経済学101は主に皆様の寄付によって賄われています。温かい支援をお待ちしています

マイケル・ブライアン「ヤップ島のお金」(2004年2月1日)

Michael Bryan “Island MoneyFederal Reserve Bank of Cleveland, February 1, 2004

南太平洋のちいさな群島では,非常に驚きの「お金が」使われており,しばしばそれについて教室内の議論で言及される。本稿では,ヤップ島の石のお金について詳しく検討し,そうしたお金の特異な形態が私たち自身のお金について何を教えてくれるかについて問う。


同じくらい目を引くのはヤップ島の(略)土着のお金で,見かけは大きな石英の結晶のような石だ。(略)我々が知ったところによると,ある石は(略)直径3メートル超,重さ4.5トンある。こうした尋常ならざる石は所有者の家の前に置かれ,その人の重要性と富はその人が設置できる「ドル」の数によって表される。

J. R. ルハント「エスピーグル号報告書」1883年10月10日1

経済学者は自身の経済モデルを説明するのに,特定の選好と性質をもった島民が住む想像上の島におけるおおむね孤立した単純な市場での取引についての物語を語るのを好む。こうした「島の経済」は,経済学業界ではほとんど定番となっている。

本稿では,南太平洋のちいさな群島であるヤップ島のユニークで興味深いお金について考えることで,この寓話を根底から覆えすことにする。 [Read more…]

  1. 原注1;Gilliland (1975) []

ジャネット・イエレン「困難な10年間と今後の課題」

Jenet L. Yellen ”A Challenging Decade and a Question for the FutureAt the 2017 Herbert Stein Memorial Lecture, National Economists Club, Washington, D.C.,October 20, 2017


ナショナル・エコノミスト・クラブでお話しさせて頂くのを大変うれしく思います。また,慎重な分析,研ぎ澄まされたプラグマティズム,冴えた機転を特徴とするハーバート・スタインの公職や学業における功績は,私たち経済学者の中でも最高の事例であり,彼の名を冠した場にいられることを光栄に思います。ハーバートは,政府の政策に対する新たなアイデアやアプローチの着想に積極的でしたが,彼のそうした開明性は本日の私の講演の主題に沿うものです。というのも,本日は金融危機と大不況の勃発以降に連邦準備制度(Fed)が用いた非伝統的な金融政策ツールとそれらツールが将来の経済的課題において果たす可能性のある役割についてお話ししようと思います。

10年近く前,アメリカは大不況以来最悪の経済金融危機のぬかるみに陥り,連邦公開市場委員会(FOMC)は雇用最大化と価格の安定という議会より課せられた目標を追求するにあたり,ある大きな課題に直面することとなりました。すなわち,私たちの主要な伝統的ツールであるフェデラルファンド・レートが実質的にゼロにまで下がっている中,弱体化するアメリカ経済をどのように支えるかというものです。そして,この課題への対処によって2つ目の課題が沸き起こりました。それは,金融緩和策が必要なくなった場合に,それを秩序ある形で縮小できるということをどのように保証するかということでした。いずれの課題も,それに失敗していれば雇用最大化と価格の安定を促進するための私たちの能力を毀損し,数百万もの国民の生活に深刻な影響をもたらしたでしょう。

本日は,私たちが1つ目の課題を解決したということと,2つ目の課題の解決にも良い進展が得られているということをお伝えしたいと思います。 [Read more…]

スタンレー・フィッシャー「ユーロ圏の過去、現在、将来における課題」

Stanley Fischer “Past, Present, and Future Challenges for the Euro Area” (At the ECB Forum on Central Banking conference “Inflation and Unemployment in Europe”, Sintra, Portugal, May 21, 2015)


中央銀行に関するECBフォーラムに参加することができたのは光栄であり、嬉しく思います。ドラーギ総裁をはじめとするECB理事会の委員の方々のご招待に対し御礼を申し上げます。1 この会議のトピックはインフレと失業ではありますが、私はECBとユーロ圏が過去に直面し、将来に直面するかもしれないいくつかの過去、現在、将来の課題を議論するという別の観点からお話しさせて頂きたいと思います。

私のテーマはジャン・モネから拝借しています。彼は1976年に次のように書いています。「ヨーロッパは危機の中で鍛え上げられ、それら危機のために採用された解決策の足し合わせとなるだろう」2 この言葉は、ルイージ・ギソ、パオラ・サピエンツァ、ルイージ・ジンガレスの最近の論文によって議論されており、モネの論点に対する彼らの見解は「モネの誤り?」3) というその論文の題名から察しうるものです。同様の言葉は、2003年にジャック・シラク、2010年には元ECBチーフエコノミストのオトマー・イシングも述べています。4 私がこの効果に関する言説を聞いたのは、2011年のジャクソンホール会議におけるジャン=クロード・トリシェが初めてでした。5 [Read more…]

  1. 原注1;連邦準備制度理事会のBrian Doyle, Jane Haltmaier, Stacey Tevlin, Paul Woodの助けに感謝する。述べられている見解は私自身のものであって、必ずしも理事会や連邦公開市場委員会ないし連邦準備制度のそれではない。 []
  2. 原注2;Jean Monnet (1976), Memoires (Paris: Fayard)を参照。 []
  3. 原注3;Luigi Guiso, Paola Sapienza, and Luigi Zingales (2015), “Monnet’s Error?” NBER Working Paper Series 21121 (Cambridge, Mass.: National Bureau of Economic Research, April []
  4. 原注4;2003年のテレビインタビューにおいて、シラクは「いつであれ危機が起きた時は、我々はより強いヨーロッパと共にそこから抜け出してきた。」と述べている。TF1 and France2 (2003)”Excerpts of TV Interview by President Chirac to TF1 and France2, March 10″ を参照。2010年11月、(当時ECBのチーフエコノミスト兼理事会委員であった)イシング博士はパヴィア大学経済学部における国際経済統合に関する名誉学位授与の際にスピーチを行った。彼は「結局のところ、いわゆる「ヨーロッパ」というものは、多くの危機を潜り抜けてきており、概してその一つ一つの危機からより強くなって抜け出してきた。」と述べた。Professor Otmar Issing Address,” in “Otmar Issing: An Economist and Architect of Supranational Institutions (PDF),” Leaving the Board introduction by Guido Montani, Il Politico (University of Pavia, Italy), no. 1, p. 22. を参照。 []
  5. 原注5:一年後、2012年のジャクソンホール会議で、私は次のようにジャン=クロードを引用した。「ヨーロッパプロジェクトは進行中のプロジェクトです。これは通貨同盟に至るという特定の目標を持って立ち上げられたのではありません。私たちは開始以降次から次へと危機に見舞われれました。このプロセスの各段階において、私たちはアメリカ人から同じ話を聞いてまいりました(中略)「お前らヨーロッパ人は決断の仕方を知らないな。お前らはいつも遅い。ヨーロッパに電話したいときは何番を押せばいいんだ?この夢は失敗に終わる運命なんだよ」と。私たちは毎回この話を聞いてきましたし、私たちは遅かった。しかし結果としてみれば私たちはあらゆる危機からより強くなって抜け出してきました」最近私はジャン=クロードに話しかけ、これが2011年に彼の言ったことであるかどうかを確かめてもらった。彼は肯定したが、自分が「私たちは遅かった」と述べたことには疑いを呈した。というのも彼は大抵「私たちは大胆だった」と述べるからだという。 []

ナラヤナ・コチャラコタ「Fedの金融政策:インフレ目標、物価水準目標、雇用の最大化」

Narayana Kocherlakota”Monetary Policy Report to the Economic Club of Minnesota” (Federal Reserve Bank of Minneapolis, May 21, 2014)
ミネソタ経済クラブにおける講演


御紹介ありがとうございます。また、今日ここにお招きいただきましたことにも御礼申し上げます。ミネソタ経済クラブを再び訪れることができ、大変嬉しく思います。

本日は、連邦準備制度や連邦公開市場委員会(FOMC)のいくつか基本的なところをお話しすることから始めたいと思います。しかし、大部分の話はある種の四半期報告書のようなものとなります。皆さんの選ばれた代表者、すなわちアメリカ議会は、重要なマクロ経済目標の達成をFedに課しています。今回はそうした目標を達成するためにFOMCがどのように行動しているのかについての、ミネソタ経済クラブの皆さんに対する報告となります。しかし心に留めておいてほしいのですが、私がこれからお話しするのは私自身の考えでありまして、私以外の連邦準備制度内の人間のそれと必ずしも同じではありません。

話の終わりに際しては、皆さんからの御質問にお答えするとともに、そこから学ばさせて頂ければと思います。

連邦準備制度の基本 [Read more…]

ベン・バーナンキ 「金融政策と世界経済」

●Ben Bernanke, “Monetary Policy and the Global Economy”(At the Department of Economics and STICERD (Suntory and Toyota International Centres for Economics and Related Disciplines) Public Discussion in Association with the Bank of England, London School of Economics, London, United Kingdom, March 25, 2013)/(訳者による付記)バーナンキがFRB議長時代の2013年3月に行ったスピーチの翻訳。このスピーチが行われたのは今からちょうど1年ほど前のことになりますが、その当時は主要先進各国の中央銀行が歩調を合わせるようにして金融緩和に乗り出す構えを見せており、そのような動きを受けて「通貨安競争だ」「近隣窮乏化政策だ」といった批判の声がメディアを度々賑やかせていたものです。バーナンキのこのスピーチはそのような批判に対する応答を意図したものであり、1930年代の大恐慌の教訓を振り返りつつ次のような結論が導き出されています。「現在先進各国で同時に進行中の金融緩和策は、「近隣窮乏化」ではなく、ポジティブ・サムな「近隣富裕化」をもたらすと考えられるのです」。このスピーチが行われてからすでに1年が経過しており、時事性に欠けるきらいがあるのは否めませんが、大恐慌という歴史的な事件に関する要を得た解釈として、さらには将来再び似たような状況が生じた際の参考資料としてそれなりに意義を持ち得るのではないかと思われます。また、このスピーチではFRBの金融政策が新興各国に及ぼす影響についても話題にされており、(方向性は反対ですが)FRBによるテイパー(量的緩和の縮小)が新興各国に及ぼす影響を考える上でも有用な示唆を得ることができるかもしれません。なお、このバーナンキのスピーチは本サイトでも訳出されている次の論説 “メンジー・チン 「近隣富裕化政策としての世界同時リフレ ~回復スピードが二極化する世界におけるリフレーションと支出転換~」”でも話題にされています。あわせて参照していただければ幸いです。


古き良き友人であるマーヴィン・キング(Mervyn King)を称えるカンファレンスにこうして参加することができ、大変嬉しく思います。つい最近彼もニューヨークでの講演で触れていましたが1、経済学の研究者に成り立ての頃、彼と私とはMIT(マサチューセッツ工科大学)の同僚であり、研究室も隣同士でした。あれから30年経った今も同僚のままである――とは言っても、現在ともに同じセントラルバンカーであるという意味でですが――とは想像だにしませんでした。研究者仲間であった当時もそうでしたが、今も変わらず彼のアドバイスや洞察には敬意を払っています。 [Read more…]

  1. 原註1;Mervyn A. King (2012), “Talk to the Economic Club of New York(pdf)”(ニューヨーク経済クラブでの講演、2012年12月10日) []

ベン・バーナンキ 「ラテンアメリカにおけるインフレの実情:新時代の到来?」

●Ben Bernanke, “Inflation in Latin America: A New Era?”(At the Stanford Institute for Economic Policy Research Economic Summit, Stanford, California, February 11, 2005)/(訳者による付記) ベン・バーナンキがまだFRBの(議長ではなく)理事を務めていた2005年2月に行ったスピーチの翻訳。ラテンアメリカ諸国がなぜ「ハイパーインフレ」に陥り、またどのようにしてそこから抜け出したのかが豊富な知識をもとにして語られており、ラテンアメリカ経済の戦後の歩みを貨幣・金融的な側面から学ぶ上で格好の資料と言えるのではないかと思われます。ハイパーインフレというのは基本的には巨額の財政赤字を賄うための手段として貨幣の新規発行に訴える(マネタイゼーションと呼ばれたりします)結果として生じるわけですが、それではなぜラテンアメリカ諸国がハイパーインフレにつながるようなマネタイゼーションに乗り出したのかという点(言うなれば、ハイパーインフレの「根本的な」原因)にまで踏み込まれており-その文脈で「アイデア」と「政治」の役割に目が向けられています-、大変刺激的な内容ともなっているように感じられます。バーナンキのスピーチの中でも個人的にお気に入りのうちの一つです。


FRBは自らの行動を通じてインフレの抑制とその安定化を成し遂げた事実を誇らしく感じていますが、それも当然のことだと言えるでしょう。今から25年前にポール・ヴォルカー(Paul Volcker)がFRBの議長に就任した際、アメリカ国民は2桁台のインフレ率と低迷する経済のパフォーマンスに耐え忍ぶ日々を送っていました。そのような状況を前にして、ヴォルカーならびにアラン・グリーンスパン(Alan Greenspan)率いるFOMC(連邦公開市場委員会)はアメリカ経済に物価の安定をもたらすべく数々の行動に打って出ました。1980年代中頃以降、アメリカでは経済成長のペースが加速するだけではなく、生産と雇用の変動が大きく縮小することになりましたが、そのような好ましい結果がもたらされたのもFRBの努力によってインフレが抑え込まれたからこそであるように思われます(Bernanke, 2004)。

FRBによるインフレ退治の記録は我々に強いインパクトを与えますが、我が国の南方に位置するラテンアメリカの国々におけるめまぐるしく変転するインフレの歩みと比べるとそのインパクトも見劣りするかもしれません。20世紀後半のラテンアメリカ経済は高率のインフレに何度も苦しめられました。それだけではなく、経済成長のペースは不規則であり、経済危機や金融危機に直面することも珍しくはありませんでした。しかしながら、1990年代の中頃以降に入ると、ラテンアメリカのほぼすべての地域でインフレが劇的なまでに低下することになりました。ラテンアメリカの大半の国々ではインフレ率が1桁台にまで低下することになったのです。 [Read more…]

ベン・バーナンキ「コミュニケーションと金融政策」

Ben S. Bernanke “Communication and Monetary Policy” (November 19, 2013) At the National Economists Club Annual Dinner, Herbert Stein Memorial Lecture, Washington, D.C.


8年近く前に私が議長の職を務め始めた際、最優先の課題の一つはFedの透明性を高めることであり、とりわけても金融政策を合理的に可能な範囲で透明で開かれたものにすることでした。私は当時、そして今も変わらず、金融政策の透明性は人々の理解と信頼を育み、政策選択に関してより広い情報に基づいた議論を促し、課せられた目標を達成するにあたっての金融政策決定者の説明責任を向上させ、ひいては金融政策、金融の環境、そして実体経済の間の繋がりを密にすることで金融政策をより効果的なものにすると信じています。もちろん、その後すぐに金融危機とその余波への対処がFedの主要な焦点となりました。しかしながら、金融システムの安定化の後に明らかになったように、大恐慌以降で最も深刻なものとなった景気後退から経済が抜け出すのを支えるためには、金融政策のコミュニケーションと透明性がこれまでにないほど大きな役割を担っているのです。 [Read more…]

ベン・バーナンキ「金融パニックの一例としての2008年危機」

Ben S. Bernanke “The Crisis as a Classic Financial Panic“(November 8, 2013) At the Fourteenth Jacques Polak Annual Research Conference, Washington, D.C.


スタンリー・フィッシャーを讃えるこの会議に参加することができ、大変嬉しく思っています。スタンは私の大学院時代の先生で、そうした経緯からこれまで頻繁に助言をもらっていますし、私にとっての目標であり続けています。彼は金融危機の専門家であり、その分野について多くのものを書いていますし、さらに特筆すべきこととして、1990年代の新興市場危機の際にはIMF事務次長として最前線に立っていました。彼は1980年代のイスラエルのハイパーインフレーションに対する闘いにおいても一助となりましたし、近年の金融危機にあたっては、同国の中央銀行総裁としてその影響を緩和するために巧みに金融政策を駆使しました。その後のイスラエルの住宅価格上昇に際して、彼は金融安定性を維持するためのマクロ・プルーデンス政策の擁護者かつ実施者の先駆けとなりました。
[Read more…]

経済史の使い方 ―BARRY EICHENGREEN インタビュー―

Federal Reserve Bank of ClevelandInterview with Barry Eichengreen“(May 23, 2013)


An interview by Mark Sniderman

「経済史家」という用語からは、遥か過去にのみ思いをはせる研究者を思い浮かべる人もいるだろう。肘掛椅子に腰かけて遠く過ぎ去った日々については長々と語るが、現在に関する知見は全くないという学者だ。バリー・アイケングリーン氏はそうした紋切り型のイメージの有力な反証だ。経済史上の出来事を研究すればするほど、氏は過去と現在を繋げることに卓越していくようだ。その一方で、氏は「教訓(lessons)」は独り歩きしがちであるということにも注意を払っている。今日の経済史家が当然のことだと考えていることも、将来においては完全に否定されうるのだ。 [Read more…]

ベン・バーナンキ「アメリカにおける中央銀行の100年:目標、枠組み、説明責任」

Ben Bernanke, “A Century of U.S. Central Banking: Goals, Frameworks, Accountability” (July 10, 2013)
At the “The First 100 Years of the Federal Reserve: The Policy Record, Lessons Learned, and Prospects for the Future,” a conference sponsored by the National Bureau of Economic Research, Cambridge, Massachusetts
[Read more…]