「レオン・ワルラス、ノーベル賞に自薦していた?」(2013年11月13日)

今年度(2013年度)のノーベル経済学賞(正式名称は、アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞)は、「資産価格の動向に関する実証的な分析」への貢献を称えて、ファーマ(Eugene F. Fama)、ハンセン(Lars Peter Hansen)、シラー(Robert J. Shiller)の三氏に授与された。ところで、一般均衡理論の生みの親であるレオン・ワルラス(Leon Walras)がノーベル賞に自薦していた事実があることをご存知だろうか?

「ちょっと待て!」と経済学の歴史に少々詳しい人なら口を挟みたくなるところだろう。というのも、ワルラスが没したのは、1910年。ノーベル経済学賞が創設されたのは、1968年(賞が送られるようになったのは、翌年の1969年から)である。死後半世紀以上も経ってから創設された賞に自薦することなど物理的に不可能ではないか。しかし、早とちりしてはいけない。ワルラスが自薦したのは、ノーベル賞とは言っても、ノーベル経済学賞ではなく、ノーベル平和賞なのである。

この興味深いエピソードについては、Agnar Sandmoによる次の論文で詳細に紹介されている。

●Agnar Sandmo, “Leon Walras and the Nobel Peace Prize(pdf)”(Journal of Economic Perspectives, Vol.21, Number 4, Fall 2007, pp. 217–228)

ノーベル賞は、アルフレッド・ノーベルの遺言により、1895年に創設された。ノーベル経済学賞を除く各賞(物理学、化学、医学生理学、文学、平和)の授与は、ワルラスが存命中の1901年から開始されている。ノーベル平和賞は、「国家間の友愛関係の促進、常備軍の廃止・縮小、平和会議の開催に最も貢献した人物」を対象にノルウェー・ノーベル委員会がその選考を行っている。ワルラスがノルウェー・ノーベル委員会に対して自らを候補にするよう自薦の手紙 [1]自薦というのは正確ではない(そもそも、ノーベル賞には自薦できない決まりになっている)。Sandmo論文でも語られているように(pp. … Continue reading を送ったのが1905年のことである(しかしながら、手紙を送った時点では既にその年の受賞候補者は絞り込まれており、ワルラスが候補として選考の対象となるのは翌年の1906年のことだった [2] Sandmo論文のpp. 221を参照。 )。

さて、ここで一番気になることは、ワルラスがどういった理由で自らのことを「国家間の友愛関係の促進、常備軍の廃止・縮小、平和会議の開催に最も貢献した人物」と見なしていたのかということだろう。ワルラスのような数理経済学者がノーベル平和賞を受賞するにふさわしい人物であると、なぜ言えるのだろうか?

自由貿易を「科学的・理論的」な観点から正当化することで、自由貿易の推進に貢献したから、というのがワルラスなりの答えである。自由貿易は、「国家間の友愛関係」を促進する役割を果たすものであり [3] … Continue reading 、それゆえ、自由貿易の正当性を理論的に明らかにした自らの業績はノーベル平和賞を受賞するにふさわしい、と考えたわけである。Sandmo論文(pp. 220)から引用しよう。

メモランダム [4] 訳注;推薦状に同封された手紙。メモランダムの草稿は、どうやらワルラス本人が執筆したようだとのこと。Sandmo論文のpp. 219を参照。 には、次のように書かれている。「国家間の友愛関係の維持・促進に貢献する手段の中でも最も強力なのは、おそらく貿易の自由化 (“libre e´change international”)である」。メモランダムでは、なぜそう言えるのかについては詳しく書かれていない。おそらくメモランダムの執筆者にとっては、貿易の自由化(自由貿易)が国家間の友愛関係の維持・促進につながるのは自明だったのだろう。メモランダムでは、自由貿易に備わる他の利点もリストアップされている。例えば、自由貿易は、すべての国家に対して広範な財にアクセスする機会を開く。自由貿易は、戦争の抑制だけではなく、飢餓の抑制にもつながる等々。そして、メモランダムでは、次のように結論付けられている。自由貿易の促進に向けた努力は、ノーベル平和賞の精神に完全に合致したものであることに何らの疑いもない、と。

メモランダムによると、自由貿易の促進に向けた試みには、2通りの手段があるという。まず一つ目の手段は、実際的なアプローチ(practical approach)と呼べるものであり、自由貿易の妨げとなっている障壁を実際に取り除く作業である。二つ目の手段は、理論的な(あるいは、科学的な)アプローチと呼べるものであり、自由貿易の働きを研究する中で持ち上がってくる厄介で複雑な疑問を紐解くことにその関心がある。メモランダムによると、自由貿易の理論を支える科学的な基礎が欠けている現状を踏まえると、二つ目の科学的なアプローチこそが何よりも重要であるという。

しかし、自由貿易の擁護に向けて努力を傾けたのは、ワルラス一人だけに限られるわけではない。その他にも多くの経済学者が自由貿易の促進を訴えているし、理論的なアプローチに基づいて自由貿易を正当化した経済学者も少なくない。ワルラスとその他の経済学者との違いは、どこにあるのだろうか? ワルラスの独自性について、メモランダムでは次のように語られている(以下は、Sandmo論文のpp. 220からの引用)。

一体何が自由貿易を妨げているのだろうか? この点について、メモランダムは次のように主張する。保護関税にばかり注目が寄せられる傾向にあるが、自由貿易の妨げとなっている障壁としては、物品税も同じくらい重要である。例えば、イギリスでは、茶や砂糖、タバコ、ワインなどに税金(物品税)が課されているが、そういった物品税も自由貿易を阻害する要因である。しかし、コブデン(Richard Cobden)やブライト(John Bright)といった自由貿易推進論者は、そのことにほとんど気付いていない。自由貿易を促進するためには、関税だけではなく、物品税も撤廃されねばならないのである。しかしながら、そう結論付けるためには、次の2つの質問に答えられる理論を必要とする。

  1. 物品税も関税も撤廃した場合、政府はどのようにして収入(歳入)を確保することができるか?
  2. 産業や一国全体の富に損害をもたらすことなしに関税を撤廃することは可能か?

そして、メモランダムは、ためらうことなく次のように主張する。ワルラスの研究は、まさにこれらの質問に答えるために捧げられてきたのである。とは言っても、彼(ワルラス)の研究は、40年もの長きにわたって続けられており、新しく創設されたばかりのノーベル賞のことなんて意識の外にあった。彼の研究は、「社会経済的な問題」(“social economic question”)に対して科学的な解決策を見出すという目的だけに突き動かされてきたが、思いがけなくも自由貿易をめぐる問題に対する解決策も見出す格好となったのである、と。

物品税や関税に頼ることなしに政府が収入を確保する手段としてワルラスが提案したのが、かの有名な「土地の国有化」案(土地からの地代で政府予算を賄う)であった(Sandmo論文のpp. 220~221を参照)。

まとめると、こういうことである。自由貿易は、「国家間の友愛関係の促進」(言い換えれば、世界平和の達成)にとって必要不可欠である。ワルラスは、自由貿易を理論的・科学的な観点から正当化することで、世界平和を支える科学的な基礎を提供したと言える。そればかりではない。「真の」自由貿易を推進するためには、関税だけではなく、物品税も撤廃する必要がある。ワルラスは、科学的な態度に徹することで、そのことに伴う問題――政府の収入をいかにして確保すればよいか――にも気付き、その問題に対処するために彼なりの政策提案――「土地の国有化」――まで行っている。ワルラスは、ノーベル平和賞に十分値する人物だ、というわけである。

さて、ノルウェー・ノーベル委員会の選考結果は、どうだったろうか? 残念ながら(?)、1906年のノーベル平和賞は、「日露戦争の停戦を仲介」した功績を称えて、セオドア・ルーズベルト大統領に授与された。ワルラスは、その後もノーベル平和賞にこだわり、ノルウェー・ノーベル委員会にさまざまな形でアプローチし続けたものの、過去の受賞者リストを見れば一目瞭然のように、ワルラスにノーベル平和賞が授与されることはついになかったのである。

ワルラスは、不運だったと言えるかもしれない。というのも、場合によっては、自薦なんかしなくても、ノーベル賞を受賞できていたかもしれないからである。それも、ノーベル平和賞ではなく、ノーベル経済学賞を(以下は、Sandmo論文のpp. 228からの引用)。

もしもノーベル経済学賞が他の賞と同時に創設されていたとしたら、ワルラスはノーベル経済学賞の最初の受賞者候補の一人に名を連ねていたことは疑いないだろう。しかしながら、ノーベル経済学賞――アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞――が初めて授与された時(1969年)には、ワルラスが没してから既に半世紀以上が経過していたのである。

References

References
1 自薦というのは正確ではない(そもそも、ノーベル賞には自薦できない決まりになっている)。Sandmo論文でも語られているように(pp. 218~219)、「私をノーベル平和賞に推薦してくれないか」とかつての大学の同僚に持ち掛けたというのが、本当のところである。そして、ワルラスの依頼を受けて、同僚らが連名でノルウェー・ノーベル委員会にワルラスを推薦する手紙を送ったのであった。しかし、事実上は自薦と言っていいだろう。
2 Sandmo論文のpp. 221を参照。
3 自由貿易が世界平和にプラスに働くという議論は古くからあり、そのヴァリエーションはいくつかあるが、その一つに「温和な商業」仮説(doux-commerce thesis)と呼ばれる考え(代表的な論者は、モンテスキュー)がある。詳しくは、Sandmo論文のpp. 226~227を参照。
4 訳注;推薦状に同封された手紙。メモランダムの草稿は、どうやらワルラス本人が執筆したようだとのこと。Sandmo論文のpp. 219を参照。
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