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ラルス・クリステンセン 「キューバ危機の痕跡はどこ? ~キューバ危機時の米国株式市場の反応は何を物語っているか?~」(2014年4月17日)

●Lars Christensen, “The Cuban missile crisis never happened (or at least the stock markets didn’t care)”(The Market Monetarist, April 17, 2014)


歴史書を紐解くと、冷戦時代の最中に起こった最も戦慄的な出来事の一つとして「キューバ危機」(キューバミサイル危機)が挙げられているのがよく目に付く。キューバ危機、それは全世界が核ハルマゲドン(核戦争という名の最終戦争)の瀬戸際に立たされた瞬間。歴史書ではそのように語られている。

しかしながら、歴史書は間違っているかもしれない。少なくとも当時の米国の株式市場の反応に照らす限りではそのように言えるかもしれない。第三次世界大戦の一歩手前まできていたのが本当だとすれば、株価はキューバ危機の最中に――石が坂を転げ落ちるように――急降下していてもおかしくないはずである。

実際のところはどうだったか? S&P500指数(株価指数の一つ)は急落なんてしなかった。1962年10月のあの13日間――米国とソ連との間で緊迫したにらみ合いが続いたあの13日間――を通じてS&P500指数には何の波風も立たなかった。あともう少しのところで第三次世界大戦にまで発展していたかもしれないことを踏まえると、この事実は何とも驚くべきことであるように思える。

米国とソ連との間でにらみ合いが続いていた間に株価には何の変調も見られなかったのはどうしてなのだろうか? その理由としてはいくつか候補が考えられる。キューバ危機はいわゆる「相互確証破壊」(MAD)の実例であり、そのことが関係しているというのがそのうちの一つだ。どちらか一方が先制的な核攻撃を仕掛ければその先には核兵器の撃ち合いが待っている。そうなってしまえばもう勝者などいない。米国(の上層部)もソ連(の上層部)もそのことをよくよくわかっており、核戦争を本気で始める気などどちらの国も持ち合わせていなかった。投資家たちはそのことを見抜いており、世界中のメディアが「第三次世界大戦勃発の危機迫る」と騒ぎ立ててもパニックなんかに陥らずに平静さを保っていた、というわけだ(世間一般に流布している通説とは違い、株式市場は政策当局者に比べるとずっと冷静でパニックに陥りにくいのだ)。

あるいはこういう可能性も考えられるだろう。株式市場は米国の上層部(ケネディ政権)よりも地政学的なリスクに通じており、キューバ危機が発生するリスクを米国の上層部よりも先んじて察知していた、という可能性である。その証拠にケネディ政権が国民に対して「どうやらソ連がキューバに核ミサイルを持ち込んでいるようだ」と打ち明ける数ヶ月前の段階で株価は20%以上も下落していたのだ。

結局のところは株式市場の見立て通りになった。第三次世界大戦は起きなかったし、キューバ危機は13日間に及ぶにらみ合いを経て終息に向かったのだった。

キューバ危機は米国内の消費者や投資家たちの目を逃れるわけには当然いかなかったわけだが、キューバ危機のような地政学的なリスクは(総消費や総投資といった総需要に対するショックというよりは)総供給ショックとしてまずは捉えるべきだろう。地政学的なリスクは(ロバート・ヒッグス(Robert Higgs)の表現を借りると)「レジーム不確実性」を高める効果を持っており、教科書的なAD-ASモデル(総需要・総供給モデル)の枠組みの中ではAS曲線(総供給曲線)を左方にシフトさせる効果がある(「負の総供給ショック」)と考えられるのだ。金融政策のスタンスに変化が無い限りは、AS曲線の左方シフトに伴って実質GDP成長率は低下する一方でインフレ率は上昇に向かうことになる。1962~63年の段階では「レジーム不確実性」の高まりの効果はまだ表れずにいたが、1960年代後半に入って徐々にその効果が表れ出して実質GDP成長率を押し下げる力として働いたのだった。

株式市場のパフォーマンスを考える場合におさえておくべき大事なことがある。株価それ自体は(貨幣単位で測られる)名目値(名目的な現象)である、というのがそれだ。それゆえ、(地政学的なリスクの高まりに伴って)「負の総供給ショック」が生じても中央銀行による金融政策の舵取りを通じて名目需要(名目支出)の安定が保たれているようであれば株価は下落するとは限らない。「負の総供給ショック」に伴ってリスクプレミアムが高まれば株価の下落圧力となることは確かだが、(株価を左右する要因の一つである)企業収益の伸び率にどういう影響が及ぶかはわからない(企業収益の伸び率は「負の総供給ショック」に伴って必ず低下するとは限らない)。

つまりはこう言えるだろう。地政学的なリスクが株価に及ぼす影響を理解するためには地政学的なリスクに対して金融政策がどう反応するかを考慮に入れる必要があるのだ。この点は目下のウクライナ情勢(ウクライナとロシアとの間でのいざこざ)の意味合いを理解する上でも大いに関係してくる話でもある。 [Read more…]

ラルス・クリステンセン 「アメリカ版ケインズ主義を取り戻す? ~トランプ政権のマクロ経済政策の行方を占う~」(2016年11月9日)

●Lars Christensen, ““Make America Keynesian Again””(The Market Monetarist, November 9, 2016)1


本日のことだが、デンマークにあるラジオ局からドナルド・トランプ次期大統領について何かコメントしてくれないかと取材の申し込みがあった。トランプその人ないしは彼が掲げている経済政策プランについて何か称えるべき面はないだろうかというのだ。「申し訳ないが他をあたってくれ」と取材の申し込みは断っておいた。というのも、トランプという人物について誉めるべき点は一切無いというのが私の率直な意見だからだ。

ドナルド・トランプという人間は下劣極まりない人物だ。私はそう評価している。また、移民や貿易といった話題について彼と私とは考えがまるっきり正反対でもある。「大統領選挙の行方は金融市場を大きく揺るがすような重大事ではない」。大統領選挙期間中に折に触れてそう強調してきたものだが、今日(大統領選挙翌日)のマーケットの反応を見る限りではどうやらその判断に間違いはなかったようだ。

マーケットの反応を解釈する

今回の選挙の結果としてトランプが次期大統領に選ばれただけではなく共和党が上下両院で過半数を占めることにもなったわけだが、マーケットはそのことが持つ経済的な意味合いについてどう評価しているだろうか? 今日のマーケットの反応は一体何を物語っているだろうか?

まず最初に言っておくべきことは、マーケットは今回の選挙結果をかなり冷静に受け止めているということだ。マーケットのこのような冷静な反応は一体何を意味しているだろうか? トランプは選挙期間中に貿易や移民の問題について何とも奇天烈な「公約」の数々を口にしてきたわけだが、トランプがいくら大統領になろうともその中の多くは到底実現できそうにない(あるいはトランプはその実現にそこまで本気になってこだわりはしない)。マーケットはそう見ているというのが私の判断だ。

次に言っておくべきことはこうだ。今回の選挙結果がアメリカ経済を景気後退に追いやる一因になることも世界的な経済危機を招く一因になることもない。マーケットは間違いなくそう見なしている。米国の株式市場も今日になって持ち直してプラスに転じているし、外国為替市場に目を向けるとドル相場は過去24時間の間でほとんど変化していないのだ。 [Read more…]

  1. 訳注;原エントリーのタイトル “Make America Keynesian Again”(「アメリカ版ケインズ主義を取り戻す」)はトランプ陣営が選挙期間中に掲げていたスローガン “Make America Great Again”(「偉大なアメリカを取り戻す」)をもじったもの。 []

ラルス・クリステンセン 「『合理的な投資家』と『非合理的な投票者』 ~米大統領選挙の結果予測をめぐって~」(2016年10月18日)

●Lars Christensen, “Rational investors and irrational voters”(The Market Monetarist, October 18, 2016)


米大統領選挙の結果がどうなりそうかをめぐって「予測市場」と「世論調査」との間でちょっとした違いが見られるようになってきているようだ。

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「予測市場」の一つであるPredictitによると(上の画像)、現時点ではクリントンが勝つ確率は81%、トランプが勝つ確率は19%と見積もられている。その一方で、 ネイト・シルバー(Nate Silver)が開発した(各種の世論調査の結果を集計して予測を行う)FiveThirtyEightによると(下の画像)、現時点ではクリントンが勝つ確率は88.1%、トランプが勝つ確率は11.9%と見積もられている。

過去数ヶ月の変遷を眺めると、「予測市場」の予測よりもFiveThirtyEightの予測の方が変動が激しい(それぞれの候補者の当選確率予想の上下動が激しい)ことがわかるだろう。

この事実は興味深い。というのは、予測市場よりも世論調査の方が「アニマル・スピリッツ」の影響に晒されやすいことを示す証拠の一つであるように思えるからだ。あるいはこうも言えるだろう。我々は「投票者」という立場で行動する場合よりも「投資家」という立場で行動する――持ち金を賭けて大統領選挙の結果を予測する――場合の方がより合理的に振る舞いがちだ。そのことを示す証拠のように思えるのだ。

世論調査と予測市場とでは何が測られているかに違いがあるという点は指摘しておかねばならないだろう。予測市場では将来の時点における選挙の結果がどうなりそうかという「予測」が測られている一方で、世論調査では投票者たちがその時点(世論調査が行われた時点)で誰に投票するつもりかが測られている。ネイト・シルバーの予測モデル(FiveThirtyEight)は両者の中間をいこうとするものだと言えるだろう。

ともあれ、「投票者」としての我々は(「投資家」としての我々に比べると)その時その時の「ムードの上下動」に晒されやすい一方で、「投資家」としての我々は(「投票者」としての我々に比べると)ずっと冷静沈着なことを示しているようで興味深い話だ。このことはブライアン・カプラン(Bryan Caplan)の『The Myth of the Rational Voter』(邦訳『選挙の経済学』)を読んでも学べる話だ。

(追記)注意してもらいたいが、今回のエントリーでは「予測市場」と「世論調査」のどちらが選挙結果をより正確に予測できるかということを問題にしているわけではない。同じ人間でも「投資家」(あるいは「消費者」)という立場で行動する場合と「投票者」という立場で行動する場合とで合理性の程度に違いが生まれるということが言いたいのだ。

ラルス・クリステンセン 「相撲の力士や海賊をテーマにした経済学の本が世間から人気を集めた理由」(2012年7月30日)

●Lars Christensen, “Remember when economists were writing books about sumo wrestlers and pirates?”(The Market Monetarist, July 30, 2012)


以下に列挙する本は私の家にある本棚から適当にピックアップしたものだが、それぞれの作品のタイトルを眺めてみてどういう感想を持たれるだろうか?

上に掲げた一連の作品がどういうタイプの本かついてはよくご存知だろう。通常は経済学の対象とは見なされていないトピックに経済学の道具立てを使って切り込んだ作品であり、いずれも経済学者が著者となっている(ジャーナリストと共著というものもある)。「経済学帝国主義者」を自任する身3としてはこういうタイプの本は大好物(大好き)だ。こういうトピックについて経済学者に言えることはたくさんあるし、その他の経済学者たちもこういった本を読んでその考えを学ぶべきだと思う。プロのフットボールクラブは経済学者をアドバイザーとして雇うべきだし、ワインのことについて何か気の利いた話を聞きたければ(ワイン評論家として名高い)ロバート・パーカー(Robert Parker)に伺いを立てるよりも(全米ワイン経済学会(AAWE)の会長である)オーリー・アッシェンフェルター(Orley Ashenfelter)に意見を求めたほうがいい(pdf)とも強く思う。

2006年から2007年にかけての頃に空港にある書店を訪ねたら上に掲げたようなタイプの本――ひとまず「日常生活の経済学」(“economics of life”)本と呼んでおくことにしよう――が経済書コーナーの棚を占拠していたことだろう。その一方で、時が流れて今現在はというと、空港の書店に置かれている経済学関係の本にはほぼ例外なくタイトルに「危機」という言葉が含まれている。ルービニやクルーグマン、スティグリッツの本を思い浮かべてみればいいだろう。「危機」をテーマにした最近流行の経済学本を総称するとすれば「大不況」本(Great Recession books)ということになるだろう。

「日常生活の経済学」本が人気を集める時があれば、「大不況」本が人気を集める時がある。その違いを生んでいるのは金融政策の良し悪しにあるというのが私の考えだ。金融政策の舵取りがそれなりにうまくいっており、そのおかげもあって名目的な安定(nominal stability)がかなりの程度保たれる4ことになれば、世間では誰もマクロ経済学のことなんか気にしないことだろう。名目的な安定が保たれている状況ではマクロ経済学の出番は無いとも言えるのだ。というのも、名目的な安定が保たれている状況では物価や名目GDP(ひいては実質GDP)の変動はいずれも「ホワイトノイズ」に過ぎないからだ。現実のマクロ経済上の出来事がすべてホワイトノイズに還元できるとなると(そういう意味でマクロ経済学の出番が無くなると)、経済学者たちは何か別の話題を探し出してくる必要に迫られることになる。こうして幼い子供や海賊、相撲の力士、フットボールといったトピックをテーマにした本が経済学者の手によって書かれ出すようになるわけだ。「日常生活の経済学」本はどれもこれも素晴らしい作品ばかりには違いないが、娯楽本という側面を強く持っていることも否定できない。娯楽性が強いとは言え、そのことを差し引いても少し前までの一連の「日常生活の経済学」本の認知度の高さ(人気のほど)には驚かされる。『ヤバい経済学』の人気を思い出してみるといい。『ヤバい経済学』が出版されたのは2005年だ。仮に『ヤバい経済学』が今現在の時点で出版されていたとしたら果たしてあれだけの成功を収める(あそこまで爆発的な売れ行きを記録する)ことはできただろうか。

「日常生活の経済学」本なんて馬鹿げていて子供じみている。そう考える人もいるかもしれない。しかしながら、「日常生活の経済学」本は名目的な安定が続いた時代(大平穏期 Great Moderation)の産物と言えるのだ。仮に名目的な安定が途切れることなく今日までずっと続いていたとしたらヌリエル・ルービニ(Nouriel Roubini)のことなんて世間では誰も知らなかったことだろう。ルービニはニューヨーク大学に籍を置く無名の学者というに過ぎなかったことだろう。ルービニやその他のマクロ経済学者のことをくさすつもりは毛頭ないが、ルービニやマクロ経済学者の発言に世間が興味を持っている多くの理由は「危機」が起こったからこそなのだ。「危機」が勃発していなければスコット・サムナーがブログを始めるなんてこともきっと無かっただろうし、私のブログでもマクロ経済の話題ではなく「日常生活の経済学」が主要なテーマとなっていたことだろう(そういう方針でいきたい思いは今でもあるのだが・・・)。

これまでに何度も語ってきたことだが、名目的な安定が保たれているようであれば、現実の世界を「セイの法則」が当てはまるワルラス流の一般均衡モデルになぞらえて理解することも基本的には可能となるだろう。このあたりの話は少し前にダニエル・リン(Daniel Lin)へのアドバイスとして「(大学の講義で教えるなら)公共選択論よりもミクロ経済学を教えるべきだ」と語った理由や私なりの経済学入門の教え方とも関係してくることだ。

サムナーもつい最近のブログエントリーで似たような指摘を行っている。名目的な安定が保たれているようであれば、ケイシー・マリガン(Casey Mulligan)やジョン・コクラン(John Cochrane)の主張も全部が全部正しい。そういう次第になるだろうというのだ。マリガンやコクランといったRBC(実物的景気循環)モデルの信奉者たちは「貨幣」の重要性を受け入れない傾向にある(そのことを示す嘆かわしい実例としてはこちらのエントリーを参照されたい)。RBCモデルは基本的にはワルラス流の一般均衡モデルの仲間であり、中央銀行が仕事をそれなりにきちんとこなしている場合に限ってRBCモデルが説くところも完璧に理に適うことになるのだ。とは言え、名目的な安定が保たれるようになれば、ワイン海賊フットボールといったトピックについて研究する格好の機会が生まれることになる。そうだというのにRBCモデルと戯れて時間の無駄使いをする気になんてなれるだろうか?

(追記)厳密に言うと、「日常生活の経済学」本の例として冒頭で掲げた作品の中には大平穏期の最中ではなく大不況入りしたばかりの頃に出版されたものも含まれている。とは言え、今回のエントリーで私が言わんとしていることは伝わるだろう。

(追々記)アメリカの読者に向けての注意。文中の「フットボール」ではボールを手で持ってはいけない。ボールは足で蹴って運ばなければいけない5

  1. 訳注;タイトルをそのまま訳すと、「イングランド代表チームが負けるワケ: サッカーをめぐる不思議な出来事を解明する」となる。 []
  2. 訳注;タイトルをそのまま訳すと、「今よりも多くの子宝を授かるべき利己的な理由」となる。 []
  3. 訳注;この点については本サイトで訳出されている次の記事を参照されたい。 ●ラルス・クリステンセン 「ベッカー死すとも経済学帝国主義は死せず」(2014年5月9日) []
  4. 訳注;名目的な安定が保たれる=名目GDPが安定した成長を続ける、とおおまかに理解しておいていいだろう。 []
  5. 訳注;「フットボール」というのはアメフトのことではなくサッカーのことだよ、という意味。 []

ラルス・クリステンセン 「マネタリーベースをいくら増やしても名目GDPは一向に増えないと仮定しよう」(2011年11月7日)

●Lars Christensen, “Taxes and the liquidity trap”(The Market Monetarist, November 7, 2011)


名目金利が極めて低い現状では金融政策は一切無効だ。というのは、マネタリーベースをいくら増やしても民間の銀行はそのまま準備預金を積み増すだけで家計や企業への貸し出しを一切増やそうとはしないからだ。そのような主張をこれまでに一体何度耳にしてきたことだろうか? マーケット・マネタリストの面々は世間に向けてそのような主張のナンセンスさ(馬鹿らしさ)を幾度となく説明しようと試みてきたわけだが、どうやらあまり耳を傾けてはもらえていないようだ。

こう説明してみてはどうだろうか? もしかしたら耳を傾けてもらえるかもしれない。名目金利が極めて低い現状でも金融政策は有効だということをどうしても聞き入れない人がいたら次のように尋ねてみればいいのだ。「マネタリーベースをいくら増やしても名目GDPは一向に増えない。そう仰るのであれば税金なんて要らなくなるという話になるんじゃないでしょうかね?」

つまりはこういうことだ。「流動性の罠」が実在するようであればフリーランチ(ただ飯)を手にする機会が目の前に転がっていることになる。政府支出の財源を税金で賄うのはやめにしてその代わりに中央銀行が貨幣を新規に発行してそれで政府支出を全額賄えばいい。「流動性の罠」が実在するのであればそこまでやってもインフレは起きないはずだ。

そんな話をしたら相手はひっくり返らんばかりに驚いて次のように絶叫するのがお決まりのパターンだろう。「そんなことしたらハイパーインフレになるに決まってる!」。もう勝負ありだ。最後にこう付け加えればいい。「証明終わり(Q.E.D.)」。

(追記)政府支出を貨幣の新規発行で全額賄えと言いたいわけではない。「流動性の罠」なんて無いことは百も承知なのだ1

  1. 訳注;政府支出を貨幣の新規発行で全額賄わずとも金融政策を通じて名目GDPを増やす(あるいは物価を高める)ことは可能だというのが私の考えだ、という意味。 []

ラルス・クリステンセン「リスクの過大評価、疑心暗鬼を生む」(2016年3月30日)

Lars Chistensen, “Overestimating risk makes us do stupid things,” (The Market Monetarist, March 30, 2016)

ベルギーでの熾烈なテロ攻撃はヨーロッパにおけるテロリズムへの恐れを大きく増大させた。ヨーロッパ大陸全域で政策立案者に過激主義者との戦いの新基準が求められ、大衆主義の政治家たちは早々にヨーロッパの国境封鎖を掲げている。しかし本当のリスクは、これらの新基準による経済的損失が実際のテロのリスクを優に上回ってしまいかねないことだ。

実際には今日ヨーロッパでテロリズムによって殺される人の数は1970年代や1980年代、冷戦時代よりもはるかに少ない。更にもっと重要なことには、テロ攻撃によって殺されるリスクは極めて小さい。

事実、アメリカ国家テロ対策センターの報告では、テロリストに殺されるのとほぼ同じくらい、アメリカ人は年間に「テレビや家具に潰されて死ぬ」。では、テロ攻撃によって殺されるリスクと交通事故によって死ぬリスクを比べるとどうなるだろうか。

2000年以降で最も多くの人がテロによって殺された年を例に取ってみよう。2004年にはヨーロッパ全体で200人近くの人がテロ攻撃によって殺された。2004年はマドリッド列車爆破テロが起こった年だ。これと交通事故による死者の数を比べてみよう。最新の統計によるなら、ベルギーで746人、フランスで3268人、スペインで1730人だ(いずれも2013年)。交通事故で死ぬ確率はとても小さい。しかしテロ攻撃によって殺されるよりもはるかに起こりうる。別の言い方をしてみよう。2001年に911テロで殺された人よりも毎年フランスで交通事故で死んでいる人は多い。

その事実に反して、交通事故に言及する政治家がほとんど見られない一方で、基本的にすべてのヨーロッパの政治家がテロリズムの脅威に「何らかの対処をすべき」と叫んでいる。

私はヨーロッパ政治の「何らかの対処をすべき」とする傾向には二つの根本的な原因があると考えている。(これはテロリズムの事例に限らず、環境に対する議論にも当て嵌めうる)

第一に、心理学者が示しているところでは、人間は一般的に滅多に起こらない事象のリスクを見積もるのが苦手であり(テロ攻撃によって殺されることはこれに当たる)、それらのリスクを著しく過大評価する傾向がある。

第二の原因は、アメリカの経済学者、ブライアン・カプランが「合理的なる非合理投票者」と呼んだものだ。ここでカプランが意味するところでは、ある個人の票が選挙の結果に与える影響はごく限定的である、といった合理的な判断は投票の過程で我々投票者が下す必要は無い、となる。それゆえ、合理的な非合理、無責任、無知と呼ぶ。〈訳注1〉

その結果、車を買うとか投資をするといった決断をする時と違い、政治的判断をする時には恐怖や幻想に振り回される。政治家たちはこのことをとてもよく知っており、これらの恐怖を利用することに躊躇しない。結局のところ、有権者に統計を示したとしてもそれが当選につながることは滅多に無いのだ。

しかし私たちは――個人としての生活にしても政治判断にしても――恐怖の迷宮に迷い込んではならない。最善の方法はイギリス人が言っている――「心を鎮めよ、そして歩み続けよ」〈訳注2〉。それはヨーロッパ市民にとってテロリズムが危険要因であることに目をつぶっていい、ということではない。しかしもし私達が恐怖に振り回されて政策を決定するとすれば、それは確実にテロリストの勝利なのだ。

*この記事はアイスランドの新聞、“Frettabaladid”の論説を転載したものである。

訳注
1.「合理的な非合理」に関しては、ブライアン・カプラン著「選挙の経済学(原題:The Myth of the Rational Voter)」を参照にできる。なお、翻訳者個人の意見としては、ここでカプランを引き合いに出すのは間違った解釈と思われる。

2.この部分は原文では”calm down and carry on”となっているが、”keep calm and carry on”を引用したものと思われる。

ラルス・クリステンセン 「大恐慌勃発当時に中国が銀本位制ではなく金本位制を採用していたら」(2011年10月29日)/「大恐慌当時にスイスがもっと早いタイミングで金本位制から離脱していたら」(2013年2月25日)

●Lars Christensen, ““Chinese Silver Standard Economy and the 1929 Great Depression””(The Market Monetarist, October 29, 2011)/“Working paper of the day – Straumann et al on Switzerland, the Great Depression and the gold standard”(The Market Monetarist, February 25, 2013)


1929年に大恐慌(Great Depression)が勃発した当時、主要国の中で金本位制を採用していなかった国が2つだけある。中国とスペインだ。中国にしてもスペインにしても金本位制を採用していなかったおかげで大恐慌に伴う深刻な負のショックに晒されずに済んだのであった。この歴史上のエピソードは「誤った」為替制度(為替レートレジーム)の選択がいかにして災厄を招き得るかを示す格好の実例であるだけでなく、「(個人あるいは国家の命運を左右する上で)運的な要素(偶然)が果たす重要性を過小評価するなかれ」というミルトン・フリードマンの格言1を思い起こさせる例の一つでもある。

つい最近のことだが、大恐慌当時の中国経済をテーマにした興味深い論文を見つけた。賴建誠(Cheng-chung Lai)と高志祥(Joshua Jr-shiang Gau)の共著論文である “Chinese Silver Standard Economy and the 1929 Great Depression(pdf)”(「銀本位制下の中国経済と1929年の大恐慌」)がそれだ2。論文のアブストラクト(要旨)を以下に引用しておこう。 [Read more…]

  1. 訳注;この格言はミルトン・フリードマン著『Money Mischief: Episodes in Monetary History』(邦訳『貨幣の悪戯』)の中に出てくる言葉である。具体的には、チリとイスラエルによるドルペッグ制の実験の帰結との絡みで発せられた言葉である。チリは1979年に、イスラエルは1985年にそれぞれドルペッグ制(自国通貨とドルとの交換比率を一定に固定する為替制度)を採用することになったが、その試みはチリでは悲惨な結果をもたらすことになった一方でイスラエルでは大きな成功をもたらすことになった。「同じ政策」が「正反対の結果」をもたらすことになったわけだが、フリードマンはその理由を「外的な環境」の違い(ドル相場の変動、主要な輸出入産品の価格動向)に求めている。当事者の力ではどうしようもできない「外的な環境」の違いによって(「同じ選択(決定)」をしていても)一方では大成功につながることがあり他方では大失敗につながることがあるという経験を要約して発せられたのが「(個人あるいは国家の命運を左右する上で)運的な要素(偶然)が果たす重要性を過小評価するなかれ」という格言というわけである。 []
  2. 訳注;ちなみにタイラー・コーエンもこの論文を話題にしており、「大恐慌下の中国経済の実態についてはまだまだ研究が不足している」とコメントしている。さらには、関連する研究としてローレン・ブラント(Loren Brandt)&トーマス・サージェント(Thomas Sargent)の共著論文(“Interpreting new evidence about China and U.S. silver purchases”(pdf))とミルトン・フリードマンの論文(“Franklin D. Roosevelt, Silver, and China”)にも言及している。この2つの論文では中国が(1935年に)銀本位制からの離脱を決めた理由が探られているが、フリードマンの論文は訳注1でも触れた『貨幣の悪戯』の第7章に収録されている。『貨幣の悪戯』のはしがきではこの論文について次のように述べられている。「第7章では別のエピソードを取り上げよう。1930年代にアメリカが実施した銀購入計画の波紋である。西部選出の上院議員たちを懐柔しようとフランクリン・ディラノ・ルーズベルト大統領はある決断を下した。まさかその決断〔銀購入計画;引用者注〕がアメリカから遠く離れた中国共産党の勝利に目に見えるような形で貢献することになろうとは誰が聞いても突飛な話としか思わないだろう。だが、この出来事が引き起こした一連の事象は明白であり、紛れもない事実である」(邦訳、pp.9)。ルーズベルト大統領による銀購入計画は「小事と思われた出来事の波紋がはるか遠くまで拡がり、まったく思いも寄らない影響を歴史に及ぼしたという実話」
    (邦訳、pp.7)であり、「一見、通貨の動向の些細な変化と思われたことが、実は経済全体に思いも寄らない影響を広範に与えた」(邦訳、pp.6)エピソードの一つというわけである。 []

ラルス・クリステンセン 「ギデオン・ゴノ、タイムマシン、流動性の罠 ~ギデオン・ゴノが1932年のアメリカでFRB議長を務めていたら~」(2011年10月11日)

●Lars Christensen, “Gideon Gono, a time machine and the liquidity trap”(The Market Monetarist, October 11, 2011)


2008年当時のメディアの記事を適当に拾い読みしていると、次のような文章が目に入った。

金利が異例なほど低い水準に向かって下がり続けている。それに伴って世界各国の中央銀行は急速な勢いで打つ手を失いつつある。

「金利がゼロ%に近付いているために中央銀行は打つ手なしの弾切れ状態に追いやられている。金融政策を通じて景気を刺激しようと思っても中央銀行にできることはもう何も残されていないのだ」・・・というわけだが、あちこちでよく目にする意見だ。マーケット・マネタリストの面々であれば「その意見は間違いだ」とすかさず強く異を唱えるところだが、そのように異を唱えるということは長い歴史を持つ伝統に真っ向から歯向かうことを意味してもいるのだ。

「金利がゼロ%に近付くにつれて金融政策にできることはますます限られてくる」という意見は長い歴史を持っている。その点を確かめるためにタイムマシンに飛び乗って1935年のアメリカにタイムスリップしてみることにしよう。

1935年3月18日、下院銀行・通貨委員会では1935年銀行法をテーマに意見交換が行われている最中だ。民主党の議員であるトーマス・アラン・ゴールズボロー(T. Alan Goldsborough)が第7代FRB議長のマリナー・エクルズ(Marriner Eccles) に助け舟を出しているようだ。

エクルズ議長: 今のこのような状況下ではFRBにできることはほとんど何もありません。

ゴールズボロー議員: 「ヒモは押せない」ということでしょうか1

エクルズ議長: それは上手い表現ですね。そうです。「ヒモは押せない」のです。現在アメリカ経済は不況のどん底に陥っており、・・・(略)・・・景気回復を後押しするためにFRBにできることといったら割引率(公定歩合)を引き下げることくらいしかありません。それ以外にできることはほとんど何も無いのです。

[Read more…]

  1. 訳注;「景気の過熱を抑える上では金融政策(金融引締め策)は効果を発揮するが、大きく沈滞した景気を浮揚させる上では金融政策(金融緩和策)の効果には限りがある」という考え(金融政策の効果に関する非対称性)を簡潔に言い表す比喩として「ヒモは引けても押せない」という表現がよく持ち出される。「ヒモは押せない」という比喩を一番はじめに言い出したのは誰かという点については諸説あるが、ここで引用されているゴールズボロー議員の発言が初出だという説(ゴールズボロー起源説)が有力なようだ。この点についてはhimaginary氏の次のブログエントリーもあわせて参照されたい。 ●“「紐を押す」の語源”(himaginaryの日記, 2015年7月31日) []

ラルス・クリステンセン 「『ミダス・パラドックス』 ~スコット・サムナーの待望の一冊が遂にお出まし~」(2015年10月26日)/タイラー・コーエン 「『ミダス・パラドックス』 ~スコット・サムナーの大恐慌論~」(2015年11月24日)

●Lars Christensen, “Scott Sumners’ new book: The Midas Paradox – Buy it now!”(The Market Monetarist, October 26, 2015)


私の友人でもあるスコット・サムナー(Scott Sumner)が大恐慌をテーマにした本を書こうと思い立ったのは大分前に遡るが、その本の出版にこぎつけるためには長い時間をかけて奔走しなければならなかった。少々時間はかかったが、その待望の一冊が今年(2015年)の12月に遂に出版される運びとなった。

本のタイトルは『The Midas Paradox: Financial Markets, Government Policy Shocks, and the Great Depression』(「ミダス・パラドックス:金融市場、政策ショック、大恐慌」)である。出版元はインディペンデント・インスティテュートだ。Amazonで注文するにはこちらをクリックされたい。言うまでもないだろうが、私は既に注文済みだ。

出版元による本の紹介文を以下に引用しておこう。

経済史家たちの尽力もあって大恐慌の原因を解明する作業はこれまでに大幅な前進が遂げられてきている。しかしながら、経済が辿った紆余曲折の全貌を説明するためにはスコット・サムナーの登場を待つ必要があった。サムナーのマグヌム・オプス(一大事業、大作)であり処女作でもある『ミダス・パラドックス』では大恐慌という名の大惨事を引き起こした原因を突き止めるために貨幣的な要因だけではなく非貨幣的な要因にも目配りされており、大恐慌に関する包括的な説明が試みられている。

金融市場のデータや当時のニュース記事に依拠しつつサムナーはこう結論する。大恐慌は(中央銀行や議員(政治家)、二人の大統領による)稚拙な政策(政策の失敗)――とりわけ、金融政策面での不手際と名目賃金に対する規制――の結果として引き起こされたのだ、と。サムナーが明らかにしていることはそれだけではない。マクロ経済学の分野の思想は長年にわたって間違ったストーリーの虜となっており、その間違ったストーリーは今もなお政策当局者を「磐石で持続可能な経済成長の追求」という空想に固執させる役割を果たしているというのだ。

『ミダス・パラドックス』は画期的な一冊である。本書では経済史家たちを長年悩ませてきた謎が解決されているだけではなく、「マクロ経済に動揺をもたらす原因は何か?」「マクロ経済の動揺はいかなる帰結をもたらすか?」「マクロ経済の動揺を鎮めるにはどうすればいいか?」といった疑問に関する誤解が正されてもいる。ミルトン・フリードマン(Milton Friedman)とアンナ・シュワルツ(Anna J. Schwartz)の『A Monetary History of the United States, 1867-1960』(「合衆国貨幣史」)と同様に、『ミダス・パラドックス』は大恐慌研究の将来の方向性を形作る稀な一冊となるに違いない。

『ミダス・パラドックス』について個人的に特にお気に入りな点を挙げると――そうなのだ。もう最後まで読み終わったのだ――、金融市場のデータに大恐慌当時のニュース記事から得られる情報を組み合わせるという目新しい手法を使って大恐慌に関する物語が新たな角度から語り直されているところだ。このやり方はマクロ経済や金融市場、貨幣を巡る動向を分析する上でマーケット・マネタリストの面々がお得意とする手法そのものだ。

金融市場が発する(資産価格の動向をはじめとした)シグナルを調べればマクロ経済に動揺をもたらしているショックが貨幣的なショックなのかそれとも実物的なショックなのかを区別することが可能となるし、金融市場が発するシグナルにメディアの報道を通じて得られる情報を組み合わせればショックの根底にあるそもそもの原因が何なのかを突き止めることも可能となる。マーケット・マネタリストに特有のこの手法は貨幣的なショックを分析するためにローマー夫妻(クリスティーナ・ローマーとデビッド・ローマー)が考案した手法(pdf)を新たな次元に引き上げるものだという見方もできるだろう。サムナーはその手法を『ミダス・パラドックス』の中で巧みに実演してみせてくれているのだ。

本ブログの読者の皆さんにもスコット・サムナーの『ミダス・パラドックス』を是非とも手に入れていただきたいものだ。

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●Tyler Cowen, “*The Midas Paradox*”(Marginal Revolution, November 24, 2015)


スコット・サムナーの大恐慌研究の成果をまとめた『ミダス・パラドックス』の出版が近付いている。副題は「金融市場、政策ショック、大恐慌」だ。サムナー自身が本の中で概要を説明しているのでその箇所を引用しておこう。

金(ゴールド)の取引市場に真剣に向き合えば、大恐慌についてこれまで考えられていた以上にずっと多くのことを説明できるようになることを本書全体を通じて示すつもりだ。生産量に生じた変動(詳細は表1.1をご覧になられたい)の多くは金の取引市場を襲った3タイプのショック――中央銀行による金需要の変化、民間部門における金の退蔵、金の価格の変化――によって説明できる。生産量に生じた変動の残りの部分はニューディール政策に端を発する5度にわたる賃金ショックと密接なつながりがある。本書は大恐慌期に生産量の大幅な変動をもたらしたマクロショックのすべてを取りこぼすことなく詳細に分析したはじめての研究である。

この点は強調しておきたいところだが、サムナーは他の多くの経済史の研究とは比べ物にならないくらい多くの労力を割いて資産価格の反応を調べ上げている。おそらくこのことはサムナーが成し遂げた(経済学への貢献というにとどまらず)方法論(分析手法)の面での主たる革新と言えるだろう。

ニューディール政策による実質賃金の人為的な(法律による強制的な)引き上げは惨事をもたらしたと結論付けざるを得ない。サムナーは本書の中でそうも主張している――私もその主張には同意だ――。この点は大恐慌に関する大半の研究では十分に強調されているとは言えないし、多くのケインジアンはムキになって「そんなことはない!」と否定しさえするかもしれない。しかし、(ニューディール政策による実質賃金の人為的な引き上げが景気にマイナスの影響を及ぼしたことを裏付ける)証拠は歴然としているのだ。

『ミダス・パラドックス』は大変優れた一冊であり、「大恐慌の経済学」をテーマとした本の中でも最高傑作の一つである。

ラルス・クリステンセン 「アイケングリーンが欧州の政策当局者に推薦する図書リスト」(2012年8月14日)

●Lars Christensen, “Eichengreen’s reading list to European policy makers”(The Market Monetarist, August 14, 2012)


バリー・アイケングリーン(Barry Eichengreen)がProject Syndicateに記事を寄稿しているが、夏季休暇に入るヨーロッパの政策当局者に向けて休みの間に読むべき推薦図書が紹介されている。その一部を引用しておこう。

推薦図書リストの最上位に来るのはミルトン・フリードマン(Milton Friedman)とアンナ・シュワルツ(Anna Schwartz)の二人の手になる『A Monetary History of the United States』(「合衆国貨幣史」)である。この本ではアメリカの貨幣史をテーマにワクワクするような物語が綴られているが、その中でも核心部と言えるのは大恐慌(Great Depression)を対象とした章である1。この章では加速する危機に対するFRBの不適切な対応ぶりが告発されている。

相次ぐ銀行倒産の波――1930年後半に最初の波が到来し、1931年と1933年に次の波が押し寄せた――を横目で見て手をこまねいているFRB。FRBは傍観の姿勢を貫くのではなく迅速な対応に出るべきだったのだ。フリードマンとシュワルツはそう批判したと一般的には理解されている。しかしながら、フリードマンとシュワルツの議論を注意深く跡付けてみると、FRBに対する彼らの最も厳しい批判は別のところに向けられていることがわかる。FRBの面々は1930年の上半期に債券購入プログラムの導入に向けて足並みを揃えるべきだった。そうすることを通じて銀行倒産を事前に防ぐべきだったのだ。FRBの不手際の中でも何にも増して厳しく糾弾すべきはこの点にあるというのがフリードマンとシュワルツの見立てなのだ。

ECB(欧州中央銀行)の政策理事会の面々がこのメッセージを心にとどめておきさえすればそれをうまく役立てることも可能なはずである。ECBは(2012年の)8月2日に状況次第では積極的な行動に踏み切る用意がある旨を明らかにした2が、今のところはこれといって具体的な行動を何も起こしていない。フリードマンとシュワルツの『合衆国貨幣史』に目を通せばECBの面々も気付くことだろう。一旦危機に陥った後にそこから抜け出すことに尽力するよりは危機に陥らないように先手を打つ(危機の回避に向けて力を尽くす)方が得策だということを。

その通り。まったくその通りだ。ヨーロッパの政策当局者たちが『合衆国貨幣史』に目を通してその内容をきちんとかみ締めていたら現在のような危機には陥らずに済んでいたことだろう。

アイケングリーンの推薦図書リストには他にも何冊か掲げられている3が、私には極めて重要に思える本が抜けているようだ。その本というのはアイケングリーン自身の手になる『Golden Fetters』(「金の足枷」)である。大恐慌の国際金融的な側面を理解したければこの本を読むべきだ。そしてそのことを理解できれば現在の危機の背後にある国際金融的な要因についてもより深く理解できるようになるだろう。『金の足枷』の中に出てくる「金本位制」という言葉を「ドル本位制」に読み替えれば現下の危機が長引いている理由について深く理解できるようになるのだ。大恐慌が引き起こされた原因はヨーロッパで金(ゴールド)に対する超過需要が発生したことにあった4。その一方で、現在の危機の背後にはドルに対する超過需要が控えている。ヨーロッパの政策当局者たちは『金の足枷』の中でも自分たちの前任者が1931年~32年の間に犯した過ちに関する記述を特に念入りに咀嚼すべきだろう。

いつの日か『Green Fetters』(「ドルの足枷」5)というタイトルの本を書いてみたいというのが私の野望だ。質の面では『Golden Fetters』には決して太刀打ちできないだろうが、主題に関しては瓜二つということになるだろう。欠陥を抱えた通貨レジームに異常なまでに固執し、その結果として世界経済に悲惨な帰結がもたらされる6。そういう筋立てだ。世の政策当局者たちにはこう訴えたいものだ。ほんの少しでいいから歴史に学んでくれ、と。

アイケングリーンの記事を教えてくれたDavid Altenhofenに感謝する。

(追記)こちらの記事でアイケングリーンがECBとFRBの傍観者ぶりに批判を加えている。ドイツ語の記事だが、興味のある向きはあわせて参照されたい。

<関連エントリー>

Between the money supply and velocity - the euro zone vs the US
International monetary disorder - how policy mistakes turned the crisis into a global crisis
1931-33 - we should learn something from history
Recommend reading for aspiring Market Monetarists

  1. 訳注;『合衆国貨幣史』の邦訳は残念ながらまだ無いが、大恐慌を扱った章(第7章)に関してはそこだけを抜き出して訳されている。次の本がそれである。 ●ミルトン・フリードマン、アンナ・シュウォーツ(著)/久保 恵美子(訳)『大収縮 1929-1933』(日経BP社、2009年) []
  2. 訳注;国債買取プログラム(Outright Monetary Transactions; OMT)の実施に向けた発表のことを指している。財政破綻の懸念がある国(イタリアやスペインなど)の国債利回りを低く抑えることがOMTの主たる狙い。 []
  3. 訳注;他にはチャールズ・キンドルバーガー(Charles Kindleberger)の『The World in Depression, 1929-1939』(邦訳『大不況下の世界――1929-1939』)にロン・チャーナウ(Ron Chernow)の『Alexander Hamilton』(邦訳『アレグザンダー・ハミルトン伝』)、そしてバーバラ・タックマン(Barbara Tuchman)の『The Guns of August』(邦訳『八月の砲声』)が挙げられている。キンドルバーガーの『大不況下の世界――1929-1939』を薦める理由としては次のように語られている。「危機を回避する上では――(危機を回避することができなかった場合には)一旦陥ってしまった危機からうまく抜け出す上では――リーダーシップが必要だというのがキンドルバーガーの主張のポイントである。もっと具体的に言うと、経済的な余力があり(経済大国であり)、その余力を行使する意志を備えた国家によるリーダーシップが必要だというのである。・・・(中略)・・・現在のヨーロッパでその役目を担い得る能力を持っているのは・・・ドイツだけである。・・・(中略)・・・ドイツがこの種のリーダーシップを発揮すれば(ユーロ圏内の)その他の国々も速やかにそれに従うだろうし、そうなればヨーロッパを悩ませている危機も終息に向かって大きく前進することだろう」(キンドルバーガーのこの本に対するアイケングリーンの見解についてはデロングと二人で執筆している次の論説もあわせて参照されたい。 ●ブラッド・デロング&バリー・アイケングリーン 「チャールズ・キンドルバーガーへの新しい序文:『大不況下の世界 1929-1939』」(RIETI, 世界の視点から;原文はこちら))。チャーナウの『アレグザンダー・ハミルトン伝』を薦める理由としては次のように語られている。「(初代大統領であるジョージ・ワシントンの下で財務長官を務めた)ハミルトンは戦費を調達するために各州政府が負った債務の返済責任を連邦政府がすべて引き受けるべきだと語った。・・・(中略)・・・我々が抱えている問題は当時のアメリカが抱えていた問題よりもずっと厄介だとヨーロッパの政府高官たちは語ることだろう。ヨーロッパには連邦政府のようなものは存在しないし、そういう存在を拵えようとの意欲も感じられないのは確かだ。しかしながら、ハミルトンが成し遂げた成果をつぶさに振り返ってみてわかることは、当時のアメリカでも現在のヨーロッパにおいてと引けを取らないくらい連邦主義(強い連邦政府の必要性を説く主張)に対する忌避感は強かったということである。独立戦争後のアメリカで立ち現れることになった政体が拵えられるためには明確なビジョンを持つだけではなく政治的な駆け引きにも長けた政治家たちの存在が欠かせなかったのだ」。最後にタックマンの『八月の砲声』を薦める理由としては次のように語られている。「他から切り離してそれだけを取り上げるとまっとうに思える一つひとつの決定もそれらすべてが積み重なることでヨーロッパ中を巻き込んだ第一次世界大戦という名の意図せざる結果が引き起こされることになった。タックマンはその様を巧みに描き出している。現在のヨーロッパで戦争が迫っていると予測する人間は誰もいないだろう。しかしながら、(国家間の)外交の世界で当てはまること――一つひとつの決定は一見するとまっとうに思えてもゲーム(交渉)の大詰めの部分に誰も注意を払わないようだと最終的に大激震に見舞われる可能性があるということ――は国際金融の世界でも同様に当てはまるのだ。現在のヨーロッパは金融版サラエボ事件が勃発する間近のところに危ういほど近付いているのだ」。 []
  4. 訳注;この点については本サイトで訳出されている次の記事もあわせて参照されたい。 ●ジェームズ・ハミルトン 「1931年のヨーロッパで何が起こったのか?」(2014年4月17日) []
  5. 訳注;”Green”というのは「ドル紙幣」を指している。南北戦争時に発行された裏面が緑色の紙幣にちなんでドル紙幣のことを「グリーンバック」と呼ぶこともある(現在は両面ともに緑色のインクを使って印刷されている)。 []
  6. 訳注;この点については本サイトで訳出されている次の記事もあわせて参照されたい。 ●アイケングリーン&テミン 「『金の足かせ』と『紙の足かせ』」(2014年9月24日) []