前のページで考えた消費者の場合と同様に,今度は生産者側のことも考えてみましょう。
個々の生産者の供給曲線のグラフを,先ほどと同様に横軸の数量から対応する高さを読み取るとき,供給曲線の高さとは機会費用の大きさを表しています。つまり,横軸の一本目に相当するところは,一本目の缶ビールを生産してお客さんに提供することかかる機会費用を,二本目に相当するところの高さは二本目の機会費用を意味しています。
供給曲線の高さがなぜ会計上の費用ではなく機会費用を表しているのかを理解するためには,3-6を復習することが有益です。
3-6では,私たちは靴を作る職人の意思決定について考えたのですが,その際に原材料費はゼロと仮定していましたね。しかし靴を作るのにかかる原材料費が仮にゼロであったとしても,生産者が靴を作るとは限らないということを私たちは学びました。別の仕事をしたらどのくらい儲かるかを考えて,靴作りの方が相対的に得でなければ生産をしないからです。
繰り返しますが,機会費用とは,実際にかかる経費に別のことをやったときに得られる利益を加えたものです。よって靴作りをする場合の収入が機会費用を上回らないと生産しようとは思わないのでしたね。
もう一点注意しておく必要があるのは,原材料費がかかる場合には,このお金についても別の使い方をしたらいくら儲かったはずなのかを考える必要があるということです。3-6の説明では原材料費がゼロとしておいたので,この点については考える必要がなかったのです。
例えば一足分の原材料費として3000円かかるとしましょう。靴を作るためには事前にこれだけのお金を材料に取り替えてから,実際の製造工程に入るわけです。しかし靴を作らずにこの3000円を銀行に預けておいたら,少ないながらも利子収入が入ります。
つまり最初の一足の靴を作ることにかかる機会費用とは,実際にかかる原材料費に,生産者が別の仕事をしたときに得られる利益を加えるだけでなく,原材料費を安全に運用したときに得られたはずの利子収入も加える必要があります。
これも以前とても強調したことですが,会計上の費用や利益と,経済学的な費用や利益は異なります。仮に機会費用と一致する金額で靴が一足売れたとすると,会計上は利益が出ることになります。このことを用いて言い換えるなら,機会費用とは実際にかかる経費に正当な利益を加えたものだといえるのです。
それでは缶ビールの例に戻りましょう。
供給曲線とは市場に提供される財・サービスの機会費用を表すものであり,商品の値段がこの金額を超えないと商品は作られないということをこれまで説明しました。ここで市場価格と機会費用の差額は,正当な利益を超えてさらに受け取ることができる利益と考えることができます。これを超過利潤と呼びます。
生産者余剰とは,実はこの超過利潤のことなのです。よって生産者全員分の生産者余剰を足し合わせると,下の図のように描くことができます。

また既に説明したように,総余剰(または社会的余剰)とは,消費者余剰と生産者余剰を足し合わせたものであり,これをできるだけ大きくすることがミクロ経済学の目的でしたね。
次に完全競争市場の効率性について説明しましょう。
総余剰が最大化されているとき,効率的であるといいます。実は市場均衡点で取引されているときには総余剰が最大になっています。
これを確認するためには,まず均衡取引量よりもあと一つだけ多く生産したときのことを考えると良いでしょう。あと一つだけ追加的に生産するためには,現在の市場価格を超える機会費用がかかりますね。しかしこの増えた一つの商品を誰かに買い取ってもらおうとしても,この市場には均衡価格よりも高くこの商品を評価している消費者はもう一人もいないのです。よって,一つ余計に生産してしまうと,生み出される価値よりも生産費用の方が高いことになってしまい,これは交換の利益を増やさないだけでなく減らしてしまうことになります。
同様に,均衡取引量よりも一つだけ少なく生産した場合も考えてみましょう。このとき,本当は生産が行われて交換されていれば発生したはずの交換の利益が損なわれてしまいます。これはもったいないことですね。
いまは均衡取引量よりも一つ増やしたときと一つ減らしたときのことを考えましたが,同様に考えると,何個増やしても減らしても,今よりも余剰が減ってしまうことが確認できます。従って交換の利益はこれ以上には増やせないことになります。
ここでは,市場均衡は効率的な結果をもたらすということを確認しました。少し先取りしてしまいますが,実現可能な社会的余剰(=総余剰(=消費者余剰+生産者余剰))の最大値と実際の社会的余剰の差を死荷重といいます。言い換えるなら死荷重とは実現できなかったロスのことです。市場均衡では死荷重がゼロになっているから望ましい結果であるということもできますね。
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