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「レオン・ワルラス、ノーベル賞に自薦していた?」

今年度(2013年度)のノーベル経済学賞(正式名称はアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞)は「資産価格の動向に関する実証的な分析」への貢献を称えて、ファーマ(Eugene F. Fama)、ハンセン(Lars Peter Hansen)、シラー(Robert J. Shiller)の三氏に授与されたわけだが、実は一般均衡理論の生みの親であるあのレオン・ワルラス(Leon Walras)がノーベル賞に自薦していた事実があることをご存知だろうか?

「ちょっと待て」と経済学の歴史に少々詳しい人なら口を挟みたくなるところだろう。というのも、ワルラスが没したのは1910年のことであり、ノーベル経済学賞が創設されたのは1968年(受賞が開始されたのは翌年の1969年から)のことである。自分の死後半世紀以上も経ってから創設された賞に自薦することなど物理的に無理ではないか、と。その通りである。しかし早とちりしてはいけない。ワルラスが自薦したのはノーベル賞とは言ってもノーベル経済学賞ではなくノーベル平和賞なのである。

この興味深いエピソードはAgnar Sandmoによる次の論文で詳細に紹介されている。

●Agnar Sandmo, “Leon Walras and the Nobel Peace Prize(pdf)”(Journal of Economic Perspectives, Vol.21, Number 4, Fall 2007, pp.217–228)

ノーベル賞はアルフレッド・ノーベルの遺言をもとにして1895年に創設され、ノーベル経済学賞を除く各賞(物理学、化学、医学生理学、文学、平和)の授与はワルラスが存命中の1901年から開始されている。ノーベル平和賞は「国家間の友愛関係の促進、常備軍の廃止・縮小、平和のための会議・促進に最も貢献した人物」を対象にノルウェー・ノーベル委員会がその選考を行っている。ワルラスがこのノルウェー・ノーベル委員会に対して自らを候補にするよう自薦の手紙1  を送ったのが1905年のことである(しかしながら、手紙を送った時点で既にその年の受賞候補者は絞り込まれており、ワルラスが候補として選考の対象となるのは翌年の1906年のことであった2 )。

さて、ここで一番気になることは、ワルラスがどういった理由で自らのことを「国家間の友愛関係の促進、常備軍の廃止・縮小、平和のための会議・促進に最も貢献した人物」であると見なしていたのだろうか? ということだろう。ワルラスのような数理経済学者がノーベル平和賞を受賞するにふさわしい人物であるとなぜ言えるのだろうか?

自由貿易を「科学的・理論的」な観点から正当化することで自由貿易の推進に貢献したから、というのがワルラスの答えである。自由貿易は「国家間の友愛関係」を促進する役割を果たすものであり3 、それゆえ自由貿易の正当性を理論的に明らかにした自らの業績はノーベル平和賞を受賞するにふさわしい、と考えたわけである。Sandmo論文(pp.220)から引用しよう(以下は拙訳)。

メモランダム4 には次のように書かれている。国家間の友愛関係の維持・促進に貢献する手段の中でも最も強力なものはおそらく(国際)貿易の自由化 (“libre e´change international”)である。メモランダムではなぜそう言えるのかについて詳しくは書かれていない。貿易の自由化(自由貿易)が国家間の友愛関係の維持・促進につながるのは自明だとメモランダムの執筆者はおそらく考えていたのだろう。メモランダムでは引き続いて自由貿易が持つ他の利点がリストアップされている。例えば、自由貿易はすべての国家に対して広範な財へのアクセスを可能にする。自由貿易は戦争の抑制だけではなく、飢餓の抑制にもつながる等々。そしてメモランダムでは次のように結論付けられている。自由貿易の促進に向けた努力はノーベル平和賞の精神に完全に合致したものであることに何らの疑いもない、と。

自由貿易の促進に向けた試みには2通りの手段がある、とメモランダムは語る。そして次のような議論が続く。まず一つ目の手段は実際的なアプローチ(practical approach)と呼べるものであり、自由貿易の妨げとなっている障壁を実際に取り除く作業である。二つ目の手段は理論的な(あるいは科学的な)アプローチと呼べるものであり、その関心は自由貿易の働きを研究する中で持ち上がってくる厄介で複雑な疑問を紐解くことに置かれる。現状では自由貿易の理論を支える科学的な基礎が欠けていることを考えると、二つ目の科学的なアプローチこそが何よりも重要である。

しかし、自由貿易の擁護に向けて努力を傾けたのはワルラス一人だけに限られるわけではない。その他にも多くの経済学者が自由貿易の促進を唱えており、また理論的なアプローチに基づいて自由貿易を正当化した経済学者も少なくない。ワルラスとその他の経済学者との違いはどこにあるのだろうか? ワルラスの独自性についてメモランダムでは次のように語られている(以下はSandmo論文のpp.220からの引用)。

一体何が自由貿易を妨げているのだろうか? この点についてメモランダムは次のように主張する。保護関税にばかり注目が寄せられる傾向にあるが、自由貿易の妨げとなっている障壁としては物品税もまた同じくらい重要である。例えば、イギリスでは茶や砂糖、タバコ、ワインなどに税金が課されているが、そういった物品税も自由貿易を阻害する要因である。しかし、コブデン(Richard Cobden)やブライト(John Bright)といった自由貿易推進論者はほとんどこのことに気づいていない。自由貿易を促進するためには関税だけではなく物品税も撤廃されねばならないのである。しかしながら、この政策提案は次の2つの質問に答えるための理論を必要とする。

  1. 物品税も関税も撤廃した場合、政府はどのようにして収入(歳入)を確保することができるだろうか?
  2. 産業や一国全体の富に損害をもたらすことなしに関税を撤廃することは可能だろうか?

メモランダムはためらうことなく次のように主張する。ワルラスの研究はまさにこれらの質問に答えることに向けられてきたのである。とは言っても、ワルラスの研究は40年もの長きにわたって続けられており、新しく創設されたばかりのノーベル賞を意識して研究に携わってきたわけではない。彼の研究は「社会経済的な問題」(“social economic question”)に対して科学的な解決策を見出すという目的だけに突き動かされてきたわけだが、思いがけなくも自由貿易を巡る問題に対する解決策も見出す格好となったのである、と。

物品税や関税に頼ることなしに政府が収入を確保する手段としてワルラスが提案したのがかの有名な「土地の国有化」提案(土地からの地代で政府予算を賄う)であった(Sandmo論文のpp.220~221)。

まとめるとこういうことである。「国家間の友愛関係の促進」(言い換えれば世界平和の達成)にとって自由貿易は必要不可欠である。ワルラスは自由貿易を理論的・科学的な観点から正当化することで世界平和を支える科学的な基礎を提供したと言える。そればかりではない。「真の」自由貿易を推進するためには関税だけではなく物品税も撤廃する必要があるが、ワルラスは科学的な態度に徹することでそのことに伴う問題-政府の収入をいかにして確保すればよいか-にも気づき、その問題に対処するために彼なりの政策提案-「土地の国有化」―まで行っている。ワルラスはノーベル平和賞に十分値する人物だ、というわけである。

さて、ノルウェー・ノーベル委員会の選考結果はどうだっただろうか? 残念ながら(?)、1906年のノーベル平和賞は「日露戦争の停戦を仲介」した功績を称えてセオドア・ルーズベルト大統領に授与されることになった。ワルラスはその後もノーベル平和賞の受賞にこだわりノルウェー・ノーベル委員会にさまざまな形でアプローチし続けたものの、過去の受賞者リストを見れば一目瞭然のように、ワルラスにノーベル平和賞が授与されることはついになかったのであった。

ワルラスは不運だったと言えるのかもしれない。というのも、場合によっては自薦などせずともノーベル賞を授与されていたかもしれないからである。とは言っても、ノーベル平和賞ではなくノーベル経済学賞を、だが(以下はSandmo論文のpp.228からの引用)。

仮にノーベル経済学賞が他の賞と同時に創設されていたとすれば、ワルラスはノーベル経済学賞の最初の受賞者候補の一人となっていたことは疑いないだろう。しかしながら、ノーベル経済学賞―アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞―が初めて授与された時(1969年)にはワルラスが没してから既に半世紀以上が経過していたのであった。

  1.  自薦というのは正確ではない(そもそもノーベル賞には自薦できない決まりとなっている)。Sandmo論文でも語られているように(pp.218~219)、「私のことをノーベル平和賞に推薦してくれないか」とかつての大学の同僚に持ち掛けたというのが本当のところである。そして、ワルラスの依頼を受けて同僚らが連名でノルウェー・ノーベル委員会にワルラスを推薦する手紙を送ったのであった。しかし、事実上は自薦と言ってよいだろう。  []
  2.  Sandmo論文のpp.221を参照。  []
  3.  自由貿易が世界平和にプラスに働くという議論は古くからあるものでそのヴァリエーションはいくつかあるが、例えばモンテスキューにちなんで「温和な商業」仮説(doux-commerce thesis)と呼ばれる考え方などがある。詳しくは、Sandmo論文のpp.226~227を参照。  []
  4.  訳注;推薦状に同封された手紙。メモランダムの草稿はどうやらワルラス自身が執筆したもののようだとのこと。Sandmo論文のpp.219を参照。  []

スキデルスキー、イギリスおよび労働党の惨状を嘆く

ロバート・スキデルスキーが激おこプンプン丸である

労働党が保守党・自由民主党の連合政権をうまく攻撃出来ていないからだ。労働党の影の厚生大臣であるアンディ・バーナムは国民健康サービス (National Health Service) を争点にしたい構えだが、スキデルスキーは「そこじゃないだろ!」と。 [Read more…]

市場関係者 vs 経済学者

Orcam Financial Group, LLCのコリン・ロシュがポール・クルーグマンのIt’s back論文邦訳)に噛み付いた。よくある「モデルは実務を正しく反映していない!」批判だ。

量的緩和が高インフレをもたらすという論者(例えばアラン・メルツァー)が多いわけだが、それに対してクルーグマンはいつも自らの論文を使って反論している。

これに対してロシュはクルーグマンのモデルが想定している仕組みをこう批判する。

For the millionth time, that’s just not how banks work.  Banks don’t lend their reserves out so expanding the monetary base was NEVER going to result in consumers getting “the money for deposits”.

(百万回言ってきたことだが、これ(クルーグマンのモデルが想定する銀行の行動)は単に事実じゃない。銀行は準備預金を貸し出したりはしない。だからマネタリーベースの拡大が消費者の「預金を減らす」なんてことは絶対にない。)

これについてクルーグマンはブログで、

I’m actually kind of reluctant to even get into this, because any discussion of these issue brings out the people who believe that they have discovered the hidden secrets of the monetary universe, somehow missed by generations of economists.

(実のところ、この話をするのももうイヤなんだよね。だって、どんな議論をしたところで、こうした「何世代もの経済学者が見逃してきた隠された金融の秘密を発見した」って信じる人達を世に送り出すことになっちゃうからだ。)

とはいえ、

But here goes anyway.

(でも、やるよ。)

とゴングを鳴らし。Tobin-Brainardを持ちだして比較的詳細に説明している。要は経済学者は経済システムの本質的な動きに注目し、実務家は実際の手続きに注目することから来る行き違いに過ぎない、というわけだ。

anyone who thinks that there’s a big flaw in their reasoning is almost surely just getting caught up in his own word games.

(理論に大きな穴が有ると考えるものはほぼ全員、言葉遊びをしているだけに過ぎない。)

 

クルーグマン、インターネットを擁護する

先日、ワシントン・ポストがAmazon.comのジェフ・ベゾスに売却された。

これを受けてロバート・サミュエルソン記者が“The news isn’t free”という記事を書いて新聞の凋落を嘆き、インターネット時代への恨み事を連ねている。これに対してジョナサン・チェイトが厳しく批判している

ポール・クルーグマンは”The Good Web“という記事でこれを取り上げ、経済学者の視点からインターネットがどのようにジャーナリズムに変化をもたらしたかを説明し、インターネットを擁護している。

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アメリカのトップ1%は成長の果実を(不当にも)独り占め

2008年に発生した金融危機以降、アメリカの所得トップ1%を巡る論争が激しさを増している。トップ1%の所得の伸び率はそれ以外の層よりも顕著に大きく、また1%の中でも格差が拡大しているが、その伸びがそれぞれの層の生産性の伸び(あるいは限界生産)を反映しているかどうかが論争の主要部分である1

これについてアメリカ経済学会が発行しているJournal of Economic Perspective特集を組んでいる2。今回はBivens & Mishelによる“The Pay of Corporate Executives and Financial Professional as Evidence of Rents in Top 1 Percent Incomes”を取り上げる。彼らの基本的な主張は、トップ1%の伸びの多くはレントであり、彼らの限界生産に見合ったものではない、それゆえ、所得税の累進度を高めることで経済成長を損ねることなく格差を是正できる、というものである。


Piketty and Saez (2003) に最近のデータを加味したFigure1からは、1979年以前はそれぞれの所得層の均斉のとれた成長が見られたものが、1979年以降は驚くべきことにボトム90%の成長はその9%しか分配されておらず、トップ10%が成長の果実を独り占めしていることがわかる。そして、そのトップ10%のなかでも格差が生じており、トップ0.01%の成長が著しい(トップ1%は59.8%)。所得移転やノンキャッシュ所得(キャピタルゲインなど)を含めた連邦議会予算局のデータでもトップ1%は38.3%を得、ボトム80%は31.0%しか得ていない。

The Piketty and Saez data indicate, for instance, that between 1979 and 2007, the top 1 percent of American tax units ac counted for 59.8 percent of average growth in cash, market-based in comes compared to just 9 percent of average growth accounted for by the bottom 90 percent over the period. While including transfers and noncash incomes reduces the share of growth received by the top 1 percent significantly, as shown in the Congressional Budget Office data, the top 1 percent still ac count for 38.3 percent of growth, m ore than the 31.0 percent share received by the bottom 80 percent.(p.58)

Figure1 income growth.jpg

さらに1979年から2007年にかけて中間層(50パーセンタイル)の家計の所得の伸びの半分は社会保障やメディケア、年金といった所得移転によるものである。つまり、所得移転前の分配はもっと偏ったものであることが予想される。

We have noted elsewhere that more than half of the income growth for households in the middle of the income distribution between 1979 and 2007 was driven by government transfers (dominated by Social Security and Medicare) and pensions currently received for past labor market service (Mishel, Bivens, Gould, and Shierholz 2012, table 2.13).  (p.59)

所得の源泉についてみてみると、総所得に占める労働所得は1979年と2007年を較べると69.8%から60.3%に減少している。これに対し、キャピタルゲインや金利・配当収入、役員報酬は18.3%から22.8%と増加している。なかでもキャピタルゲインは3.6%から8.0%へ、役員報酬が4.5%%から6.1%へと増加している(Table 1 参照)。

The most striking fifinding in these columns is the large decline in labor compensation’s share of overall income, falling from 69.8 percent in 1979 to 60.3 percent in 2007. Conversely, the combined share of capital income (including capital gains) and business income rose substantially, from 18.3 percent in 1979 to 22.8 percent in 2007. (p.60)

トップ1%の職業を金融業のエグゼクティブ、非金融業のエグゼクティブ、その他の3つに分類すると、トップ1%の非金融業のエグゼクティブの占める割合は44%、トップ0.1%は36%を占める。また金融業のエグゼクティブはトップ1%、0.1%のいずれでも23%程度を占め、エグゼクティブ全体ではトップ1%の58%を占めていることがわかる。

House-holds headed by a nonfifinance executive were associated with 44 percent of the growth of the top 0.1 percent’s income share and 36 percent in the growth among the top 1.0 percent. Those in the fifinancial sector were associated with nearly a fourth (23 percent) of the expansion of the income shares of both the top 1.0 and top 0.1 percent. Together, fifinance and executives accounted for 58 percent of the expansion of income for the top 1.0 percent of households and an even greater two-thirds share (67 percent) of the income growth of the top 0.1 percent of households. (p.61)

これらの金融業・非金融業のエグゼクティブへ報酬の偏りが、彼らの能力から生じる限界生産の反映ではなく、レントシーキングの結果であるならば、トップ1%のマジョリティの高報酬を説明する要素としてレントが重要な役割を果たしているといえる。

彼らはこの論文で役員報酬がこの2、30年で増加している理由を幾つか挙げているが、一つはストックオプションとボーナスである。これらの報酬は他社の報酬を比較対象として相対評価し株主総会で決定されるが、この「相対評価」は実は「カモフラージュ」であり、相対的なパフォーマンスによって評価しているわけではないと論じている。ストックオプションも相対的なパフォーマンスを反映していると言うよりも単に株価の上下動を反映しているに過ぎない。

金融業トップの報酬の上昇がレントであるか否かの論争は、社会全体における金融業の限界的な拡大が他の業種よりも顕著であったか否かの議論とも関連しているが、この論文では報酬の上昇は金融業拡大の反映ではないし、それどころか金融業拡大から生じる負の外部性による非効率性の存在(複雑化によるシステミックリスクなど)を指摘している。また、金融危機で明らかになったように、金融業には暗黙の保険がかかっていた。また、情報の非対称性を利用してリスクを少なく見せ、自らの報酬を高めていた。この結果、金融業と非金融業での報酬比率は1952年から1982年までは1.1だったものが2007には1.83にまで拡大した。トップ1%の多くを占める金融業エグゼクティブの報酬の増加は理想的な市場が機能した結果ではなく、彼らへレントをシフトさせるような制度変更の結果だったのである。所得への限界税率の低下は報酬に対するレンとの割合の高いトップ層へ、レントシフティングへの強いインセンティブを与えるのだ。

This type of diver- gence seems like powerful evidence to us that a substantial part of the extraordinary rise of top 1 percent incomes is not a result of well-functioning markets allocating pay according to value generated, but instead resulted from shifting institutional arrangements leading to shifting of rents to those at the very top. (p.66)

トップ1%の報酬はもちろん最低賃金とは直接関係ないが、実質最低賃金の引き下げ、あるいは労働組合の影響力低下は企業の利益増加を通じてエグゼクティブの報酬を拡大させることができる。また、そのような独占力や優位な情報の非対称性、およびインセンティブを持っている。イギリスを対象とした研究では最低賃金の引き上げは企業の利益を減少させたが雇用には影響がなかったという報告もある。

Too often the assumption is that policy variables like the real value of the minimum wage cannot be relevant to top 1 percent incomes as they are, by defifinition, nonbinding on high wages. Yet one person’s income is another person’s cost. If a declining value of the minimum wage, or increased effectiveness in blocking union organizing, keeps wages in check at, say, Walmart, then it is hardly a shock that this could well lead to higher pay for corporate managers and higher returns to Walmart shareholders (for example, Draca, Machin, and Van Reenen, 2011, offer evidence that in the UK, higher minimum wages reduce fifirm profifit- ability—but with no signifificant impact on employment).

またグローバリゼーションも労働者の利益を阻害し、資本家の利益をもたらす。ストルパー・サミュエルソンモデルからはアメリカのような先進国では貿易の開放度が高いほど、資本家の利益を増やし、労働者の利益を減らすことが示される。Rodrik  (1999) やJayadev (2007)  の研究でも、先進国、途上国問わず、資本移動の自由度の上昇は労働者の交渉力を資本家へ移す強い証拠が示されている。

Further, it is likely that the role of globalization—a mixture of exogenous and policy-induced changes—also looms large. Textbook Stolper–Samuelson models explicitly show (at least in the older textbooks!) that trade openness can increase capital incomes and reduce labor compensation in rich countries like the United States. Rodrik (1999) and Jayadev (2007) have similarly noted that capital account openness, which is largely a policy choice, could well tilt bargaining power away from workers and towards capital-owners, resulting in higher capital shares not just in developed countries (the standard Stolper–Samuelson result) but in developing countries as well—a nonstandard result that has shown up strongly in the data.

トップ1%の報酬の増加分の多くがレントであるならば、このような格差の是正は原理的には経済全体の成長を妨げるものではない。このサーベイでは実際に最高限界税率の変更が経済成長へ大きく影響しないことをいくつかの論文を挙げて主張している。 よって、トップ1%への偏りを是正することで経済成長を阻害させることなしに、中間層、下層への所得分配を増加させることが可能である。

[Taking steps to] reverse the concentration of income at the very top will not kill any golden goose of economic growth. Instead, it will just lead to more income for those at the bottom and middle of the income distribution.

彼らが提案するのはまずコーポレート・ガバナンスの改善である。次に、レントシフティングへのインセンティブを減らすための最高限界税率の引き上げである(とくに労働への報酬ではなく資本からの報酬に対して)。


この論文では言及がなかったが、役員報酬が利益と連動する 契約の場合、法人税の引き上げは雇用に影響なく役員報酬と株主への配当(これも税率が低い)を減少させる効果があるだろう。

 


参考文献:
Bivens, Josh and Lawrence Mishel, “The Pay of Corporate Executives and Financial Professional as Evidence of Rents in Top 1 Percent Incomes” Journal of Economic Perspective”, 2013

  1. 現在の標準的な経済学の世界では生産性を反映した絶対的な格差はあまり問題にしない []
  2. このジャーナルは一般のメディアと学界の成果を結びつけることが目的のため無料で読める。 []

クルーグマン vs フリードマン???

David Glasnerのヒックス論

David Glasnerの非常に興味深いブログのこのポスト Hicks on Keynes and the Theory of the Demand for Money でヒックスの論文を引いて、ケインズとヒックスが、限界革命以前に別々であった貨幣論と価値の理論を統合したか、そして「流動性選好」を使ったケインズの理論がいかに優れていたかを示している。

ヒックスは彼自身も同様な考えを持っていたがケインズのやり方の優位性を認めている。ヴィクセルはそこそこうまくやったが貨幣の限界効用へと導けなかった。ミーゼスも挑戦したが、彼は貨幣は限界効用を持たない、金のゴーストだと結論した。つまり、ケインズは多くの先人が失敗した、限界効用仮説に立脚した価値の理論に整合的な形で貨幣需要の理論を確立し、そのことをもって極めて重要な理論的進歩である、とヒックスは称賛するのである。

それゆえフリードマンが流動性選好仮説を受け入れないからといって、貨幣需要の理論をケインズとは無関係に確立したと主張することはできない、と指摘する。

So there was no excuse for Friedman to present a theory of the demand for money which he described “as part of capital or wealth theory, concerned with the composition of the balance sheet or portfolio of assets,” without crediting Keynes for that theory, just because he rejected the idea of absolute liquidity preference.

(それゆえ、フリードマンが完璧な流動性選好のアイディアをたんに拒絶したことを理由にケインズをクレジットせず、「バランスシートの構成あるいは資産のポートフォリオに関連する資本あるいは富の理論の一部として」貨幣需要の理論を提示した、というのは言い訳にならないのである。)

クルーグマン登場

これに反応したのがクルーグマンである。「過去の人、ミルトン・フリードマン」というポストで次のように述べている。

Friedman was indeed more or less a Keynesian, or maybe Hicksian — certainly that was the message everyone took from his Monetary Framework, which was disappointingly conventional. And Friedman’s attempts to claim that Keynes added little that wasn’t already in a Chicago oral tradition don’t hold up well either.

(実際のところフリードマンは多かれ少なかれケインジアン、あるいはひょっとしたらヒクシアンであった。もちろんこれは皆が彼の「Monetary Framework」から得たメッセージであったわけだが、この本の主張は残念なくらいに当たり前のものであった。そしてフリードマンは、ケインズは既にシカゴの口承伝統として存在したものにわずかばかり付け加えたに過ぎないと主張したが、それも妥当ではない。)

そして、ケインズ、あるいはハイエクでさえも復活している現在の経済論争の中で、フリードマンが存在感を欠いていることを指摘している。数年まででは考えられなかったことである。フリードマンが亡くなった時にはマンキューは世紀の経済学者として彼を讃え、バーナンキは90歳の誕生日に有名なスピーチをしている。

なぜか?とクルーグマンは問う。

Part of the answer is that at this point both of Friedman’s key contributions to macroeconomics look hard to defend.

(マクロ経済学に対するフリードマンの2つの貢献の両方が現時点で非常に疑わしくなったことが理由の一部として挙げられる。)

First, on monetary policy: Even if you give him a pass on the 3 percent growth in M2 thing, which was abandoned by almost everyone long ago, Friedman was still very much associated with the notion that the Fed can control the money supply, and controlling the money supply is all you need to stabilize the economy. In the wake of the 2008 crisis, this looks wrong from soup to nuts: the Fed can’t even control broad money, because it can add to bank reserves and they just sit there; and money in turn bears little relationship to GDP. And in retrospect the same was true in the 1930s, so that Friedman’s claim that the Fed could easily have prevented the Great Depression now looks highly dubious.

(一つ目は金融政策。M2などの貨幣供給量の3%成長について批判したとしよう。これは随分前にほとんど誰からも見向きもされなくなったものであるが、フリードマンはそれでもFRBはマネーサプライをコントロールできるし、マネーサプライのコントロールさえしていれば経済の安定は達成できるのだという観念に強く取り憑かれているだろう。2008年の危機の始まりの時、これは何から何までおかしいように見えた。FRBは広義流動性すらコントロールできずにいた。なぜなら銀行準備を増やしても、ただそこに居座るだけで、貨幣はGDPとの関連をほとんど失っていた。そして振り返ると1930年代に起きたことも同じであり、フリードマンの「FRBは大恐慌を簡単に防ぐことができた」という主張は非常に疑わしいものになった。)

Second, on inflation and unemployment: Friedman’s success, with Phelps, in predicting stagflation was what really pushed his influence over the top; his notion of a natural rate of unemployment, of a vertical Phillips curve in the long run, became part of every textbook exposition. But it’s now very clear that at low rates of inflation the Phillips curve isn’t vertical at all, that there’s an underlying downward nominal rigidity to wages and perhaps many prices too that makes the natural rate hypothesis a very bad guide under depression conditions.

(二つ目はインフレと失業についてである。スタグフレーションを予言したことによるフリードマン(およびフェルプス)の成功は、彼の影響力を本当に最高レベルに押し上げた。自然失業率仮説—垂直な長期的フィリップス曲線—はどの教科書にも記述されるようになった。しかし今となっては低いインフレ率の状態ではフィリップス曲線はまるで垂直ではないことが極めて明らかであり、名目賃金の下方硬直性のみならず、もしかしたら多くの価格の下方硬直性が存在することも明らかである。このとき、自然失業率仮説は恐慌的条件のもとでは非常にスジ悪な指針になるのである。)

フリードマンの問題はこれだけではない。と、クルーグマンは言う。

I’d argue, is that he was, when all is said and done, a man trying to straddle two competing world views — and our political environment no longer has room for that kind of straddle.

(彼は結局のところ2つの対立する世界を股にかけようとした男であった。そして今の政治状況はそのような男の存在を許さないのである。)

フリードマンは一方ではレッセフェールを語り、他方ではマクロ経済に関するリアリストであった。市場は不況や恐慌を解決することはなく、安定化政策が必要だと考えていた。しかし、その手段は金融政策で十分であり汚らわしい財政政策などは不要である、金融政策も裁量は一切不要であると主張した。

フリードマンは自由主義など一つの型に収まるような人間でないが、それゆえ今の世界で存在感を失っていると持ち上げる一方で、金融危機によりその理論的正当性に大きなクエスチョンマークがついたために存在感を失った、ともクルーグマンは語っている。そして最後に強烈な一文。

I suspect that a few decades from now, historians of economic thought will regard him as little more than an extended footnote.

(今から2、30年たつと、経済思想史家はフリードマンをちょっと長めの脚注程度に扱うであろう。)

個人的には非常に余計な一言だと思うが、これがクルーグマンらしさである。そして予想通りの波紋を呼ぶ。

to be continued…