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ジョセフ・ヒース「講義『気候変動問題』のシラバス」(2015年6月23日)

Climate change syllabus
Posted by Joseph Heath on June 23, 2015 | Uncategorized

今秋学期開始のこの講義では、環境倫理学を教える予定です。特に「気候変動問題」に焦点を当てています。本コースは3学年向けのものであり、2学年時の一般環境倫理学を既に履修していることを前提にしています。なので、このコースで基本分野を扱うことは義務付けられておらず、扱うことは少なくなる予定です。エリック・ポズナー (Eric A. Posner) とディヴィッド・ワイスバッハ (David Weisbach)1の本”Climate Change Justice“『気候変動対策の公平性』を基本の教科書として使用し、授業の進行に応じて副読本を追加する予定です。指定資料が全てではありません。私が賛成しそうなものや、議論を呼ぶような資料も追加する必要があるでしょう。ついでに、[本講義は]純粋な環境「倫理」というより、環境における「公平性」や「政策」を重視した内容となっています。

いずれにせよ、どんな追加書籍・論文であろうと、[学生からの]提案を歓迎します。ヘンリー・シュー (Henry Shue)2 、ステファン・ガーディナー (Stephen Gardiner)3 、カレン・マッキノン (Karen McKinnon)4 、ダレル・メレンドルフ (Darrel Moellendorf)5 、その他らは、お馴染みかもしれませんが、私もまだ一部しか読んでいませんので、見逃している良い事例があれば、お知らせください。あと、私はポズナーとワイスバッハの本の内容に従って講義の項目を作成しており(彼らのこの問題への体系化は非常に優れていると考えています)、この本を読んでいない場合、このシラバスは無意味なものとなるでしょう。

PHL373F:環境倫理の諸問題6
気候変動への対処:この講義では、人由来の気候変動問題に対処するための効果的な政策手段を立案するときに直面する、規範的な難問のいくつかを、学生に説明する予定です。
まず、問題の制度的な側面と主な政策手段を説明するところから始めます。そこでは、[人や政府機関等が]共同で行動する際の問題の分析、『炭素価格付け』の理論的根拠、炭素排出の削減を達成する為の主要な制度的メカニズム、等が含まれています。私たちは、そこで具現化した2つの規範的論題に焦点を合わせることになるでしょう。「環境保全はどの程度までなされるべきなのか?」と「『便益』と『負担』をどのように配分するのか?」と言った論題です。
対処するには非常に難しい問題群もあります。それは「現役世代と将来世代との、利益の調整をどのように決定すればよいのか?」とか「将来世代の排出権を決定する際に、『過去の排出量』や現時点での経済的な不平等が果たす役割をどう位置づければよいのだろう?」といったものになります。

1.総括的導入

2.コモンズの悲劇
ギャレット・ハーディンThe Tragedy of the Commons,” 『コモンズの悲劇』 Science 192号(1968年)
トーマス・シェリングミクロ動機とマクロ行動』”Micromotives and Macrobehavior”(1978年)第7章

3.規制についての理論
アフメド・フッセン (Ahmed Hussen)7Principles of Environmental Economics”『環境経済学の原則』(London: Routledge, 2000) 第5章
ロナルド・コース  “The Problem of Social Cost,”『社会的費用の問題8 Journal of Law and Economics, 3 (1960): 1-44.

4.気候危機についての序論
エリック・ポズナー&ディヴィッド・ワイスバッハ “Climate Change Justice”『気候変動対策の公平性』第1章
ジョン・ブルーム (John Broome)9Climate Matters”『気候の諸問題』(New York: W. W. Norton, 2012),第2章

5.政策手段
エリック・ポズナー&ディヴィッド・ワイスバッハ “Climate Change Justice”『気候変動対策の公平性』第2章

6.義務論的アプローチ
サイモン・キャニー (Simon Caney)10Climate Change, Human Rights and Moral Thresholds,”『気候変動、人権と道徳による限界』in Stephen Gardiner et. al. (eds.) Climate Ethics (Oxford: Oxford University Press, 2010), pp. 122-145.
キャス・サンスティーン恐怖の法則 予防原則を超えて』“Beyond the Precautionary Principle,” University of Pennsylvania Law Review, 151 (2003): 1003-1058.

7.実質よりもスタイルが大事
エリック・ポズナー&ディヴィッド・ワイスバッハ “Climate Change Justice”『気候変動対策の公平性』第3章
エリノア・オストロムA Polycentric Approach for Coping With Climate Change,”『気候変動に対処するための多面的アプローチ』 World Bank Policy Research Working Paper 5095 (2009)

8.気候変動と再分配の公平性
エリック・ポズナー&ディヴィッド・ワイスバッハ “Climate Change Justice”『気候変動対策の公平性』第4章

9.悪事を成敗する
エリック・ポズナー&ディヴィッド・ワイスバッハ “Climate Change Justice”『気候変動対策の公平性』第5章
ウォルター・シノット・アームストロング (Walter Sinnott-Armstrong)11   “It’s Not My Fault,”『それは私の責任じゃない』in Stephen Gardiner et. al. (eds.) Climate Ethics (Oxford: Oxford University Press, 2010), pp. 332-346.

10.1人あたりの排出権
エリック・ポズナー&ディヴィッド・ワイスバッハ “Climate Change Justice”『気候変動対策の公平性』第5章
サイモン・キャニー“Justice and the Distribution of Greenhouse Gas Emissions,”『温室効果ガス排出における公平性と再分配』Journal of Global Ethics, 5 (2009): 125-146.

11.将来世代
エリック・ポズナー&ディヴィッド・ワイスバッハ “Climate Change Justice”『気候変動対策の公平性』第7章
デイヴィッド・ピアース (David Pearce)12  、ベン・グルーム (Ben Groom) 、キャメロン・ヘプバーン (Cameron Hepburn) 、フィービー・クローンドリィ (Phoebe Koundouri) “Valuing the Future,”『将来世代を評価する』World Economics, 4 (2003): 121-141.

12.結論と総括
エリック・ポズナー&ディヴィッド・ワイスバッハ “Climate Change Justice”『気候変動対策の公平性』第8章

※訳注:訳者による補足、註釈の文面は基本的に[]で囲っている。
※訳注:”Justice”は「公平性」と訳している。
※訳注:指定書籍・論文で、邦訳があるものは、邦訳タイトルをまず記載した後に、原題を記載している。邦訳がないものは、原題の記載後に、暫定の邦題を『』で囲った上で続けて記載している。指定の書籍・論文で、ウェブ上で確認できたものにはリンクを貼っている。
※訳注:挙がっている人名で、邦訳された人名がある場合はその記載に従っている。人名が日本で一般的で無い場合は、暫定の邦訳人名を記載した後に、アルファベット表記の人名を続けて記載している。
※訳注:書籍・論文の著者で日本語版のウィキペディアに項目がある人物は、ウィキペディアにリンクを張ることで説明を割愛している。

  1. 訳注:共にシカゴ大学ロースクールの教授。エリック・ポズナーは、「法と経済学」で有名なリチャード・ポズナーの息子である。 []
  2. 訳注:オックスフォード大学教授。政治学が専門 []
  3. 訳注:ワシントン大学教授。哲学者 []
  4. 訳注:レディング大学教授。公共政策と気候変動の研究が専門 []
  5. 訳注:ゲーテ大学フランクフルト・アム・マイン教授。政治倫理学が専門 []
  6. 訳注:PHL373Fは講義の管理コード []
  7. 訳注:経済学者。カラマズー大学経済学部教授。環境問題が専門。同名の政治家との混合に注意。 []
  8. 訳注:有名な『コースの定理』が始めて提唱された論文。邦訳書籍『企業・市場・法』の第5章に収録 []
  9. 訳注:オックスフォード大学教授。哲学および経済が専門 []
  10. 訳注:オックスフォード大学教授。政治理論が専門 []
  11. 訳注:デューク大学教授。哲学者 []
  12. 訳注:経済学者。元ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン教授 []

ジョセフ・ヒース『反リベラリズムの解剖学』(2017年02月19日)

The anatomy of anti-liberalism
Posted by Joseph Heath on February 19, 2017 | Canada, multiculturalism

protest-masjid-toronto

金曜日(17日)、カナダ市民は、醜悪な見世物に直面させられた。トロントにあるモスクのすぐ外で、ムスリム系移民の停止と、カナダにおけるイスラム教の禁止を訴える抗議活動が行われたのだ。報道によると、抗議活動の参加者は、総計でわずか15人だったようだ。なので、わざわざ騒ぎ立てることではない。しかしながら、この件が、103号動議1 に関してウソを付き続けている、あるいは馬鹿騒ぎを続けている、カナダ保守党の構成員全員に、自制を促す事にはなるべきだろう。

この件にこれ以上言及する必要は感じないが、CBCラジオによる、抗議活動の参加者の1人である、女性へのインタビュー(オンラインでは聞けないようだ2 )は、グレートですよこいつはァ、という感じであった。多くの人が、党派性に縛られないリベラル3 な社会認識を共用している、との今日の一般的見解がある。この見解は、まったく実情にそぐわない事を、私は多くの事例から知っている。ただそれにしても、反リベラル的見解が、ここまで簡潔で要を得て意思表示されているのを、見聞きできることは滅多にない。インタビュアーが、女性に「あなた方の抗議活動と、シナゴーグ4 前で反ユダヤ主義の抗議活動を行っている人との、違いは何ですか?」と根源的な問いを行っている。女性の返答は、おおよそになるが「ユダヤ主義は邪悪じゃないが、イスラムは邪悪」だった。

完璧な返答だ。彼女らはもはや信教の自由すら認めていない。単純に宗教をひとつづつ見比べた後に、『善』と『邪悪』を判別し、『善』だけを認めよう、というわけである。誰か、ケリー・レイッチ5 に教えてやるべきだ。 移民を『選別』する、よりよい方法として『善』なる人と『邪悪』なる人を単純に分けた上で、『善』なる人だけを残すのである。邪悪に仕える人を除けば、この選別政策に反対する人なんていないだろう?

この件は、人は本当に『リベラリズム』をどの程度受け入れているか、どの程度自分のものにしているかどうか、を測定する良いテストとして出題されている。[反イスラームの]抗議者達の主張を聞いた時の、あなたの率直な反応が「馬鹿馬鹿しい。イスラム教は邪悪じゃない」のようなパターンだったら、あなたはインタビューに答えていた女性とだいたい同じくらいリベラルだ。もし反応が「馬鹿馬鹿しい。個人の自由に関する問題群が、『善悪』かどうかだけの皮相的な判定に収まるわけがないだろう」のようなパターンだったら、主流派エリートの見解へようこそ!

※※訳注
訳者による補足、註釈の文面は基本的に[]で囲っている。

  1. 訳注:去年のカナダでのモスク襲撃事件を受けて与党・自由党の議員によって提出された、人種・宗教差別を批判する国会動議。カナダ保守党は、言論の自由の見地等を理由にこの動議に反対している。このブログ記事で詳しい日本語による解説を読むことができる。 []
  2. 訳注:現時点では、CBCの報道記事でインタビュー動画を見ることが可能。 []
  3. 訳注:ここでのリベラルは、「他者への寛容」といった意味で使われていると思われる。 []
  4. 訳注:ユダヤ教の教会。正式には『会堂』と呼ばれる []
  5. 訳注:「『反カナダ的価値観』を持った移民を排斥すべきである」と唱えている、去年、ヒースが批判した、カナダ保守党の政治家。 []

ジョセフ・ヒース『Brexitに見る、イギリス断絶の諸相』(2016年06月24日)

Intergenerational dimension of Brexit
Posted by Joseph Heath on June 24, 2016 | elections, political philosophy

昨日、イギリスは、国民投票で、EUからの離脱を決定した。この投票の際立った特徴の1つが、決定的なまでの世代間の断絶である。若い人達は、EUへの残留に強く賛成していた。(ここの図表で、投票の内訳を見ることができる。図表によると、55歳以上の年齢層のみがEUからの離脱に賛成票を多く投じている。一方で、別の世論調査によると、18~24歳では75%が、EU残留に票を投じている)。年齢によってこの件への関心の示し方が、明快に断絶している。イギリスは、EUからの移民を受け入れる代償として、自国市民が、他のEU加盟国で、居住し、働く権利を得ている。この権利による便益は、年配の人より、若い人に大きいメリットとなっているだろう。([Brexit後の]事実として、[イギリスの]年金を受給している年配の人は、ヨーロッパの住みたい場所ならどこであれ、住み続けることができる。[年金受給の]カナダ人が、フロリダで生活するのと同じように。一方で、若い人は、[EU加盟国で自由に]働けなくなることで、移動が制限されていると、感じるようになるだろう)。

公平さにおける重要な議論が起こっていると、人によっては感じているかもしれない。年配のイギリス人は、自身の若い頃のイングランドを維持する為に、結果的にであるが、投票を行ってきた。この年配者の投票行動は、イングランドで生活せねばならない将来世代への、無関心さを事実上表明してしまっている。([この年配者の投票行動は]イングランド(とウェールズ)が、強く意思表示を示してきたことと同義でもある。Brexitは結果的に、スコットランドの独立と、アイルランドの統合及び北アイルランドの[英連邦からの]分離を強く促す事にもなる1 )。もうすぐいなくなる高齢者が、結果的であれ、[投票で]強い存在感を示しているように感じられる事は、[投票による]発言権の平等の在り方として正しいのだろうか?

フィリップ・ヴァン・パレースによる、論文『高齢者の投票権剥奪、及び世代間の公平性確保への代替の諸提案』は非常に価値がある論文だ。この件[高齢者の強くなりすぎた投票による権力行使]に関して、彼は問題提起を行っている。彼が喚起している論点は、深刻に捉えられるべきであるのに、あまり関心を払われていないように、私には感じられる。もちろん、高齢者の投票権剥奪のアイデアを、そのまま検討するのは、あまりに非現実的だ。しかしながら、高齢者の投票による権力行使を減じさせる方法は、いくつか存在する。このいくつかの方法を取ることで、投票権剥奪を行わずに、[高齢者の強くなりすぎた投票による権力行使]を止めることが可能だ。ヴァン・パレースが検討している中で、一つの魅力的な提案が、子供も含む全年齢への選挙権の付与である。もちろん、[選挙権を与えられた]未成年者は、18歳になるまでは、両親や保護者が代理で投票権を行使することになるだろう。この提案が実現すると、幼い子供を持つ親は、1票以上の投票数を得ることになる。

この提案を政策として実施するのは、私には実現可能なものに思えるし、政策理念への反論は今のところ見聞きしていない。イギリスにおいて選挙制度の改革について論じるのなら、この提案を検討してみてはどうだろうか?

※※訳注
訳者による補足、註釈の文面は基本的に[]で囲っている。

  1. 訳注:イングランドの全投票者に占めるイングランドとウェールズの割合は非常に大きく、これら2地域はEU離脱への賛成票が多かった。逆に、スコットランドと北アイルランドはEUへの残留を望む投票結果を示している。スコットランドと北アイルランドの主要産業である農業はEUとの経済的繋がりが、非常に強い。 []

ジョセフ・ヒース『トランプはいかに狂っているか その1(続くだろう…)』(2017年1月26日)

How Crazy is Trump? Part 1 (and counting…)
Posted by Joseph Heath on January 26, 2017 | economy, politics, Uncategorized
昨日、アンドリュー・コインは以下のように書いた

国家が、貿易赤字や貿易黒字を抱えていようとも、それは国の厚生にはわずかしか違いをもたらさない。これは一般常識であり、もちろん個別の国にも適応される。このように[貿易収支を過大視]して考えてしまうのは、ほんの初歩的な誤りなのだ…。

トランプと(その仲間達)は、国家間の貿易の目的は黒字を出す事にある、との考えをどこで仕入れてきたのだろう? おそらく、実業家であるが故に、仕入れてきたのだろう。トランプは、国の貿易収支と、企業の損得の計算を同一視しているのだ。よりありえるのが、会計と経済学を取り間違えている可能性である。経済学部の初年度生は皆、国民所得は、消費と投資と国家支出に、輸出と輸入の差額(すなわち貿易収支)を、総計した物であるという事を、教わっている。

初歩的な経済学理解にツッコむのは、滅多に報われないので、慈悲深くあろうとはしてるが…。

今日の午後になるが、メキシコとの国境に建設する壁の建設費用を、メキシコに払わせる為に、メキシコからの輸入品に20%の関税を課すことになるかもしれないと、トランプの大統領報道官が告知した。以上告知は、コインの2つの説、つまり『初歩的な誤り』か『会計と経済学のとり間違い』のどちらが当たっているだろう? 私の考えは、『初歩的な誤り』である。

多くの経済学者が疑うことなく鋭く指摘しているように、壁の建設費として、メキシコからの輸入品に関税を課すことは、アメリカ人が払う事に他ならない。以上は、常識なのだが…。

※※訳注
訳者による補足、註釈の文面は基本的に[]で囲っている。

ジョセフ・ヒース『とある保守政治家の自国第一主義』(2016年11月11日)

Kellie Leitch on Anti-Canadian Values
Posted by Joseph Heath on November 11, 2016 | Canada, multiculturalism, politic

ケリー・レイッチは、私の選挙区選出の国会議員でカナダ保守党の党首候補でもある。彼女は、先日、カナダへの移民希望者に対して、『反カナダ的価値観』の持ち主であるかどうかの『選別』を行うことを提唱した。この提唱への反応を観察することは、今を持ってしても興味深い。多くの人達がこの提唱に激しい怒りを表明している。しかし、怒りを表明した人のほとんどは、彼女の提唱が間違えているとハッキリ言明するのに苦慮もしている。

もちろん、レイッチ提唱の選別は、現実の運用面に関しては、完全な反論が可能だ。選別を実際に行うには、移民の価値観を、直接問いただす事になり、これは非現実的だ。よって、『反カナダ的価値観』を保持していると疑いのある特定の国から来た特定の集団や人達(ニカブ1 を着用しているような女性)への選別処置が、唯一の方法になるだろう。ここで、もしなんらかの言質を取らせるような質問――例えば「あなたは男女は平等であるべきだと信じていますか?」――を行ったとしよう。すると結局のところ移民達は互いに相談することで、即座の『正しい答え』を返すようになるだろう。なので、本当の唯一の方法、外見上の特徴に基いて疑わしい『反カナダ的価値観』を抱えていると思われる個人を締め出す処置に至るだろう。

現実の運用面での反論はひとまず置いてけば、レイッチ提唱の選別に対して、筋が通った反論を、あまり見ることができていない。移民が『反カナダ的価値観』を持っているかもしれないと、わずかでも示唆することは、単に移民に汚名を着せる事であり、差別的でもあると、多くの人は考えているようだ。以上のように考えてしまうことは、罪深いまでにナイーブな考えだ。世界中の多様な国々の、同性愛、性的平等、人種差別、親の権威、子供への体罰、動物の扱い方、その他これらに類する多くの件での公的態度を参照してみれば、世界中の多数の人々の『価値観』が、カナダの多数派の『価値観』と著しく異なっていることは明白だ。おまけに、ほとんどの移民は、経済的機会を求めてカナダに来ており、出身国の社会的価値観から逃れてきたわけではない。なので、移民らの持っている価値観は、出身国の一般的な価値観を反映したものになるだろう。結果として、やってきた移民の多様な価値観は、カナダ人が一般的に同調している価値観から、深く外れたものになっている。一つの事例を挙げるなら、パキスタンからカナダへのムスリム系移民の52%が、同性愛は社会的に許容すべきでないと考えている。一方で総カナダ人では14%しか同じように考えていない。この数字は特に驚くべきものではない、なぜなら同性愛はパキスタンでは、違法であると共に、深い禁忌だからだ。

他の事例についても考えてみよう。多様な移民コミュニティでは、子供への体罰のような事例でも、深刻な不安事を孕ませている。カナダ国外では、多くの人々が子供をぶっているし、それが普通だと考えられている。子育て時には、子供をぶつのは必須の習慣であるとさえ考えられてもいる。カナダに来た移民達は、カナダにおいて子供をぶつことは違法であり、もし子供をぶった事が見つかれば、子供は取り上げられる可能性があると2 、コミュニティの仲間から教えられる事になる。こういった事態はまるでカナダ政府が、『タイムアウト3 』の適切な使用方法や、「テレビ・タブレットは○○時間まで」といったモニターから子供を遠ざけるルール等々の、体罰に代わるしつけ技術を移民達に講習することを怠っているようでもある。さらには、現行法には、非常などっちつかずな要素が残されている。カナダにおいて子供をぶつ事が悪いという考え方は、相当に最近のイノベーションであるからだ。(私が小学生の頃は、まだ教師達は、受け持ちの生徒達を殴る事が許容されていた。ただそれは、当時においても、公的な学校規則ではなかった。既に父の世代の習慣だった)。多くの移民が、こっそりと自身の子供達をぶち続けている。以上が意味するのは、移民達は、子供をぶっている事が見つかることは恐れてはいるのだ。(余談だが、多くの生まれつきのカナダ人も、同じようにこっそりとぶっている)。移民達の多くは、このような[子供をぶつ事が悪い]習慣に強く反発しており、自身の子供にこの習慣を適用しようとはまったくしていない。その一方で、移民達は、誰かがこの件で、児童福祉を呼ぶ事を恐れてもいる。以上指摘の状況を検討してみれば、この状況はちょっとした窮地にある。多くの移民達は、自身の信仰や慣習はカナダ社会において広く共有されていないことを知っている。ただ移民達は、[カナダ社会に]順応するためにはどのくらい、[カナダ社会において求められる慣習を]受け入れなければならないかに、ハッキリとした基準を持ってもいないのだ。そしてまた、移民達は、少数派であるとの汚名を着せられる事や、カナダの文化に対して無配慮あると表明してしまう事を恐れてもいる。我々カナダ社会の価値観・規範・期待における相互理解は、非常に恐ろしい状況に至っている[訳注:移民に行っている政策が結果的に強圧的なものと黙認の曖昧な同居になってしまっている事を指摘していると思われる]。なんにせよ、カナダに来た移民達に、強い反カナダ的価値観の持ち主が、いるかいないかについて、議論するのことは無意味だ。(余談だが、去年、セリーヌ・ディオンが、ビーバー・マガジンの『最悪のカナダ人』コンテストで優勝した4 時には、私としては「マジかよ!?」と思ったし、「Khadarファミリー5 はどうなってる? 少なくとも両親はどうなの?」とツッコんだ事を思い出した。なんというか、セリーヌ・ディオンらは『悪人』じゃないかもしれないけど、彼女らが『悪いカナダ人』であるとされてるのは、皆が認めているのである)。

以上までの議論をふまえれば「レイッチの提唱を拒否する」とは、どういう事なのだろうか? 一つ目の反論は、生来のカナダ人の多くが『反カナダ的価値観』を保持しており、我々はこれを黙認していることだ。移民にだけ、価値観のリトマス試験的なテストを押し付ける事は、平等に反する事になる。そこで、移民達に、『同性愛者』に関する識別テストを、[不平等を理由に]大目に見た時、カナダの保守的なキリスト教徒の非常に多くの構成員が、『反カナダ的価値観』を持つと分類する事になる。一方で、保守的なキリスト教徒の[反カナダ的価値観の]教義を、大目に見ることになる。以上事態に至ることは、レイッチが『選別』や『反カナダ的価値観』を熱心に話題にする事に、抗するが難しくなるだろう。さらに別の事例だと、カナダでは、前世紀から数十年間もモルモン教徒の一夫多妻制を黙認してきた。(モルモン教徒が一般市民に迷惑をかけなかったり、[結婚対象の]少女があまりに若くない限りは、今に至ってもモルモン教徒の一夫多妻制を黙認している)。移民達の多くは、一夫多妻制が合法で、一般的に習慣化している国(例えばパキスタン)から来ている。だから、レイッチが一夫多妻制を野蛮な慣習と提唱し、カナダの多数派が賛成したしたとしたしよう。するとカナダにおいて、既に少数の人達が行っている一夫多妻制が、完全に許容されている、という厳然たる事実が残ることになるだろう。つまりパキスタンからの移民が、カナダでは一夫多妻制が違法であると理解し、カナダの法に従うという配慮を行う限りにおいては、[以前からカナダに住む]我々は、移民達の価値観について不平を言う事ができなくなるのだ。移民達が、カナダの法を変えるような政治活動を行うような出来事に至っても、我々は当然不平を言うことができない。既にカナダには、活発な一夫多妻制合法運動が存在しているのだ。もちろんこの運動は、政府によって大目に見られている。(私がこの運動を知ってるのはなぜかと言うと、運動の活動家達が、10年以上前に、メーリングリストを送りつけてきたからだ。私は未だに彼らのニュースレターを受け取り続けてもいる)。つまるところ、政府は法を執行しても、市民へ価値観までは課すことはできないのだ。

以上の件とは全く別の事例も挙げる事ができる。私はかつて、友人の1人(ウクライナからの移民者)が、自宅の池で、飼い猫を乱雑に溺死させているのを目撃した。彼は、無造作に、猫達をズタ袋に放り込んで、大きな岩に叩きつけた後に、水中に投げ入れていた。どうやら、ウクライナでは、余剰の猫の処理を、このように行っているようだった。このウクライナ出身の友人は、かつてソ連赤軍に所属しており――たしか”Hard Man”と呼ばれていた――ので、日常的にこの行為行っているのかについて、尋ねるのは躊躇してしまった。ただ強く指摘しておきたいのが、カナダにおいて一般的に、子猫を溺死させるような事を行えば、少なからずの面倒事に陥る。一方で、今においても、多くのカナダ人農夫が、全く同じ方法で余剰の猫を間引いている。通常は、カナダ人農夫の猫の間引きは、移民の件と関連しないだろう。しかし、[移民の価値観を問題視した場合には]問題が生じることになる。近年のカナダ社会では動物倫理についての議論が深刻になり、腫れぼったい問題意識に至っているが、世界のほとんどの人達はこの問題意識を共有していない。なので、移民達は、[例えばこの動物倫理については]反カナダ的価値観を保持したまま、この地にやって来る事になる。(例えば、「[野生の]アライグマを殺してはいけません」といったルールは、トロントへの移民のほとんどには、狂ったルールに見えるだろう)。移民達は、生来のカナダ人が持つ、平均的な意見や考えという観点で比較すれば、非常に強い反カナダ的な考えや意見を保持している。しかしながら、移民達は、『生来の全てのカナダ人が持つ考えや意見』から、完全に外れてしまっているわけではないのだ。リベラルな社会を念頭に置いた時、平均的な意見や考えこそが、正しい意見や考えである、と推定してしまうような思想は、ありえない思想だ。そう、だからこそ、特定の意見や考えに関して、国家が価値判断を示す時には、全領域を見渡した上で、中立性を極端なまでに維持することを試みるのである。

この争論における主要問題は、カナダの移民制度が、カナダ政府が自国市民を扱う際には行えないような方法でもって、[移民達]を既に選別してしまっている事にある。事例を挙げるに、カナダ政府は、一般市民が大学で選択した学習分野に基いて、市民達を区分化して扱うことは、許されていない。しかし移民制度は、そういった区分化(特定の特徴に基いて移民達に様々なポイントを付与すること)を行っている。カナダ政府は、様々な方法でもって、自国民を平等に扱わねばならないという原則に従っている。しかし、非自国民を扱う際にには、そういった原則に強いられていないのだ。今や、一般の人達は、考えているかもしれない、包括的ポイント制度6 は、不平等で違法だと。しかし、ポイント制度が不平等で違法だと認めてしまうと、レイッチは自身の提唱する『選別』は、ポイント制度の不平等さや違法性を、[カナダ国民に利するように]拡張しているだけだ、主張する事になるだろう。我々[カナダ政府]は、言語能力に応じて移民達にポイントを与えている、こういった処置は、移民達をカナダ社会に融和をさせることに、役立っているだろう。なら言語能力以外の、人格的な特徴にも、ポイントを与えるようにすればどうだろうか? 結果的に移民達が、より容易に融和する事を可能にしないだろうか?(この提案は、『人格的適応性』という評価カテゴリーを、復活させる処置になるだろう。2002年まではポイント制度に含まれていた要素だ)。

よって、レイッチの提唱の、移民への『反カナダ的価値観』を選別する必要性への、適切な反応は、(我が信念においても)断固拒否である。なぜなら、家庭的背景がどんなであれ、1世代か2世代を経た時の、移民達と融和する我々の能力は、十分に頑健だからだ。つまりは、[移民も含めた]我々が、英語(やフランス語)で話して意思疎通できる事は、同じく我々が『カナダ的価値観』を、十全に使いこなせている事も意味しているのだ。この件で、我々は、第一世代の移民達[が英語やフランス語を使えない事]について、過剰に心配しなくて良いだろう。なぜなら、移民の子孫達が、訛のないカナダ英語(やフランス語)を話すと予想しているからだ。結局、我々は、移民達が、正統なカナダの保守的価値観を保持することになるであろうとも、予測しているのだ。パキスタン移民は、[リベラルで世俗的なムスリム思想の提唱者である]Irahsad Manjiような、滑稽なまでにカナダ的な価値観の、若い女性を持つに至った。彼女の主たる不満は、イスラームはヒッピーの集団のように運営されていない事や、[イスラームの僧侶である]イマームは信じるべき教義をしつこく言ってくる事のようだ。彼女のようなレズビアンにとって、イスラームやイマームは、まったくクールじゃないのだろう。トロントでは四六時中このような事例を見つけることができる。私が受け持った最後に教室でヒジャブ7 を着ていた生徒は、自称リバタリアンで、保守党の活動員であり、それをガサツに公言していた。彼女の父親が持っていた価値観は何であれ、娘に自身の価値観を継承する事には、著しく失敗していたと思われる。荒っぽく議論をまとめると、我々が、カナダ社会に、移民達を良好に融和する事を維持できている限りにおいては、移民に対する『選別』は必要ないのだ。

さて、もうひとつ小話を。昨年になるが、北アフリカからイタリアに船路で向かっていた、多くのナイジェリア人密航者達がいた。過積載のボートで航行中に、険悪な状況となり、口論が発生した。そして、ボート内のムスリムの渡航者達が、キリスト教徒の渡航者達全員を荷重とし、ボート外に投げ捨てる事態に至った(12人が殺害された)。この事件は今では、最悪な出来事の積み重なった物だとされている。しかし、最も明白な事実の一つは、これら密航移民達が、イタリアへ向かっていた事だ。イタリア社会の融和の試みは、移民に対してはまったく用意されていないという、社会通念がある。そして、この社会通念は、移民達がキリスト教徒に殺意を持っているなら、イタリアは移民が住むのには最適な場所ではない事を、示してしまっているかもしれない。以上の話の教訓、それは特定の国への移住希望者は、希望する国での、日常生活を支配している価値観や規範を、既に準備した上で「乗船している」事を、まったく意味しないという事実だ。移民達はよく、新しい国での生活の有り様などについて、極端なまでに非現実的な期待を抱いている。そして、移民達はよく、非常な視野が狭い経済的動機に、突き動かされている。[カナダ社会に]非常にふさわしくない[思想傾向などの]態度を持っている人が、カナダへの移住を申請するということは、十分にあり得るのだ。以上の原則下において、我々が移民のような人達を、『選別』せねばならない、考えてしまうことは、それほど狂った考えではない。

ここまでの議論は、以下の2つに論点に、集約できる。まず1つ目は、運用面で『選別』行う方法が、存在しない事だ。対象となる人々を、階層化するようなハッキリとした、区別を行うのを除けば。[訳注:このエントリの当初で指摘されているが、外見上の特徴等で『選別』を行うしか手段は存在せず、実際に行うには非常に困難であることを指摘している]。2つ目は、『選別』は必要ないという事だ。なぜなら、カナダに住むようになった人間は、保守的なカナダ的価値観に、急速に染まっていく。もし仮に、第1世代が染まらなくとも、第2、第3世代は確実に染まるだろう。

レイッチの提唱が、私をいくぶん不愉快にさせた理由は、我々(多文化主義に基づいた学問従事者や理論家達)が、この2つ目の論点を断言するには、この[世代を経た移民達の]融和の過程がどのように機能しているとか、[社会]になぜ『選別』は必要でなく、我々の融和する能力への確信には余裕を持って良いのか、といった事を説明するのには、完全に失敗しているからだ。以上が、個人的に最近考えている事案なので、来週か再来週には、この事案で、いくつかのさらなる投稿を行う予定だ。

※※訳注

訳者による補足、註釈の文面は基本的に[]で囲っている。

タイトルを直訳すると『ケリー・レイッチによる反カナダ的価値観』となるが、内容の一般性を考えて意訳している。

“integration”および”integrate”は「融和」「融和する」と日本語を当てている。「同化」や「統合」と訳している事例も多い。

  1. 訳注:イスラム教において、女性が着用することを義務付けられているスカーフの一種。ニカブは目だけを除いて隠すような形態で最も厳格的なスカーフの一つ []
  2. 訳注:カナダでは一般的に保護者からの児童虐待の疑われた子供に対して、自治体は保護者からの隔離と子供の保護措置を行っている []
  3. 訳注:欧米で行われているルール等を守らなかった子供に対して、壁際などに特定時間じっと立たせて反省させるしつけ方法 []
  4. 訳注:セリーヌ・ディオンがアメリカ人と結婚し、アメリカに移住した事に、少なからずのカナダ人は反発している []
  5. 訳注:エジプト系カナダ人一家。ビン・ラディンやアルカイダのプロパガンダ活動を行った事でカナダでは有名 []
  6. 訳注:カナダにおける移民希望者へのポイント評価制度のこと []
  7. イスラム教において、女性が着用することを義務付けられているスカーフの一種。ヒジャブは頭髪だけを覆う最もカジュアルなスカーフ []