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ラルス・クリステンセン 「現在にこだまする1930年代の忌まわしい記憶」(2015年11月24日)

●Lars Christensen, “The very unpleasant echo from the 1930s”(The Market Monetarist, November 24, 2015)


「危機だ! 危機が迫っている!」と騒ぎ立てる「警告屋」だけにはなるまい。必死にそう自制しているわけだが、どうしても認めねばならないことがある。現状(2015年11月現在)においてはいいニュース(ポジティブなニュース)なんてどこを探してもほとんど見当たらないのだ。「金融政策の失敗」(とその結果としての「経済の低迷」)に「政治の世界における過激派の台頭」(トランプにオルバーン・ヴィクトル(ハンガリー首相)、レジェップ・タイイップ・エルドアン(トルコ大統領)、ISIS等々の台頭)、そして「地政学的な緊張の高まり」。これら3種類の「お酒」(事態)が混ぜ合わさって出来た何とも忌まわしい「カクテル」。最終的に第二次世界大戦へと行き着いた1930年代の忌まわしい記憶を思い出させる「カクテル」。そんな「カクテル」が目の前に突きつけられている今日この頃なのだ。

「大不況」(Great Recession)に見舞われてからというもの世界経済の低迷が長らく続いているが(私見では、世界経済の低迷をもたらしている原因の大半は「金融政策の失敗」にある)、世界経済の低迷は欧米の政治の世界で過激派(ギリシャにおけるスィリザ(急進左派連合)黄金の夜明け党、ハンガリーにおけるオルバーン・ヴィクトル首相、アメリカにおけるトランプ等々)の台頭を招く原因となっているとともに、民主主義諸国の内部において政治的な分断を加速させる原因ともなっているというのが私のかねてからの仮説だ。

人気が高まっているのはドナルド・トランプのような右派のポピュリストだけではない。例えばフランスやベルギーでは移民の若者たちの間でISISのようなイスラム過激派組織の人気が高まっている。民主主義という政治体制の魅力が薄れることになれば、その間隙を突いて過激派やポピュリストが躍進することになりかねないのだ。

こういった問題が地政学的な緊張として表出しているのがウクライナ情勢でありシリア情勢だ(ある面では南シナ海情勢もそうだ)。経済の低迷が続くと保護主義に人気が集まる1だけではなくやがては戦争の魅力(大衆への訴求力)も高まっていくことになるのだ。

遺憾ではあるが、現状と1930年代との類似点はあまりにも明らかだ。深読みのし過ぎは禁物だが、以下に類似点をまとめてみたのでご覧いただきたいと思う。

  • スペイン内戦〔1930年代〕 vs シリア騒乱〔現在〕: どちらのケースでも独裁的(権威主義的)な体制を敷く外国の政府が直接的ないしは間接的に内戦に関与している(スペイン内戦のケースではスターリン(ソ連)にヒトラー(ナチス)、シリア騒乱のケースではエルドアン(トルコ大統領)にプーチン(ロシア大統領))
  • 金本位制〔1930年代〕 vs ユーロ〔現在〕2
  • ポピュリストや過激派の台頭:共産主義者、ナチス、ファシストの台頭〔1930年代〕 vs スィリザ(急進左派連合)、黄金の夜明け党、ヨッビク党、オルバーン・ヴィクトル(ハンガリー首相)、トランプ、ISISといった勢力の台頭、ヨーロッパにおける分離独立運動の盛り上がり、反移民感情の高まり〔現在〕
  • 民主主義の弱体化(失敗?):ワイマール共和国〔1930年代〕 vs ヨーロッパ全土が陥っている政治的な分断〔現在〕(現在のヨーロッパでは支持基盤が脆弱な(少数与党が政権を担う)少数与党政権が乱立しており、そのような政権には経済面で本格的な改革に乗り出すだけの「政治力」(“political muscle”)が欠けている)

あまりにも人騒がせな「警告屋」のように見えるかもしれないが、上で列挙した類似点を無視するということは歴史の教訓に目を塞ぐことを意味することになろう。とは言え、「歴史は繰り返す」と言いたいわけではない(そうならないことを祈るばかりではあるが、真意は別のところにある)。現状と1930年代との類似点を見落としてしまうようであれば、事態は今よりも悪化する一方になるに違いない。そう言いたいのだ。

(追記)今回のエントリーで取り上げた話題に関する実証的な証拠をお探しのようなら、マヌエル・フンケ(Manuel Funke)&モリッツ・シュラリック(Moritz Schularick)&クリストフ・トリベシ(Christoph Trebesch)の三人がVOXに寄稿している大変優れた論説(“The political aftermath of financial crises: Going to extremes”(「金融危機の政治的帰結:過激化する大衆」)をご覧になられるといいだろう3

  1. 訳注;この点については本サイトで訳出されている次の記事もあわせて参照されたい。 ●バリー・アイケングリーン&ダグラス・アーウィン 「保護主義の誘惑:大恐慌の教訓」(2009年3月17日) []
  2. 訳注;この点については本サイトで訳出されている次の記事もあわせて参照されたい。 ●アイケングリーン&テミン 「『金の足かせ』と『紙の足かせ』」(2014年9月24日) []
  3. 訳注;本サイトで訳出されている次の記事もあわせて参照されたい。 ●ド・ブロムヘッド&アイケングリーン&オルーク 「1930年代の大恐慌下において極右勢力の台頭を支えた要因は何か?」(2013年11月19日) []

ラルス・クリステンセン 「名目GDPの急落は経済的な自由の縮小を招く?」(2015年10月29日)

●Lars Christensen, “A sharp drop in Nominal GDP will cause a drop in Economic Freedom”(The Market Monetarist, October 29, 2015)


先週のことになるが、テキサス州ダラスにある南メソジスト大学に足を運んで2回にわたって講演を行ってきた。色々と貴重な体験をさせてもらったが、中でもライアン・マーフィー(Ryan Murphy)と一緒に過ごした時間は大変有意義なものだった。マーフィーは南メソジスト大学付属の「グローバル市場&自由の先端研究のためのオニールセンター」で助教(Research Assistant Professor)を務めている。マーフィーとは彼も共著者の一人となっているつい最近書き上げられたばかりの論文をネタにして話が盛り上がったものだ。

その論文とは “Aggregate Demand Shortfalls and Economic Institutions”(「総需要不足と経済制度」)。総需要の急落は政治にまつわる(大衆の)ムードや感情に変容を引き起こし、それに伴って政策当局者をして経済的な自由の縮小につながる一連の政策へと駆り立てる。この論文の仮説をまとめるとそうなるだろう。

私もかねてから似通ったことを主張してきたものだ。中央銀行が名目支出(総需要)の伸びを「正常な軌道」に乗せることに失敗してしまうとその結果としてポピュリストを待望する感情が大衆の間で盛り上がりを見せることになりかねない。そうなれば筋悪な政策が矢継ぎ早に採用されてマクロ経済の供給サイド(潜在的な生産能力)によからぬ影響が及びかねない。かねてからたびたびそう主張してきたものだ。

冒頭で指摘したようにこの論文の著者の一人はマーフィーだが、残すもう一人の著者はテイラー・リーランド・スミス(テキサス工科大学)。論文のアブストラクト(要旨)を引用しておこう。

総需要の不足が観察される時期にはしばしば政治情勢が不安定化し、短期的にとどまらず長期的にも経済制度に何かしらの影響が及ぶことになる。景気後退への政策対応に誤ってしまうとやがては自由な経済制度に有害な影響が及んでしまいかねない。かねてからそのように憶測されてきている。本論文では経済制度の自由度を測る指標として「世界における経済的自由度指数」(EFW)を利用しているが、本論文での検証結果によると(名目GDP成長率がマイナスを記録するというかたちで)総需要不足が発生するとその後の5年間、10年間、15年間のいずれの期間を通じても(EFWで測った)経済的自由度が低下する(経済的な自由が縮小する)傾向にあることが見出された。以上の関係性はEFWの中から金融政策絡みの変数(インフレ率が低位で安定しているかどうかを測った「健全通貨度」)を取り除いたとしても依然として(概ね)成り立つが、経済制度の自由度を測る指標としてEFWの代わりに貿易開放度の値を用いた場合には成り立たないことも見出されている。

大変優れた論文であり、「金融政策の失敗」と「経済的な自由」との間のつながりを分析するための非常に革新的なアプローチを提案している論文。私にはそう思われる。

「1930年代も是非とも分析対象に加えるべきだ」。マーフィーに直接そう伝えたものだ。1930年代においてもまったく同じようなメカニズムが働いていたことが見出されるに違いないと考えたからだ。ただ一つだけ問題がある。「世界における経済的自由度指数」(EFW)では1930年代はカバーされていないということだ。

ラルス・クリステンセン 「ハイエク、ピノチェト、シシ将軍」(2013年7月12日)

●Lars Christensen, “A Hayekian coup in Egypt?”(The Market Monetarist, July 12, 2013)


(おことわり:今回のエントリーは金融政策とは一切無関係のネタを扱っている。その点ご注意いただきたい)

チリの独裁者であるアウグスト・ピノチェト(Augosto Pinicohet)に関するハイエクの見解をめぐってブログ界で非常に興味深い――ハイエクのファンにとっては不愉快なところのある――論争がしばらく前から継続中だ。事の始まりはおよそ1年前(2012年の7月)に書かれたコリィ・ロビン(Corey Robin)――保守派やリバタリアン陣営の思想家に対してかねてより左派寄りの観点から批判を加えている論者――によるこちらのブログエントリー。「フリードリヒ・ハイエクはアウグスト・ピノチェト率いる血なまぐさい体制の熱烈な支持者だった」。コリィはそう述べている。

白状しなければならないが、コリィのエントリーを(1年前に)はじめて読んだ時はきちんとした証拠に裏付けられた説得力のある主張だと感じたものだ。ハイエクの長年のファンを自認している身としては愉快とは言えないものの確かにそう思わされたのだ。その後、かれこれ1年間にわたりコリィの主張をめぐってブログ界で断続的に論争が繰り広げられ、私もその論争を追ってはいた。とは言え、じっくりと腰を据えて論争の様子を眺めていたわけでもなければ、論争の過程で持ち上がってきた個々の争点のすべてに対して自分なりの意見を固める努力をしてきたわけでもない。

コリィに対してはリバタリアンの面々から数多くの批判が寄せられている。そのうちの一人がケビン・ヴァリエ(Kevin Vallier)であり、彼による最新の(コリィに対する)反論(“Hayek and Pinochet, A Discussion Deferred For Now”)がBleeding Heart Libertariansブログに投稿されたばかりだ。ピーター・ベッキー(Pete Boettke)もこちらの大変優れたエントリーで関連する話題を取り上げている。

この論争には数多くの学者が参戦しているが、残念なことにこれまでのところは誰も論争のまとめ役を買って出てはくれていないようだ。いや、私がその役目を引き受けようというのではない。正直なところ、誰が正しくて誰が間違っているのかと問われても私は何の意見も持ち合わせていないのだ。それならなぜわざわざこの論争を取り上げたのかという話になるが、ハイエクとピノチェトの関係にまつわる論争はエジプトで現在進行中の出来事(シシ将軍率いる軍事クーデター)と密接な関わりがあるように感じられ、そのことについて少々触れておきたいと思ったのだ。 [Read more…]

ラルス・クリステンセン 「キューバ危機の痕跡はどこ? ~キューバ危機時の米国株式市場の反応は何を物語っているか?~」(2014年4月17日)

●Lars Christensen, “The Cuban missile crisis never happened (or at least the stock markets didn’t care)”(The Market Monetarist, April 17, 2014)


歴史書を紐解くと、冷戦時代の最中に起こった最も戦慄的な出来事の一つとして「キューバ危機」(キューバミサイル危機)が挙げられているのがよく目に付く。キューバ危機、それは全世界が核ハルマゲドン(核戦争という名の最終戦争)の瀬戸際に立たされた瞬間。歴史書ではそのように語られている。

しかしながら、歴史書は間違っているかもしれない。少なくとも当時の米国の株式市場の反応に照らす限りではそのように言えるかもしれない。第三次世界大戦の一歩手前まできていたのが本当だとすれば、株価はキューバ危機の最中に――石が坂を転げ落ちるように――急降下していてもおかしくないはずである。

実際のところはどうだったか? S&P500指数(株価指数の一つ)は急落なんてしなかった。1962年10月のあの13日間――米国とソ連との間で緊迫したにらみ合いが続いたあの13日間――を通じてS&P500指数には何の波風も立たなかった。あともう少しのところで第三次世界大戦にまで発展していたかもしれないことを踏まえると、この事実は何とも驚くべきことであるように思える。

米国とソ連との間でにらみ合いが続いていた間に株価には何の変調も見られなかったのはどうしてなのだろうか? その理由としてはいくつか候補が考えられる。キューバ危機はいわゆる「相互確証破壊」(MAD)の実例であり、そのことが関係しているというのがそのうちの一つだ。どちらか一方が先制的な核攻撃を仕掛ければその先には核兵器の撃ち合いが待っている。そうなってしまえばもう勝者などいない。米国(の上層部)もソ連(の上層部)もそのことをよくよくわかっており、核戦争を本気で始める気などどちらの国も持ち合わせていなかった。投資家たちはそのことを見抜いており、世界中のメディアが「第三次世界大戦勃発の危機迫る」と騒ぎ立ててもパニックなんかに陥らずに平静さを保っていた、というわけだ(世間一般に流布している通説とは違い、株式市場は政策当局者に比べるとずっと冷静でパニックに陥りにくいのだ)。

あるいはこういう可能性も考えられるだろう。株式市場は米国の上層部(ケネディ政権)よりも地政学的なリスクに通じており、キューバ危機が発生するリスクを米国の上層部よりも先んじて察知していた、という可能性である。その証拠にケネディ政権が国民に対して「どうやらソ連がキューバに核ミサイルを持ち込んでいるようだ」と打ち明ける数ヶ月前の段階で株価は20%以上も下落していたのだ。

結局のところは株式市場の見立て通りになった。第三次世界大戦は起きなかったし、キューバ危機は13日間に及ぶにらみ合いを経て終息に向かったのだった。

キューバ危機は米国内の消費者や投資家たちの目を逃れるわけには当然いかなかったわけだが、キューバ危機のような地政学的なリスクは(総消費や総投資といった総需要に対するショックというよりは)総供給ショックとしてまずは捉えるべきだろう。地政学的なリスクは(ロバート・ヒッグス(Robert Higgs)の表現を借りると)「レジーム不確実性」を高める効果を持っており、教科書的なAD-ASモデル(総需要・総供給モデル)の枠組みの中ではAS曲線(総供給曲線)を左方にシフトさせる効果がある(「負の総供給ショック」)と考えられるのだ。金融政策のスタンスに変化が無い限りは、AS曲線の左方シフトに伴って実質GDP成長率は低下する一方でインフレ率は上昇に向かうことになる。1962~63年の段階では「レジーム不確実性」の高まりの効果はまだ表れずにいたが、1960年代後半に入って徐々にその効果が表れ出して実質GDP成長率を押し下げる力として働いたのだった。

株式市場のパフォーマンスを考える場合におさえておくべき大事なことがある。株価それ自体は(貨幣単位で測られる)名目値(名目的な現象)である、というのがそれだ。それゆえ、(地政学的なリスクの高まりに伴って)「負の総供給ショック」が生じても中央銀行による金融政策の舵取りを通じて名目需要(名目支出)の安定が保たれているようであれば株価は下落するとは限らない。「負の総供給ショック」に伴ってリスクプレミアムが高まれば株価の下落圧力となることは確かだが、(株価を左右する要因の一つである)企業収益の伸び率にどういう影響が及ぶかはわからない(企業収益の伸び率は「負の総供給ショック」に伴って必ず低下するとは限らない)。

つまりはこう言えるだろう。地政学的なリスクが株価に及ぼす影響を理解するためには地政学的なリスクに対して金融政策がどう反応するかを考慮に入れる必要があるのだ。この点は目下のウクライナ情勢(ウクライナとロシアとの間でのいざこざ)の意味合いを理解する上でも大いに関係してくる話でもある。 [Read more…]

ラルス・クリステンセン 「アメリカ版ケインズ主義を取り戻す? ~トランプ政権のマクロ経済政策の行方を占う~」(2016年11月9日)

●Lars Christensen, ““Make America Keynesian Again””(The Market Monetarist, November 9, 2016)1


本日のことだが、デンマークにあるラジオ局からドナルド・トランプ次期大統領について何かコメントしてくれないかと取材の申し込みがあった。トランプその人ないしは彼が掲げている経済政策プランについて何か称えるべき面はないだろうかというのだ。「申し訳ないが他をあたってくれ」と取材の申し込みは断っておいた。というのも、トランプという人物について誉めるべき点は一切無いというのが私の率直な意見だからだ。

ドナルド・トランプという人間は下劣極まりない人物だ。私はそう評価している。また、移民や貿易といった話題について彼と私とは考えがまるっきり正反対でもある。「大統領選挙の行方は金融市場を大きく揺るがすような重大事ではない」。大統領選挙期間中に折に触れてそう強調してきたものだが、今日(大統領選挙翌日)のマーケットの反応を見る限りではどうやらその判断に間違いはなかったようだ。

マーケットの反応を解釈する

今回の選挙の結果としてトランプが次期大統領に選ばれただけではなく共和党が上下両院で過半数を占めることにもなったわけだが、マーケットはそのことが持つ経済的な意味合いについてどう評価しているだろうか? 今日のマーケットの反応は一体何を物語っているだろうか?

まず最初に言っておくべきことは、マーケットは今回の選挙結果をかなり冷静に受け止めているということだ。マーケットのこのような冷静な反応は一体何を意味しているだろうか? トランプは選挙期間中に貿易や移民の問題について何とも奇天烈な「公約」の数々を口にしてきたわけだが、トランプがいくら大統領になろうともその中の多くは到底実現できそうにない(あるいはトランプはその実現にそこまで本気になってこだわりはしない)。マーケットはそう見ているというのが私の判断だ。

次に言っておくべきことはこうだ。今回の選挙結果がアメリカ経済を景気後退に追いやる一因になることも世界的な経済危機を招く一因になることもない。マーケットは間違いなくそう見なしている。米国の株式市場も今日になって持ち直してプラスに転じているし、外国為替市場に目を向けるとドル相場は過去24時間の間でほとんど変化していないのだ。 [Read more…]

  1. 訳注;原エントリーのタイトル “Make America Keynesian Again”(「アメリカ版ケインズ主義を取り戻す」)はトランプ陣営が選挙期間中に掲げていたスローガン “Make America Great Again”(「偉大なアメリカを取り戻す」)をもじったもの。 []

ラルス・クリステンセン 「『合理的な投資家』と『非合理的な投票者』 ~米大統領選挙の結果予測をめぐって~」(2016年10月18日)

●Lars Christensen, “Rational investors and irrational voters”(The Market Monetarist, October 18, 2016)


米大統領選挙の結果がどうなりそうかをめぐって「予測市場」と「世論調査」との間でちょっとした違いが見られるようになってきているようだ。

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「予測市場」の一つであるPredictitによると(上の画像)、現時点ではクリントンが勝つ確率は81%、トランプが勝つ確率は19%と見積もられている。その一方で、 ネイト・シルバー(Nate Silver)が開発した(各種の世論調査の結果を集計して予測を行う)FiveThirtyEightによると(下の画像)、現時点ではクリントンが勝つ確率は88.1%、トランプが勝つ確率は11.9%と見積もられている。

過去数ヶ月の変遷を眺めると、「予測市場」の予測よりもFiveThirtyEightの予測の方が変動が激しい(それぞれの候補者の当選確率予想の上下動が激しい)ことがわかるだろう。

この事実は興味深い。というのは、予測市場よりも世論調査の方が「アニマル・スピリッツ」の影響に晒されやすいことを示す証拠の一つであるように思えるからだ。あるいはこうも言えるだろう。我々は「投票者」という立場で行動する場合よりも「投資家」という立場で行動する――持ち金を賭けて大統領選挙の結果を予測する――場合の方がより合理的に振る舞いがちだ。そのことを示す証拠のように思えるのだ。

世論調査と予測市場とでは何が測られているかに違いがあるという点は指摘しておかねばならないだろう。予測市場では将来の時点における選挙の結果がどうなりそうかという「予測」が測られている一方で、世論調査では投票者たちがその時点(世論調査が行われた時点)で誰に投票するつもりかが測られている。ネイト・シルバーの予測モデル(FiveThirtyEight)は両者の中間をいこうとするものだと言えるだろう。

ともあれ、「投票者」としての我々は(「投資家」としての我々に比べると)その時その時の「ムードの上下動」に晒されやすい一方で、「投資家」としての我々は(「投票者」としての我々に比べると)ずっと冷静沈着なことを示しているようで興味深い話だ。このことはブライアン・カプラン(Bryan Caplan)の『The Myth of the Rational Voter』(邦訳『選挙の経済学』)を読んでも学べる話だ。

(追記)注意してもらいたいが、今回のエントリーでは「予測市場」と「世論調査」のどちらが選挙結果をより正確に予測できるかということを問題にしているわけではない。同じ人間でも「投資家」(あるいは「消費者」)という立場で行動する場合と「投票者」という立場で行動する場合とで合理性の程度に違いが生まれるということが言いたいのだ。

ラルス・クリステンセン 「相撲の力士や海賊をテーマにした経済学の本が世間から人気を集めた理由」(2012年7月30日)

●Lars Christensen, “Remember when economists were writing books about sumo wrestlers and pirates?”(The Market Monetarist, July 30, 2012)


以下に列挙する本は私の家にある本棚から適当にピックアップしたものだが、それぞれの作品のタイトルを眺めてみてどういう感想を持たれるだろうか?

上に掲げた一連の作品がどういうタイプの本かついてはよくご存知だろう。通常は経済学の対象とは見なされていないトピックに経済学の道具立てを使って切り込んだ作品であり、いずれも経済学者が著者となっている(ジャーナリストと共著というものもある)。「経済学帝国主義者」を自任する身3としてはこういうタイプの本は大好物(大好き)だ。こういうトピックについて経済学者に言えることはたくさんあるし、その他の経済学者たちもこういった本を読んでその考えを学ぶべきだと思う。プロのフットボールクラブは経済学者をアドバイザーとして雇うべきだし、ワインのことについて何か気の利いた話を聞きたければ(ワイン評論家として名高い)ロバート・パーカー(Robert Parker)に伺いを立てるよりも(全米ワイン経済学会(AAWE)の会長である)オーリー・アッシェンフェルター(Orley Ashenfelter)に意見を求めたほうがいい(pdf)とも強く思う。

2006年から2007年にかけての頃に空港にある書店を訪ねたら上に掲げたようなタイプの本――ひとまず「日常生活の経済学」(“economics of life”)本と呼んでおくことにしよう――が経済書コーナーの棚を占拠していたことだろう。その一方で、時が流れて今現在はというと、空港の書店に置かれている経済学関係の本にはほぼ例外なくタイトルに「危機」という言葉が含まれている。ルービニやクルーグマン、スティグリッツの本を思い浮かべてみればいいだろう。「危機」をテーマにした最近流行の経済学本を総称するとすれば「大不況」本(Great Recession books)ということになるだろう。

「日常生活の経済学」本が人気を集める時があれば、「大不況」本が人気を集める時がある。その違いを生んでいるのは金融政策の良し悪しにあるというのが私の考えだ。金融政策の舵取りがそれなりにうまくいっており、そのおかげもあって名目的な安定(nominal stability)がかなりの程度保たれる4ことになれば、世間では誰もマクロ経済学のことなんか気にしないことだろう。名目的な安定が保たれている状況ではマクロ経済学の出番は無いとも言えるのだ。というのも、名目的な安定が保たれている状況では物価や名目GDP(ひいては実質GDP)の変動はいずれも「ホワイトノイズ」に過ぎないからだ。現実のマクロ経済上の出来事がすべてホワイトノイズに還元できるとなると(そういう意味でマクロ経済学の出番が無くなると)、経済学者たちは何か別の話題を探し出してくる必要に迫られることになる。こうして幼い子供や海賊、相撲の力士、フットボールといったトピックをテーマにした本が経済学者の手によって書かれ出すようになるわけだ。「日常生活の経済学」本はどれもこれも素晴らしい作品ばかりには違いないが、娯楽本という側面を強く持っていることも否定できない。娯楽性が強いとは言え、そのことを差し引いても少し前までの一連の「日常生活の経済学」本の認知度の高さ(人気のほど)には驚かされる。『ヤバい経済学』の人気を思い出してみるといい。『ヤバい経済学』が出版されたのは2005年だ。仮に『ヤバい経済学』が今現在の時点で出版されていたとしたら果たしてあれだけの成功を収める(あそこまで爆発的な売れ行きを記録する)ことはできただろうか。

「日常生活の経済学」本なんて馬鹿げていて子供じみている。そう考える人もいるかもしれない。しかしながら、「日常生活の経済学」本は名目的な安定が続いた時代(大平穏期 Great Moderation)の産物と言えるのだ。仮に名目的な安定が途切れることなく今日までずっと続いていたとしたらヌリエル・ルービニ(Nouriel Roubini)のことなんて世間では誰も知らなかったことだろう。ルービニはニューヨーク大学に籍を置く無名の学者というに過ぎなかったことだろう。ルービニやその他のマクロ経済学者のことをくさすつもりは毛頭ないが、ルービニやマクロ経済学者の発言に世間が興味を持っている多くの理由は「危機」が起こったからこそなのだ。「危機」が勃発していなければスコット・サムナーがブログを始めるなんてこともきっと無かっただろうし、私のブログでもマクロ経済の話題ではなく「日常生活の経済学」が主要なテーマとなっていたことだろう(そういう方針でいきたい思いは今でもあるのだが・・・)。

これまでに何度も語ってきたことだが、名目的な安定が保たれているようであれば、現実の世界を「セイの法則」が当てはまるワルラス流の一般均衡モデルになぞらえて理解することも基本的には可能となるだろう。このあたりの話は少し前にダニエル・リン(Daniel Lin)へのアドバイスとして「(大学の講義で教えるなら)公共選択論よりもミクロ経済学を教えるべきだ」と語った理由や私なりの経済学入門の教え方とも関係してくることだ。

サムナーもつい最近のブログエントリーで似たような指摘を行っている。名目的な安定が保たれているようであれば、ケイシー・マリガン(Casey Mulligan)やジョン・コクラン(John Cochrane)の主張も全部が全部正しい。そういう次第になるだろうというのだ。マリガンやコクランといったRBC(実物的景気循環)モデルの信奉者たちは「貨幣」の重要性を受け入れない傾向にある(そのことを示す嘆かわしい実例としてはこちらのエントリーを参照されたい)。RBCモデルは基本的にはワルラス流の一般均衡モデルの仲間であり、中央銀行が仕事をそれなりにきちんとこなしている場合に限ってRBCモデルが説くところも完璧に理に適うことになるのだ。とは言え、名目的な安定が保たれるようになれば、ワイン海賊フットボールといったトピックについて研究する格好の機会が生まれることになる。そうだというのにRBCモデルと戯れて時間の無駄使いをする気になんてなれるだろうか?

(追記)厳密に言うと、「日常生活の経済学」本の例として冒頭で掲げた作品の中には大平穏期の最中ではなく大不況入りしたばかりの頃に出版されたものも含まれている。とは言え、今回のエントリーで私が言わんとしていることは伝わるだろう。

(追々記)アメリカの読者に向けての注意。文中の「フットボール」ではボールを手で持ってはいけない。ボールは足で蹴って運ばなければいけない5

  1. 訳注;タイトルをそのまま訳すと、「イングランド代表チームが負けるワケ: サッカーをめぐる不思議な出来事を解明する」となる。 []
  2. 訳注;タイトルをそのまま訳すと、「今よりも多くの子宝を授かるべき利己的な理由」となる。 []
  3. 訳注;この点については本サイトで訳出されている次の記事を参照されたい。 ●ラルス・クリステンセン 「ベッカー死すとも経済学帝国主義は死せず」(2014年5月9日) []
  4. 訳注;名目的な安定が保たれる=名目GDPが安定した成長を続ける、とおおまかに理解しておいていいだろう。 []
  5. 訳注;「フットボール」というのはアメフトのことではなくサッカーのことだよ、という意味。 []

ラルス・クリステンセン 「マネタリーベースをいくら増やしても名目GDPは一向に増えないと仮定しよう」(2011年11月7日)

●Lars Christensen, “Taxes and the liquidity trap”(The Market Monetarist, November 7, 2011)


名目金利が極めて低い現状では金融政策は一切無効だ。というのは、マネタリーベースをいくら増やしても民間の銀行はそのまま準備預金を積み増すだけで家計や企業への貸し出しを一切増やそうとはしないからだ。そのような主張をこれまでに一体何度耳にしてきたことだろうか? マーケット・マネタリストの面々は世間に向けてそのような主張のナンセンスさ(馬鹿らしさ)を幾度となく説明しようと試みてきたわけだが、どうやらあまり耳を傾けてはもらえていないようだ。

こう説明してみてはどうだろうか? もしかしたら耳を傾けてもらえるかもしれない。名目金利が極めて低い現状でも金融政策は有効だということをどうしても聞き入れない人がいたら次のように尋ねてみればいいのだ。「マネタリーベースをいくら増やしても名目GDPは一向に増えない。そう仰るのであれば税金なんて要らなくなるという話になるんじゃないでしょうかね?」

つまりはこういうことだ。「流動性の罠」が実在するようであればフリーランチ(ただ飯)を手にする機会が目の前に転がっていることになる。政府支出の財源を税金で賄うのはやめにしてその代わりに中央銀行が貨幣を新規に発行してそれで政府支出を全額賄えばいい。「流動性の罠」が実在するのであればそこまでやってもインフレは起きないはずだ。

そんな話をしたら相手はひっくり返らんばかりに驚いて次のように絶叫するのがお決まりのパターンだろう。「そんなことしたらハイパーインフレになるに決まってる!」。もう勝負ありだ。最後にこう付け加えればいい。「証明終わり(Q.E.D.)」。

(追記)政府支出を貨幣の新規発行で全額賄えと言いたいわけではない。「流動性の罠」なんて無いことは百も承知なのだ1

  1. 訳注;政府支出を貨幣の新規発行で全額賄わずとも金融政策を通じて名目GDPを増やす(あるいは物価を高める)ことは可能だというのが私の考えだ、という意味。 []

ラルス・クリステンセン「リスクの過大評価、疑心暗鬼を生む」(2016年3月30日)

Lars Chistensen, “Overestimating risk makes us do stupid things,” (The Market Monetarist, March 30, 2016)

ベルギーでの熾烈なテロ攻撃はヨーロッパにおけるテロリズムへの恐れを大きく増大させた。ヨーロッパ大陸全域で政策立案者に過激主義者との戦いの新基準が求められ、大衆主義の政治家たちは早々にヨーロッパの国境封鎖を掲げている。しかし本当のリスクは、これらの新基準による経済的損失が実際のテロのリスクを優に上回ってしまいかねないことだ。

実際には今日ヨーロッパでテロリズムによって殺される人の数は1970年代や1980年代、冷戦時代よりもはるかに少ない。更にもっと重要なことには、テロ攻撃によって殺されるリスクは極めて小さい。

事実、アメリカ国家テロ対策センターの報告では、テロリストに殺されるのとほぼ同じくらい、アメリカ人は年間に「テレビや家具に潰されて死ぬ」。では、テロ攻撃によって殺されるリスクと交通事故によって死ぬリスクを比べるとどうなるだろうか。

2000年以降で最も多くの人がテロによって殺された年を例に取ってみよう。2004年にはヨーロッパ全体で200人近くの人がテロ攻撃によって殺された。2004年はマドリッド列車爆破テロが起こった年だ。これと交通事故による死者の数を比べてみよう。最新の統計によるなら、ベルギーで746人、フランスで3268人、スペインで1730人だ(いずれも2013年)。交通事故で死ぬ確率はとても小さい。しかしテロ攻撃によって殺されるよりもはるかに起こりうる。別の言い方をしてみよう。2001年に911テロで殺された人よりも毎年フランスで交通事故で死んでいる人は多い。

その事実に反して、交通事故に言及する政治家がほとんど見られない一方で、基本的にすべてのヨーロッパの政治家がテロリズムの脅威に「何らかの対処をすべき」と叫んでいる。

私はヨーロッパ政治の「何らかの対処をすべき」とする傾向には二つの根本的な原因があると考えている。(これはテロリズムの事例に限らず、環境に対する議論にも当て嵌めうる)

第一に、心理学者が示しているところでは、人間は一般的に滅多に起こらない事象のリスクを見積もるのが苦手であり(テロ攻撃によって殺されることはこれに当たる)、それらのリスクを著しく過大評価する傾向がある。

第二の原因は、アメリカの経済学者、ブライアン・カプランが「合理的なる非合理投票者」と呼んだものだ。ここでカプランが意味するところでは、ある個人の票が選挙の結果に与える影響はごく限定的である、といった合理的な判断は投票の過程で我々投票者が下す必要は無い、となる。それゆえ、合理的な非合理、無責任、無知と呼ぶ。〈訳注1〉

その結果、車を買うとか投資をするといった決断をする時と違い、政治的判断をする時には恐怖や幻想に振り回される。政治家たちはこのことをとてもよく知っており、これらの恐怖を利用することに躊躇しない。結局のところ、有権者に統計を示したとしてもそれが当選につながることは滅多に無いのだ。

しかし私たちは――個人としての生活にしても政治判断にしても――恐怖の迷宮に迷い込んではならない。最善の方法はイギリス人が言っている――「心を鎮めよ、そして歩み続けよ」〈訳注2〉。それはヨーロッパ市民にとってテロリズムが危険要因であることに目をつぶっていい、ということではない。しかしもし私達が恐怖に振り回されて政策を決定するとすれば、それは確実にテロリストの勝利なのだ。

*この記事はアイスランドの新聞、“Frettabaladid”の論説を転載したものである。

訳注
1.「合理的な非合理」に関しては、ブライアン・カプラン著「選挙の経済学(原題:The Myth of the Rational Voter)」を参照にできる。なお、翻訳者個人の意見としては、ここでカプランを引き合いに出すのは間違った解釈と思われる。

2.この部分は原文では”calm down and carry on”となっているが、”keep calm and carry on”を引用したものと思われる。

ラルス・クリステンセン 「大恐慌勃発当時に中国が銀本位制ではなく金本位制を採用していたら」(2011年10月29日)/「大恐慌当時にスイスがもっと早いタイミングで金本位制から離脱していたら」(2013年2月25日)

●Lars Christensen, ““Chinese Silver Standard Economy and the 1929 Great Depression””(The Market Monetarist, October 29, 2011)/“Working paper of the day – Straumann et al on Switzerland, the Great Depression and the gold standard”(The Market Monetarist, February 25, 2013)


1929年に大恐慌(Great Depression)が勃発した当時、主要国の中で金本位制を採用していなかった国が2つだけある。中国とスペインだ。中国にしてもスペインにしても金本位制を採用していなかったおかげで大恐慌に伴う深刻な負のショックに晒されずに済んだのであった。この歴史上のエピソードは「誤った」為替制度(為替レートレジーム)の選択がいかにして災厄を招き得るかを示す格好の実例であるだけでなく、「(個人あるいは国家の命運を左右する上で)運的な要素(偶然)が果たす重要性を過小評価するなかれ」というミルトン・フリードマンの格言1を思い起こさせる例の一つでもある。

つい最近のことだが、大恐慌当時の中国経済をテーマにした興味深い論文を見つけた。賴建誠(Cheng-chung Lai)と高志祥(Joshua Jr-shiang Gau)の共著論文である “Chinese Silver Standard Economy and the 1929 Great Depression(pdf)”(「銀本位制下の中国経済と1929年の大恐慌」)がそれだ2。論文のアブストラクト(要旨)を以下に引用しておこう。 [Read more…]

  1. 訳注;この格言はミルトン・フリードマン著『Money Mischief: Episodes in Monetary History』(邦訳『貨幣の悪戯』)の中に出てくる言葉である。具体的には、チリとイスラエルによるドルペッグ制の実験の帰結との絡みで発せられた言葉である。チリは1979年に、イスラエルは1985年にそれぞれドルペッグ制(自国通貨とドルとの交換比率を一定に固定する為替制度)を採用することになったが、その試みはチリでは悲惨な結果をもたらすことになった一方でイスラエルでは大きな成功をもたらすことになった。「同じ政策」が「正反対の結果」をもたらすことになったわけだが、フリードマンはその理由を「外的な環境」の違い(ドル相場の変動、主要な輸出入産品の価格動向)に求めている。当事者の力ではどうしようもできない「外的な環境」の違いによって(「同じ選択(決定)」をしていても)一方では大成功につながることがあり他方では大失敗につながることがあるという経験を要約して発せられたのが「(個人あるいは国家の命運を左右する上で)運的な要素(偶然)が果たす重要性を過小評価するなかれ」という格言というわけである。 []
  2. 訳注;ちなみにタイラー・コーエンもこの論文を話題にしており、「大恐慌下の中国経済の実態についてはまだまだ研究が不足している」とコメントしている。さらには、関連する研究としてローレン・ブラント(Loren Brandt)&トーマス・サージェント(Thomas Sargent)の共著論文(“Interpreting new evidence about China and U.S. silver purchases”(pdf))とミルトン・フリードマンの論文(“Franklin D. Roosevelt, Silver, and China”)にも言及している。この2つの論文では中国が(1935年に)銀本位制からの離脱を決めた理由が探られているが、フリードマンの論文は訳注1でも触れた『貨幣の悪戯』の第7章に収録されている。『貨幣の悪戯』のはしがきではこの論文について次のように述べられている。「第7章では別のエピソードを取り上げよう。1930年代にアメリカが実施した銀購入計画の波紋である。西部選出の上院議員たちを懐柔しようとフランクリン・ディラノ・ルーズベルト大統領はある決断を下した。まさかその決断〔銀購入計画;引用者注〕がアメリカから遠く離れた中国共産党の勝利に目に見えるような形で貢献することになろうとは誰が聞いても突飛な話としか思わないだろう。だが、この出来事が引き起こした一連の事象は明白であり、紛れもない事実である」(邦訳、pp.9)。ルーズベルト大統領による銀購入計画は「小事と思われた出来事の波紋がはるか遠くまで拡がり、まったく思いも寄らない影響を歴史に及ぼしたという実話」
    (邦訳、pp.7)であり、「一見、通貨の動向の些細な変化と思われたことが、実は経済全体に思いも寄らない影響を広範に与えた」(邦訳、pp.6)エピソードの一つというわけである。 []