ポール・クルーグマン「芸人としての経済学者」

Paul Krugman, “Economists as Entertainers,” Krugman & Co., December 26, 2014.
[“The Oz Effect,” The Consciece of a Liberal, December 20, 2014.]


芸人としての経済学者

by ポール・クルーグマン

Christopher Gregory/The New York Times Syndicate
Christopher Gregory/The New York Times Syndicate

イギリスの研究者たちによると,ドクター・オズが語っている健康アドバイスの半分以上は,根拠レス(主張を支える根拠がない)か,間違っている(根拠は彼の言い分と矛盾している)んだそうだ.Vox のジュリア・ベルズが言うには,意外でもなんでもないとのこと:「なにより,オズは娯楽産業の人間だ」と彼女は書いている(リンク).

でも,今回の要点はそこじゃない.要点は,娯楽産業とは思われなそうな分野にもドクター・オズたちがうじゃうじゃいるってことだ.

この前,カンファレンス企画業者からぼくに出演依頼があった.イベントの中身を聞くと,経済学者のアーサー・ラッファとスティーブン・ムーアが提示している見解に対する代替案をぼくが語るって段取りになってた.そう,このアーサー・ラッファは,2009年に「マネタリーベースの急速な拡大によってまもなくインフレ率は急上昇して,金利は急騰するぞ」と警告してたあのアーサー・ラッファーだし(スイスがどうなってるかごらんあれ),スティーブン・ムーアも,今年,『カンザス・シティ・スター』のコラムでいんちきの数字を利用して州レベルの減税を訴えていたのを露呈した,あのスティーブン・ムーアだ.

明らかに,この手の「専門家」たちはビジネス系読者の政治的偏見に訴えかけているけれど,彼らの助言をとりいれた場合のコストは,大金にのぼるだろう.じゃあ,なんでこういう連中が繰り返しヘマをやらかしても,人気がおとろえないんだろう? 彼らも娯楽産業の人たちなんじゃないの?

答えは「ある程度まではイエス」だ.経済学者のサイモン・レン=ルイスが先日おもしろい文章を書いてる.金融部門がどうしてダメなマクロ経済学を受け入れてしまうのか,その理由を彼は取り上げてる(リンク).レン=ルイスによると,ホントのところ,金融企業は短期の予想以外になんにも関心をもっていない.「金融機関のためにはたらいている経済学者たちは,市場のトレーダーたちよりもその機関の顧客たちを相手に話すことに時間を使っている.彼らは,顧客の興味を引き印象づける物語を語ってお金を稼いでいる.そのためには,顧客と同じ世界観をもっている方が役に立つんだ.」

ドクター・オズについて考えてみると,これに関連したパズルの説明にも役立つ.「保守派は保守イデオロギーに足並みを揃えてくれる自称専門家たちを欲しがってるって話を認めたとしても,それにしたって少なくとも有能な連中を使えないもんなの? なんでまた,基本的な雇用の計算もできなかったり表をながめても自分がバカげた失業予測をしてるって気づいたりできないような連中を雇い続けてるの?」

ぼくなりの答えを言うと,その手のまちがいを避けられる有能な人たちは〔利用したい側にとって〕信用がおけないんだよ――いつ,その人が自分にウソをつくのをやめるともわからないし,少なくとも専門家倫理を完全に放棄するのを拒否するかもしれないからね.とはいえ,これで全容の答えになるとは,ぼくも思ってない.

ただ,健康とか金融政策みたいなそれほど愉快じゃない話題で手練れの芸人になるために必要な人格特性には,たとえハンパ者でもそれなりに有能になるのに必要な人格特性と相反する部分が含まれているんじゃないかとぼくは見てる.

もしもドクター・オズが医療関係の証拠をじっくり検討して自分が言ってることを自分でもちゃんと理解してるかどうか確かめるタイプの人物だったなら,あれほど大勢の聴衆を勝ち取るような人物像を演出できなかったはずだ.同様に,経済データベースからチャートをダウンロードする方法をわかっているなら,雇われ経済学者たちも,自分の雇い主たちがのぞんでるほど右派ドグマに陽気な確信を抱きはしないだろう.

じゃあ,不誠実にペラペラまくしたてないぼくらはどう対応するのかって? もちろん,笑いのネタにするんだよ.これは残忍な行為じゃない.戦略だよ.

© The New York Times News Service

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  1. その手のまちがいを避けられるくらい有能な人たちは〔利用したい側にとって〕信用がおけないんだよ――いつ,その人が原則どおりの立場を明らかにするともわからないし,少なくとも専門家としての職業倫理を完全に放棄するのを拒否しはじめるかもしれないからね.

    ちょっとまどろっこしいので、あっさりと、

    その手のまちがいを避けられる有能な人たちは〔利用者には〕安心できないんだよ――いつ,その人が信念に基づいて自分の立場を明らかにするかも知れないし,少なくとも職業倫理を完全に捨てられないかもしれないからね.

    てな感じでどうでしょう。

  2. コメントへのコメントですが
    “利用者”と”信念”と”職業倫理”の意味が曖昧っぽいです。

    日本語ではよく”利用者”が”消費者”的な意味で使われます。
    また専門家としてではなくエンターテイナーとしての”信念”や”職業倫理”に従うかもしれません。有能な人は自分ではエンターテイナーのつもりかもしれません。

    文脈的にわかるだろう、と突っ込まれるとそのとおりです。しかし(少し)冗長でも誤解できない文章の方が好ましいかと個人的には思います。

  3. >夜はやさしさん,ペンギン大好きさん:
    訳文をいくらか見直しました.ご指摘ありがとうございます.

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