アレックス・タバロック「平等主義とオンライン教育」

[Alex Tabarrok, “Egalitarianism versus Online Education,” Marginal Revolution, September 20, 2016]

司法省がUCバークレー校に書簡を送って脅しをかけた (pdf).アクセス可能性の諸条件を満たすように同大学の無料オンライン教材を改変しないかぎり,裁判を起こすというのだ.これに対して,教務部長こう書いている

(…)我々は,無料のオンライン・コンテンツをできるかぎり広く世の中の人々が利用できるようにつとめてきた.しかし,先日,司法省は本学が「アメリカ障害者法」(Americans with Disabilities Act) に違反していると断定した.その理由は,司法省の見解では,UCバークレー校が特定のオンラインプラットフォームで利用できるようにしている無料コースおよび講義のなかに聴覚・視覚・身体に障害をもつ個人に十全に利用できないものがあるからだという.

(…)我々は,障害者法の要件と法令遵守のためにとれる選択肢について司法省との対話を継続したいとのぞんでいる.ただ,対話継続の一方で,目下の財政的な制約により司法省により提示された条件のもとではこれまでの規模で無料の公開コンテンツを提供しつづけられなくなるかもしれない.

多くの場合に,司法省により提案された要件では,こうしたリソースを無料で公共に利用できるようにしつづけるために本学はきわめて高額の方策を実施する必要が生じるだろう.かなりの赤字財政と週による財政支援の縮小がなされている今般,我々の第一の義務は本学に入学した学生を支援するのに限られた資源を使うことだと我々は考える.したがって,コンテンツを公共アクセスからはずす悩ましい選択肢も我々としては強く考慮せざるをえない.

ようするに,司法省が言っているのは,万人がアクセスできないかぎり誰もアクセスしてはならないということで,これに対してUSバークレー校は誰もアクセスできなくしましょうと答えているわけだ.UCバークレー校の立場には同情する.いろんな教材をアクセス可能にするコストは高くつく場合があるし,障害のある学生に対応する場合には1人あたりのコストはきわめて高くなる.あらゆる教材を書き直してフォーマットを改めてプログラムをつくりなおすよりも,障害を持つ学生ひとりひとりを個人的に助ける方がずっと安くつくと見込まれる(ひとつ有名な例を挙げよう).

いっそうばかげているのが,アクセス可能性の規則をすべて満たしていない場合にすら,教室教材と比べてオンライン教材の方が典型的にずっとアクセスしやすいという点だ.たとえば,字幕付きでしゃべってくれる講師なんてどれくらいいる? (まして,多言語対応となればどうだろう?) 音量調整は? 目の見えない人たちにとって,キャンパスに通うのはどれくらいかんたんだろう? 理論上は,教室教材も障害者法にしたがうことになっているはずだけれど,実際には,そんなことは基本的に機能し得ないと誰もが承知している.たとえば,カリフォルニア大学のいたるところで教授たちが学生に見せている動画や PowerPoint スライドはアクセス可能性ガイドラインに合致していない,保証しよう.このように,もっともアクセスしやすい教育フォーマットであるオンライン教育のコストを上げることによって,障害者法はアクセスを振るわなくするという意図せざる帰結をもたらすかもしれない.単純に言えば,オンライン教育のコストを高めれば,障害者も含めて誰にとっても教材にアクセスするのがいっそう困難になるんだ.

補足:ところで,疑問の浮かんでいる向きにお伝えしておくと,〔タバロックとコーエンがやっているオンラインコースの〕マージナルレボリューション大学が『ミクロ経済学原理』および『マクロ経済学原理』のために用意している動画はすべて英語字幕があるし,大半は専門家によってスペイン語・アラビア語・中国語の字幕も用意されている.

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