としての実績、そして女性の口説き方などなど他にもバラクにまつわる興味深いエピソードが目白押しであり、非常に細かいところまで綿密に調べ尽くされている一冊となっている。

東アフリカ事情に興味がある向きには文句なくお薦めの一冊だ。デイビッド・ガロウ(David Garrow)もワシントン・ポスト紙で本書を書評している。あわせて参照されたい。

  1. 訳注;バラク・オバマ・シニア(オバマ大統領の父親)は何度か交通事故に遭っており、人生の最後も自動車の交通事故で終えている。 []

タイラー・コーエン「サービス部門の新たなお仕事あれこれ:《スペイン式ハムスライスの供給と需要》 編」

[Tyler Cowen, “Those new service sector jobs, supply and demand Spanish ham slicing edition,” Marginal Revolution,December 21, 2016]

florencio-sanchidrian

55歳,世界最高峰のハムスライス職人――フローレンはそのサービスに相応の料金をとっている――ハム1本をスライスするのに4000ドルをとるという.

フローレンは愛称だ.そう呼ばれるのを本人も気にいっている.彼はこれまで数多くの多彩な有名人たちのためにハムをスライスしてきた.バラク・オバマ大統領,ロバート・デ・ニーロ,デイヴィッド・ベッカム,さらには,スペインのファン・カルロス国王陛下のためにスライスしたこともある.ハモン・スライスの匠の技を披露した場所もさまざまだ.オスカー賞の受賞会場,ハリウッドの内輪パーティ,ラスベガスやマカオのカジノなどなど.一年中,各地で開催されるF1レースのサーキットを転々としながら,パドックの VIP たちやラウンジのトップレーシングチームのためにハムを切る.

ハモン愛好家たちのあいだでは,どうやらスライス機は論外らしい.摩擦で生じる熱でハムの味がかわったり脂肪がとけてしまったりして,ハムを賞味する経験がすっかり台無しになってしまうのだという.だが,スペインで催されるそれなりのカクテルパーティやイベントならきまって専門のハムスライス職人がいるものだが,ハム1本あたりの費用はだいたい250ドル程度だ.これでは,とうてい生計を立てられない.このため,職人たちの大半は兼業だ.一方,フローレンこと Florencio Sanchidrián はハム1本あたりおよそ4000ドルを請求し,1時間半かけてスライスする.

さらに:

「ハム切り師が英語をしゃべるのもちょっとどうかと思いますね」と彼は語る.

全文はこちら.この記事を教えてくれた Chug に感謝.

ヨーク・ペッツォルト, ハンネス・ヴィナー 『脱税と社会環境』 (2016年12月17日)

Jörg Paetzold, Hannes Winner, “Tax evasion and the social environment“, (VOX, 17 December 2016)


 

『グローバル危機』 この方、世界中で数多くの政府が脱税および有害な租税回避に対抗する政策を打ち出してきた。本稿は、オーストリアの通勤者控除に関するデータの活用を通して租税制度および社会環境が法令順守状況に及ぼす作用を調査したものである。本研究の対象となった被雇用者の相当な割合が、より多く補償を受給するため、通勤距離を不正報告していた。また被雇用者はどうやら同僚の不正報告行動から影響されているようであり、脱税行為が波及効果を帯び得る構造を明らかにしている。

脱税と徴税業務に係る問題は近年ますます多くの関心を集めている。とりわけ2008年世界各国の政府が経験した金融危機とそれに続く財政不均衡の後、この傾向は一層顕著になった。こうした状況を受け、不正行為の撲滅をめざす数多くのイニシアティブが国内・国際レベルで着手されている。そうした例としては租税行政活動間の情報交換 (OECD 2014) 或いは多国籍企業の税源侵食と利益移転への対抗措置などが挙げられる (OECD 2013)。同時に、租税研究者の側でも、因果関係を特定するための巨大行政データべースと新戦略という武器で装いを新たにしつつ、脱税の原因と結果に対するより深い知見を提示してきた (その総括的研究はSlemrod 2016を参照)。我々の新しい論文は、個人の法令順守状況の決定因子を第三者報告という枠組み内で研究することで、こうした文献に一貢献をなすものだ (Paetzold and Winner 2016; Kleven et al. 2011も参照)。具体的には、脱税波及効果の存在に着目した。要するに、法令非順守的環境に曝された租税負担者はゴマカシ行為を開始する可能性が高くなる、という訳である。これまでの所、こうした類の脱税波及効果を示す実証データは僅かであり、しかもラボ実験に限られる (例: Fortin et al 2007)。本論文は脱税波及効果が個人の法令順守意思決定に如何なる影響を及ぼすのかについて初めてフィールド実験による実証データを提示するものとなる。

通勤者租税控除による脱税

租税負担者の法令非順守状況を研究するにあたり、我々はオーストリアにおける通勤者控除に着目した。通勤者控除は被雇用者に通勤に掛かる出費分の補償を行うという、租税控除のなかでもポピュラーなものである1。オーストリアの例では住居・職場間の距離で決まる階段関数として設計されており、控除額は通勤距離2-20km・20-40km・40-60km・60km以上の枠で非連続的に増加し、最大額では€3,672となる。租税法では、被雇用者が自らの控除資格を雇用者に通知すると、雇用者側は第三者としてこうした申告の適格性を確証しなければならず、そのうえで源泉徴収前段階 [before withholding] の課税所得に調整を加える段取りとなっている。とはいえ、雇用者はこうした申告を十分にダブルチェックしておらず、被雇用者に自らの控除資格を過大に通知する機会を与えているのが実情だ2

非順守を検知するため、我々は先ず納税申告データと被雇用者-雇用者データを突き合わせ、租税負担者の住居・職場ロケーションを確保した。続いてこれら2ロケーション間の走行距離を (様々なナビゲーション機器で一般に用いられているルートプランナーを利用して) 算出、これを以て実際の走行距離の近似値とした。この実走行距離に基づき、適正と認められる通勤者控除枠を決定した。適正控除枠と申告控除枠の比較により、脱税者が炙り出される。我々は、自らの適正控除枠を過大ないし過小に報告した個人を不正報告者と分類した。通勤者によるシステマティックなゴマカシ行為を検出するため、控除枠の閾値前後における不正報告の非連続性を調べた。諸個人が自らの控除枠資格をシステマティックに過大報告している場合、控除枠の閾値において不正報告の割合に何らかの非連続性が観察されるはずである。対照的に、人々にゴマカシ行為は一切なく、ただ実際の控除資格の推定が不正確なまま報告してしまっているだけなら、閾値周辺でも不正報告には対称的な増減が観察される一方で、非連続性は見られないはずである。図1は通勤距離目盛毎にみた不正報告割合を示している。租税負担者がこうした閾値に強く反応している様子が観察される。通勤者の住居地が各通勤距離枠に近いほど、不正な控除申告の通知をしがちになっている。特に、通勤距離枠最近辺の個人となると、職場までの実際の走行距離を不正に報告している者は60%を超える。さらに重要な点だが、各々の通勤距離枠閾値では不正報告の割合が下落しており、ここから租税負担者が控除制度の構造とそれが孕む過大報告インセンティブを認識している様子が伺われる。

図1. 通勤枠への距離と不正報告行動

原註: 職場への距離毎にみた通勤者の報告行動 (目盛=1.25km)。各目盛につき、不正報告者 (控除枠を過大または過小に報告した通勤者として定義) の割合が縦棒で表示されている。点線は控除額がより大きな金額へと非連続的に上昇する閾値を表わす (それぞれ20km・40km・60km)。1995年から2005人までの被控除者が組み入れられている。

脱税波及効果の検出

通勤者租税控除制度に対する非順守状況の広がりは目に余るほどだが、それでも自らの通勤距離を誠実に報告している個人が依然として相当数存在する点にも注目する価値が有る。我々は潤沢なデータを活用することで、以上の様なゴマカシ行為の差異とも取り組んだ。具体的には、個人の脱税意思決定が身近な領域に居る他の租税負担者の順守行動によってどの様な影響を受けているのかを研究した。そうした脱税波及効果を研究する為、通勤者控除を誇大表示している労働者の割合で異なった複数の雇用者の下を渡り歩く、転職者サンプルに着目した。斯くして我々の識別戦略は、転職事例に見られる差異を活用することで、新たな職場環境が個人の法令順守意思決定に及ぼす波及効果を浮き彫りにするものとなった。

本転職者サンプルの研究結果から、個人の順守意思決定に対し租税負担者の労働環境が及ぼす相当なインパクトが明らかになった。加えて、個人が諸企業を渡り歩く場合には、同僚の中でゴマカシ行為を行う者が占める割合の増減からくる影響に非対称性が観測されている。図2は転職者のゴマカシ行動に関する変化を、ゴマカシ行為を行う同僚の割合に対して点示したもの。特筆に値するのは、ゴマカシ行為者の割合がより大きい企業に移った転職者が、転職後に以前より遥かに多くの過大表示をし始めている点だ。対照的に、ゴマカシ行為者の割合がより小さい企業に移った者は自らの報告行動を変化させない傾向が有る。転職の影響に見られるこの非対称性は、例えば或る企業では被雇用者の通勤者控除申告を徹底的に審査しているが、他の企業ではこれを行っていないからだ、といった、専ら企業レベルの機構的影響のみに依拠した説を退ける。実際のところ、個々の企業が持つ報告行動に対する実体的影響からは、以前の同僚のゴマカシ行為率が現在の行動に及ぼす前述の非対称的影響を説明できそうにない。そうではなく、この非対称性は同僚・仕事仲間からの行動学的波及効果を示唆するものなのだ。

図2. 同僚ゴマカシ行為率の変化に対する非対称な反応

原註: 図は転職前年度から転職後年度におけるゴマカシ行動の変化を、ゴマカシ行為を行っている同僚割合の新旧雇用者での変化に対してプロットしたもの。個人を、ゴマカシ行為を行っている同僚の割合の変化0.05パーセンテージポイントを目盛にグループ分けし (X軸)、続いて平均ゴマカシ行為率の変化を各目盛にプロットした (Y軸)。実線はミクロデータに基づき、観測値0の上下につきそれぞれ別個に推定した最良適合線形回帰を表わす。

結論

オーストリアの通勤者控除事例は、一方に控除額の著しい非連続性あるかと思えば、他方には政府側でその適否を確認するのが非常に難しい控除資格基準もあるといった、杜撰な設計の租税制度が孕む欠陥をはっきりと指し示している。本発見は、租税負担者がそうした類の制度体制に強く反応することを明らかにした。また、今回の実証成果からは第三者による報告が脱税に対する万能薬にはならず、とりわけ雇用者側にこうした申告を正確に記録するインセンティブが無い時には殊更そう言えることが伺われる。最後に、我々は非順守的行動が租税負担者の社会環境によってシステマティックに影響されている様子を明らかにしたが、この発見は徴税戦略とも関連してくる。租税負担者間の脱税行動が因果的に連動しているのなら、租税負担者の一グループにおける非順守を減少させる政策からはその他の社会グループに対する波及効果も望みうるはずなのである。

参考文献

Fortin, B, G Lacroix and M-C Villeval (2007) “Tax evasion and social interactions”, Journal of Public Economics, 91: 2089–2112.

Kleven, H, M Knudsen, C T Kreiner, S Pedersen and E Saez (2011) “Unwilling or unable to cheat? Evidence from a tax audit experiment in Denmark”, Econometrica, 79: 651–692.

OECD (2013) Addressing base erosion and profit shifting, Paris: Organization of Economic Co-operation and Development.

OECD (2014) Standard for automatic exchange of financial account information in tax matters, Paris: Organization of Economic Co-operation and Development.

Paetzold, J and H Winner (2016) “Taking the high road? Compliance with commuter tax allowances and the role of evasion spillovers, Journal of Public Economics, 143: 1–14.

Slemrod, J (2016) “Tax compliance and enforcement: New research and its policy implications”, Ross School of Business, Working Paper No 1302.

原註

[1] 通勤者への税制優遇措置は多くの国でよく見られる租税政策ツールで、一般的労働関連控除の一部をなす場合 (例: フランス・イタリア)、通勤者を対称とする個別的控除 [a single allowance] として設計されている場合 (例: ドイツ・オランダ・デンマーク)、雇用者が負担する非課税給付 [tax-free benefits] の形態を取る場合 (例: 合衆国) もままある。

[2] 税務当局は実走行距離および申告者の適格性をチェックするコンピュータ利用ソフトウェアを導入し、徴税業務を厳格化した。残念ながら、この変化の影響を研究するにはまだ時期早々だった。

 

 

マーク・ソーマ 「至福点との向き合い方」(2005年12月25日)

●Mark Thoma, “Dealing with Bliss Points”(Economist’s View, December 25, 2005)1


親戚一同が集まってクリスマスディナーをいただく機会があると、大叔父の一人が「食事の前にデザートをくれないか。それもたんまりとだ」と主張して譲らないのがお決まりになっている。食事の後にデザートが出るという通常の順番だと食事を全部平らげた後に果たしてあとどのくらいお腹の中にデザートを入れる余裕がありそうか事前には予測が付かない。そのような不確実性を考慮すると、その大叔父の主張は私には「合理的な」意見であるように思われるものだ。何と言ってもデザートはクリスマスディナーの中でも最も高い効用(満足)をもたらしてくれる花形であり、食事をついつい食べ過ぎてしまって(満腹のために)折角のデザートを見送らざるを得なくなるなんて事態はできれば避けたいところだ。しかしながら、他の親戚の面々は大叔父の主張を「合理的な」意見だとは見なしてはいないようだ。さて、その大叔父はと言うと、大量のデザートを無事平らげた後に食事に取り掛かり、文字通りもう限界というところまでお腹を満たした末にソファーに倒れ込む(そしてやがて寝息を立てる)というのがお決まりのパターンになっている。その様子を目にするたびに私の脳裏には(モンティ・パイソン/人生狂騒曲の)あの場面が思い出されるものだ。

ウェイター:お客様。最後のメニューになります。ミント・ウエハースでございます。

クレオソート氏:もう結構。

ウェイター:左様でございますか。こんなに薄いウエハース一枚なんでございますが。

クレオソート氏:いらん・・・。腹いっぱいだ・・・。

ウェイター:左様でございますか・・・。この薄いウエハース一枚だけなんでございますが。

クレオソート氏:見てわからんのか。もう何も入らんのだ。腹十分目なんだよ。

ウェイター:左様ですか。・・・たったこれだけ、たったこれっぽっちでございます。

クレオソート氏:わかった、わかった。 それだけだぞ。

動画はこちらだ(特に食事中の視聴には要注意)。

  1. 訳注;至福点(Bliss point)というのは効用の上限をもたらす消費の組み合わせを指しており、そこからさらに消費の量を増やすと効用は低下することになる。満腹でもう何も食べたくないという状態はその一例。 []

タイラー・コーエン 「サンタの力を借りて『悪い子』を改心させることはできるか?」(2012年11月23日)

●Tyler Cowen, “The dangers of “early intervention””(Marginal Revolution, November 23, 2012)


「悪い子」の携帯端末にサンタからのメッセージを届けるスマートフォンのアプリは「有効でもない」し、親によって「濫用される恐れもある」。オーストラリア人の心理学者はそう警告する。

ジョン・アーヴィン(John Irvine)博士がさる水曜日にクーリエ・メイル紙(オーストラリアのブリスベンで発行されている日刊新聞)の取材に応じて語ったところによると、無料アプリの“Fake Call From Santa”や1.99ドルで買える有料アプリの“Parents Calling Santa”といったスマートフォンのアプリは子供の躾(しつけ)に使うには「有効な手段だとは言えない」という。

「そういったアプリはサンタの脅しがまるで本物であるかのように見せかけてサンタから今にも鉄槌が下されるかのように思わせる効果がありますが、そのことに乗じてクリスマスが近づくにつれてアプリを濫用する親が出てくる可能性があります」。アーヴィン博士はそう語る。さらに付け加えて次のように語る。「脅すだけ脅しておきながらその脅しを実行する気なんてさらさら無いのだとすればそのことに一体どんな意味があると言うのでしょうか? サンタの脅しにもかかわらず改心しようとしない『悪い子』にはクリスマスプレゼントはあげない。お母さんは本気でそうするつもりなんでしょうか? 口先だけの脅しには効果はありません。というのも、子供たちもその嘘(脅しは見せかけだけに過ぎないこと)にすぐに気付くようになるからです」。

無料アプリの“Fake Call from Santa”ではサンタから子供の携帯端末に宛てて着信が入り、それをとるとサンタの音声が流れるサービスが組み込まれている。その一方で、有料アプリの“Parents Calling Santa”では3通りのメッセージの中からどれか一つを選ぶ仕組みになっている。「今日も一日いい子でした」(“well done”)/「もっとうまくやれたはずだよ」(“could do better”)/「もっといい子にならなくちゃダメだよ。この調子だと今年のクリスマスプレゼントは石炭になっちゃうよ」(“must improve or you will get a lump of coal for Christmas”)という3通りのメッセージの中からいずれか一つがサンタから寄せられたメッセージというかたちをとって子供の携帯端末に向けて送信される仕様になっているのだ。

出所はこちらだ。

タイラー・コーエン 「『クリスマスの死重的損失』三題」(2004年12月24日、2006年12月6日、2008年12月22日)

●Tyler Cowen, “Who is to blame for the deadweight loss of Christmas?”(Marginal Revolution, December 24, 2004)


「クリスマスの死重的損失」1を引き起こしている容疑者の筆頭は高齢の親戚ということのようだ。

最も見当違いな(死重的損失の大きな)プレゼントを贈っているのは誰かと言うと高齢の親戚連中であり、彼らが贈るプレゼントの金額はプレゼントの受け手の評価よりも50%以上も高いというのだ2。とは言え、賢くもと言うべきか、高齢の親戚の多くはプレゼントに現金を渡すようにしているようだ。当たり前といえば当たり前だが、友人や恋人・配偶者から贈られるプレゼントは高齢の親戚がくれるプレゼントほどには的外れではないという。最も見当違いな(死重的損失の大きな)プレゼントは25ポンド~50ポンドの価格帯の品物3 だというのは興味深いところだ。25ポンド~50ポンドというと、よく考えずに慌てて買った後ろめたさを和らげるには十分なだけ高価だが4、プレゼントを贈る相手の知り合いに(プレゼントを贈る相手の好みについて)いちいち確認する手間をかけずに済ませるには十分なだけ安価な値段ではある5

全文はこちらをご覧になられたい。

(追記)「今年はクリスマスプレゼントの交換はやめましょうよ」。母親と姉からそのような申し出があったが、クリスマスプレゼントを交換し合う必要性に疑問を感じている御仁にとってはこれほどまでに何の抵抗もなくすんなりと同意できそうな申し出は他にはないだろう。

——————————————————————————————————- [Read more…]

  1. 訳注;「クリスマスの死重的損失」=クリスマスプレゼントを贈る相手の好みを見誤ってしまい、的外れなプレゼントを贈ってしまうこと(具体的には、訳注2にあるように、プレゼントの受け手の評価よりも高額のプレゼントを贈ってしまうこと)に伴う損失を指している。 []
  2. 訳注;例えば、高齢の親戚は1万5千円を出してプレゼントを買ったが、プレゼントの受け手はもらった品物を1万円くらいと評価している(自分で買うなら1万円くらいまでなら出してもいいと考えている)、ということになる。 []
  3. 訳注;1ポンド=144円の為替レートで換算すると、25ポンド~50ポンドの品物は日本円だと3600円~7200円に相当することになる。 []
  4. 訳注;「とりあえずはこれだけ出して買ったのだから格好は付くだろう」といった言い訳を自分に言い聞かせることができる。 []
  5. 訳注;仮に相手がプレゼントを気に入ってくれなくても大して堪えない程度の金額(その一方で万円(あるいはそれよりも上の)単位のプレゼントを贈ったのに相手に気に入ってもらえなかったらかなり堪える)、という意味。 []