コーエン & クルーグマン「インタビュー, pt.2: アメリカ政治について」(2018年10月10日)

[“Paul Krugman on Politics, Inequality, and Following Your Curiosity,” Conversations with Tyler, Oct. 10, 2018]

コーエン: 最近,政治についてたくさんツイートしてますよね.とくに,以前ご自分が思っていた以上によからぬ意図が強力かもしれないという考えをよく言ってますね.かりに,誰かを相手に,近年のアメリカのどこがまずくなっているのかを説明するとして,実在の人たちの名前やら,さらには政党名すら出さずに,ただモデルだけを使って 説明するならどう語りますか?

この点を,あなたがよく言うトイモデルの観点でギュッと本質につきつめて言うとしたら,どうです?

クルーグマン: こう言うね――アメリカの政治システムは,「みんなが選出する議員たちは,有権者の声をそっくりそのまま反映させるわけではなく,じっくり考えて,独立した判断を下す」というのを土台にしている.でも,いまアメリカの政治環境は極度の党派的対立になっていて,実際問題として政党だけがモノを言うようになっている.

たいていの物事でモノを言うのは共和党か民主党かってことで,それってつまり,すべては…――そう遠くない昔には,皮肉でもなんでもなく世界に冠たる熟議体制として上院を人々が引き合いにだしたりしてたもんですけど.(笑)

いまどき,そんな話は馬鹿げてるでしょ.熟議なんてまるでない.完全に党派的な制度になってる.一方の政党が大統領を出していて,もう一方の政党が院内総務を出してたら,大統領による各種の指名で公聴会すらなされない.

コーエン: それが悪化した構造的な理由はなんでしょう? さっきおっしゃったように,かつてはずっとよいものだったわけですよね.

クルーグマン: 2つあると思う.ひとつは単純に,つまるところ所得格差と政党の二極化にはかなり強い相関があるんだと思う.二極化を数値化してる政治学者たちによると,この相関はほんとに強い.合点がいくね.

ようするに,所得分布の右端の方〔ごく少数のものすごく稼いでる人たち〕がますます重みをもつようになって,それで一方の政党〔共和党〕がそっちの方向に引きずられてきたんだ.そのために,大きなスキマがあいて,〔政治的な左右の尺度で〕中央が成り立たなくなった.かつては,二大政党のあいだで経済問題について少なくともいくらかは重なる部分があったけど,いまはもうなくなってる.

もうひとつ,こっちはいっそうエグいんだけど… アメリカ政治が党派の分断を深めている根っこのひとつは,実はあからさまな人種差別がある.アメリカ政治にはかつて2つの尺度があった.ひとつは人種だ――これは政治学でモデルをつくってる人たちが教えてくれてる.ひとつは人種.もうひとつは,本質的に,経済学での左/右だ.

かつてこの2つがあったけれど,いまや,ひとつの尺度になってる.つまり,かつて悪しき意味で政治的な中道の一角を提供していた南部州のポピュリスト上院議員は,もはやいないってこと.これがふたつめだね.正直に言うと,こうポイントを並べてはみたけれど,ぼくにはちょっとばかり不可解に思えるんだよね.

よくわかったって気がしないんだ.その話をしたいんだけど.政治でお金が果たしてる役割によってつくりだされたのが……ええっと,政界で暮らしてる人たちの多くは,党派的なエコシステムで生涯を送っていて,その外に踏み出すことがない.〔党から〕独立してなにかを判断したり,独立して良心を示したりすれば,キャリアを破滅させてしまうわけ.

それでどういう人たちが政界に残るかというと,基本的に悪しき連中,よくいってもすごくシニカルな人たちだ.彼らがあれほどシニカルになれるのはどういうわけなのか,いまだにわかりかねてる.

コーエン: ハイエクに有名なエッセイがありますよね,「なぜ最悪の者たちが政界で頂点に上り詰めるのか」(“Why the Worst Get to the Top in Politics“) ってやつです.当時,それが普遍的な傾向なんだとハイエクは考えていたらしくって,たぶん1940年代にはそう信じておかしくなかったんでしょう.でも,これはばらつきが大きいように思えます.最悪の連中が頂点に上り詰めたり上り詰めなかったりする理由について,なにか基礎になるモデルはありますかね?

クルーグマン: アメリカで上院議員としてやっていくことを考えてみると,こういう時代があったと思うんですよ,つまり――誰か上院議員になりたがってる人がいるとして,その人が上院議員らしく見えて,いくらか重みがあって,なんらかの人格の長所があるように思えることを,有権者がのぞんでいた時代がかつてはあったと思う.そういうのはおうおうにして錯覚だったのかもしれないけれど,ひとかどの人物が自分たちの代表であってほしいという感覚はまだしもあったと思う.

やがて,党派性と部族主義がいっそう強まるなかで,そういうことはだんだん重みをなくしていった.上院議員たちの口から出てくることというと……もちろんどちらの政党も同じだとは思わないけれど,「まさかそんなことを口走るなんて」ってケースは,民主党より共和党の方が多く見つかると思うな.

要点はなにかと言うと,だいたいにおいて,有権者がそういうことを気にしないのは,彼らが二極化していて,多くの場合に,とにかく共和党議員でありさえすれば,そいつがなにを言っても構わなくなっているってところ.

コーエン: 合衆国憲法でここを変更すると有益になる余地があるところはありますか.少なくとも変更を考えてみていいところはありますかね?

クルーグマン: このところずっと最高裁判所の議論をずいぶん読んでるんだけど,一部にこういう提案があってさ.つまり,最高裁判事の任期を終身にするのはやめて18年にしてはどうかって言うんだ.それなら,たぶん短期的な政治圧力から判事を守るのには十分だろうけれど,いまみたいなのは終わりになる…少なくとも,判事の誰かがついに亡くなったときに,地獄みたいなすったもんだが始まって,基本的に誰が大統領であっても2名の最高裁判事を指名する機会が与えられるっていう,こういう極端な劇的事態は減る.

でも,いろんな点で,ぼくらに本当に必要なのは,できることなら,もっと分別のある政治プロセスを支える社会につくりなおすことだと思う.それはつまり,所得格差を減らすってことなんだよ.

コーエン: 格差を減らす方法を思いつくまま挙げてみるので,思うところを教えてください.国民全員のベーシックインカム〔UBI; 国民みんなに継続して一律にお金を渡す制度〕.

クルーグマン: UBI については,自分のなかで論争を続けていて,結論は出てないんだ.UBI のいいところは,自動的にお金が渡されるのが大きい.社会保障やメディケアがとにかくそこにあるっていうのはとても大事で,「アンタに必要なの?」「アンタにもらう資格があるの?」なんて誰も聞いたりしない.とにかくそこにある.UBI もそういう性格のものになるだろうね.

他方で,UBI は高くつく.ホントのホントに助けが必要な人たちの手に渡るほど気前のいい額にしたら,ずいぶんなお金になる.かといって,金額を低く抑えようとしたら,〔助けが必要な人にとって〕不足してしまう.いま実施されてるのはあれこれの受給資格審査のついたプログラムで,薄く広くやる場合の UBI よりは,底辺の人たちにとってずっと気前よく給付するものになってる.

というわけで,UBI についてはっきりした意見は持ち合わせてないけど,ひとつの候補ではある.UBI は底辺にいる人たちにしか大きなちがいをもたらさないだろう.それより上の階層にまで変化をもたらす必要があると思う.

コーエン: 奴隷の子孫への償い金

クルーグマン: 公正なことなのは間違いないけれど,実際に行われるとはちょっと思えない.

ただ,償い金を出しても〔格差の〕構造が変わることはなさそうだね.本気で公正について語ろうというなら,償い金は意味をなすだろう.きっと,かなりの人たちがこんな風に思うだろうね,「いや,うちの祖父母は(あるいは曾祖父母は)1915年にここに来たんだけど.なんでうちがそのお金を払わなきゃだめなの?」

でも,他方で,この国は大部分が信じられないほどの不公正のうえにつくられてるわけでね〔そういう公正の論議のためには意味があるだろう〕.でも,償い金で構造が変わることはないだろうね.一回支払ってそれで終わりになるでしょ.

コーエン: でも,象徴的な行動がものを言う場合もありますよね.最高裁での論議は,象徴に関わるものである場合がときどきあります.

クルーグマン: 南部連合の記念碑の件を追究してみても,それは……こんな風に言えるじゃない,「それで人々の生活がなんか変わるの?」 で,記念碑を撤去するのは,つまり,「奴隷制のために暴力的な行動をとるのはいいことだった」と物語る象徴を撤去することなわけだよね.

そもそも,だからこそああいう記念碑が建てられたわけだ.べつに,南北戦争の直後に英雄たちを追悼するために建てられたものじゃなくて,ジム・クロー法の時代に,「やつらをいるべきところにとどめておく」ことの重要性を人々に思い出させるために建てられたんでね.

コーエン: 対ドラッグ戦争をやめて,犯罪でなくすなり合法化するなりの方針に変えるのはどうです.アメリカの都市にとって役立ちますかね,それとも害になりますかね.

クルーグマン: おそらく役に立つだろうけど,ドラッグの問題についてはまったく考えてこなかったんだよ.宿題をやってなくて.

コーエン: 移民政策.たぶん,これに関しては時を経て考えが変わってきたんじゃないかと思うんですけど.2018年に理想的な移民政策を実施できるとしたら,どんな政策にします? それで所得格差にどう影響が出ますか?

クルーグマン: まず,移民政策も,ぼくの考えが変わってきた領域だね.20年前に聞かれてたら,基本的に,いろんな教育水準の労働者たちで成り立ってる労働力を考える単純なモデルでやったね.教育水準の低い労働者たちが移民でやってきたら,所得格差は広がる.そのうえで,他の影響やジレンマなどなどを考えていこう,と.

でも,高卒やそれ未満の教育水準の移民は,その国で生まれ育った同等の教育水準の労働者たちと直接に競争してるわけじゃないって証拠に,ぼくはおおむね説得されまして.両者が席を埋める仕事は同じじゃないらしい.同じ労働市場で競争してるようには見えないんだ.それで,移民が所得分布に及ぼす影響は,かつて考えていたのよりもずっと少ないといまは思ってる.

コーエン: 反動の影響はどうですか.あまりに大勢の外国人があまりに急激にやってくると,アメリカ生まれアメリカ育ちの人たちがトランプ支持者になるっていう効果について,どれくらい懸念してます?

クルーグマン: 移民についての自分の考えはずっと変わってなくて,移民について考えるときになにかしら収まりの悪いところがないなら,その考えはまちがってると思ってる.強固な社会的セーフティネットをのぞむなら――ぼくはのぞむし,たいていの人も問われればのぞむと言うけど――〔移民の流入をたやすくする〕国境の開放はその邪魔になる.国境を開放したらセーフティネットが破綻するかどうかはさておき,余所から大勢の人間がやってきて自分の便益を奪っているという感覚は,問題のもとになるだろうね.

他方で,〔一国の社会的セーフティネットの観点ではなく〕全世界の幸福を考えると,誰でも入ってこられるようにしないのはひどいことだ.というのも,人々の生活を改善する最良の方法のひとつは,当人がもっと生産的になる場所に移動する機会をみんなに与えることだから.

さらに,移民によってぼくら自身の将来の経済的見通しがよくなったと考えるべき理由も,あれこれとある.だから,〔移民について考えるときには〕なんらかのおさまりのわるい妥協を余儀なくされるわけだ.そこで問題はこうなる:「1年当たり何百万の移民についての話をしてるの?」 これは答えにくい問いだね.

移民の流入を制限こそしてもピシャッとドアを閉めちゃうことはしないってのが,ちょうどよさそうだ.ここはアメリカだからね.多様性は,何世紀にもわたって,ぼくらのものすごい強みでありつづけてる.国を閉めきってしまうのは,自分たちの歴史に対しても将来に対してもまぎれもない裏切りになる.

ところで,いまこうして腰掛けてる場所はニューヨーク市立大学 (CUNY) だけど,ここって移民の子孫たちの学校制度の最たるものなんだよね.

コーエン: ぼくがいるジョージメイソンもそうです.

クルーグマン: で,CUNY はずっとその役割を果たし続ける.もちろん,これまで何世代にもわたってそうしてきた.……うちの隣のオフィスにいてストーン経済格差研究所を運営してる Janet Gornick がそうだし,ぼくも CUNY の赤子だ.彼女の父親もぼくの父親も, ニューヨーク市立大学シティカレッジに進学したんだ.そこは同じで,ただ民族がちがう.

コーエン: 1996年に,『ニューヨークタイムズ』に面白いエッセイを書きましたよね.タイトルは「ホワイトカラー真っ青」です.このエッセイは実際に将来がどうなるかを予測したわけじゃなくて,あなたなりに思弁をめぐらしたんだと受け取ってます.自動化が進むことで,教育を受けて得られる見返りが劇的に下がってしまう可能性について考えをめぐらせてますね.実際にそういうことが起きていると思います?

クルーグマン: 『ニューヨークタイムズ』から言い渡されたお題が,一世紀後の人間の視点で過去を振り返って文章を書いてくれってやつだったんだ.それで,ほんとにそのとおりに文章を書いたやつがぼく一人しかいなかったんだよ.

コーエン: この文章で,自動車の乗り合いが広まると予想してましたね.覚えてらっしゃるかわかりませんが.

クルーグマン: うんうん,あれは面白かったね.全面的に本気で書いた話はひとつもないけど,でも,そう.こんな問いを考えてたんだよ.

当時はまだ大学の学位をとると顕著な賃金プレミアムがついてきた.だけど,いろんな点で,長期的に――「長期的に」って書いてなかったかな――教育がたっぷり必要で高等な技能と考えられてることの多くは,実際にはコンピュータがやれるたぐいのもので,やがてほんとにコンピュータがやってしまうんじゃないかって問いがある.

そう遠くない昔には,「これは学校に何年も通ってはじめてできるしろものだ」って思われてたことが,あれもこれもAI や機械学習にできてしまう.べつに本物の AI であろうとなかろうとね.他方で,ロボット配管工はまだまだ実現から遠い.物質的な世界には,予測しにくくてモデルを立てにくい特徴でいっぱいになりがちな傾向があるから.

高等教育にはいつでも大量のリソースを投入することになるとか,多大な労力を注ぐ意義があるって考えは,よくいっても異論の余地があるよね.昔みたいに教育がエリートの地位シンボルになるかもしれないって考えは,いまも現実味があると思ってる.

[part 3 に続く]
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